20230928

(…)また、父の名の排除によって自らの幻想的支配を失った主体は、欲望の満足を要求する〈他者〉の絶え間ない声に直接さらされる。これは精神病における幻聴の経験である。神経症の場合は、〈他者〉からの声を直接聞く事はない。しかしながら、声は常に〈他者〉からやってくるものであり、神経症では、幻想によってそれを逆転させ、自らの言葉としているのである。これは神経症(通常の人)に共通する〈他者〉の欲望に対する無知でしかない。この点において、精神病はより真理に近いといえよう。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅰ部第三章 欲望」 p.149-150)



 6時半起床。寝不足でクソキツい。歯磨きしながらニュースをチェックし、トースト一枚の朝食をとる。チェーンの切れた自転車をひきながら外国語学院へ。老校区の入り口近くにある売店でミネラルウォーターを買う。
 8時から二年生の日語会話(三)。第24課。今学期はじめて用意した教案なので荒削り。授業前半の基礎練習はちょっと単調すぎるのでもうひとつかふたつ工夫が必要。後半もボリューム不足だったが、これは織り込み済み。連休前であるし、余った時間は学生らと雑談して過ごすつもりで元々いた。セブンイレブンの話、広州の日本語教師の給料の話、MacBook Airの話、自転車の話などをいろいろおもしろおかしくする。(…)さんが彼氏と先学期別れたという話をはじめて知った。(…)さんは切符が買えず江西省に帰省することができないらしい。

 授業を終える。英語学科の女子学生らがぞろぞろ入れ替わりで教室に入ってくる。教卓を片付けていると、「先生」「先生」と日本語でささやく声があちこちからする。先生? と顔をあげてたずねると、みんな恥ずかしそうに笑う。第二外国語で日本語を勉強しているので、簡単な日本語を知っているのだ。教室を出るまぎわにバイバイと声をかける。
 廊下で(…)くんが待っている。自転車をひいて路上の合鍵屋のところに向かうも、「天才」のキャップをかぶったオヤジの姿はないし、大量のガラクタが積み込まれた三輪車も見当たらない。「天才」のオヤジが路上に出るのは午後からなのかもしれない。あるいはすでに連休入りしている? (…)くんがスマホで検索する。ここから10分か15分ほどのところに修理を請け負ってくれる店があるという。以前最寄りの店でも小一時間かかると言っていたのはなんだったんだと思いつつ、じゃあそこまで歩いていこうとなったのだが、老校区の入り口から三分ほど行った先で、自転車の修理を請け負っている別の店が見つかった。路上の商売人ではない。ちゃんと店を構えている。店の中は修理スペース。おもてには大量の自転車や自転車のパーツが並べられている。先客の女子学生らもいる。スタッフは中年男性ふたり。(…)くんがさっそく通訳してくれる。切れたチェーンはゴミ袋に入れた状態でリュックサックにしまってあったのでそれを渡す。チェーンではなく自転車本体の問題なのかもしれないと伝えてもらうが、「天才」のオヤジの仕事がいい加減だったのだろうとのこと。修理できる。1時ごろに来てくれとのこと。
 老校区の快递でコーヒー豆を回収する。近くにある幼稚園の入り口では子どもたちが小さな中国国旗を片手にもって集合写真を撮影している。国慶節前だからだろう。愛国イベントかと漏らすと、あれは理解できますと(…)くんは言った。第一食堂にいきましょうと誘われる。改装してきれいになっている。小笼包を打包する。売店でついでにペットボトルの紅茶を買う。(…)くんがとても苦いというので買ってみたが、普通のストレートティーだった(無糖がすなわち「とても苦い」になる土地柄なのだ)。
 小笼包をほおばりながら新校区にもどる。とにもかくにもはやく昼寝したいという。四時間ほどしか寝ていなかったのだ。じゃあ自転車はどうするんですかとこちらの寮の近くまで来たところで(…)くんがいうので、1時になったらまた取りにいくよというと、1時ではなくて1時間だという釈明がある。店のおっちゃんたちは1時間後に来てくれと言っていた、それをじぶんがあやまって1時に来てくれと(中国語にひきずられるかたちで)誤訳してしまったのだと続くので、なんじゃそりゃとげんなりする。しかたがないのでまたさっきの修理屋のところにもどることにする。その前に(…)くんが瑞幸咖啡でラテを飲みたいというので店に立ち寄る。注文したものが出てくるまでのあいだ、VPNを噛ませたスマホYouTubeにアクセスし、サムネイルに皇帝のコスプレをした習近平の掲載されている動画を視聴しようとするので、そういうものを外で見るなと注意する。こちらのような外国人といっしょにいるとただでさえ目立つのだから、カフェだの駅だの電車だのでそういうウェブサイトにアクセスするのはやめろ、と。くだらないチキンレースで人生を棒にふるな、と。
 (…)さんらと昨日、「壁」の話を少しだけしたと伝える。ゼロコロナ政策時の壁の内側と外側における情報ギャップについて少しだけ言及したというと、でも彼女たちは信じなかったでしょうというので、どう思ったかは知らない、でも情報にギャップがあることは理解しているふうだったと応じたところ、インターンシップの説明会があった際、(…)さんは処理水のことをとても心配して派遣会社の人間に質問していた、だからぼくは問題ないと意見したというので、彼女は翻墙していないだろうしそれ自体は別にふつうの反応だよ、きみは機会にめぐまれて翻墙するようになって壁の外側を知った、でも多くの若者はそのような機会にめぐまれることはない、きみは周囲の無理解にイライラすることもあるだろうけど、だからといってそのことで彼女らを批判してはいけない、彼女らに罪はないのだからと、だいたいにしてそのようなことを告げたのであったか、あるいは内心で思っただけであったのか、このあたりはちょっと忘れた。
 明後日の「コミケ」の話も出る。コスプレイヤーの(…)さんも参加するんじゃないのというと、先生これは秘密ですという前置きとともに、実は彼女と付き合っていたことがあるという打ち明け話があったので、やっぱりねと思った。しかし一週間ほどで別れたという。向こうから別れを切り出されたのだが、理由は不明であるとのこと。明後日会場で顔を合わせることがあれば気まずいのではないかというと、じぶんにはいまあたらしい彼女がいるからそんなことはないというよくわからない理屈。
 自転車を回収する。ためしにその場で乗ってみる。問題ない。立ち漕ぎして左のペダルに体重をかけても、バツン! となることはない。おっちゃんら曰く、右のギアが壊れているとのこと。どうでもいい。そもそもギアなんてまったく必要ないのだ。修理費は20元。「天才」のオヤジからは昨日払った50元を返してもらいたいところだが、寄付ということにしておく。おまえ何人だというので、日本人だと応じる。
 セブンイレブンに行きましょうと(…)くんが言う。断る。タクシー待ちの学生らの姿で歩道が完全に埋まっていたのだ。あのひとごみをすり抜けてまでセブンに行きたいとは思わない。全員帰省する学生たちである。みんなタクシーで駅に向かうのだ。
 ふたたび新校区へ。二年生が(…)先生の基礎日本語の授業を受けているのは第三教学楼だったはず。ちょっとのぞいていこうと持ちかける。(…)くんはスピーチを言い訳にして授業をサボっている。ぼくは廊下から教室の中を見るだけですというので、いやそれはぼくも同じ、(…)先生の授業を邪魔するわけじゃないよ、ただちょっと見てみたいだけだよという。教室は四階。エレベーターで移動し、足音を殺しながら廊下を移動する。くだんの教室は窓もカーテンも閉まっている。しかし一部だけひらいているところがあったので、そこから中をゆっくりのぞきこむ。(…)先生の話す日本語が聞こえる。学生たちはたしかにシーンとしている。緊張しているのだ。後ろのほうに座っている学生数人がこちらの存在に気づく。気づいた学生の顔の動きを受けた周囲の学生らもちらほら廊下に視線を送り出し、こちらの存在に気づくやいなや軽く吹き出しそうになるのをこらえた表情になる。廊下でこちらがくねくねダンスをしていたからだ。
 (…)先生から突然着信がある。教室を離れて出る。連休前に外国語学院が外国人教師と懇談の場を設けたいとのこと。今日の午後は空いているかというので、何時でもかまわないと応じる。こんなことははじめてだ。(…)の都合がまだわからないので、時間が決まったらあらためて連絡するとの由。
 急にクソがしたくなったので便所にいく。出すものを出してもどると、はやいですねと(…)くんがおどろく。むしろ遅いくらいだった。クソ汚い便器にイージーパンツの裾などが触れないように動作ひとつひとつを慎重に運んでいたのだ。(…)くんはうんこに毎回三十分ほどかけるという。スマホを見ながらうんこをするというので、たしかに中国のショッピングモールや空港の便所の個室からはスマホで動画視聴している気配がしょっちゅう漏れてくるよなと思う。痔になるぞと辞書アプリの画面を見せながらいうと、すでに痔であるという返事。毎回とても痛いという。
 (…)くんと別れて寮にもどる。自転車、まったく問題なし。快適だ。寮の階段をあがっている途中、これまで一度も見たことのない女性とすれちがった。四階付近だったと思うが、真っ黄色のワンピースを着た太った女性で、あれ? もしかしてこいつババア(呪)ちゃうか? と思った。あの声色とこの外見、めちゃくちゃしっくりくるのだ。ケーッ! 幽霊の正体見たり枯れ尾花!
 帰宅。カーテン閉じる。照明落とす。ベッドにもぐりこんで寝る。しかし汗でべたべたになって一時間ほどで目が覚めてしまう。
 (…)先生からは15時に外国語学院の三階に来てくれと連絡が届いていた。時間になったところで身支度を整えてふたたび外国語学院へ。階段をあがっている最中、「(…)せんせー!」となつかしい声が頭上からそそがれる。四年生の(…)さん。以前ビデオ通話をしているし、微信でちょくちょくやりとりもしているが、今学期実際に対面するのは今日がはじめて。提出する必要のある書類があったので外国語学院まで来たのだという。先生これから授業? というので、いやたぶん会議、ほら、中秋节でしょ? だから大学がたぶんぼくたち外教に月饼をプレゼントしてくれるんだと思う、と中国語混じりで答える。
 あがった先の廊下では二年生の(…)さんと遭遇。彼女は彼女で外国語学院のお偉いさんになにかしら提出する資料があるようだった。(…)外国語学院長の部屋の扉は開いていた。中をのぞきこんで、你好! と声をかける。英語学科の男性教員と女性教員もひとりずついる。会議室はとなりだと案内される。(…)先生が先着している。上座と下座は空席のまま、いっぽうにこちらと通訳係の(…)先生が座る。対面に(…)外国語学院長とふたりの英語教員。それからハゲた男性とメイクバッチリの教育ママみたいな女性も姿をあらわしてそちら側に着席したが、のちほど紹介があったところによれば、男性は党の関係者で(たぶん書記かなにかだと思う)、立場としては(…)外国語学院長よりもさらに上に位置するらしい。女性のほうは先の男性が書記だとすれば複書記みたいな立場。(…)外国語学院長はこちらがモーメンツに投稿している画像がおもしろいといった。(…)は漫画がとても上手だというので笑うと、女性英語教師のほうが彼は中国語がわかるのかというので、すこしだけと中国語で応じた。おまえの中国語は越来越好だなというおきまりのフレーズがあったので、いちおう礼を言っておくが、勉強する時間なんてまったくとれていない現状、越来越好ではないことはだれよりも理解している。
 ほどなくして(…)も姿をあらわす。(…)先生が(…)のとなりにこちらが位置するように席を代わってくれる。ひさしぶりのあいさつをしたのち、連休の予定はあるのとたずねると、No! の返事。まだまだ暑いからね、出かけたくないよね、などと話す。それからしばらく天気の話。Englandは雨が多いというイメージがあるがというと、実際はParisのほうが降雨量は多いのだという返事。知らなかった。
 会がはじまる。(…)外国語学院長が中国語で発言。こちらの左手の(…)先生が日本語で通訳、それから向かいに座っていた女性教諭が(…)の右手に移動して英語で通訳という布陣。しかし(…)外国語学院長の発言は通訳なしでもなぜかふしぎと理解できた。われわれは家族のようなものだ、中秋節は家族で過ごすのが中国の伝統だ、だから家族のような関係でありたいわれわれもこうして一席設けることにしたのだみたいな前置きに続き、本来は日本語学科のボスである(…)先生もここに呼びたかったのだが、彼は昨日すでに北京に帰ってしまったからと続いた。そこまでこちらは通訳なしでもほぼ問題なく理解できたのだが、(…)のほうはけっこうちんぷんかんぷんのようすで、それを目の当たりにした(…)外国語学院長が、(…)の中国語はどんどんよくなっているのに(…)はどんどん悪くなっているみたいなまあまあ失礼な冗談を口にした。
 会の本題は外国語学院の改善点について忌憚なく意見がほしいというもの。党関係者ふたりが出席しているのもその関係らしい。ふたりともノートとペンをかまえている。授業についてでも日常生活についてでもなんでもかまわないという。それでこちらは(…)先生に、(…)は通訳の女性教諭に、それぞれ意見を表明することに。といってもこちらの不満といえば、教室の備品をもう少しなんとかしてほしいというくらいだ。つまり、プロジェクターとスクリーンを修理してほしいとか、教卓のコンピューターを新調してほしいとか、あとは来学期はディスカッションの授業を取り入れるつもりでいるので机と椅子を自由に動かせるようにしてほしいとか、エアコンを全教室に配備してほしいとか、それくらいものだ。(…)先生も机と椅子を自由に動かせるようにしてほしいという考えらしかった。一部の教室はすでにそうなっているが、全部そういうかたちにしてもらったほうが授業はずっとやりやすくなる。
 今学期からは日本語コーナーも復活するという話があった。コロナ以前は日本語サークル主催のイベントというあつかいだったが、今学期からは外国語学院と国際学院どちらかはわからないが、いずれにせよオフィシャルな活動として再開することになるというので、これでまた忙しくなるなと思った。しかもいま日本人教師はこちらひとりしかいない。初回などは大量の学生が押し寄せるわけであるし、ひとりでさばくのは無理だろうと思うのだが、中国人の先生も参加するかもしれませんと(…)先生はいった。あと、人数が多いようであれば、たとえば日本の映画の上映会を行い、それについてみんなで議論するみたいなかたちでもいいんではないかというのだが、そうなったらそうなったで事前の準備が必要になってくる。つまり、授業と変わらない。それはちょっときついなと思う。それだったらいっそのこと、たとえば人数制限を設けて週替わりでメンバーを入れ替え、みんなで雑談するみたいなかたちをとったほうがずっとやりやすいと思うのだが。
 新入生の話にもなる。発音指導に特化した授業がないのも問題かもしれないというので、会話(一)ではそういう練習をするつもりでいるのだが、高校時代から日本語を勉強していたタイプの学生はまあ舐めきってまじめにやらないでしょうねという。(…)先生は英語学科の学生に対しても(第二外国語としての)日本語の授業をしているが、今学期の話だったか先学期の話だったか、これまでのように最初に五十音の読み書きを教えるのではなく、まずは口と耳から練習をする方針に切り替えてみたところ、かなり評判がよかったという。午前中の授業を終えたあと、「先生」「先生」とささやいていた英語学科の女子らは、もしかしたら(…)先生の教え子かもしれないなと思った。
 遅れて英語学科の女性教諭がひとり姿をみせた。ショートカットの美人だった。年齢も若い。たぶん三十代前半くらいだと思う。こんな先生がうちにいたんだとちょっと驚いた。
 こちらと(…)の要望をそれぞれの通訳者が党関係者に伝えた。党関係者は熱心にメモをとっていた。エアコンは逐次投入する予定である。備品の更新および修理についてもすでに予算に組み込まれているとのこと。自由に動かせるタイプの机と椅子の導入についてはまだどうなるかわからないが、学期はじめに希望を伝えれば、現状すでにそのようなタイプの机と椅子を導入している教室を優先的に使わせてもらうことはできるとのこと。ほかになにかないかと(…)外国語学院長がいうので、(…)菜太辣了! というと、みんな笑った。イスラム教徒である回族のために料理を提供している店が食堂にあるという話が出た。
 それから中秋节の贈り物が渡された。月餅と梨と花束。小さな花束は(…)先生のチョイスだという。月餅はわかるのだが梨? と思っていると、中秋节には梨を食べる習慣があるんですよとのこと。全然知らんかった! そして例によって記念写真撮影。最後に党の男性からねぎらいといたわりの言葉をかけられて会は終了。一時間もかからなかったと思うし、終始のんびりとしてアキワイワイ((…)さん)とした雰囲気だった。ちなみに党の男性のファーストネームは(…)というと(…)先生が教えてくれた。詩みたいな名前ですというので、めちゃくちゃきれいな名前ですねと受けると、(…)先生はその旨を彼に伝えた。男性ははずかしそうに笑って谢谢といった。Chinese nameとして借りればいいと(…)外国語学院長がいうと、英語学科の男性が(…)といった。ちなみに(…)はChinese nameとして(…)というのを持っているという。(…)はたぶん(…)の名字を借りたのだろう。(…)は雪が大好きだと天気の話になるたびにいう。
 会議室をあとにする。スピーチ練習中の教室をのぞいてみることにする。便所の前で(…)くんと(…)先生が煙草休憩をしているので、手土産をみせる。梨も月饼もひとりで食べるには多すぎるので学生たちに分けてあげることにする。教室のなかには(…)くんと(…)さんの姿もある。さっそく梨をひとつずつあげる。(…)くんと(…)先生のふたりも教室にもどってきたのでそのままちょっとだけ雑談。(…)さんはこの練習のあとすぐに(…)さんと旅行に出かける。(…)くんは帰省。(…)先生に旅行の予定はあるかとたずねると、どこに行ってもひとが多いからどこにも出かけるつもりはないという返事。先生は? とたずねられたので、明後日はさっそくこの子たちと出かけることになっていますと(…)くんを指さすと、近くのホテルでコスプレのイベントがあるのだと(…)くんが中国語で説明する。先生これをコスプレしたら? と言いながら(…)くんが『ワンパンマン』の画像を見せるので、アホ! と応じる。ちなみに『ワンパンマン』は中国語で『一拳超人』というらしい。(…)先生も『一拳超人』を知っているらしく、日本語ではなんというのですかというので、ワンパンマンですよと応じると、それって子どものやつじゃないですかというので、あれはアンパンマンで、こっちはワンパンマンです、oneとpunchでワンパンですと答えたが、伝わっていたかどうかは不明。連休中の予定で思い出したが、(…)先生から家族で温泉に出かけるのでいっしょにどうですかと誘われたのだったが、これはめんどうくさいので断った。
 帰宅する。きのうづけの記事の続きにとりかかる。モーメンツをのぞくと、卒業生の(…)さんが婚約報告している。たぶん以前電話で語っていた軍人の彼氏だろう。(…)さんといえば、やっぱりあのキメキメの自撮りを思い出さずにはいられない。以下、2019年10月27日づけの記事より、(…)さんと(…)くんをツボらせた記述を召喚するぜ!

『探求Ⅱ』の内容とは関係ないのだが(しかしそう言い切れるものか?)、書見中、ふと、北海道にいる(…)さんのことを思った。長い期間付き合っていた恋人と別れたという話を以前(…)さんから聞いた。そのときは「帰国すれば案外すぐに復縁するんじゃないの?」「日本でいい男が見つかったんじゃないの」などと適当に応じたのだったが、つい先日、あたらしい恋人とおぼしき男性とのツーショットを彼女は微信のモーメンツに投稿していたのだった。そしてその男というのが、顔立ちにしても私服の感じにしても、どうも日本人のようだった。それは別にどうでもいい。こちらが気になるのは(…)さんの自意識の強さだ。彼女はわりとしょっちゅう自撮りを投稿する。そしてその自撮りというのが、じぶんの顔をかわいらしくみえる角度から撮影するというような、いわば素人っぽい自撮りでは全然ないのだ。彼女はまるでじぶんがモデルであるかのように、雑誌のグラビア撮影であるかのように、絶好のロケーションと衣装とポージングを用意したうえで、この一枚を撮るためにおそらく同じような写真を何十枚も撮っているのだろうと思われるような、キメッキメの表情と構図のものを毎度投稿するのだ。日本人の、彼女らと同年代の女性のインスタなどまともに調査したことなどないので実際はどうだか知らないが、しかし一般論として、中国の女性のほうが日本の女性よりも自撮りを愛好するとは聞く(そしてそのような印象もたしかに受ける)。けっこうなことだ。しかし(…)さんの自撮りはそういうレベルではないのだ。たとえば、今回新しい彼氏といっしょに撮って投稿した写真でいえば、カフェで向かい合って座っているふたり(一枚目)、テーブルに顔を横向きに寝かせて目を閉じる(…)さんとそれを一枚目と同じ位置から見守る彼氏(二枚目)、居眠りする(…)さんの髪の毛を椅子から腰を浮かせてなでる彼氏(三枚目)をワンセットにして並べたものがある。これはあきらかに(…)さん当人のプロデュースによるものなのだが、こういう趣味に付き合わされている彼氏や撮影をたのまれている友人は、いったいどのようにして正気を保っているのだろうか? じぶんがもし彼氏の立場ならまずまちがいなく発狂すると思うのだが、シャブでも射っているんだろうか? 投稿された写真の中には、土産物屋らしい一角で小さな積み木細工をふたりしてながめているようすを店の外から窓ガラス越しに撮影したシリーズもある。同じ商品をながめているふたり(一枚目)、その商品から目をそらして微笑みながら見つめ合うふたり(二枚目)、(…)さんの額にキスする彼氏(三枚目)みたいな流れで、これは端的に拷問ではないか? 正気を疑わざるを得ない。狐に憑かれているのだろうか? 最近墓参りに行っていないんではないか? 仮に正気だとすれば、それはそれでひどくおそろしい話だ。いったいどんなひどい境遇に生まれおちたら、前世でどのような大罪を犯したら、ここまでダサいCM的テレビドラマ的女性誌的感性をいきいきと真正面から発揮することができるのだろうか? 物語の奴隷などという形容ですらなまぬるい。世の中に流通する最大公約数的な型(パターン)ですらない、むしろほかでもないその最大派閥からさえも嘲笑の対象となるかアイロニカルな態度を表明されることになる――テレビ嫌いを公言するひとびとの数を見よ!――そのような型(パターン)を、彼女は真顔でキメまくっているのだ。ぞっとする。来世でこのような愚行を犯す人間に生まれ変わらないためにも、今世はなるべく善行に励んで徳を積んでおきたい。

 ちなみに、ここで日本人と記述されている彼氏は、実際は韓国人であったことがのちに判明する。
 (…)くんから微信。食い終わった梨の画像とともに「なしなし」のメッセージ。「梨が無し」という駄洒落のつもりらしい。「アホ」と返信する。
 二年生の(…)くんから微信。今晩いっしょにカラオケにいきませんかという誘い。クラスメイトの(…)さんと四年生の(…)さんも一緒だという。断る。中国のカラオケには日本語の歌が全然ないからと応じると、たくさんありますよという。そのたくさんというのは結局RADWIMPSや米津玄師やあいみょん初音ミクなのだ。
 17時になったところで第五食堂へ。夕飯を打包。食後の眠気はすぐにシャワーで追い払い、コーヒーを二杯たてつづけに飲みながらひたすらカタカタする。最近、記事冒頭の抜書きは音声入力ですませることが多いのだが、新調したMacBook Airはその精度もかなり高い気がする。「シニフィアン」とか普通に聞き取ってくれることに驚く。「主体」はしょっちゅう「死体」になってしまうけど。
 三年生の(…)さんから微信。新入生の名前の日本語読み一覧がほしいという。以前日本語学科の教員グループチャットに送ったものを彼女にも送る。新入生たちはみんなこちらの授業を楽しみにしているという。「日本語の先生って、すごく面白い人だって先輩が言ってたから、すごく楽しみにしてたんですよ」とのこと。勘弁してくれ。ハードルを上げないでくれ。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月28日づけの記事を読み返す。

 注意しなくてはならないのだが、純粋に倫理的な行為を実現することの構造的不可能性に対してカントが与えた答えは、道徳的理想に向かう無限の前進のみではない。道徳を論じるカントの著作には、もうひとつの、しかも正反対の、議論が見られる。これは、すでに引用した『たんなる理性の限界内の宗教』からの一節が端的に示している。

もし人が、法的に善良であるのみならず、道徳的にも善い人間であることを望んだとしても……、彼の行動原理の基盤が不純であるかぎり、これは漸進的な改革によっては達成されえないだろう。むしろこれは、彼の心術の革命によって成し遂げられねばならない……。彼は、ある種生まれ変わることによってのみ、言わば新しく創造され直すことによってのみ、新しい人間になることができる。

この第二の議論が、カントとラカンを互いに引き寄せる。スラヴォイ・ジジェクによる解説を借りて、ラカンの考える倫理的行為についてまとめておこう。行為[アクト]は、行為者を根源的に変化させるという点で、「行動」とは異なる。行為の後、私は「以前の私ではない」。行為の中で主体は消滅し、そして再び生まれる。つまり、主体は一時的に、皆既食における太陽や月のように、消えるのである。それゆえ行為とは、常に「犯罪」、主体が属する象徴界からの「逸脱」である。以上の点から、ラカンは、「最も典型的な行為は自殺である」と主張するが、この言葉には注意が必要だ。というのは、そこには単なる主体の(自発的な)死以上の問題が含まれているからである。
 カントの助けを借りつつ、二種類の自殺を区別しておこう。まずひとつは、犠牲の論理にそった自殺——「義務が要求するのであれば、私はあれとこれを、いや必要であれば私の命さえ犠牲にする」というかたちの自殺——である。これは無限の「浄化」の論理だ。ここでは、私の命は犠牲にされるべき多くの対象のひとつであり、それを犠牲にすることは浄化に向かう一歩にすぎない。これが最後の一歩であることは、単なる偶然である。カントの言葉を借りるなら、これは超越論的必然性ではなく、経験的必然性だというわけだ。魂の不死の要請を支えているのは、また〈他者〉の完全性を保っているのは、このような論理である。主体は、「病的なもの」を切り捨てるという作業を無限につづけていく。そしてその中で、〈他者〉(の位置を占めるもの)はますます強大になっていく。主体が新たな犠牲を払うたびに〈他者〉のサディスムは肥大し、主体からますます多くのものを要求するようになっていく……。近年、このような道徳の超自我的側面にますますご執心と見えるポップ・カルチャーから、いくつか例をあげよう。例えば、『ターミネーター2』。ターミネーターは、彼自身のような機械人間の発明に——つまり大惨事、「根源悪」の噴出に——将来つながっていきそうなものすべてを地上から消し去ろうとする人々の手助けをする。その結果、ターミネーター自身が、サイボーグ製造の手がかりとなる最後のモデルとして残ることとなる。そこで彼——あるいは、「それ」——は、人類を破滅から救うため、白熱し液状となった鉄の中に自ら飛び込んでいく……。『エイリアン3』に描かれているのも同様の自殺である。エイリアンを根絶したかと思われたリプリーは、最後のエイリアンが彼女自身の内に生きていることを知る。これを殺すため、彼女は自ら命を絶つ……。彼女は内なる「異邦人」を、「病的なもの」の最後の残滓を、破壊しなくてはならないのである。
 第二のタイプの自殺は、第一のものほど一般的ではない。なぜなら、それは何の役にも立たないからだ。この自殺は、最後の捧げものとして、我々自身の命を〈他者〉の祭壇にさし出す類のものではない。そうではなく、我々は〈他者〉を通して、〈他者〉の内に、命を絶つ。自己同一性、地位、そして意味など、〈他者〉、つまり象徴界における我々の存在の支えを破壊するのである。これは『人倫の形而上学』中、カントが王殺し、つまりルイ十六世の処刑との関連で論じている類の自殺である。「王殺し」という言葉は、正確ではないかもしれない。なぜなら、カントが問題にするのは、単なる君主の殺害(つまり、「王殺し」)と、法に則って行われる彼の処刑との差異であるからだ。この後者について彼は言う、「これは、言わば国家の自殺である」。また、これは、彼が(別のところで)「悪魔的な悪」と呼ぶものである。王は「二つの身体」——「経験的」身体、生きる人間としての身体と、「象徴的」身体、シニフィアンとしての「王」の身体——をもつ。単なる王殺し、これが傷つけるのは王の「経験的」身体のみであり、シニフィアンとしての王、彼の勅令や命令が具現するもうひとつの「身体」は、基本的に無傷である。しかし、法に則って行われる国王の処刑——彼のほとんど強迫神経症的なまでの形式に対する固執にもかかわらず、いや、むしろそのためか、カントはこれを許されざるものと考えるのだが——は、まさにこの王の「象徴的身体」を、ひいてはこれによって与えられる象徴界全体を、破壊する。しかし、「国民」によるこの行為が自殺の構造をもつというのは、いったいなぜか? それは、人々が、この象徴界との関係においてのみ〈国民〉として統一されるからである。象徴界の外にあっては、人々は何の地位ももたない「群衆」にすぎない。人々に対して、どれほど惨めなものであれ〈国民〉というアイデンティティを与えるのは、象徴的機能としての国王に他ならないのである。それゆえカントの議論は、次のような問いを暗に、しかしはっきりと投げかける。もし王に対して不満があったと言うのなら、ただ彼を殺せばよかったではないか? なぜフランス人たちは法に則って彼を処刑しなくてはならなかったのか? なぜ自らの存在基盤を破壊するようなことを——つまり「自殺」を——しなくてはならなかったのか?
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.101-104)

 2013年9月28日づけの記事も読み返す。以下のくだり、笑った。

休憩中(…)さんが唐突にこれまで色んな職場で働いてきたけれどもここほど金のない連中ばかり集まっている職場をほかに見たことがないと熱弁しだしたのでみんなで大笑いした。家庭持ちの(…)さんが金ないわー金ないわーといっているそんな金のなさとはまったく次元を異にする金のなさを誇る男たちばかりが四人同席しているそんな状況にもかかわらず、というかそんな状況であればこそなのかもしれないけれども、つまり、みんなこんなんだしたぶん大丈夫だろうという赤信号みんなで渡ればこわくない式の楽観なのかもしれないけれども、いずれにせよ悲壮感がまったくないところがまた可笑しいというか可笑しいを通りこして爆笑してしまう。(…)さんは先週アレしたあとに挑んだパチンコで二万円すってしまって今月すでに131円しかないし(次の給料日まであと22日!どうにかするためお姉さんに金を借りにいくという!)、(…)さんはもうかれこれ半年近くガスを止められているし給料日当日に手元に残るのが毎回数千円というくらい支払いがたまっているしカードは満額パンパンだし、(…)さんは事情こそしれないというかおそらくなにかしらやばい案件でドジを踏んだのだと思うけれども先月だったかに20数万円が一気に飛んでしまってしかたなくヤクザから金を借りたみたいな話をこのあいだぽろっとこぼしていてめずらしく弱気でずいぶん追い込まれているように見えたし、じぶんはといえば例のごとく奨学金の返済がまだ500万かそこら残っているしで、くりかえしになるけれどもだれもがみんなあせってしかるべき状況であるにもかかわらずなんかそれほどあせってないように見えるのがまた色々やばいというか、たとえばこちらからすれば(…)さんはまだどうにかなるとしても(…)さんと(…)さんは本当にやばいだろうと思うというか金ないくせにアレしたり博打したり10万円の自転車買ったりあんたら狂ってんじゃないかと思うのだけれどあのふたりからすれば多額の借金を背負いながら週休五日制を頑に維持しようとするこっちのほうが狂ってるということになるみたいで(「(…)くんおまえ外人つれて沖縄いっとる場合ちゃうで!」)、みんながみんなおまえはマジでやばい狂ってると指摘しあうばかりの我がふり直さず、袋小路でおしくらまんじゅうしてる。

 「(…)さんは先週アレしたあとに挑んだパチンコで二万円すってしまって」の「アレ」とはもちろん覚醒剤のこと。(…)さんは覚醒剤を射ったあとにパチンコに行くと必ず勝つことができるという意味不明の思い込みがあったのだ。
 記事の読み返しを終えると時刻は1時だった。昨日にひきつづき、今日づけの記事にはまたいっさい着手できず。くそったれ。