20231015

 地方の古い家には、とくに栄えた来歴はなくても、それなりの伝承が語り継がれているものだ。しばしばフシギで、滑稽ですらあるものが、家の外に言い立てられることはなくても、一種人気のある「冗談」として記憶されている……
『水死』(大江健三郎



 10時起床。やたらと眠かった。朝食はトースト二枚。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年10月15日づけの記事の読み返し。

 さて、美と崇高の違いについてまとめておこう。カントは、美を「目的なき合目的性」として定義する。美は常に合目的性というかたちで現れるが、実際そこに目的——それが一致するべき概念——はない。何らかの機能、有用性をもつ工芸品がけっして美しいと評価されないのはこのためである。美しいものは、何か目的をもつかのように見えつつ、実際それ自身の存在以外の目的をもたない。逆に言うなら、あるものは、それが偶然の産物であるかぎりにおいて、あらかじめ定められた目的をもたないかぎりにおいて、美しい。例えば、カント曰く、自然形成物などがそうである。しかし、(水晶などの)自然形成物が美しいのは、それが〈自然〉のもつ知識を想像させるからである。そのようなことはないと知りつつも、我々は、〈自然〉は自分が何をしているかを知っている、自分がしていることの意義や意味を知っている、と感じてしまう。だから、最も簡潔な美の定義は次のようになる——美とは、そのかたちが全く偶然の、意図されざるものであることを我々が知っているからこそ魅力的であるような、有-意味なかたちである。これに対し、崇高はあからさまに無意味なかたち、混沌の具現——噴火する火山、荒れ狂う大海、嵐の夜——である。それは、純然たる剰余あるいは無用物、説明不可能な「享楽」の噴出というかたちで現れる。言い換えれば、自然が知っている場所が美であるとするなら、崇高とは自然が享楽している場所である。崇高が人を魅了するのは、他でもないこの〈他者〉の享楽、何かの役に立つようには見えない、また実際に何の役にも立たない享楽のためなのである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.179-180)

 一年前のいまごろは、ちょうど(…)でもコロナの感染者がぽつりぽつり出はじめている時期だ。

 作業中、我慢できずに途中でトーストを食った。あと(…)からグループチャットに(…)でも新規陽性が五件見つかったので気をつけるようにという通知があった。(…)省内ではなく(…)市内で五件というのはなかなかの数値だ。また封校騒ぎになるかもしれない。大学内で生活しているにもかかわらずオンライン授業をするというクソ展開だけはマジで避けたい。

昨日だったか一昨日だったか、北京で習近平を批判する横断幕が歩道橋に掲げられたという騒動があったが、微博でも微信でも一瞬で検閲がかかったようであるし、その話題を転送ないしは共有したアカウントは即刻凍結されたという情報も見聞きする。他学部の学生であるが、卒業後日本に渡った(…)何某という男子学生がいるのだが、彼はガチガチのアンチ中国共産党で、共産党および中国社会を遠回しに批判するような投稿をしょっちゅうモーメンツに送っているのだが、今回の一件にもやはり反応していたし(自分は行動を起こすことができない、ただ尊敬するみたいなコメント)、検閲のかかったあとの微博でその検閲逃れのために一時期「我看到了(私は見た)」というハッシュタグ付き投稿が出回ったらしいのだが、ほどなくそのハッシュタグも検閲対象になったという旨を実際の検索画面のスクショ付きで投稿していた。しかしこれは昨日か一昨日の出来事だ。書き忘れていた。

 先日、翻墙している中国人たちがもうあの事件から一年かと感慨を漏らしあっていたが、そう、この出来事もトリガーだったよなと思う。特に「不要核酸要吃饭,不要封控要自由」をはじめとするあのスローガンがある意味ものすごくキャッチーだった。実際、その後の新疆の火災をきっかけに各地で抗議活動が活発化し白纸运动にいたるわけだが、抗議の現場で民衆らはみなこのスローガンを唱えていたはず。そういう意味で、文字どおり命懸けで四通桥での抗議活動をおこなった彼のこころみは成功したともいえる。ただし、彼が望んだように、習近平をひきずりおろすところまで事態はエスカレートしなかった——いやそうともいえないかもしれない、事態は常に現在進行形なのだ。しかし同時に、一年前のこのできごとなんてまったく存在しなかったように、まるで記憶喪失におちいってしまったかのように、性懲りもなく愛国愛党に中毒してガンギマリになっている人民たちもやはりかなりの数いるというのが実状なのだが(安倍晋三の死後、いろいろなことがあかるみになったにもかかわらず、そうしたもろもろから目を逸らし彼のことをいまだに英雄視し続けている、やはりどうしようもなくガンギマリの阿呆らが相当数いる母国の実状にもかなりあたまが痛くなるが)。
 2013年10月15日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のくだり、笑った。

労働を終えて帰宅するとたびたび今日landladyに話しかけられたわと(…)から報告があったものだけれど、いちどlandladyの、じゃなかった、そのころにはたぶんもうミス(…)と大家さんのことを呼んでいた気がするけれどもとにかく彼女の言わんとしていることがわたし完全に聞き取れたわと(…)が興奮して語ったことがあって、大家さんが(…)に話しかけるとしたらまずいつでもかまわないのでどうぞシャワーを浴びてください的なアレでしかないと思うのだけれど、で、じっさい(…)が聞き取ることのできた言葉というのが何であったのかとたずねてみると、(…) hotel, shower kudasaiとあった。このときは本当に大笑いした。

 それから、近所で発生した殺人事件について。これはたしか施設あがりの若い男がおなじ施設あがりで同居している後輩を刺殺したという事件だったのではなかったか?

小雨の夕方、のこるプログラムをiPodでこなしながら徒歩で郵便局&生鮮館に出かけたのだけれど、道のりの途中にある一戸建ての前に黄色いテープが二本はりわたされていてキープアウトな状態で、警察官がふたり陣取っているその周囲にカメラやマイクを手にした報道陣らしい人影も十人ほど待機の姿勢で道の両側にわかれてそれぞれ腰かけたり壁にもたれたりしていて若干ものものしい感じがしたというかまさか殺人事件ってことはないだろうけれどいったいなにがあったんだろうか。

(…)さんから(…)ちゃんちの近くでなんか殺人事件あったやろと問われたので、まさかと思って今日買い物にでかける途中で見かけた例のものものしい光景について説明してみたところ、新聞に載っていたはずやよという応答があり、店にあった京都新聞の夕刊を手に取ってぱらぱらとめくってみると該当記事が掲載されていて、まさにそのとおりだったのでびっくりした。ちょうどひと月ほど前であったと思うけれど全国ニュースでも大々的に報道された(らしい)殺人事件が京都であって、その被害者というのが(…)さんの知人であったらしく、(…)さんはほかにもやはり数年前に全国ニュースになった事故の被害者が知人であったりして、ほかにも過去に起こった大きな事件の被害者がどういうわけかじぶんの周囲に集まりやすいみたいなアレでじぶんのことを呪われていると信じこんでいる節がわりとけっこう本気であるのだけれど、これで今度のこの事件についても知ったら、じぶんの部下の近所で発生した事件という間遠さをもじぶんの周囲というくくりにいれてしまってますます思い込みを強くしてしまうんでないかという気がしないでもない。

 (…)さんは自分の結婚式の二次会だったか三次会だったかで、河岸を移動する最中に友人が刺されたといっていた。あと、むかしアルバイトしていた弁当屋の夫婦だったかおかみさんだったかが、まったく知らないポン中の手で柱にぐるぐる巻きにされて家ごと火をつけられたという事件もあったと言っていたし、(…)に赴任する前にサブマネージャーとして働いていた(…)の従業員だったと思うが、スクーターにのっているところをはねられて死ぬのを目撃したのだったか、ただ単にそういう報告を受けたのだったか、そういうこともあったとかつてこちらに矢継ぎ早に語ってみせたことがあり、それに続けて、だからおまえみたいな生き方をしている人間を見ると不安になる、正直にいうと次はおまえじゃないかという気がするのだと言って、それで仕事をやめようとするこちらを引きとめたのだった。ただ、(…)さんはじぶんが呪われているという思い込みに淫しているところもいくらかあり、と、本当はいま「じぶんが呪われているという思い込みを享楽している」と書きかけたのだがこれだとちょっと強すぎるし意味の輪郭がしっかりしすぎてしまうなというところで「淫している」という表現に切り替えたのだが、この「淫している」はこのあいだ再読した保坂和志の再読論のなかで小島信夫との対話として描かれていたくだりでその小島信夫が「インしている」とそこではカタカナ表記であったけれども語っていたのを思い出したからで、使い勝手のなかなかいい言葉だなと思う。ラカンにひっぱられてついつい享楽していると雑に言いたくなってしまうところを(そしてそれでもってなにかを語った気になってしまうところを、結論にいたった気になってしまうところを)、ちゃんとその手前でひきとめてくれる言葉。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は12時半だった。作業中は『Re:Foryou』(バブルソ)を流していたが、けっこういい感じ。
 その後は授業準備。日語会話(一)の第7課と第8課をたてつづけに詰める。これでだいぶ楽になった。残すところは第9課のみ。それさえ片付けたら、今学期の授業準備はほぼ終了、残りは直前に細部を詰めればいいだけ。ここでの作業中はMiles Davisの『On the Corner』と『Bitches Brew』を続けて流した。結局じぶんの好きなマイルスって、別格としてまずは『On the Corner』とアガパン、それに『Bitches Brew』と『Live-Evil』あたりなわけで、これって絶対正統なジャズファンの好みではないよなと思う。まあそもそも最初にジャズで好きになったのがアルバート・アイラーだった時点でアレなんだが。
 授業準備を終えると15時半。ケッタに乗って老校区へ。快递で化粧水を回収。それから(…)で食パン三袋を購入。レジのおばちゃんからあんたはだんだん(…)话が上手になるねと言われたので、え? 普通话じゃなくて(…)话なの? と思いつつ、(…)话ならひとつ知っている言葉があるよと言って、(…)(吃什么の意味、たぶん漢字表記は存在しない)というと、おばちゃんはゲラゲラ笑った。日本在住の全然日本語の話せない外国人が突然「何食うべ?」と口にしたらそりゃゲラゲラ笑うわな。冬休みは帰国しないのかというので、航空券が安かったら帰国するつもりだけどたぶんこっちで過ごすかなと受ける。何時間くらいかかるんだというので、(…)からだったら三時間くらいだけど新冠以降はその飛行機もないし、そうなると上海とか厦门経由で行くことになるからもっと時間がかかると応じる。太麻烦了だ。
 店を出る。セブンイレブンにはしごして、おにぎりをふたつ買う。今日は店長もロリータファッションの彼女もいなかった。新校区にもどり、13舎近くの快递で鼻うがい用の薬剤を回収。ぼちぼち冬が近づいてきたわけであるし、こちらも前回の感染から半年近くが経過するわけであるし、それに微妙にマスクを装着している姿も見かけるようになってきたので、これから一日に一回はまた鼻うがいをしようかなと考えている。
 時刻は16時でどう考えてもはやすぎであるが、それでもがまんできなかったのでそのまま第五食堂に立ち寄った。おかずは当然昼の残り物しかないわけだが打包。帰宅して食し、ひととき仮眠をとり、それからグループチャット上に投稿されたスピーチ代表三人のテーマスピーチ動画をチェック。問題点を書き出してひとりずつ指導。三人とも感情表現がかなりレベルアップしていた。発音の細かなミスや過ちはこれで誤魔化しやすくなる。(…)くんは本番で失敗さえしなければ上位入賞できるだろう。
 (…)さんから個人でメッセージが届いた。じぶんの実力についてどう思うか正直に教えてほしい、と。一年生前期と後期、それから二年生前期の時点で、少なくともこちらが担当していた会話と作文に関してはクラスでも最下位レベルだったと告げる。だが、(…)くんと別れて一転、猛勉強しはじめて以降の成長率だけでいうなら、こちらがこれまで担当してきた学生のなかでもトップクラスだ、四級試験でもまさか60点以上とるとは思ってもいなかった、もちろん一年半分の遅れをわずか数ヶ月で完全に取り戻すのは不可能かもしれない、しかしこのペースで勉強を続けていけば確実にその遅れはなかったことにできるし、最終目標である院試にも間に合うだろうと告げる。(…)さんはちょっと気分が晴れたといった。ずっと劣等感に悩まされているのだという。即興スピーチでまったく対応できないテーマが出されたらどうしようという悩みもあるというので、これはほかに方法がないときの奥の手であるがと断ったうえで、テーマが仮にAであったとする、それだったら最初に「みなさんはAという言葉をきいてなにをイメージしますか? わたしはAという言葉を聞いて、以下のようなエピソードを思い出します」と前置きだけしておいて、Aとまったく関係のない、事前に暗記しておいたエピソードを無理やり語ってしまえばいいといった。これだったら少なくとも壇上で口をつぐみつづけるといういちばんしんどいシチュエーションから逃れることができる、こじつけでもなんでもかまわないから堂々とやりきればいいというと、(…)さんは笑った。しかし実際、壇上であたまが真っ白になって硬直してしまう、そういうシチュエーションだけはどうしても避けたいというのが学生らの正直なところだろうし、それだったら最悪そうはならずにすむ手段があるということをこうやって知らせておいたほうがいい、この最後の手段、last resort(という英語表現がこちらはなぜか好きなのだ)があると理解しておくだけで、精神的にはぐっと楽になるだろう。コンテストが終わったらぼくがおごるからみんなで火鍋を食べにいきましょうとむすんだ。
 彼女とのやりとりの最中、二年生の(…)くんからも微信が届いた。自転車を買おうと思っているのだが、先生はどこの店で買ったのか、と。卒業生の(…)さんとのやりとりをさかのぼると、彼女がこちらに送ってくれた自転車屋の地図が残っていたので、それをそのまま(…)くんに転送。値段は700元くらいだったと思うと伝える。もっと安いのはありましたかというので、あったと思うけどそれほど大きな店ではなかったと応じると、先生はおすすめしない店ですかというものだから、そもそもほかの自転車屋を知らないので比較しようがない、サービスや価格があれで一般的なのかどうかこちらは中国にあるほかの自転車屋をおとずれたことがないのでなんとも言えないと答えた。ほかの店が気になるのだったら、(…)出身のクラスメイトか先生たちにきいてみたほうがいいと助言。
 浴室でシャワーを浴びる。モーメンツをのぞくと、新入生1班の男子学生である(…)くんが恋人つなぎをしている手元の写真を投稿していたので、あ、恋人ができたんだなと思って見ると(学生らがモーメンツで恋人ができたという報告をするときはきまってこの写真なのだ)、男同士の手元だった。あ、(…)くんゲイなのかと思いつつメッセージをみると、あなたたちふたりの関係のはじまりを目撃したみたいな文章で、ということはこの写真は(…)くんのものではない。するとそのコメント欄で、(…)くんと(…)くんがおたがいに愛しているとコメントしあっていて、(…)くんはともかく四年生の(…)くんそっくりの(…)くんはマジで一ミリもゲイっぽさを感じていなかったので、うそでしょ? となった。タチの悪い冗談みたいなもんなのかなと思ったが、コメント欄にはクラスメイトの祝福の言葉もいちおう並んでいる。だから真相はちょっとよくわからんのだが、しかし男子学生の占める割合がこれだけ増えてくると、クラス内でゲイのカップルが誕生することも今後はありうるわけだ。クラス内にレズビアンカップルがいたことはあるが、ゲイのカップルはまだ見たことがない(カミングアウト自体は女子よりもむしろ男子のほうから頻繁に受けてきたが)。

 21時から「実弾(仮)」第四稿執筆。作業中、三年生の(…)さんから、「先生、夜食を食べたいですか」という微信。「きみが食べたいんでしょう」と返信すると、肯定の返事。例によってなにか食いものを持っていくという。つまり、部屋に来るというわけだが、この時点ですでに21時半をまわっていたので、門限は23時であるしそもそも女子学生がそんな時間にひとりでうちにやってくるのもなァと内心警戒しつつ、今ちょっと部屋が汚いんだけどというと、問題ないという。まあ、いいか。これからセブンイレブンに行くというので、こちらはすでに昼間セブンイレブンでおにぎりをふたつ買ったから必要ない、じぶんが食べるものだけ買ってうちに来ればいいと応じると、それならやはりやめておくという。で、いったんやりとりが途切れたのでふたたび原稿に向かったのだが、30分ほど経ったところでふたたび連絡があった。セブンイレブンの店内の写真だった。結局夜食を買いに出向いたらしい。しかもこちらの分のおにぎりを買ったというので、あれ? おれの言うこと伝わってなかったのかな? と思いつつも、すでに時刻が時刻だったので、今からそちらにむけて歩いていくと返信。
 で、寮を出た。女子寮にむけてまっすぐ歩いている最中、ちょうどバスケットコートを通り過ぎたあたりで(…)さんと合流した。店の電子レンジで温めたばかりだという和牛のおにぎりをもらう。ほかにおにぎりふたつとスイーツ。とりあえずこちらも昼間買ったおにぎりをひとつ彼女にあげる。それから女子寮にむけて歩き出す。もう食べ物や飲み物を持ってこなくてもいいと告げる。ぼくは教員だから給料をもらっている、でもきみは学生だからお金がないはずだ、そのお金は節約したほうがいいというと、いまは彼氏がいない、だから化粧品や服を買うこともないからだいじょうぶだという返事があったので、服ってそういうもんじゃないだろと思いつつ、ぼくにお金を使うのであればその金を(…)のために使ってあげたほうがいいでしょうといった。(…)さんはマジでとにかく食い物だの飲み物だのを頻繁に差し入れしてくれる。それ自体はありがたいことなのだが、なんとなく貢がせているような感じがして、こちらとしてはあまり気持ちがよろしくないのだ。いっしょに散歩したり日本語の練習をしたりしたいのであれば、別にこういうものを買ってくる必要はない、なにもなくても頼まれれば付き合うからというと、日本語の練習をするために渡しているわけではないとここはちょっと強めの否定があった。
 とりあえず女子寮まで送る。門限直前の女子寮前はハグだのキスだのしまくっているカップルばかりだ。別れて寮にもどる。「先生と物を分かち合うのはとても楽しいことです。気にしないでください」と(…)さんから微信が届く。今度はこちらがきっとおごるので、お腹がすいたときにまた連絡をくださいと返信する。今度はこちらが——と言うのもこれでいったい何度目だという話であるが!
 その後のことは忘れた。わりとはやく就寝したはず。