20231022

 ここで侵犯/悪が症例に対してもつ意味を考えてみよう。例えば、強迫神経症者は抑圧物のせいで理由の構築ができなくなる。彼は、恐ろしいことがあって心配なのではなく、心配であるゆえに恐ろしいことをしようとする。そうすれば不決定から逃れられるからである。待機を放棄して外延を決定しようとする、つまり否定=悪を現実化して、〈最初の—不確定な肯定〉から逃れようとするからである。ガスが恐ろしくてガスを燃やしたまま外出する者は、無時間的に、他者抜きに、真/偽確定しようとして、思考を無時間—現実(=悪)の水準で走行させるべく、真/偽の基盤である悪に依存しているのである。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「言語の成立に関わる「否定」の作用と他者について」 p.26-27)



 9時半起床。昨夜あたりから鼻くそがたまりやすくなっている。たぶん花粉症だ。去年からだったか一昨年だったからか忘れたが、この時期の中国で微妙に症状が出るようになっている——と書いたところで過去ログを確認してみたが、中国でも花粉症の症状が出るようになったのはこの時期ではなかった、三月から四月にかけてだ。じゃあ、なんでいま鼻くそがたまりやすくなっているのだ? またあらたな花粉に反応するようになってしまったのか? 小学生のころからずっと悩まされている花粉症だが、三年前だったか四年前だったか、花粉症患者は癌の発症率が有意に低いというニュースにふれたときは、ようやくもとがとれたなと思ったものだ。
 おもてからはステージのにぎやかな声がきこえてくる。きのうバスケットコートにステージが仮設されているのを見た。なんのイベントかはわからないが、司会の男性の声、お世辞にも上手とはいえない歌声、それからK-POPらしい音楽(たぶん音楽にあわせてステージで女子学生らがダンスしているのだろう)が、爆音で鳴り響いている。軽音サークルとかダンスサークルのイベントかもしれない。あるいはギター教室やダンス教室の勧誘イベントかもしれない。
 食堂に出向くのがめんどい。白湯を飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。きのうづけの記事に引いた「実弾(仮)」第四稿のシーン1がなんとなく気にくわず、そんなつもりなどなかったのに原稿を30分ほどいじってしまう。それからトースト二枚とコーヒーの食事。2022年10月22日づけの記事を読み返す。

I suppose the reasons for the use of so much violence in modern fiction will differ with each writer who uses it, but in my own stories I have found that violence is strangely capable of returning my characters to reality and preparing them to accept their moment of grace. Their heads are so hard that almost nothing else will do the work. This idea, that reality is something to which we must be returned at considerable cost, is one which is seldom understood by the casual reader, but it is one which is implicit in the Christian view of the world.
(Flannery O'Connor “Mystery and Manners”より“On Her Own Work”)

 2013年10月22日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。同僚ほぼ全員ともめまくっていた(…)さんが仕事をバックれてこちらの部屋にやってきた時代祭当日。最年少者であるこちらであればきっときついことを言わないだろう、自分をなぐさめてくれるだろう支持してくれるだろうという魂胆が丸見えであったのにくわえて、実際のところこちらも当時彼には相当あたまにきていたところがあったので、相手の期待をぶち折るかたちで説教している(しかし十歳以上年上の前科者にあれほどきつい口調で説教することになるとは思わなかった)。この件についてのちほど詳しく報告した(…)さんからは、おまえけっこう遠慮ないな、まあまあえぐいこと言うんやな、といわれたのをおぼえている。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は12時半。「(…)」清書の添削にとりかかる。終えると15時半。ひさしぶりに中国語の勉強でもしようかなと「究極中国語」でボキャビル。さらにテキストを使って音読しようとしたが、AppleMusicのファイルをあれこれいじった関係でシャドーイング用の音源が行方不明になっていたので、CDを四枚まとめてインポート。結局その準備だけで終わった。
 17時に第五食堂で打包。食後、一年生2班の(…)くんから微信。山で撮影した写真が20枚ほど送られてくる。22時に登山開始、3時に頂上に到達、そのまま日の出をむかえたという。いま現在40時間以上寝ていない計算になるというので、若いってやっぱすげえな、そんなことできるんやもんな、こっちはもうシャブでもせんかぎり無理やわ、と思った。
 三年生の(…)さんからも微信。「先生、国内で最近猫や犬が虐殺されていることを聞いたことがありますか」という。知っている。昨日あたりから翻墙している中国人が話題にしている。詳細は知らないが、大型犬の飼育が都市部で突然禁止になったとか、散歩中の犬を突然保安员に捕縛されたとか、あまりおだやかではないニュースをちらほら見かける。「芝生で毒を投げて猫や犬を殺す人もいます」というので、「インターネットで少し見たよ。何がきっかけで、こんなことになったの?」とたずねる。たずねたところで、たぶんアレだな、三日か四日ほど前だったと思うが(…)がモーメンツにめずらしくリンクをはりつけていたビデオだ、幼い女の子が犬に噛まれて死んだのだったか大怪我したのだったかそういうニュースがあったが、たぶんあれきっかけでまた人民が狂ったように反応しているのだろうと思った。正解だった。「事件を受けて、一般市民が暴走しているだけなの? それとも、政府の命令で殺処分が行われているの?」とたずねたが、(…)さんは自分の言いたいことばかり発言して(「(…)は昨日の夜に家を出た後、嘔吐が止まらなかった」「もし私の犬に何かあったら、どうやって生きていけばいいか分からないです」「中国には猫や犬が嫌いな人がたくさんいます」「私たちには動物保護法はないです」「猫と犬の地位は鶏とアヒルと同じです」「死んでも、誰も気にしないです」「(…)は私にとって、私の生命です」「私が(…)を守ることができなければ、私は生命に意味がないと思います」「多くの人が注射器を使ってドッグフードに毒を注射します」「ネットで買ったドッグフードには、毒を注射する人もいます」)、全然こちらの質問に答えようとしない。あー! またメンタルがアレなっとるやんけ! と思いながらも、しばしやりとり。(…)さん曰く、政府が率先して殺処分しているわけではなく、人民らがニュースを受けて野良猫や野良犬らを殺しまくっているという状況らしいのだが、こちらがX(Twitter)で見た情報のなかには、もともと大型犬や攻撃的な犬種の飼育を禁じる法律のようなものが都市部にはあったのだが、(この国ではよくあることであるが)そのあたりけっこうなあなあになっていた、しかし今回の件を受けてそれが一気に厳格化したという動きもあるようす。人民の暴走を政府が取り締まる動きはいまのところないみたいで、(…)さん曰く、「政府は黙認しているだけです」「中国には犬肉を食べる伝統があるからかもしれないです」とのこと。「最近、人間性に失望しています」「もし誰かが私の犬を傷つけたら、私は極端なやり方をとるかもしれないです」と続いたのち、(…)を海外に送ることも考えていると続いたので、海外在住の親戚か友人がいるのかとたずねると、そうではなくて金を払って世話をしてくれる施設にあずけることも考えているとのこと。デパートで販売されているドッグフードにまで毒を混入させにいく人間までいるといって、パッケージに注射針のあとが残されているドッグフードの写真を送ってみせるので、きみはもともと(…)に手作りの料理を与えるようにしていたのだし、とりあえず一ヶ月ほどそのまま様子見してみたらどうかといった。どうせ一ヶ月もしないうちに沈静化するのだからと、処理水の件を暗に踏まえていったのち、「こういうことをする連中は基本的にバカだから、悪意ですら長続きしないよ」「これまでもずっとそうだから」と続けた。インターネットである事件ないしは話題がクローズアップされる→一部の人間がそれに対して過激な行動をとる→それを真似する人間(賛同者および模倣犯)が続々と出現する→その熱狂的な雰囲気に社会全体が覆い尽くされる→「過激な行動」の非合理性・非科学性・非道徳性などが遅ればせながら共有される(場合によっては当局からの処罰がともなう)→沈静化する→一連の経緯が反省されないまま忘却される→また別の事件ないしは話題がクローズアップされる……というループを延々とくりかえしているだけ、ある意味アテンションエコノミーの極まった社会が中国なわけで、おそらくこの件も一ヶ月とはいわない、二週間ほどで沈静化するんではないかとこちらは見ているわけだが(事後に踏みとどまり思考し反省するまもなくまた次の濁流にのみこまれてしまう)、いずれにせよ、(…)さんは(…)が悪意ある第三者によって傷つけられる可能性のみならずいま現在進行形で殺されている野良犬や野良猫にも心を傷めているらしかった。「ここ数日よく泣いている目が腫れていますが、自分に何ができるかわかりません」「私の周りの友達はこのことについて特に気にしていません」「だから先生に話すしかありません」というので、この状況をおかしいと思わない人間がいることのほうがおかしいと言った。それでこちらもだんだんとイライラしてきて、「結局、みんな自分の頭で考えることができないんだ。政府が決定したことだから正しいとか、みんなやっていることだから正しいとか、そういうふうに思考停止してしまう」「こういうことが多すぎる。本当にうんざりするし、頭にくる」と、ちょっと危ない発言をしてしまった。で、これ以上続けると、いわゆる政治的に敏感な話題についてまで言及してしまいかねないから、頭を冷やすためにちょっとシャワーを浴びてきます、とやりとりを打ち切った。
 それでシャワーを浴びた。どうせまた熱狂するだけして一瞬で醒めるのだろう、それまで待つだけと思った。思いながら、これって人民の再帰的無能感がうらがえったかたちでじぶんにも感染しているということではないかと、ちょっとあやしんだ。それから、絶対に起きないだろうといわれていたプロテストが起きた一年前を思い、この国には知的に立派で誠実で倫理的なサイレントマジョリティもやはりいるのだと気持ちをあらためた、そう信じたいと強く思った。アルゴリズムの外に自力で到達した尊敬すべきひとびとを思う。

 一年生1班のグループチャットで明日教科書を持ってくるようにと通知を送る。それから「実弾(仮)」第四稿執筆。20時過ぎから23時前まで。シーン50の続き。いまひとつ集中できず。風景描写の書き直しにひたすら苦心する。
 VPNがいまひとつ安定しない。犬猫の件かなと思って微博をのぞいてみたが、トレンドにはあがっていない。「流浪狗」で検索したらいろいろ出てくる。検閲されているわけではないのかもしれない。しかしそれだったらそれで、こんなめちゃくちゃな問題が人民の興味を全然ひいていないということになるわけで、おまえらアメリカの動物園にいるパンダが痩せ細っているというニュースが話題になったときはこれでもかというほど米帝を叩きまくっていたのに、マジでなんなんだよと思う。少なくともモーメンツでこの問題に触れている学生はいまのところいない。
 夜食は貧乏ラーメン。具なし粉末スープなしの乾麺を茹でて鶏ガラとごま油だけで味付け。昭和一桁の頃の暮らしやな。0時にベッド移動。1班の学生の名簿と顔写真を見比べながら就寝。