20231023

 まず第一節では、関係、特に「関係性の危機」を問題にしこれを原理的に考察する。「関係性の危機」については、ギデンズ(1992)が、近代制度によらない(外部に参照点をもたず自律的な)個人とその関係性を「再帰的な自己」と「純粋な関係性」という概念で提示し、同時にそれがもつ困難を提示している。「再帰的な自己」とは、自分の行為をすべて自分がモニターしチェックし責任をもつような自己であり、「関係の純粋化」とは、誰かを選択することやその関係についての評価や責任を個人が引き受けることである。「関係の純粋化」は「再帰的な自己」の成立のもとで機能する。近代社会になって個人や個人主義は生まれたが、近代初期においては、それはパーソンズがいう「制度的個人主義」のように、個人は社会の中に役割を担うものとして組み込まれていた。例えばそれは、社会における役割として仕事を人々が担う、社会と個人のカップリングによる個人主義であった。これに対し、ギデンズが示唆するような「再帰的な自己」「関係の純粋性」においては、個人はそのような社会の要請から自立していく。ベラーが「表現的個人主義」とよぶような、仕事が社会における役割ではなく自己実現の道具として考えられていくこととなる。社会から自立するこのような個人主義再帰的な自己が引き受けるものとして「再帰個人主義」と呼ばれている。がギデンズが想定している再帰個人主義は、理想的なモデルでありエリート主義であって、理想的な再帰的能力をもたない嗜癖アディクション)に陥る自己を逸脱例として排除する。再帰個人主義を、ギデンズが考えるような市場からも自立したエリート的個人主義ではなく、嗜癖のような負の再帰性も含めたものと考えるなら、そして制度的個人主義から個人と社会のカップリングをフリーにしたものが市場であると考えるなら、「制度的個人主義から市場的個人主義」へという変化の枠組みで、ギデンズ的なエリート主義的再帰個人主義よりも広い範囲をもって再帰個人主義を定義し、その現在の様相を捉えた方が良いだろう。そのような定義のうえで、このような再帰個人主義および関係の純粋化のもつ問題を検討したい。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「若者たちのポストモダン的共同性」 p.33-34)



 8時過ぎに自然と目が覚めたのでそのまま活動開始。朝食はトーストとコーヒー。(…)から微信。契約書のサインについてnext Wednesdayにofficeに来てほしい、と。もともとは今週の水曜日という話だったのだから、この場合のnextというのは来週ということなのかと思っていちおう来月の1stかと確認すると、然りの返事。ちなみに「Since my leader went to Japan for visiting, your contract has not been yet」とのことで、leaderというのは(…)のことだろうか? for visitingとあるのは仕事? それとも用事? 旅行ではないのかな。よくわからん。ちなみにこちらの交通事故後の具合が問題ない点については、I breathed a sigh of relief to hear みたいな反応があり、あ、そんな表現があるんだと勉強になった。

 10時から一年生1班の日語会話(一)。第1課。授業前半の基礎練習は懸念していたとおりいまひとつ盛りあがらなかった(ただし、これはこちらの授業の段取りをまだ学生たちがそれほど理解していないという事情もある)。これは仕方ない。ここは遊びを設ける余地のないところなので。しかしそれならそれで、ここで習得する文型を用いた簡単にすぎる質疑応答をするのではなく、いっそのことで音読とわりきって復唱させるかたちにしたほうがいいかもしれないと思ったので、2班の授業ではそうしてみることにする。後半はアクティビティ。ここもやっぱりそれほど複雑なルールをもうけることはできない、必然的に子どもだましみたいな内容になってしまうのだが、意外なほど盛りあがったので、あ、こんなもんでいいんだ、と思った。これだったら今後もやれるわ。
 授業が終わったところで二年生の(…)くんと(…)さんのカップルが教室にやってきた。(…)さんがトイレに行くので、そのあいだトイレにいちばん近いこの教室で待機するとのこと。せっかくなのでN1の模擬試験の結果を褒める。(…)くん、ちょっと照れていた。
 教室を出る。ケッタに乗って第五食堂へ。しかし入り口が信じられないほど混雑している。しかたないので第四食堂にひきかえし、いつものようにハンバーガーをふたつ購入。なぜこの店を頻繁におとずれるかというと、ほかの店とはちがって昼飯時でも全然行列ができていないからだ。しかしひとつおもしろいことを知った。中国語でケンタッキーは肯德基であるのだが(学生たちはKFCと英語でいうことも多い)、このハンバーガーの店名は肯见基だった。要するに、おもいきりパクっているのだ。ハンバーガーができあがるのを待っている最中、(…)先生から着信があったことに気づいた。折り返し電話すると、今日の16時半から他校の日本語教師による講演があるという知らせだった。知らせについては数日前に(…)先生から聞いていたし、一年生と二年生と三年生、それから手の空いている教員全員を呼ぶことになっているので、こちらもスピーチの練習を途中で切りあげて参加するようにといわれていたのだが、講演のあとには夕食会もあるらしい。(…)学院長が(…)老师もぜひ参加するようにといっているとのことだったが(講演をする教員というのは(…)学院長が博士号を取得する際に北京で知り合った人物だという)、夕食会には(…)先生も(…)先生も参加できないという。講演をするのは中国人教師だと思っていたのだが、日本人教師だというので、これにはちょっとびっくりした。わざわざ他校の日本人教師がこんな僻地にやってくるのか、と。
 帰宅して食す。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年10月23日づけの記事を読み返す。

Story-writers are always talking about what makes a story “work.” From my own experience in trying to make stories “work,” I have discovered that what is needed is an action that is totally unexpected, yet totally believable,(...).
(Flannery O'Connor “Mystery and Manners”より“On Her Own Work”)

 ここを読んで思ったのだが、The Good Country Peopleの聖書売りの男が、物語の最後でああいう行動をとることになる展開を、オコナーはそこを書く直前までまったく予期していなかったとエッセイで書いていた。そういう意味であの展開は、読者にとってのみならず作者であるオコナー自身にとってもunexpectedだったわけで、だからこそあれほどなまなましい「豹変」の感触がともなうのだろう。おなじ感触はカフカの「判決」にもあったし、たぶんそれを踏まえて書かれているんではないかと初読時に思った木下古栗『ポジティヴシンキングの末裔』の、あれはたしか最初に収録されているものだったように記憶しているが、あるお宅を訪問した刑事がそこの住人である夫妻を突然拳銃で撃ち殺す短篇にも感じられた。
 2013年10月23日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。ちょっとした詩片のようなものが記録されているのだが、これは下にもあるとおり、マジでじぶんの手癖全開だなと思う。仮にこの詩片が他人の詩集に載っていたとしても、あれ? これ、おれが手癖だけで書いたやつじゃない? と絶対に気づくと思う。それくらい行間や言葉遣いにこちらの体臭がしみついている。

(…)これは(…)が滞在していたときにたしか書きつけたもので、それもきわめて不純な動機というかたしか(…)と例のごとくケンカをした晩、ベッドで(というか布団だけれど)仲直りをしようとたくらんでいるらしい相手の気配を察したはいいもののこちらはまだイライライライラしていたものだからだーれがその手に乗るものかよと、ぜんぜん書きものなんてする気分でもないのに意固地になってデスクにむかって座ってテキストファイルをひらいてなにやら書きつけているふりをすることで拒絶の意思をあらわにした、そのときほとんど自動筆記のように書きつけたもので、ものの数分で書きなぐったからこそであるのだろうけれどじぶんの手癖みたいなものがここに結晶しているというか、意味との距離感とかリズムとか比喩の重ねがけとかコノテーションのずらしかたとかまさしく典型的なじぶんの記述で、ほかのだれでもないじぶんの手垢にまみれた言葉の並びのように見えるのだけれどそれがはたして書き手当人であるじぶん以外の目にもそう感知されるものかどうかはわからない。

きみは演じることを忘れた役者で
おれは失うことを忘れた記憶のようなものかもしれない
筋書きだらけのあみだくじを縫い進む
たくさんの吉凶がきみの指先それぞれをいろどって
たとえばなしも追いつかないような出来事ばかりが結ばれる
いまだ孵化するきざしすらない卵をあたためて
受精する予定もない精子のようにさまよった
たくらまれた出来事のひとつひとつに偶然を見出して
この世の豊かさを保証するのがおれの仕事なのかもしれない

 14時半からスピーチ練習。三人分のテーマスピーチを通す。それから即興スピーチを「我慢」で一本だけやる。16時前になったところで、講演にそなえて練習中断。学生らは講演のあと、出席者らの前でテーマスピーチを発表する段取りになっているらしい。みんな緊張するという。特に(…)さんはクラスメイトの前で発表するのがプレッシャーとのこと(後輩にはどう思われようともいいらしい)。すでに何度か授業終わりの教室に乱入して学生らの前で発表した経験はある。ほかに外国語学院の門前で発表したり、(…)公园で通行人らを前に発表したりしたこともあるという。本番まで二週間を切っている現状、舞台度胸をつけるための経験の積み重ねに、(…)先生はすでに練習のシフトを移しつつあるのだ。その(…)先生はコンテストの当日、われわれに同行しないという。結石のせいらしい。引率教員はこちらと(…)先生のふたり。おなじ部屋で宿泊することになるのだったらちょっと気まずいなと思うわけだが、先方でも同様の考えらしかったので(学生らがそう言った)、当日の部屋割りはこちらと(…)くん、(…)先生と(…)くんとすることに。当日は電車移動でもなければバス移動でもない。大きくもなければ小さくもない車での移動とのこと。けっこう長旅になるかも。
 講演の開始は16時半なので、廊下でひととき日向ぼっこをする。一年生たちが続々と一階下にあるコロシアム型の教室に入っていく。上階に学生とならんで立つこちらの姿に気づき、下から手をふってみせる子らもいる。(…)学院長の姿も見かける。電話をかけながら廊下を歩いてくる(…)先生もいる。われわれに気づいて軽く手をふってみせるので、じゃあぼくらもそろそろ行こうかと階下に移動。くだんの教室の入り口から中をのぞく。教卓のパソコンの前でパイプ椅子に座っているチェックのシャツを羽織った男性の姿が目につく。あ、あのひとだな、と察する。五十代半ばくらいにみえたが、学生たちはみんな、若い! 若い! 三十代かもしれない! という。あんな三十代がいるかよと思うわけだが、(…)省の三十代男性は実際日本の五十代男性にみえることもままある。あーやだやだ、緊張するわ、と漏らすと、学生らがどうしてですかというので、(…)は外国人がほとんどいない地域でしょう? 日本人なんてぼくひとりだけでしょう? そんな場所で日本人と会うとなるとなんか落ち着かないんだよという。
 意を決して教室に入る。席はすでに大半が埋まっている。四年生は職業研修に参加中で大学にいない。教室に呼ばれているのは一年生から三年生まで(しかし三年生は全員そろっていなかったと思う)。こちらが教室に入ったのを受けて一部の学生らがなぜか拍手をする。くだんの日本人男性のところにいってあいさつ。(…)先生。日本人同士によるお辞儀の応酬に学生らがみんな笑う(そばにいた(…)学院長までわれわれの真似をする)。軽く立ち話をしたのだが、いまは(…)省で外教をしているとのこと(しかしのちほど(…)省の大学で働くのは来年の三月からであるという話があった)。(…)大学を卒業後、(…)大学に留学。さらにカナダに留学経験もあるということで、日本語も中国語も英語もペラペラ。両親のどちらであったか忘れたが、中国人らしく、「ハーフ」だといった(あるいは祖父母のどちらが中国人という話——つまり、クォーター——だったかもしれない)。年齢については秘密だと冗談めかして口にしたが、のちほど(…)歳であることが判明した。
 中央の前から二列目の席には二年生の(…)さんと(…)さんと(…)さんがならんで腰かけていた。先生! こっち! といって、じぶんのたちの前の席に座るようにうながすので、そちらに移動。(…)先生もこちらの左手に座る。のちほど遅れてやってきた(…)先生はこちらの右手に着席。日本語学科の教員はほかに(…)先生のみ。例によってほかの先生たちはこの手のイベントにまったく顔をみせない。講演がはじまってほどなく、全然見覚えのない女子学生が、まだ(…)先生のやってくる前だったが、こちらの右となりに着席した。女子学生はなぜかこちらにスマホの画面をみせようとしたが、すでに講演がはじまっていたし(そのときすでに(…)先生は学生らにスマホの使用を注意したあとだったかもしれない)、一瞥しただけで適当に流したのだが、のちほど講演が終わったところで微信を確認すると、彼女は一年生1班の(…)さんで、本来教師が座るはずの席にじぶんが着席してしまったことを詫びる文面をこちらにスマホで見せようとしていたことがあきらかになった。もちろん、そんなことを詫びる必要なんてまったくない。(…)さんはじきに席を移動し、(…)先生がほどなくしてやってきた。
 講演はまず(…)先生が(…)先生のプロフィールを日本語で説明するところからはじまった。スクリーンには「(…)」という簡素なドキュメントが表示されていた。(…)先生は「秘訣」を「ひけつ」と読んだ。それで合っているはずなのに、(…)先生は「ひみつ」だと横から訂正した(学生らのあいだで笑いが生じた)。おなじプロフィールをのちほど(…)先生でも読み直した。それから(…)先生がマイクの前に立ち、講演をはじめた。まずは自己紹介をあらためて日本語で行ったのだが、(…)という名字がどういう漢字であるのかを学生らに質問する、その質問の仕方ですぐにこちらは、あ、ダメだな、と思った。うちの学生のレベルにまったく見合っていない話す速度、センテンスの長さ、単語のセレクトだったのだ。それでも一部の既習者や三年生はぎりぎりついていくことができていたと思うが、その後、「(…)」というファーストネームの漢字を説明するにあたって「(…)」の「(…)」であると説明したのち(じぶんだったら絶対に「(…)」をチョイスするなと思った)、「(…)」は(…)の「(…)」であり(…)の「(…)」であるといったので、うん? となった。学内広報的なアレにのせる記事を作成する必要があるのだろう、となりの(…)先生はノートパソコンで講演内容のメモをとっていたのだが、このファーストネームの説明にあたっては、やはりうん? となっていた。こちらに目線をよこすので、ちょっとわからないですねと小声で応じた。さらに自分の年齢についていくつと思うかという質問が続いた。背後の学生らが18歳! というので、それは逆に失礼だよとこちらが指摘すると、(…)先生は胡麻を摺るジェスチャーをした。これはなんですか? これはなんですか? というのだが、そんなのうちの学生にわかるわけがない。介入したほうがいいのかなとやきもきしていると、英語ではapple polishというのだという説明が続いた。知らなかった。はじめて聞きましたと(…)先生も言った。
 講演内容はこれといって特別なものではなかった。というか、きわめてありふれたものだった。音楽やアニメなど興味のあることを利用して勉強しろとか、シャイな学生はじぶんでじぶんに質問してじぶんでじぶんに答える練習をすればいいとか、だいたいにしてそういうアレだ。しかし先にも書いたとおり、話すスピード(これはのちほど調整がほどこされた)、センテンスの長さ、単語のセレクトなどにかなり難があり、それにくわえて発音がちょっと妙だった。方言かなと思ったが、それにしてはあまりきいたことのない訛りだったし、出身は東京という話だった(その出身を説明するにあたっても、「(…)」とか「(…)」とかうちの学生が知っているはずのない地名をごくごく一般的な常識のように口にするので、うーんと思った)。ちょっと中国人っぽいというか、長音のほうはまだそうでもなかったのだが、促音がけっこう短くて拍足らずな印象。それでふと、もしかしてセミリンガル的なアレがあるのかもしれないと思ったりもした。いや、本当にセミリンガルであればこんな仕事はできないだろうし、そもそも第三言語である英語をマスターすることもできるわけがないのだから(英語の発音はめちゃくちゃきれいだった)、セミリンガルというのは妥当な表現ではない、そうではなくて日本語の発音に関しては中国語の影響をけっこう多大に受けているんではないかと思ったのだ。文法も初学者の学生相手に話すにしてはけっこうbrokenなところが目立ったし、文字数の決して多くないスライドにも間違いが目立った(先の「秘密」と「秘訣」の混同のほか、「はずがしい」という表記もあった)。だから、母語(の少なくとも発音にかぎって)はむしろ中国語寄りなのではないかと疑ったわけだが、実際はどうだか知れない。
 のちほど自分は学生らに厳しく接するタイプだと認めていたとおり、(…)先生はスマホをいじっている学生やあくびをしている学生を見つけるたびに、けっこうガンガン詰めていった。だから、開始早々、会場の空気はけっこうピリついた。ピリついたというか、それを通り越して、けっこうみんな引いていたんじゃないかと思う。率直にいって、これはちょっと嫌な空気だなァとこちらも感じた((…)先生が何度か、もう帰ってもいいですかとこちらに耳打ちしてみせたが、あの空気が耐えられなかったのだと思う)。同時に、想定していたよりもずっとレベルが低い、食いつきが悪い、そういう会場の空気に(…)先生自身、もしかしたらちょっとまずいと思ったところがあったのかもしれない、話のつなぎとフォローを求めるように、何度かこちらに話をふってみせた場面があったので、その都度彼の発言をもうすこしわかりやすい日本語に置き換えて学生らに説明したうえで、今日の会場は一年生が多いのでと(…)先生に補足したりした。もうすこしレベルを落とした話し方をしてやってほしいと暗にほのめかしたつもりだったのだが、(…)先生はめげずにおなじ調子でガンガン質問した。会場にいる学生の半分は一年生であるし、「それはなんですか」「これはなんですか」レベルの質問すらろくに聞き取ることができない。それにくわえて、学生のミネラルウォーターを手にとり、これはなんですかと質問をするのに、水ですと答える学生がいると、「水」は水道水のことであり、飲料水は「お水」というものだという謎の区別まで披露されて(となりの(…)先生がひそかに首をかしげる)、うーんという状況がしばらく続いた。先にも記したように、(…)先生ははやく帰りたがっていたし、(…)先生は途中からスマホをいじっていた(!)。そして(…)先生は序盤で中座した。
 (…)先生は途中で完全に中国語に切り替えた。それでちょっと安心した。学生らもようやく相手の話が理解できるようになり、微妙に笑いも生じるようになった。最前列に腰かけていた(…)くんがなにかの拍子に質問を投げかけられた。彼がそこそこ流暢であることに気づいた(…)先生はその後、なにかあるたびに(…)くんを指名して質問した。結果、(…)くんは伴奏なしで日本語の歌の一節を歌うはめにもなった。
 講演自体は一時間ほどで終わっただろうか。その後スピーチ代表が前に出てきてテーマスピーチの発表をおこなった。全員緊張しているようにみえた。タイムもいつもよりけっこうはやかった。

 講演が終わるなり学生らはいっせいに教室の外に去っていった。(…)先生は講演の終盤、来年もまた来ます、それまでに日本語でやりとりできるようにしっかり勉強しておいてください、ちゃんと勉強しているという話であればきっとまた来ますから、みたいなことを言っていたが、正直、ほとんどの学生はどうでもいいという感じだったと思う。ただひとり、一年生2班の(…)くんだけが微信の連絡先を交換していた。あとで(…)先生が見せてくれたが、専攻を日本語から歴史学に変えたいと思っている、しかし日本語の勉強は続けるつもりでいる、(…)大学の大学院に進学するのが目標だ、というメッセージを送っていた。(…)先生はスピーチコンテストに出場する学生らの発音について、(…)くんの「考えていた」だけがちょっとひっかかった、あとはおおむねだいじょうぶだったみたいなことを言ったが、これはちょっととってつけたような指導だった。あとできいたのだが、(…)先生は三人がスピーチをしているあいだ、最後部の列に移動し、スマホをいじっている学生らを注意していたらしい。だからスピーチそのものにはあまり耳をかたむけていなかったのだろう。
 (…)先生の案内で食事会の催されるホテルまで移動することになった。日本語で話していた序盤、学生たちはあまり理解できていなかったようだと(…)先生がいうので、半分が一年生ですからとフォローしたのち、ただこれでも五年前とくらべるとずっとレベルアップしたほうなんです、むかしはもっとひどかったものですからと応じると、(…)先生自身、四年生になってもあいうえおすらろくに言えないような大学に勤めていたこともあるといった。意外だった。今日の授業のようすを見ているかぎり、(…)さんの言う「放っておいても勉強する子たち」ばかりがいる一流大学にずっと勤めているひとなのだろうと思ったのだが、うちの大学よりもはるかにレベルの低いところでの経験もあるのだ。だったらなぜ途中で口語の水準を落とすという調整ができなかったのだろうと思ったが、レベルの低い大学の授業では日本語はほぼ使わず中国語で授業をしていたという話があったので、あ、なるほど、それでなのかと思った。それからうちの女子学生らについて、はなやかでかわいい子が多いみたいなことを口にした。これも意外だった。以前(…)さんから、(…)の学生は(…)の学生にくらべるとずっと芋っぽい、もっさりしている子たちばかりだ、やはり田舎の子たちという印象を受けると聞かされたわけであるが、それとは正反対の意見である。(…)先生曰く、北京の一流大学に入学する学生というのはだいたい田舎で勉強漬けの生活を送ってきた子たちばかりであり、本当に勉強すること以外なにも知らない、特に一年生や二年生はそうだ、三年生になってようやく勉強以外のことにも目が向きはじめるという感じらしい。それでいえば(…)さんも大連に移ったばかりのころ、学生らといっしょに散歩したり食事したりする機会が全然ない、学生たちはみんな授業がないときも遊ばず自習している、じぶんがいてもいなくてもおなじだ、教壇にじぶんが立つかわりに鶏を一羽置いておいても結果は変わらない、結局学生たちはじぶんで勉強してじぶんでぺらぺらになる、だからじぶんの存在意義をちょっと疑ってしまうと語っていた。
 三人で歩き出す。老校区から新校区へ移動。給料の話になった。(…)は経済状況がよくないから給料も少ないでしょうというので、学生たちもぼくの給料が10000元以上あると思っていますけどそんなにないですからねと受けると、え? 10000元ないの! とめちゃくちゃびっくりした顔でいうので、あがってあがってあがってあがっていまようやく8500元ですねといった。それは少なすぎるという反応があった。(…)先生は日本円で30万円ほどもらっているという(教授という肩書きもあるからだろう)。奥さんは(…)で外教をしているという話を講演前に聞いていたので、はなればなれなんですねとあらためて確認すると、秘密ですという前置きがあったのち、実は別れていますという返事があった。子どももいるという話だったが、小学生だったか中学生だったかで、年齢を差っ引いて考えると、けっこう晩婚だったのだろう(もしかしたら教え子の女子学生と結婚したパターンかもしれない)。母親もおととしに亡くなった、それで日本にある部屋もすべて売っぱらってしまったという話で、このまま中国に骨を埋めるつもりでいるようす。来月の三月から(…)省の大学で働くという話を聞いたのもこのときだったと思う。待遇がかなりよいらしく、寮は3LDKだという。新設される日本語学科だというのだが、新入生の数が30人未満であるところに教員が12人だったか13人だったかいるとのこと(ほぼ家庭教師じゃないですかと笑った)。のちほど食事の席で聞いたこともまとめて書いてしまうが、いまは観光ビザがなにかで中国に来ているらしく、二週間だったか一ヶ月だったか忘れたが短期の滞在で、中国にあるあちこちの大学をこうして講演してまわっているのだという。旅行費は当然各大学が出してくれる、それにくわえて報酬もあるというので、なるほどキャリアを積んでおり、かつ、肩書きがあり、かつ、いわゆる关系があれば、そういう稼ぎ方も可能なのかと思った。(…)には名義を貸しているという話もあった。(…)は大学院を創立しようとここ数年やっきになっている、しかし大学院創立にはいろいろな条件が必要だ、その条件のひとつにこれこれこういう優秀な人材がいるというものがある、そこで(…)先生を特別招聘教授とかなんとかそういうアレでもってうちに属していることにしてうんぬんみたいなカラクリらしかった。人脈の話もかなりあった。テレビ局、政治家、各大学、いろいろなところに知り合いがいるという。先の稼ぎの話も含めて、そういう話をけっこう臆面もなく口にするというか、はじらいも恐縮もなくあけっぴろげに語るあたり、やっぱりメンタリティがずっと中国人寄りだなという印象をもった。だからこちらができることなら本だけ読んで過ごしたいと話したときも、また京都時代に実際にそういう過ごし方をしていたことを話したときも、共感を寄せるようなそぶりはいっさいみせなかった。肩書きこそ学者ということになるのだろうが、学者肌では全然なく、とことんプラグマティズムのひとなのだ。
 授業準備がいそがしく、いまだに中国語は全然できないといった(本当は読み書きのせいだが)。いや、実際、授業準備にはけっこう時間をかけているほうだと思う。うちは「調済」で日本学科所属になった学生も多いので、ちょっとでも興味をもってもらえるようにいろいろ工夫する必要があって、それで準備にも時間がかかるのだというと、その甲斐あってかなり人気があるじゃないですか、教師が教室に入ってきただけで学生が拍手するところなんてはじめて見ましたよという反応があった(この話を(…)先生はのちほど(…)学院長や(…)の前でもくりかえし口にした)。まあそうだったらいいんですけどと受けると、うちの学院で一番人気のある先生ですよと(…)先生が引き取った。その(…)先生に対して(…)先生は途中からなぜか中国語で話しかけた。(…)先生はそれに対して日本語で相槌を打ったが、(…)先生はその後もなぜかずっと彼女に対して中国語で話し続け、あれ(…)先生が変に誤解していなければいいんだけどと思った。(…)先生の日本語はまったくまずくなどない、むしろ非常に流暢である。
 食事会の会場は外教のクリスマスパーティーを毎年行うホテルだった。(…)先生は辛いものも酒もダメ。こちらと同じだ。部屋に入る。(…)と(…)老师(国際交流処唯一の男性スタッフである彼が33歳であることをはじめて知った)が先着している。やや遅れて(…)学院長も到着。(…)先生は夜授業があるからといって、ほかの面々がかなり強引にひきとめようとするところをやはり強引に去った。となると当然、会話は中国語メインになる。交わされている話題がなんであるかだけはうっすら理解できる。(…)先生に話しかけるときは日本語、ほかの三人に話しかけるときは英語、単語でのやりとりは中国語というかたちでどうにか対処する。(…)の問いかけにこちらがNo problemsと応じる一幕があったのだが、その発音が日本式だと(…)先生がいうので、内心イラっとしながらもぼくのはJanglishですからと応じると、Jinglishだと訂正された。(…)学院長もおなじふうにいう。そうなのか? と思ったのだが、いまググってみたところ、JanglishでもJinglishでもJapanglishでもどれでもいいとあった。食事に出た魚はめちゃくちゃ泥くさかった。(…)先生はほとんど箸をつけなかった。先に記した大学の待遇の話、講演旅行の話、つまり、金にまつわる話はこのとき主に出た。日本語の発音に癖があること、それが中国語に由来するものではないかという疑惑が強まったのも、このときだった。(…)学院長は例によってこちらに結婚をすすめた。(…)のように現地人と結婚して家庭をもてというのだった。
 食事は一時間ほどで終わった。(…)学院長が車で寮まで送ってくれるというので、外国語学院に自転車を停めたままになっているので、そちらまで送ってほしいとお願いした。(…)先生は車内で、本当は(…)には来たくなかったのだといった。ほかの大学にくらべて報酬が少ないからだという(こういう話を率直に口にするところにやっぱり実利のひとだなという印象を受けるのだ、たとえばこちらが金の話をするときというのは常に多かれ少なかれアイロニカルな冗談の文脈にのせたうえでのことであるのだが、そういうメタ意識なしにベタに財産を誇りベタに貧窮を嘆く、そういうひとが中国にはたいそう多いという印象を受けるのだが、(…)先生から受ける印象もやっぱり同様だった)。(…)先生は何度もこちらが「明るい人」でよかったといった。だから来た甲斐もあるといった。中国語でなにやら口にするので、なんですかというので、「共同语言」といったのだといった。話が合う、気が合う、ウマが合う、そういう意味の表現らしい。興味があれば中国のほかの大学を紹介することもできると(…)先生はいった。その場合口添えひとつで給料をやや高めにすることもできるという。東京の日本語学校で働きたいのであれば、そっちに紹介することもできるといった。日本にある日本語学校は経営者が中国人であるケースが非常に多い、そことのパイプもあるからという話だった。(…)先生は食事会の席でも、将来外交官になる学生たちを専門に育てるコースとか、スパイになる学生たちが進学するといわれているコースとか、そういうところでの教育にもかかわったことがあるみたいな話をしており、これは要するに、じぶんには関係各所にいろいろなツテおよびコネすなわち关系があるのだというアレだと思うのだが、ときどきニュースになる邦人スパイ容疑で逮捕というのは、たぶんこんなふうにあちこちで自分の关系を吹聴してまわるひとなんだろうなと思った。
 ふたりに礼を告げて車をおりた。どっと疲れる。カフェイン切れによる頭痛のきざしもあったので、近場でとっとと摂取しようというわけで、(…)で食パンを三袋買ったのち、となりにあるCoCo都可で安いアイスコーヒーを買った。それで帰宅。ソファに半分横になりながらアイスコーヒーをがぶ飲みする。食事会の席で(…)先生からもとめられて連絡先を交換していたので、どうも今日はこんな僻地まで御足労いただきうんぬんと礼を送った。それから(…)さんの謝罪の微信に謝る必要はないと返信。二年生の(…)さんからはさっきの先生は厳しすぎるというメッセージが届いていたので、きみたちがあまりあの先生のことを好きじゃないということは会場の空気でわかったと返信((…)さんは肯定した)。新入生のなかにはあれでかえってやる気をなくした子もいるだろう。二年生と三年生についていえば、相対的にこちらの株があがったかもしれない。スピーチの面々からも今日の発表はどうだったかと感想をもとめるメッセージが届いていたので、緊張していたせいで全員少しはやかった、それからふだんの練習とことなり、(…)くんの声が大きく、(…)くんの声が小さくなっていたと指摘した。
 シャワーを浴びる。これまでも何度か思ったことがあるのだが、ろくに言葉の通じない初学者相手にそれでも直接法でやるという能力についてだけでいえば、たぶんじぶんはけっこう誇れるレベルにあるっぽい。能力が低くモチベーションも低い子らを相手に授業中あれだけ笑いをとって注意をひきつけることのできる教員はほかになかなかいないんではないか。そういう意味で今回の講演はけっこう自信になった。(…)先生は講演の直後、言語を中国語に切り替えてからは学生たちもけっこう笑っていましたよねとやや不安そうにこちらに確認した。それで、あ、やっぱり講演中、手応えのなさに若干不安を抱いていたのだなと思ったのだった。
 もういっぱい追加でコーヒーを飲み、今日づけの記事を途中まで書いた。23時過ぎに中断してベッドに移動。