20231021

 子供が言葉を覚えるときのプロセスを推論してみよう。子供は「桜が何であるか」というシニフィエ(意味内容)を一挙的に獲得するのではない。桜が眼前の認知によりひらひらとした感触をもっているとき、桜=「ひらひらとした」というシニフィエがいったん登録されるだろう。次に子供は、今度は蝶を見てその同じように「ひらひらとした」質感から、これを同じく「桜」と名指すかもしれない。そのとき親は、「それは桜ではなくて蝶だ」と訂正するだろう。この時、桜は「ひらひらとした」「蝶ではないもの」とさらに登録される。言語が示差的対立によって措定されるというのは、すでにソシュール以来の常識ではある。がこのことは、それぞれの示差的対立が共時的に一挙に成立したことを意味しない。実際には、言葉の獲得の時間の中で、似たものだけれど違うものとして何かが否定されていき、その当該の意味の外部が示されることによって当該の意味が外から限定を受け、その結果として整備されたものが共時体系になっていくと推測できる。このように言葉の意味は、当該の意味の外部が否定によって示されることでその反転として定立する。「真実」とはいわば「偽(=非真理)を否定すること」によって成立するのである。
 しかし、さらにここでもっと重要なことは、この過程が時間に支えられ他者との相互作用によって支えられて構成されることである。ここで時間と他者を考慮することは、単に否定を共示構造の内部でだけ考えず、言語生成の問題として考えるために、必要な要件である。確かに、「真実」は「偽を否定すること」によって成立するが、それは、一挙的なトートロジカルな措定を意味するのではなく、ここでは時間をはらんだより複雑な過程が進行している。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「言語の成立に関わる「否定」の作用と他者について」 p.12-13)



 9時半起床。夜中にひざのすり傷の痛みで何度か目が覚めた。普段から痛いわけではない、寝返りを打つときにかけ布団にこすれて痛み、それで目が覚めるのだ。それで朝方の6時ごろだったか、いちどガーゼ代わりのティッシュマキロンをしみこませたのを傷口に当ててテープでとめたのだった。それで問題なかった。右肩のすり傷もときどき傷んだが、こちらは目が覚めるほどではない。
 昨日はなかった打ち身のような痛みも今日は感じた。右肩と左足首。しかしそれ以外は問題ない。昨日の事故で壊れていないかどうかチェックしたいというアレもあったので、ケッタに乗って第四食堂へ。最初ペダルを踏み込んだときにバキッ! という音がしたが、その後は問題なかった。ハンバーガーをふたつ打包。今日も快晴で暑い。最高気温は24度。
 帰宅。食す。コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年10月21日づけの記事を読み返し、2013年10月22日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。暑くもなければ寒くもない、この土地ではめずらしいちょうどいい気温の晴れた日に、キッチンと阳台の窓をそれぞれ開け放して風を通すと、赴任してほどないころを思い出す。仕事のない日に、ソファに寝転がりながら、生活に必要な中国語の単語を暗記していた昼下がりの一幕だ。窓から窓に通る風をときおり感じながら、あ、だいじょうぶだ、おれたぶんここで生活していくことができるわ、と思ったのだ。そのとき部屋に流していたFF8のBalamb GardenのBGMを今日もまた流した。大学というか学校というか、そういう空間でのおだやかな昼下がりから連想するのが、いつもこの曲なのだ。

 今日づけの記事をここまで書き記す。時刻は13時半過ぎ。来週の授業準備にとりかかる。日語会話(三)の第31課の教案を確認。ほぼ問題なし。細部の段取りのみ修正。きのう詰めた第1課ももう一度チェックする。問題なし。四年生の(…)さんから作文の添削依頼が届く。
 ソファに移動し、『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』(樫村愛子)の続きを読み進める。138ページに「やおい」に対する言及があったのだが、「ヤマなし、オチなし、意味なしの頭文字をとった、男性の世界の物語を男性同性愛のコンテクストで読み込むパロディ・ジャンル」という解説が付されており、え! やおいの語源ってそんな感じだったの! とびっくりすると同時に、「ヤマなし、オチなし、意味なし」って、ある種の現代文学作品の特徴をめちゃくちゃコンパクトかつキャッチーにまとめた言葉だなと思った。保坂和志がシーンに出てきたばかりのころなんて、まさにその「ヤマなし、オチなし、意味なし」っぷり(の斬新さ)に、けっこうたじろいだ読者がいたんではないか。
 17時前になったところで外出。(…)で食パン三袋購入。第五食堂に立ち寄って夕飯を打包。帰宅し、食し、30分寝る。シャワーを浴び、傷口をマキロンで消毒し、外出前に添削をすませておいた作文を(…)さんに返却(院試まで残り二ヶ月がんばってねの激励付き)。
 コーヒーを淹れて20時半から23時まで「実弾(仮)」第四稿。プラス16枚で計974/1040枚。シーン49、終わった。シーン50もいちおうざっと通してみたが、修正すべきポイントがかなり多い。大筋にいっさい奉仕しない無意味な記述、そのシーンを貫くトーンをうらぎる記述、そのシーンをまとめあげるコードから逸脱する記述、第五稿以降はそういう種類の記述をなるべく増殖させる方向に加筆修正を重ねていきたいのだが、これがいうほど簡単ではないのだ。たぶんそういうのは初稿の段階でやるべきであって、ある程度かたちがととのってしまっている最終段階で部分部分に挿入するというやりかたでは、おそらくあまりうまくいかないと思うのだが、そのうまくいかないやりかたを今回はちょっと試してみたいというのがわりと最初の段階からあった。もっというなら、初稿をわざとうざに書く、だらしなく書く、内なる検閲をなるべく無効化してほとんど下書きのつもりで書く、そしてその後の加筆修正段階で、ほとんどゼロからの気持ちで徹底的に書き直すというやりかたをとったわけで、これはいってみれば「A」や「S」とは正反対の書き方というわけだが、「A」や「S」とくらべるとずっと楽だし、原稿に向かうだけで吐き気がしてくるというあの症状にもいまのところ見舞われていない。以下はどちらもシーン1。上が初稿で、下が第四稿。

 ダウンジャケットのポケットに突っ込んでいた右手が震えを感じとる。反射的に携帯電話を引っ張り出し、折りたたんであるものを開いてみる。新着メールは届いていない。車体の震動をメールの着信と勘違いするのも、これで三度目だ。まぬけな自分のふるまいが、だれに指摘されたわけでもないのに気恥ずかしくなる。
 年度末が近づくたびに掘り返される道路の上を、バスは痙攣しながら徐行している。耳の奥に詰まっている鼓膜か耳垢か、なにか小さな塊のようなものが、ツボの中で振られる丁半博打のサイコロのように揺さぶられてくすぐったいのを、気難しい表情をこしらえて耐えながら、右手に持った携帯電話の液晶画面をそのまましばらくながめる。
 車内に乗客は五、六人しかいない。その五、六人全員が、自分の一挙手一投足に注目している気がする。
 ながめるだけで操作していなかった液晶画面が、不意に明るさを失う。ひとり芝居がそれで露見してしまった気がしておもわず顔をあげると、目の前にある同じ優先座席のかたわらで吊り革を手にして突っ立っている若い男が、顔を窓の外の闇に向けたまま、視線だけをすばしっこく逃したのが分かった。浅くかぶった黒いニット帽の前から斜めにはみ出ている茶色く染めた前髪、紺色のダッフルコートの右ポケットに吸いこまれているイヤホンのねじれた白いケーブル——日頃見かけることのない姿だ。とりすましたその横顔を軽くにらみつけながら、通路側にある左足をぐっと斜め前に突き出す。男は一瞬視線を足元に落として、かすかに抗議の意思を表明してみせたが、落としたものをすぐに拾いなおして窓の外にふたたび送り出すと、そのまま彫像のように動かなくなった。大股に構えなおした優先座席の主から送り出されてくる敵意を右の頬で受け止めながら、喉仏だけをときおり気まずげに上下させている。
 携帯電話をダウンジャケットのポケットにしまい、右手の窓に目をやる。結露に覆われたその表面を、握り拳の側面で乱暴に拭う。覗き穴から見た暗闇のなかで浮かびあがる光だけをたよりに、昼間の景色を頭のなかで再構成していく。オレンジと赤と紫の三色に塗りわけられたサークルKの照明が、砕けた水滴越しに滲んだ尾を引いて過ぎ去れば、目的の停留所はすぐそこだ。
 乗客が停車ボタンを押す。窓に映りこむ自分の顔をいつのまにかながめていたことにふっと気づく。太い眉毛が八の字に垂れさがっているせいで、どうしたって泣いているようにみえる。視線を前方に転じると、先の男が非難がましい目つきで、通路に投げ出されている左足を見下ろしていた。差し戻された視線に気づいても、今度は別段あせったふうでもなく、見せつけるようにゆっくりと顔をそむけてみせる。
 車内アナウンスが次の停留所の名前を告げる。バスが減速し、路肩に身を寄せはじめる。運転手が同じ停留所の名前を吐息混じりに告げるが、マイクの音が割れているせいで、ほとんど何を言っているのか分からない。
 目の前にある座席の背もたれの角からは、黒い輪っかが吹き出しのように通路にはみ出している。それに手をかけ、握り、バスが完全に停車する前に立ちあがると、コートのポケットから取り出した財布の中身をのぞきこみながら運転席のほうに体を向けなおしはじめた男のかたわらを、いからせた肩を軽くぶつけて無理やり追い越した。たまらず抗議の声をあげようとして息を吸った男が、膝と爪先の向きがちぐはぐな左足をひきずり歩く後ろ姿を認めてぎょっとし、吸ったものを吐き出す機会を失して、そのままなかば窒息するにいたる——その一部始終が、第三者の視点を借りて、背中越しにありありと浮かんだ。老婆が両替機を前にして手間取っている脇を、手ぶらのまま通り抜け、降車口の段差を一段ずつゆっくりと下りる。運転手がありがとうございましたと口にする。マイクはいつのまにか切られている。
 吐息でぬくめられた車内から吐き出されるようにしてバスを降りた瞬間、年が明けて二ヶ月が過ぎようというのにいっこうに暖かくなるきざしのない空気が、二車線道路の対岸にひかえている焼肉屋から漂ってくる脂っぽさと混じり合いながら鼻を通り抜けた。携帯電話が入っていないほうのポケットから煙草とライターを取り出し、火を点ける。両替の老婆に続けてバスを降りてきた男が、目も合わせず香水のにおいだけを残して足早に去っていくその背中を、景は口から吐き出した白い煙越しにながめた。

 ダウンジャケットのポケットに突っこんでいた右手が、今度こそ震えを感じとる。卵を温めるめんどりのようにやわらかく手のひらで包みこんでいたものを、ほとんど反射的にひっぱりだし、二つ折りになっているその隙間に親指の先を差しこみ、手首を手前から向こうにするどく返す。カチッと音をたててひらいた液晶画面が白く灯り、聖なる泉で抱きあうティーダとユウナの姿が画面いっぱいに表示される。新着メールの通知はない。
 車体の震動をメールの受信と勘違いするのはこれで三度目だ。まぬけな自分のふるまいがだれに指摘されたわけでもないのに気はずかしい。ありもしない嘲笑に対するひかえめな舌打ちが自然と漏れるが、メールを交わしている当の相手に向けたようなタイミングになってしまったことに気づき、そうではないのだと心のなかで弁明する。
 年度末が近づくたびに掘りかえされる道路の上を、バスは痙攣しながら徐行している。車内の座席は四分の三ほどが埋まっている。ほとんどが老人で、地味な色合いの服を重ね着してふくれあがった後ろ姿だけでは、性別すらはっきりしない。だれも口を利かないが、でこぼこ道に差しかかるたびに左右にゆれる両肩の動きだけは、流れに頭をふる湖底の水草みたいに一様だ。枯れた体臭がときおりうっすらとエアコンの温風に運ばれてくる。
 耳の奥につまっている耳垢かなにかが、ツボの中でふられる丁半博打のサイコロのようにゆさぶられてくすぐったいのを、気むずかしい表情をこしらえて耐えながら、右手に持った携帯電話の液晶画面をそのまましばらくながめた。肩越しに携帯電話の画面をのぞきこもうとしている人間の、そんな間近にだれもいないことはわかっているにもかかわらず感じてしまう視線を、フケでも払うような手つきでさっと牽制する。バスに乗っているときはいつも、後方の席に座っている乗客全員が、自分の一挙手一投足に注目している気がする。
 ながめるいっぽうで操作していなかった液晶画面が明るさを失う。ひとり芝居が露見したことを内心ひそかにおそれて顔をあげると、目の前にあるおなじ優先座席のかたわらでつり革を手にし、顔を窓の外の闇に向けたまま突っ立っている若い男が、横目をすばしっこく逃したのがわかった。黒いニット帽を浅くかぶり、前髪の生え際をわずかにのぞかせている。短く刈りこんだもみあげとそれよりもう少し長くこんもりとした顎ひげを、薄くまばらな、頬ひげというよりもなにかの手違いで抜けそびれてしまった産毛みたいによわよわしいものが、飛び石状にかろうじてむすんでいる。右耳には白いイヤホンが装着されており、おなじ色のケーブルがゆるやかにねじれながら、紺色のダッフルコートの右ポケットに吸いこまれている。
 その横顔をじっとにらみつける。二つ前の停留所で乗りこんできたとき、めずらしい同世代の乗車に一瞬構えたが、同級生でないことは確認済みだ。
 通路側にある左足をぐっと斜め前に突きだす。男は視線をゆっくりと足元に落とし、抗議の意思をわずかに表明したが、ひろいなおしたものを差しむけることはせず、窓の外にふたたび送りだした。そのまま彫像のように動かない。大股に構えなおした優先座席の主から送りだされてくる敵意を右の頬で受けとめながら、喉仏だけを気まずげに上下させている。
 携帯電話をダウンジャケットのポケットにしまい、右手の窓に目をやる。結露に覆われた表面を握り拳の側面で乱暴にぬぐい、のぞき穴から見た暗闇に浮かびあがる稀な光だけをたよりに、昼間の景色を頭のなかで再構成していく。真っ黒な山林を背景とする畑、重機の置きっぱなしになった青い砂利の敷かれた空き地、潰れているのかいないのかわからない自動車の整備工場などの合間に、二三軒ずつかたまっている民家がときおり姿を見せるだけの景色がしばらく続く。白と赤と紫とオレンジの四本のラインからなるサークルKの照明が、まるでダンジョンの最奥部にあるセーブポイントのようなまばゆさで不意にあらわれる。目的地は近い。砕けた水滴越しに波打ちながら過ぎ去っていくそのまばゆさを境に、景色を占める建物の数が次第に増えていく。
 焦点が手前に移動し、窓に映りこむ自分と目が合う。太い眉毛が八の字に垂れさがっているせいで、卑屈な泣き顔みたいにみえる。鏡面と化したのぞき穴の上方から小さなしずくが、警戒心の強い動物のようにひたりひたりと、ためらいがちに垂れ落ちてくる。鏡面を縦断するそれが自分の目から流れる涙のようにみえる位置に、顔を少しだけ動かす。
 車内アナウンスが次の停留所の名前を告げる。停車ボタンは停留所を出発してすぐにほかの乗客が押している。顔を前に向ける。若い男がさっきとは打って変わった非難がましい目つきで、通路に投げだされている左足をじっと見下ろしている。座席から送りだされる視線に気づいても、今度は逸らそうとしない。
 バスが減速し、路肩に身を寄せはじめる。運転手が停留所の名前を吐息混じりに告げるが、マイクの音が割れているせいで、ほとんどなにを言っているのかわからない。
 目の前にある無人の背もたれの角からは、黒い輪っかがふきだしのようにのびている。左手をのばしてその手すりを握り、バスが完全に停車する前に立ちあがる。ダッフルコートのポケットから取りだした革財布の中身をのぞきこみながら運転席のほうに体を向けなおした若い男の左脇を、いからせた肩を軽くぶつけるようにして無理やり追い越す。抗議の声をあげようとして息を吸った相手が、ひざとつま先の向きがちぐはぐな左足をひきずり歩く後ろ姿を認めてぎょっとし、吸ったものを吐きだす機会を逃してそのまま一瞬の窒息に見舞われる——その一部始終が手に取るようにわかる。老婆が両替機を前にして手間取っている脇を、手ぶらのまま通りぬけ、乗降口の段差を手すり伝いに一段ずつゆっくりと下りる。運転手がありがとうございますと口にする。マイクはいつのまにか切られている。
 年寄りの渋い吐息でぬくめられた車内から吐きだされるようにしてバスを降りると、年が明けてそろそろ二ヶ月になるこの時期特有の、芽吹きつつあるものの香りがほんのかすかに混じった大気が鼻を通りぬけ、体の内側で季節の目盛りが動いた。携帯電話が入っていないほうのポケットから煙草とライターを取りだして火を点ける。両替の老婆に続けてバスを降りてきた若い男が、香水の香りだけを残して足早に去っていくその背中を、景人は肺に通していない煙で白く塗りつぶした。

 こうやってならべて読み返してみると、第四稿は第四稿でちょっと問題がある。いろいろ膨らませすぎているというか、もうちょっと軽く書き流すくらいのほうがいいかもしれない。
 作業の途中、一年生2班の(…)くんから微信。「先生、私たちは今(…)にいます。」と。(…)市にある有名な山だ。おそらくクラスメイトらと登山しているのだろう。最近、学生らが山頂での日の出写真をモーメンツに投稿しているのをちょくちょく見るし(若い世代でおそらく登山が流行っているのだろう)、彼らももしかしたら山小屋で一泊する予定なのかもしれない。いずれにせよ、夜遅い時間になりつつあるので、道中気をつけるようにと返信。(…)くんはわりとちょこちょここちらに連絡をよこす。残雪やゴダールにも興味をもっているようであるし、そっち系の青年なのかもしれない。

 夜食はトースト二枚。寝床に移動し、Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きをほんの少しだけ読み進めて就寝。