20231014

 ラカンは、ジョイスを自分の作品によって精神分析がもたらすことのできる最良のものを、精神分析抜きで獲得した、と言っていた。これはジョイスが自らのララングを利用して作品を創りあげ、それを〈他者〉に認めさせて市民権を獲得させ、自分の生きる道を見出していったからである。これは精神分析が探し求めている道と共通点をもっている。まず、患者が苦しむ症状は患者自身の無意識において認められないままに享楽を追求するS1、もしくはトラウマである。それを患者が自分のものとして自らの人生を生きるための手段とすることができれば、その人は自分自身の本質的な部分を満足させて生きていけるはずだからである。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅲ部第七章 ジョイスの方へ」 p.411-412)



 10時起床。今日はひさしぶりに暖かい晴天。最高気温は26度。来週のあたまは28度まで上昇するようす。ありがてえなァ。朝昼兼用のメシを第五食堂で打包。ひさしぶりに皿にあらかじめよそわれたおかず(皿の色ごとに価格が異なるという回転寿司式)を自分で盆の上にピックアップする店をおとずれたところ、厨房やレジのおばちゃんからそろって、ずいぶん長いあいだあんたのこと見ていなかった、もう帰国したのかと思っていたと言われた。
 打包したものを手にさげて寮にもどる。寮の門前でスポーツウェアのようなものを着た中学生くらいの男の子三人の姿を見かける。寮の敷地内に入っていくので、ここに住んでいる教員の息子だったりするのかなと思ったのだが、顔がなんとなく中国人っぽくないし、肌の色もちょっと浅黒い。そのうちのひとりが門をひらいたままにしてこちらを通してくれたので、谢谢と礼を口にしたところ、不自然な間を置いてから不客气という返事があって、あれ? やっぱり外国人なのかな? と思った。そもそもこういう場面で不客气という言葉を耳にしたのがはじめてだ、不用とか不谢とかそういう言葉を耳にする機会は多いのだがと考えていたところ、最近になって白線がひかれてもうけられた駐輪駐車ゾーンに停めた電動スクーターに座っているアフリカ系の留学生が、訛りの強い英語で彼らに話しかけるのが聞こえた。男の子三人も英語で返事した。やはり留学生なのだ。それにしても幼い顔つきだ。本当に中学生のようにしかみえない。どこの出身だろう。
 昼飯はちょっと多すぎた。腹いっぱいになった。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年10月14日づけの記事を読み返し、2013年10月14日づけの記事も読みかえして「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

帰宅したところで家の鍵をなくしたことに気づいた。鍵のひとつやふたつなかったところでたやすく出入りすることのできる程度にはどうしようもない物件に住んでいるので問題ない。というか鍵を閉めておもてに出ないこともしょっちゅうであるし仮に閉めたところで大家さんが勝手に解錠してしまうのがオチなのだからどうでもいいといえばどうでもいい。スペアキーを作る必要も感じない。じぶんが泥棒だったらまずまちがいなくこんな部屋に侵入しようなどとは思わない。金目の物なんて一見してどこにもないことは明らかな部屋であるし、それにこんなボロボロの物件をわざわざ選ぶだなんて多かれ少なかれ頭のおかしいやつだろうという警戒心が働くはずだ。
(12日)

 ここを読んでおもいだしたのだが、これより先の四年間か五年間、こちらはずっと玄関の鍵がないまま生活していたのだった。まあもともとの造りがボロすぎて、鍵をかけたところで引き戸をそのままもちあげてレールから力ずくでとりはずしてしまうことができるようなアレだったのだが。

客足のとだえたひとときにうとうとと居眠りし、居眠りからさめたところで(…)さんにゆずってもらったスマホで一年前のブログを読み返すなどしていたら完全に自室でひとりきりでいるときのじぶんのペルソナが認識の最前列にせりだしていて、そのため(…)さんから不意に話しかけられたときなどあわてて本来あるべきじぶんの人格というかペルソナというかキャラクターというかモードというかコードというかとにかくそういうアレを切り替えようとするあの独特の混乱をともなう働きが、脳みそが一瞬バグってコンマ一秒だけ記憶喪失になってしまうあのみずみずしくもそらおそろしい瞬間が、それはひょっとするとあるペルソナから別のペルソナへとジャンプするにあたってそこをかいくぐることが不可避であるところの余白がもたらすひとつの短くも絶対的な副作用のようなものなのかもしれないが、いずれにせよそうした一瞬の記憶喪失とでもいうべき現象にひさしぶりに見舞われて、はじめてそれを言語化して自覚した中一の夏の五限目の数学の授業以来ことあるごとにじぶんを魅惑しつづけているこの感覚こそがおそらくじぶんにとっての啓示であり恍惚でありもののおとずれでありエピファニーなのだ。
(13日)

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は14時だった。

 授業準備。日語会話(一)。第0課は(1)から(3)まで事前に用意してあったわけだが、(2)は必要なしと判断。(1)でやり残した「数字」と「あいさつ」を(2)の内容にくわえるかたちで教案を作りなおす。できあがったレジュメは学習委員の(…)さんに送信。来週の授業にクラスメイト全員分を印刷して持ってくるようにとお願いする。高校時代に日本語を勉強していた学生の分も必要かというので、全員分必要だと答える。
 大連の(…)さんから微信。大学院の課題の翻訳をチェックしてほしいという。さすがにその余力はないと思いつつ、いちおう締切をたずねてみると24時だという。さらに原文は漢詩っぽい文章。これはさすがに忙しいと断った。
 スピーチ参加者のグループチャットで明日の練習をどうするかたずねる。明日の午後は名目上こちらの指導する時間になっているのだが、実際は(…)先生いうところの「福利」であって、学生らの練習に付き合わなくてもその分の給料が支払われることになっている。といっても本番も近いし、授業準備もおおむねすんだわけであるし、学生らがのぞむのであれば練習に付き合ってもいいと思っていたのだが、(…)くんと(…)さんはこれまで書いた作文の「整理」に時間を当てたいとのこと。しかしテーマスピーチの動画を撮影して送るのでそれだけチェックしてほしいという。了解。
 しかしこれで明日の午後がまるっと空いた。ありがたい。二年生の日語基礎写作(一)にそなえて「(…)」の資料も確認する。これは先学期準備したものをそのまま使い回しするかたちで問題なし。

 第五食堂で夕飯を打包。食後、ベッドに移動して『幸いなるハリー』(イーディス・パールマン/古屋美登里・訳)の続き。30分ほど仮眠とったのち、浴室でシャワーを浴びる。(…)先生から微信が届く。(…)を入手したという報告。貸しましょうかというので、(…)先生にゆずっていただいたものがある、どこにも見当たらないとずっと探していたが(…)さんの部屋にあった、著者のサイン入りだと応じる(このサインがまた書家のように達筆なのだ!)。ついでにいくらかやりとり。(…)先生の担当している新入生の2班はかなり空気がいいと伝えると、今年は「調済」組が多めなので学生らが少しでも日本語に興味がもてるようにいろいろと工夫しているという返事。「調済」とは、「入試得点が大学の合格ラインに達したけど志望の専門が人気で入れなかった学生を、人数未満の専門に調整すること。学生が志望校に申し込むときはこの「調済」を受け入れるかどうかと自分で選ぶことができ」る仕組み。とはいえ、現三年生でトップクラスの成績を誇り、かつ、長野でのインターンシップをエンジョイしている(…)さんと(…)さんにしたところで「調済」組であるはずだし(前者は中国語学科、後者は英語学科をもともと志望していたはず)、もっというならば大学院に進学した(…)くんや(…)さんですらそもそもは日本語学科志望ではなかったのだ。誤配から生じる転移もある。
 20時半から23時過ぎまで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン48をざっとチェック。修正すべきポイントが思っていたよりも多い。特に、後半の景人の動作の描写がしつこいというか、これは描写に淫しているなという印象をもったので、そのあたりをバッサリとカットするかもしれない。
 モーメンツを見てびっくりしたのだが、この夏に卒業した(…)さんはいま日本にいるらしかった。クラスメイトの(…)さんがずっと以前、彼女は外国人研究生として日本に渡るつもりでいると語っていたのを思い出した。
 夜食はトースト一枚。ベッドに移動してから『幸いなるハリー』(イーディス・パールマン/古屋美登里・訳)の続きを読む。今日は「金の白鳥」と「行き止まり」を読んだ。前者のほうがいい。イーディス・パールマン、やっぱり良い作家だ。フラナリー・オコナーほど打率が高いとは思わないが、それでもいまのところ三作に一作くらいのペースで、うわこれはすごいかも! と思う作品に出会えている気がする。短編であるにもかかわらず登場人物が非常に多い。描写はひかえめで概略的な記述も多いのだが、そのなかにぽつんと、いきなり縮尺率の狂ったような具体的な細部が挿入されることがあり、その脱臼のさせかたが実に良い。巧いと思う。そして先日の記事にも書いたが、語りが出来事をjudgeする位置に立ってしまわないように巧妙な操作が施されている。上品だ。