20230929

 母親との接触における最初の充足体験が、aとして記憶に記入されたとする。これは一つの記号で、子どもはこれを再備給することにより、最初の満足を再現しようとする。しかし、これは幻覚による満足にすぎず、完全なものと成り得ない。そこで別の方法が取られることになる。記憶に記入された記号を様々に組み合わせて最初の体験を再現しようとするのである。ここでaは、もはや母親との充足体験を表す記号ではなくなり、他の記号と結びつけられることによってシニフィアンの地位を獲得する。つまりaはそれ自体の意味を失い、b、c、dの対比においてのみ存在するようになるのである。 この過程において、母親は二つの部分に分割される。まず、a、b、c、……で表される部分があり、それは子どもが経験し、理解する部分、もう一つはその残りの部分である。充足体験はaという記号を残すが、これは一つの痕跡でしかなく、実際に満足を与えた部分はすでに失われている。これが、子どもには未知で不可解な部分として残る。この不透明な部分をフロイトは物(das Ding)と呼んでいる。充足体験を再現しようとすることは、この das Ding を取り戻そうとする努力である。
 無意識は、知覚として記入された記号を組み合わせることによって、全体像としての始原の母親——フロイトはこれを隣人(Nebenmensch)と呼ぶ——を再び見出そうとする。しかしこの隣人は、われわれの心的機構の奥に潜み、決して到達できない点、記号表現をいかにうまく組み合わせようとも埋め合わせることのできない点である。無意識が記号表現の組み合わせで構成される象徴界を表すとすれば、物(das Ding)は、その彼方にある現実界(Réel)を表すものである。
 われわれは原初に das Ding と神話的めぐり合いをするが、これは二度と見出すことのできない失われた対象である。das Dingは、われわれの主体的構造を決定する。フロイトは das Ding との経験をもとに、心的構造を説明しようとする。
 ——ヒステリーは、das Dingとの出会いを、十分な満足をもたらさないものとして経験する。以後、ヒステリーにとって das Ding は嫌悪の対象となる。
 ——強迫神経症では、最初の出会いにおいて、過度の享楽が得られる。そしてその後 das Ding とのめぐり合いを避けようとすることが、彼にとって中心的な課題となる。
 ——パラノイアについて、フロイトは、不信という言葉を使っている。彼は出会いを信じようとせず、その経験を捨て去るのである。これはラカンの排除に相当するものであろう。パラノイアはそうすることで象徴会における支点を失ってしまうのだ。
 das Ding との体験は、始原的で、全く意味をもたない。それに接するとき、すべての抑圧に先行した根源的な情動が生み出される。主体はここで最初の選択を行ない、それにより主体的構造が決定される。
 無意識の表象は、 das Ding の回りで螺旋階段のように繰り広げられる。そこでシニフィアンが、移動と圧縮、もしくは換喩と隠喩の法則で組み合わされる(Sachvorstellung)。そこは文法も意味もない次元である(無意識の隠喩は意味を生み出すものではなく、正確な意味での隠喩ではない)。この表象が、文法的に構成され、前意識—意識に移行すると、言葉による表象(Wortvorstellung)がなされて想像界の次元にある意味作用(signification)が生まれる。
 夢の機制を例にとってみよう。
 夢は、実際は何の意味作用もない表象の組み合わせであるが、われわれがそれを語るとき、夢を読む行為をし、文法的な形を与える。夢がわれわれの意識に残るには、文法的構成を通過せねばならず、それ以前の構成は無意識として忘れ去られるのである。
 das Ding を見出すことが、主体の追求する道である。しかし、それは言語の世界にいるわれわれには決して到達することができない対象で、それに到達することは、不可能な任務である。法はこの不可能を禁止し、それを可能な次元に変えて問題を解決しようとする。これが、近親相姦禁止の法、エディプスの掟である。だが問題はここで解決したわけではない。不可能なことを禁止するのは誰であろうか。果たしてそれを禁止できる者はいるのだろうか。これは父親の問題だが、父親とは一体何であろうか。これが精神分析の中心的問題である。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅱ部第四章 精神分析の倫理」 p.220-223)



 10時ごろ起床。歯磨きしながらニュースをチェック。二年生の(…)さんから亡くなった「おじさん」についての悲嘆が届いていたので、また長々と慰めの文章を書いて送る。長沙の(…)さんからは中秋節おめでとうございますのメッセージ。体育学院の(…)くんからも同様のメッセージ。
 トースト二枚の食事をとる。洗濯機をまわし、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事にとりかかる。カタカタやっているあいだ、例によって学生からひっきりなしに連絡がある。四年生の(…)さんからは樹についた花の写真。二年生の(…)さんからは抹茶ジュースの写真。連休明けにお土産としてこちらのためにひとつ持ってきてくれるという。体育学院の(…)くんからは国慶節の予定を問うメッセージ。それに続けて、このあいだいっしょにいた女子三人の連絡先を教えてほしいとあったので、返事はいったんせず、(…)さんに事情を告げる。もし彼らに連絡先を教えたくないというのであれば、ぼくはきみたちの連絡先を知らないということにするよというと、「ははははは、先生は本当に思いやりがある」とのこと。で、(…)さんと(…)さんと相談した結果、連絡先を教えてもよいということになったので、(…)くんに彼女ら三人の微信アカウントを「女の子たちに悪いことをしてはいけませんよ!」というメッセージ付きで送る。
 ほどなくして(…)さんから微信が届く。体育学院のふたりはこちらといっしょに遊びに出かけたがっているという。明日の「漫展」にいっしょに行きたいといっていると続くので、なんでこっちが(…)くんたちといっしょに出かけることを知っているのだろうと思いつつ、ぼくはだれがいてもかまわないけど(…)くんたちがどう思うかはわからないなと返信する。(…)さんはすぐに(…)くんにコンタクトをとった。(…)くんはやはり知らない男子学生といっしょに行動したくないと言ったとのこと。それで(…)さんは「彼を拒絶するのを手伝ってあげましょう」と言った。(…)さんは「どうせ私は(…)先生と一人で遊びに行きたいのですが。でも、仕方がありません。あなたはとても人気があります。毎日あなたと遊びに行く人は並んでいます」と続けた。この連休中はほとんどの学生が帰省しているわけであるし、予定が詰まっているかといえば案外そうでもないので、きみは授業もいつも真剣に受けているし自転車の件でお世話にもなったし、誘ってくれればいつでも受けますよと応じた。もちろん、連休中とはいえ授業準備をする必要があること、それに読みたい本があることもしっかり主張し、極端なことにならないようにいちおう釘を刺しておく。明日の「漫展」にきみも一緒に来ればいい、きみだったら(…)くんたちも嫌じゃないでしょうというと、「私は行きません。彼らは私が行ったら一人で先生を独占することを恐れています」とあって、ちょっと笑った。それに、そもそものチケットがもう売り切れになってしまったらしい。連休中は旅行に行くといっていなかったっけとたずねると、親友たちはみんな故郷に帰ってしまったのでそれもできなくなったという返事。散歩したり食事をしたりするくらいであればいつでも対応するから、退屈したらまた連絡してくださいと伝える。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月29日づけの記事を読み返す。そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時半だった。

 連休だとわかっていたのにbottle waterの注文も饭卡のチャージも忘れている。アホ。食堂もどこが営業しているのかわからない。とりあえずケッタに乗って第五食堂へ。二階は閉まっているが、一階は営業している。そのまま第四食堂へ。ハンバーガー屋は閉まっているが、一階も二階も営業している。とりあえずここの一階で打包。白米の上に指定したおかずを三種類適当にぶっかけてもらうやつ。饭卡のチャージ、すでに残り30元くらいしかない。
 帰宅。メシ食う。(…)くんに明日の出発予定をたずねていたのだが返事がない。(…)くんに同様の質問。10時半に待ち合わせして、どこかで昼飯を食ってから会場のホテルに向かいましょうとのこと。(…)くんからはのちほど猫カフェにいたという返信があった。(…)さんとデートしていたらしい。(…)くんからは「先生は明日きっと、バズって、別のcoserよりも人気が1番最高です!」というメッセージが届いたので、これはやっぱり釘を刺しておいたほうがいいなと思った。つまり、外国人の存在がめずらしいこの片田舎で開催されるコスプレイベントに、コスプレ(および漫画・アニメ)文化のメッカたる日本からやってきた日本人がいるとなったら、いやでも注目を浴びざるをえない。例によって連絡先の交換を求められることもあるだろうし、日本語を教えてくれと頼まれることもあるだろう。そういうのにひとつひとつ対処するのがまずめんどうくさい。それにくわえて、うちの学生らは学生らで、コスプレイヤーの手前、格好をつけて日本人であるこちらと日本語で会話するところを見せびらかそうとするだろうし、もっというなら、日本人といっしょに行動している見学者ということで自身注目を浴びることを欲しもするだろう(少なくとも(…)くんにはそういうあたまが絶対にある)。さらに事態がそのように運び、結果としてわれわれが目立ってしまうようなことがあれば、主役のコスプレイヤーたちも良い気分はしないだろう。そういう懸念が、このイベントに誘われた当初からこちらのあたまにはずっとあったので、これは良い機会だと思い、こちらはそもそも静かに穏やかに暮らしたいこと、目立ちたいとか人気者になりたいとかそういう願望がないことを、彼には以前同様の話をしたことがあるはずだがくりかえしたのち、「明日の主役はコスプレをしているひとたちでしょう? そういうひとたちの邪魔をするようなことをしてはいけない。ぼくが日本人であることをわざわざ主張する必要なんてまったくない。そういう人間はくだらない」とぴしゃりと続けた。
 食後、ベッドで30分ほど寝た。シャワーを浴び、ストレッチをしたのち、20時半過ぎから「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン45、終わる。iPadで執筆していた期間の分も含めてプラス55枚の合計880/1040枚。シーン45には(…)さんをモデルにした馬場さんが登場するのだが、加筆部分で普通に(…)さんと書いてしまった。ちょうど10年前の日記でも(…)さんの出現頻度が高くなりつつあるので、その影響もあるのだと思う。しかしあの日々がもう10年も前なのか。(…)さん、まだ生きとんのかな。(…)さんも(…)さんも、あれからまたパクられたりしとんやろか。「瓦礫と天国」というタイトルをふとひらめいたのだが、うーん、どうやろ。
 モーメンツは中秋快乐一色。みんな月の写真を投稿している。こちらも作業を中断して懸垂したあとは、きのう大学からいただいた月餅をひとつ食った。月餅って密度がすごい菓子なので、ひとつ食っただけで夜食としてはもう十分となってしまう。
 そういえば、ひとつ書き忘れていたのだが、きのう昴から娘が生まれたという報告が、こちらと(…)と(…)の三人からなるグループチャットに届いたのだった。2904gで、名前は(…)らしい。上の子の(…)は生まれたばかりのとき、キンタマが信じられないくらい青黒かったので(写真を見たうちの母親が爆笑するレベルだった)、娘は股間だいじょうぶなんやろなと茶化すと、「それが立会いできやんだからまだ父親である俺がマンピ確認できてねぇんや!」とあったので、なんじゃマンピって! と(…)とそろってツボに入ったのだった。(…)は地元で百人斬りしているような遊び人なので発言行動すべてに一貫して品がない。いや、品がないというのであれば、こちらも似たようなもんかもしれんが。口はたぶんこちらが一番悪い。

 1時ごろにベッドに移動。『小説の誕生』(保坂和志)を最後まで読み進めて就寝。