20231114

 精神分析は、主体の他者先行性を第一に指摘している。ラカン(1966)は「主体とは他者である」と述べているが、それはマルクスおよび構造主義ポスト構造主義が述べるように、主体が社会構築的であるということを単に指すのではない。社会構築主義で問題になっているのは言説だけであるが、身体の統御、ミードのいう「身ぶり」、ブルデューのいう「ハビトゥス」は、まず「他者への同化」によって構成されている。そしてそれは主体の存立条件であり、言語はこの身体の構築の上でしか働かない。その例証となるのが自閉症であり、脳の能力的欠陥はないにも関わらず、先天的な身体欠陥のために、他者に同化する身体がまず構成されず、そのせいで言語も取得できない。
 このように、精神分析は主体が他者への同化という基底的構造をもっていること、そして言語という外在的社会的なものを需要するについても、この他者への同化という基底的構造を使用していることを指摘した。人間の文化・社会は、この基底的構造をベースに動いているのであり、現代社会の変容は、この基底的構造にとって重要な他者や身体を放逐していく。精神分析は、分析空間の中で、この他者の機能を喪失した人々に対し、人工的にこれを回復し、結果的に言語や文化という共同的世界を受容可能にするものである。
 次に、精神分析は、こういった「他者への同化の機能」が、無意識のレベルで人が気づかないところで動いていることを示唆した。これまで社会学は、その構造を指し示すことはなく、それが形象化されたマナ・カリスマ・価値・権力を対象にしていたのである。精神分析は、これを個人的なレベルで認識的に遡り、分析空間の中で人々に認識させることを可能にした。
 しかし、それは、実際には困難もはらんでいる。「他者への同化の機能」は、人が他者にもつ欲望や幻想のもとで、言語や文化の受容を可能にしているものであり、いわば他者から得られる快楽と真実の先送りによって構成されているもので、それは不可視であるがために機能している。それゆえ、それを認識してしまうことは、この機能を解体する危険をもっている。神の死によって近代社会が被った困難は、この困難である。精神分析はこれに対し、主体にもう一度自覚的に、自らの他者先行性を認識し受容させる。無意識的に機能していた他者の機能を、現実的な機能として、分析空間の中で身体的に気づかせるのである。とすれば、そこには、他者から得られる快楽と真実の断念の契機がある。精神分析は、これを「去勢」と呼んでいる。
 重要なことは、他者の機能を回復することで、主体に現実の変化と新しい知を受容し変化していく力を与えることである。文化は、何らかの形で、そして多くは他者の全能という虚構の幻想を維持しつつ、この他者の機能を保持しながら、言語や知を主体に受容させてきた。精神分析は、宗教のように新しく欲望の設定先を構成はしない。が他者の現実の機能を回復させようとする。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「「社会の心理学化」と臨床社会学」 p.247-249)


  • 10時から二年生の日語基礎写作(二)。「(…)」清書と「(…)」を返却。「(…)」の文集をグループチャットで配布したのち、おもしろ回答をピックアップして、ひととおりイジる。後半は「(…)」。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進める。“The Little Governess”を読んでいたのだが、うーん、すばらしいなとうなる描写がやはりある。たとえば以下。物語の主人公である女性がはじめて異国をおとずれるひとり旅の途中、boatから降りてtrainに移動するのだが、その際にやや強引なporterに捕まっている。そのporterに金を渡す場面。

She got into the train and handed him twenty centimes. "What's this?" shouted the man, glaring at the money and then at her, holding it up to his nose, sniffing at it as though he had never in his life seen, much less held, such a sum. "It's a franc. You know that, don't you? It's a franc. That's my fare!" A franc! Did he imagine that she was going to give him a franc for playing a trick like that just because she was a girl and travelling alone at night? Never, never! She squeezed her purse in her hand and simply did not see him–she looked at a view of St. Malo on the wall opposite and simply did not hear him. "Ah, no. Ah, no. Four sous. You make a mistake. Here, take it. It's a franc I want." He leapt on to the step of the train and threw the money on to her lap. Trembling with terror she screwed herself tight, tight, and put out an icy hand and took the money–stowed it away in her hand. "That's all you're going to get," she said. For a minute or two she felt his sharp eyes pricking her all over, while he nodded slowly, pulling down his mouth: "Ve-ry well. Trrrès bien." He shrugged his shoulders and disappeared into the dark. Oh, the relief! How simply terrible that had been! As she stood up to feel if the dress-basket was firm she caught sight of herself in the mirror, quite white, with big round eyes. She untied her "motor veil" and unbuttoned her green cape. "But it's all over now," she said to the mirror face, feeling in some way that it was more frightened than she.

  • 長々と引用したが、こちらが「うわ! すごいな!」と思ったのは、最後の《”But it's all over now," she said to the mirror face, feeling in some way that it was more frightened than she.”》という箇所。こんなに簡単なのに、こんなに印象に残る記述。すごい。
  • それからもうひとつ。早朝、眠りから覚めた電車の車内で窓越しに外の景色をながめるくだり。

She was just going to wake up, and she took out her silver watch to look at the time. Half-past four. A cold blue light filled the window panes. Now when she rubbed a place she could see bright patches of fields, a clump of white houses like mushrooms, a road "like a picture" with poplar trees on either side, a thread of river. How pretty it was! How pretty and how different! Even those pink clouds in the sky looked foreign. It was cold, but she pretended that it was far colder and rubbed her hands together and shivered, pulling at the collar of her coat because she was so happy.

  • ここですばらしいのはもちろん《It was cold, but she pretended that it was far colder and rubbed her hands together and shivered, pulling at the collar of her coat because she was so happy.》という箇所。《because she was so happy》のところが理由としてつながっているのかつながっていないのかわからない、そのあいまいな機微のところをしかし断言してしまう。すごいなァとただただ感心する。
  • 昼食は第五食堂。食後、記事の更新と読み返し。以下、2013年11月14日づけの記事より。ここで「(…)くんのツレ」として言及されている人物、これはきっと(…)くんだ。この日の記事がはじめてこちらの日記に(…)くんが登場した日なのだ。彼と実際に会ったのは『A』出版後だからもう少し先のはずであるが、彼の存在を書きとめた最初の日がこの2013年11月14日なのだ。

図書館では中島らも『バンドオブザナイト』を借りた。いまのアパートに越してから通うになった最寄りの図書館は以前通っていた館にくらべると格段に規模が小さくて陰気でぱっとせず利用者層の平均年齢もぐっと高い。(…)の来日する前日、着替えをほとんど持ってきていなかったこともあって(…)兄弟の案内で古着屋をぶらぶらめぐらせてもらったのだけれど、たぶん立川という名前だったと思う地方都市の主要駅みたいな駅におりてそこそこの人手のなかを歩いているときに(…)くんがここにある図書館はとても品揃えがいいといっていて、具体的にどういった固有名を挙げていたのかはさっぱりわすれてしまったけれどへーそんなの貸し出ししているんだと驚くような音源があげられていてさっすが東京と(…)くんの置かれた環境をいくらかうらやましく思ったりもしたのだけれどそうじゃなかった、思い出した、(…)くん自身はたしかその図書館に出かけることはあまりなくて(…)くんのツレだかか頻繁に利用しているとかいう話でフリージャズの音源なんかもけっこう揃っているという話だったのでへーマジかよと思ったのだった。それで驚いたことにその(…)くんの友人というのもこのブログを読んでいるらしくて、というのもそもそものふたりの接近がたしかtwitterだったかskypeだったかfacebookだったかわすれてしまったけれどネットまわりのなんかでその友人がこのブログに言及していたのかだったかどうだったか、そのあたり忘れてしまったけれどとにかくなにかしらの痕跡を手がかりにたしか(…)くんのほうからコンタクトをとってうんぬんという経緯だったはずでいずれにせよ男だったからいいもののこれで女の子だったらちょっとおまえなにひとの手柄横取りしてんだという話であってワイもマイミクほしい。

  • ちなみに、「ワイもマイミクほしい」とあるのは、この数日前、(…)からマイミクから告白されたというエピソードを聞いたから。何度でも書くが、こちらはドンピシャ世代であるにもかかわらずmixiをしたことがない。facebookもしたことがない。LINEだって相当遅れて導入した(中国に渡るおよそ一年前にはじめてスマホを買ったのだ)。Instagramもしたことがない。そのせいで「実弾(仮)」を書くのに部分的に難儀している。
  • 三年生の(…)さんから連絡。今日の夕飯を作りにいっていいか、と。(…)さんといっしょに行くという。以前(…)さんがこちらの誕生日にこしらえてくれたのと似たようなカニ料理を作ってくれることに。
  • 14時半から一年生2組の日語会話(一)。第4課。昨日なかなかけっこうしくじったわけだが、クラスのムードが悪い1組だからそうなったのだろうと思っていたところ、ムードのよい2組のほうでもけっこう中弛みする時間帯があり、あ、これは教案も悪いのだと気づいた。一年生であるから単純反復練習も必要だろうし、そういう練習を多めにするようにしているのだが、やっぱりもうちょっと歯応えのあるものも混ぜたほうがいいのかもしれない。アクティビティは設定をいくらかミスった。
  • パン買って帰宅。日記を書く。(…)さん、17時過ぎにやってくる。相棒の(…)さんは学生会の仕事で来れないとのこと。結果ふたりきりに。ひと目がやや気になる。階段をあがって部屋の前に到着したところでぼろぼろと泣きはじめる。ルームメイトに悪口を言われたという。边牧の(…)のために授業を休んで故郷に帰ったことを陰であれこれ言われた、と。先週運動会が開催されるとあてこんで帰省した結果、授業を二日間休むことになったわけだが、それについては母親にたのんで嘘の理由証明書的なものを書いてもらったとのこと。母親はじぶんの心情に対してとても理解があると(…)さんはいった。
  • キッチンに立つ。生きているカニをたわしで洗う((…)さんはカニを掴むことができない)。たまねぎと下味をつけた牛肉もカットする((…)さんは料理上手だと思うのだが、包丁さばきはそうでもなく、たまねぎをカットする手際だけでいえば、はっきりいってこちらのほうがずっと手慣れていた)。途中、彼女だけを部屋に置き残し、ひとりで第五食堂をおとずれて米を二人前打包。
  • メシはカニの蒸したやつと牛肉とたまねぎを炒めたやつ。後者を盛った皿の半分には米をよそってカレーライスのようにする。さらにこちらの皿にだけ彼女がセブンイレブンで買ったという半熟卵をのっけてくれる。(…)さんは半熟卵が嫌い。のみならずカニも嫌いだという。だったらカニ以外の料理にしてくれればよかったのにというと、今日は食欲がないのでこれでかまわないという。メシは冷めていたこともあってまずまずの味。うまいうまいといって食ったが、当然(…)さんは納得していない。
  • 食後、また泣き出す。じぶんのことについてなにか言われるのはかまわないが、犬や親のことまであれこれ言われるのは耐えられない、と。ルームメイトがきみの親の悪口までいうのかと驚いてたずねると、中国ではよくあることだという返事。女子寮は八人部屋。そのうち三人が仲良しグループでいつも他人の悪口ばかり言っている。三人は全員年下。(…)さんと同じ三年生であるが、まだ17歳か18歳らしい。中学校を卒業後、高校には進学せずそのまま(…)に進学した子らだという。教師不足の田舎で将来働くのであれば、高校も高考も免除してそのまま大学に進学することができるという制度の利用者だ。年上の(…)さんに対する敬意もまったくない。子どもみたいに他人の悪口ばかり言っている。彼女の仲良しであるはずの商務英語学科の(…)さんも17歳か18歳だったはずなので、もしかして彼女もその一味なのかと驚いたが、そうではない、彼女はただ4歳で小学校に入学したので(農村あるある!)年齢が若いだけだという返事。重度のうつ病に苦しんでいるルームメイトがいるという話を以前聞いたことがあるが、その正体は(…)さんであるという。例の三人組の陰口に傷ついて一週間寮にもどってこなかったこともあるとのこと。(…)さんも今日は寮にもどりたくないという。実際、朝から一度も帰っていないらしい。
  • (…)省に来たことを後悔しているとも言った。故郷である江西省の大学に進学していれば寮は4人部屋だったという。故郷から離れてしまったために犬にも会えない、家族にも会えない、それがつらいという。ちょっとホームシックの気があるらしい。外国語学院はひどい、英語学科を重視して日本語学科を雑に扱っているという、学生たちがしばしば口にする不満も聞かれた。
  • 途中、スマホに着信。出ずにすぐ切るので、出てもいいよ、ぼくはそのあいだとなりの部屋に行こうかというと、出なくてもいいという返事。元カレらしい。手首を切る原因のひとつにもなったというあの元カレだ。まだ連絡をとっているのかというと、じぶんからはとっていないという返事。元カレは二歳年上。四年以上付き合っていたが、元カレが院試に挑むというのをきっかけに別れた、しかし院試に成功したあと向こうからよりを戻そうとたびたび連絡するようになってきたという。(…)さん、こちらの知るかぎりかなりの依存体質であるので、なんだかんだで結局元鞘になるんじゃないかと思う(そもそも本当に相手のことを鬱陶しく思っていたら、相手の微信も電話も設定で拒否することができるはず)。恋愛はもうしたくないという。彼氏がいたときは家族を大切にしていなかった、でもいまは家族が本当に大切だ、家族と少しでも長い時間いっしょに過ごしたいと続けるので、おなじ精神疾患を抱える身であっても(…)さんとはまったくシチュエーションが違うなと思った。家族という理解者がいるのであればもろもろずっと容易だ。中国人の男は全部最悪だというので、そんなことはないだろうと否定する(しかし本人は最悪だといってゆずらない、こちらとしては「中国人の男は〜」と雑にカテゴライズしたものを思考のユニットとしてあれこれ価値判断する考え方そのものにどうしても抵抗をおぼえるのだが)。女の子は女の子で面倒臭いと続けるので、犬猫のほうが人間より一緒にいて楽なのは確かだなと受ける。
  • ほか、(…)さんが請け負っている学生会の仕事は賃金が発生するという話もあった(とはいえ、月額300元ほどらしいが)。(…)さんは(…)先生の息子に英語を教えるバイトをやめたという。準備時間がかなり必要であるのに対して報酬が少なすぎる。それにくわえてプレッシャーもあるから。
  • 途中、鉄鍋から炎がたちのぼる一幕があった。テーブルで向かい合って雑談している最中、(…)さんが一度キッチンにたってすでに洗い終えた鍋に油をそそぐのがみえた。そのあとその鍋をクッキングヒーターの上にのせたので、あ、鉄鍋の保護のために洗い終えたものにいったん油を敷いて熱するみたいなやつをやってくれているのかなと思ったのだが、その後彼女が席にもどってきてほどなく、炎がメラゾーマのように燃えたつのがガラス戸越しにみえたので、おいおいおいおい! となってあわててキッチンに立ったのだった。(…)さんが鍋に蓋をかぶせてことなきを得たが、仮にすぐそばのカーテンに燃え移っていたら大変なことになっていた。
  • 熱しすぎた油が酸化して真っ黒になっていた。とんこつラーメンにぶちこむ黒い油みたいなやつ。それのにおいがかなり強烈だった。換気扇をまわして油を捨てて鍋をたっぷりの洗剤で洗ったが、全然とれない、部屋中に充満している。これはもしかしたらクローゼットの服にもしみついたかもしれない。
  • 20時半前に部屋を出る。女子寮まで送る。道中、電動自転車に2ケツした女子学生がこちらを追い抜きざまに「(…)せんせー!」と叫び残していく。暗闇なのでだれかわからない。声がちょっと四年生の(…)さんに似ていたので、(…)さん? と叫びかえすと、(二年生の)(…)でーす! という返事。
  • 女子寮前で別れる。文具店にたちよってゴミ袋を購入。帰宅後シャワーを浴び、コーヒーを飲みながら食後のチョコレートケーキを食す。(…)さんは海鮮類だけではなく、甘いものもあまり好きではないらしかった。