20231115

 近代社会において主体の行為の自由の基礎となっている「自己決定」とは、様々な衝動や欲望の調整体としてある主体が、自己保存をめざして自己に長期的に有利な決定をとるものと期待される責任行為であり、それは親のような保護主体からの自立の条件を含意しているし、一方社会から期待される行為や役割に対して自己の衝動や欲望を抑圧したり遅延・調整する責任ある行為として考慮されているだろう。そして精神分析的にいえばこの自己決定性の増大とは、近代になって超自我的社会が主体を外からコントロールする状態から、主体自身がこの拘束を逃れて自己コントロールを増す段階への移行を意味し、さらにはフロイトのいう「昇華」によって、諸衝動自体がより知的(科学的)な活動・行為へと変形され安定していく過程をさしているといえるだろう。またテクノロジーの進歩や生産性の増大によって、諸衝動の充足が可能になり抑圧があまり必要ではなくなり、また科学の発展が人間の認識を向上させ、超自我的な社会装置は不要になった、新しい時代の適応過程として存在しているものだろう。
 「自己決定」は近代初期、ブルジョワジーによって、自己コントロールを阻害するような超自我的社会システムの解体をめざして政治的意識的に求められてきたものだが、一方でそれは知的・科学的な認識の向上によって可能となる能力ゆえ、「自己決定」能力を高めるため社会が要請した知的・科学的認識を「他律的に」受容させうる、近代的な超自我システム——規範システムも伴ってきた。これに対しテクノロジーと科学がより進歩し、より無意識的な充足とその調整によってコントロールが可能となり、近代初期規範システムそのものも不必要となってきた今、ネオリベラリズムはさらにこの規範システムの無効を言い立てている。しかし、確かに現在この規範システムが無効であり、社会システムの欠陥から生まれる現実の問題に抵抗できる力を構成するためにより強力な規範システムを回帰構築させようとする議論が時代錯誤であるとしても、現在構成されている自己決定能力がいかにシステム依存が強く知的科学的能力としては低いものであるかについてはやはり充分認識する必要がある。現在のネオリベラリズム的な自己決定性の主張においては、この能力の質は十分意識されておらず、現在構成されている、システム依存的であり無意識的な処理を中心とする自己決定能力の内部から、この現在の社会の中で自己決定性において知的科学的な抵抗性をはたして構成しうるのかどうか考える必要がある。でなければ「自己決定」の主張は、種々の社会的変数の結果でしかない「決定」を「自己決定」として、社会的なシステムの不備を自己の責任になすりつける政治的なイデオロギーとして機能する可能性をやはりもつだろう。
 ここで自己決定能力の構成そのものが問題となるのも、そもそも主体の「自己決定」とは、結局の所、原理的に「他者決定」でしかないからである。実際には主体は環境から無意識の諸衝動に対する影響を常に受けておりそれによって行為は「決定」され、でありながら主体はそれを自己の恣意的な選択であることとして誤解しているにすぎない。ラカンがいうように主体は「他者」の決定を自己の決定として「誤認」するだけである。とはいえそれでは主体性がまったくないかといえば、自己の諸衝動のコントロールや知的能力の向上によりフロイトのいうより現実的な判断が可能になることも否めない。しかしその能力そのものが他律的に構成されるものであるため、昨今の倫理についての議論が問題とするように、自己決定の問題は発達的にも構造的にも「自己決定行為(および自己決定能力)の構成」という問題を抜きには語れない。
樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床社会学』より「自己決定性の増大がもたらす宗教的外傷について」 p.257-259)


  • 10時前起床。三年生の(…)さんから微信。きのう作った料理は失敗だった、じぶんは完璧主義者なのでどうしても納得がいかない、また夕飯を作りにいっていいか、と。今日から運動会含めて五連休なのでよしとする。
  • 以前も書いたかもしれないが、日記を書くにあたって学生の名前の前にいちいち律儀に「◯年生の」と書いているのは、後日なんらかの必要があって古い記事を読み返す必要が出た場合、彼女らが当時何年生であったかをいちいち計算せずすぐに確認できるようにするためである。
  • 外出するのがめんどうなので昼飯はトースト三枚ですます。きのうづけの記事を投稿し、2022年11月15日づけの記事を読み返す。(…)市内の空気が一変した日。それまでにもPCR検査が定期的に行われるようになったり、大学内外の出入りが一時的に厳しくなったりすることはあったが、この日、完全にムードが切り替わった。中国の、それも北京や上海や深圳や重慶や広州などではない、外国人がそもそも全然いない内陸の片田舎に新型コロナウイルスがどのように広まったか、そしてそこでどのような対策がとられたか、それを管理する側の目線からではなく現地で過ごす人間の目線から日本語で記録したドキュメントはほぼ存在しないと思う。そういう意味ではこちらの日記にはいちおう資料的な価値がいくらかあるといえるのかもしれない。以下、混乱の一日の一部。

 食後のコーヒーを飲みながら午後の授業の事前チェック。(…)先生から微信。(…)区の小中学校および幼稚園が今日の午後から休校になったという。そういう状況なので(…)も今後どうなるかわからないとのこと。オンラインになる可能性もあるかもしれない。生活用品や食べ物などもある程度用意したほうがいいかもしれないというので、だったら授業前にちゃちゃっと万达に行って冷凍餃子とインスタントコーヒーだけでも買っておこうかなと思ったが、いやでも大学だしな、学生だって大量にいるわけであるし仮にロックダウンになったところで食糧の配給が滞るということはさすがにないんではないか、コーヒー豆もまだ一ヶ月分ほどはあるし、仮にそれが切れたとして、さらに淘宝で購入するのが難しい状況になったとしても、いざとなれば(…)先生のいうように第五食堂そばの瑞幸咖啡で豆だけ買うこともできるかと、そういうふうに考えて、結局、買い出しにはいかないことにした。
 感染者は今回あちこちに散在しているという。(…)市内だけですでに何十名も出ているというので、え? そんなに多いの? とちょっとびっくりした。(…)先生曰く、高速道路のSAで働いているスタッフが農村にウイルスを持ち帰る→その農村の住人が(…)市内をあちこち移動→それがきっかけで感染拡大という流れらしい。
 そうしたやりとりの最中に(…)市から正式な告知が出た。正午ぴったりのお触れだというのだが、市民全員可能なかぎり外出するな、公共交通機関の使用を控えよ、みたいなアレだった。マジかよ。ロックダウンというわけではない模様。しかし今後はどうなるかわからない。

(…)13時半をまわったところで身支度を整え、バッグに必要な資料や道具をすべて収納し、さてぼちぼち出発かなという構えをとったのだが、14時をまわったところで(…)先生からふたたび微信。本日午後よりすべての授業をオンラインでするようにとのこと。これはつまり、30分後にひかえた授業をいきなりオンラインでやれというわけで、マジでいい加減にしてくれというほかないのだが、これが中国なのだ。文句をいっている暇などないし、文句をいうべき相手も誰だかわからない。

 (…)先生にふたたび連絡をとる。封校によって学生らは大学の外に出ることができなくなったという話を聞いたわけだが、教師はどうなのだろうかと気になったのだ。大学の外に住んでいる教師も原則としてキャンパス出入り禁止ということになったという返信がほどなくして届く。マジか。前回とは全然違う。詳細は(…)先生のほうが知っていると思うというのですぐに(…)に連絡する。こちらの質問に直接答えるのではなく、グループチャットに対する通知というかたちで、南門は封鎖されているが北門は通り抜けできると(…)がいう。なるほど。しかし通り抜けにはこれまで使っていたのとは別の許可証が必要とのこと。カードは(…)経由で(…)の手元に渡っているという。(…)がまたキレる。なんでもかんでも通知が遅すぎる、と。教室に到着したあとでオンライン授業だといわれる、北門から外に出ようとしたところで許可証が必要だといわれる、いったいどうなっているんだ、と。そりゃあこっちだって同じ気持ちだし、たぶん(…)や(…)だって同じだ。しかし(…)にしたところで、われわれ同様、なにもかも突然お上から知らされたのであろうことは、中国社会の長いわれわれであればいい加減理解できるのでは? 実際、(…)はオンライン授業の知らせも許可証の知らせもすべて(…)と同じタイミングで知ったのだと弁明した。やれやれ。

 部屋にもどる。メシを食う。(…)から微信が届く。in my opinionとの断りつきだが、メシなり生活用品なりを買っておいたほうがいいという。マジで? 大学だから食いっぱぐれることはさすがにないだろというこちらの考えはやはり甘いの? (…)先生からも同じ助言を受けたことであるし、これはやっぱり買い出し必須かなと思うのだが、しかしこのタイミングで万达などに出向けば、それこそ濃厚接触者になる可能性もクソ高いのでは? というかそもそも(…)のような巨大なスーパーでは買い占めが発生しているのでは?
 (…)先生からまた微信が届く。大学の出入りには許可証が必要らしいというので、すでにもらったと受ける。(…)先生からもいま食料品を買っておいたほうがいいといわれたので、やはり(…)に行ってみることにします、すでに完売状態かもしれませんがと続けると、野菜や肉は今日の午後ほぼすべて売れてしまったらしいという返事。こちらとしては冷食の餃子とカップ麺と、あとできればインスタントコーヒーの備えがあれば十分かなという感じであるのでそう伝えると、(…)のクラスメイトの母君がコンビニを経営しているので在庫を確認してみようかというありがたい申し出。話がぽんぽん進む。

(…)さっそく家を出る。キャンパス内を大荷物で移動する人影を複数目にする。しかしどれもこれも学生には見えない。もっとずっと年がいっている。食堂で働いている人間かもしれない。封校期間中、大学内外の出入りは極力禁止されるため、食堂の従業員らは大学の中の空き部屋かどこかで寝泊まりすることになった——そんな筋書きを勝手に想像する。そのために布団だの着替えだのを家族に門前まで運ばせたのだ、と。

 北門から外に出る。カードの提示は特に求められなかったが、中に入ろうとしている車は守衛につかまってなにやら言い含められているようだった。ケッタをぶっ飛ばす。まずは万达までまっすぐ向かう。万达の最寄りの交差点に達したところで右に折れ、そこからまたしばらくまっすぐケッタをぶっ飛ばす。途中の路上で行列を見かける。行列の先端には小さな仮設テントがあり、防護服のスタッフがパイプ椅子に腰かけてる。街中のNAT検査だ。政府の指示によって呼び出された住人たちだ。大都市だけの風景だと思っていたものがついにこの内陸部の田舎にもやってきたのだ。

 支払いをすませて店を出る。外で少々立ち話。おばちゃんが無料でミネラルウォーターを二本くれる。(…)先生は遠慮する。こちらはいただく。オンライン授業がどの程度続くかは(…)先生にもわからないという。ただし以前よりはロックダウンにしても隔離にしても厳格ではなくなっているという兆候があるにはあるらしい。(…)はまだずっとマシなほうですというので、都市部に比べたらこれまで平和すぎるくらいでしたもんねと受けると、それもあって(…)人は油断しすぎていた、外出するときも全然マスクをつけない、だから今回一気に広がることになったのだと(…)先生はいった。ちなみに新疆では感染者が0人であるにもかかわらずもう三ヶ月以上にわたってロックダウンを続けているらしい。完全にコロナ対策とは別の政治的意図が働いている。

(…)またケッタをぶっ飛ばして大学まで戻る。北門の守衛に今日もらったばかりの許可証をみせるが、ものすごく偉そうな態度でQRコードを読み取れ! と指示される。この田舎のどん百姓が! 感染拡大の危機にあるいま、しょっぱい使命感に駆られて、まるで兵士長にでもなったかのように態度がクソでかくなっているのだ! こういうカスがでかい権力をたまたま手に入れた結果デジモンワープ進化してプーチンになるんだよな。南門の守衛を見習えといいたい。あのおっさんはこちらを完全顔パスで自由に出入りさせる。職務を完全に放棄しているのだ。

 執筆中もいろいろ通知がある。まず21時半ごろに(…)先生から微信。(…)区内の感染者7人だったか8人だったかの過去三日間の行動履歴が発表されたという。リンクを踏んでのぞいてみると、何日何時にどの店にいたかすべてがこまかく記載されているのだが、そのなかのひとりが裏町にある火鍋の店でメシを食ったらしくて、あれ? これまさかこのあいだ(…)くんといっしょにおとずれたところじゃないだろうなと思った。今日の午前中の時点では(…)区内の感染者は1人きりだったらしい。それが一気にここまで増えたので、しかも全員がバラバラに行動しているので、感染拡大はしばらくまぬがれえないだろう。となるとやはりオンライン授業が続くわけだ。くそったれ
 22時すぎに(…)からも同様の微信が届く。(…)区内のHigh Risk Areasが20箇所公開されたのでそこをおとずれていないかチェックしてくれとのこと。執筆中だったので返信を後回しにしていたところ、玄関の扉をノックする音がして、あれ? もしかして騒音トラブル? と思いながら出ると、(…)と(…)夫妻だった。ふたりとも医療用マスクを装着していた。どうやら(…)にたのまれてこちらがHigh Risk Areasを過去三日間おとずれていないか確認してくれと頼まれたらしい。パン屋くらいしか行っていないよといったん応じるも、のちのちバレたらまずいかなと思い、あ、でもきのう学生と火鍋の店に行ったわと伝える。裏町にある店だというと、当然ふたりの表情がおおいに曇る。店の名前はというので、わからない、ベルトコンベアに食材がのっかっているタイプの店だという。学生に連絡して店の名前を確認してくれというので、いったん部屋にひっこんで(…)くんに電話。店の名前は(…)だという。ふたたび玄関に出てふたりにそう伝えると、そこだったらだいじょうぶだ、our favorite placeだと(…)が笑っていう。礼をいって扉を閉める。

 書き忘れていたが、今日は日中、学生からもいろいろと連絡があったのだった。まず(…)くん。封校になったという話をわざわざこちらに知らせてくれた。告知があったときたまたま大学の外にいた学生らはみんな外のスーパーで大量の食品を買い込んだとのこと。先生もしばらく万达でコーヒーなど飲みにいかないほうがいいですよという。(…)さんからはオンライン授業は钉钉でやりますかという質問。今日一年生の授業でアプリがうまく作動しなかったのでたぶん別のアプリを使いますと返信。(…)さんからも同様の質問があった。続けて、日本でもオンライン授業が行われているのかというので、コロナ発生当初はそうだったけどワクチンがいきわたってコロナの毒性が弱くなって以降はそうでもないと思う、学校も会社も通常通りになっているところがけっこう多くなっているはずと答える。都市封鎖はまだ一度も行われていないというと、中国はいつも都市を封鎖していますと不満気な絵文字を添えていう。だから外教がみんないなくなってしまうんだよなというと、先生はどうなんですかというので、大学の外に出れないことにかんしては別にどうでもいい、でも春ごろの上海みたいになったらさすがに帰国を考えるかもしれないというと、春ごろの上海? というまさかの反応。これなんだよな。「四月之声」すらもはやなかったことになっている、というか中国人の多くはマジでよその省(都市)はよその省(都市)、うちはうちという考え方が残酷なまでにインストールされていて、そのことをこちらはしょっちゅうおそろしく思う(しかしそんな学生たちはしばしば、「東京のひとは冷たいですか? 日本人は冷たいですか?」という質問をよこすので、こちらはそのたびにけっこう困ってしまうのだ)。あとは最近よくやりとりする(…)さんからも安否を問う連絡が届いた。こちらのモーメンツを見て、(…)が封鎖されたことを知ったらしい。食料品などを送ろうかというので、だいじょうぶだ、問題ない、と返信。

  • 14時前から16時半まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン53を見直し、そのままシーン54も終わらせる。すなわち、第四稿脱稿。合計1068枚。このまますぐに第五稿にとりかかりたいところだが、今学期の授業が終わるまでいったん執筆を中断するかもしれない。というか、構成を部分的に練りなおしたり、挿入しそこねている記述だの情報だのをどこに加えるかについて検討したり、漢字のひらきをあらためて確認したりしたい。来年中にはリリースできるかな。前々から計画しているとおり、「実弾(仮)」は個人サイトにて無料配布(PDFおよびEPUB)するつもり。というか、個人サイトをいちいちたちあげるのも面倒なので、ミュージシャンが使っているスマートリンクみたいなサービスを利用して、自作のダウンロードページへのリンクだけはりつけるのもいいかなと思っている。興がのれば、『S』も『A』も同様に配布体制をととのえる。『S&T』はボツ。
  • しばらく中断とかいっておきながら17時まで「実弾(仮)」のシーン1を少々いじってしまう。その後、第五食堂で打包。仮眠はとらずに入浴。そのままデスクにむかって「(…)」の添削。(…)さんの両親が離婚していることをはじめて知った。しかし今年母君は再婚、継父はたいそうやさしい人物なので(…)さんもよろこばしいとの由。(…)さんは大学入学後に日本語を勉強しはじめた子だが、発音はかなりきれいだし、文章もめちゃくちゃうまい。本人がその気になれば、来学期、既習組を抜かしてスピーチ代表になる可能性もゼロではないよなと思う。スピーチは正直どっちでもいいが、作文コンテストには応募してほしい。
  • (…)さんから微信。明日は(…)くんと(…)くんといっしょに部屋に行っていいか、と。なんちゅうメンツや! (…)くんは日本語が達者であるからまだ理解できるにしても、(…)くんなんてひらがなはぎりぎり読めるがカタカナはまったく読めない悲しきモンスターやど! 以前ふたりを食事会に誘ったことがあるのだが、そのときは彼らの代わりに結局(…)さんを招待することになった、しかし一度誘ったのであるからやはり約束は守りたいという。費用も全部自分で出すというので、みんなで割り勘すればいいでしょうと受けると、ふたりを長いあいだ待たせてしまって申し訳ないからという返事。そんな理由で高い材料費をひとりで負担する必要はないという。(…)くんにしても(…)くんにしても金を払わずにメシだけ食うとなったらかえって食事を楽しめないだろうと続けると、ふたりはそう考えているようすはないとのこと。「誰もが先生と同じようにいつも他人の気持ちを考えているわけではありません」「でも、それは私にとっては問題ありません」「私にとっては自分の約束を果たすだけなので、コストがかかるのは当然です」と続く。食事の席でひとりがほかの全員の分をおごるのは中国の文化だという。しかしそれはおっさんおばさんの話であって、いまの若い子たちはふつうに割り勘するのでは?
  • 話はそれでいったん終わったのだが、23時過ぎにふたたび「先生、ちょっと相談したいことがあります」と連絡。「実は彼ら一人一人に10元出してもらうと言った。 野菜を買うには100,200元必要だからです。」「しかし、彼は黙っていて、野菜を買うのが高いと思っていました。 お金をくれるつもりはありません」「その後、私は彼らがお金を出さなくても大丈夫だと思いました。」「でも、今考えてみましたが、少し不愉快だと思います。 私は無料の乳母ではありません。」「私はもともと不愉快ではありませんでしたが、彼らと議論している間、彼らはあまり私を相手にしてくれませんでした。 だから、私自身が乳母のようだと思いました。」などというので、いやそりゃそうやろ、さっきおれはずっとそれを言うとったやんけと思う。だったら明日の食事会は中止にすればいいといった。ふたりは結局10元だけ支払ったようであるが、10元なんて端金では食堂でもろくなものを食うことができない。金も出さないし料理もしない男子学生がふたり、金と時間をかけて食材を用意した(…)さんがキッチンで一生懸命たちはたらいているのを横目に、食うものだけ食ってほかにもなにもせず悪びれるふうでもないという図はいくらなんでもグロテスクすぎる。こちらに急用ができたという理由をつければいいから食事会は中止であるとふたりに伝えなさいという。すると、ミルクティーをおごってチャラにするというので、いやそれもおかしいだろと指摘する。「中国の男性の多くはそうらしいです」「何事も女の子にやらせているが、当たり前だと思っている。」「心から恐れています」などと言いつつも、なぜかお詫びのミルクティーは譲ろうとしないので、そもそも建前としてはこちらの都合で中止になったということにするのであるから、仮に詫びをいれる必要があるのだとすればそれはこちらからだろうという話であるし、当日ドタキャンでお詫びであればまだしも前日のこの時間帯でキャンセルという話であればそもそもそんなことをする必要もない。(…)さんとしては、ここでミルクティーでもおごってカタをつけておかないと延期というかたちにふたりが受け止めかねない、そうなったら結局別の日に男子学生ふたりのために不愉快な気持ちでメシを作らなければならないと考えているふうだったので、そんなもん部屋の主人であるこちらが突っぱねればいいだけの話だ、それにそもそも手切れ金のつもりでミルクティーを贈与したところで相手がそれをそういう意味でとらえるともかぎらないと伝えたのち、仮にむこうから今後食事会を催促するようなことがあったらそのときは事前にこれこれこれくらいの予算が必要であると説明し、くわえて(…)先生が割り勘にすべきだと言っていると伝えればいいだろうといった。とにかくここでミルクティーをおごるというわけのわからない行動をするなと、それは相手を甘やかすことになるしきみが舐められる原因にもなると、そう伝えたわけであるが、しかし本心はもうすこし別のところにあって、つまり、なにかあるたびに金をばら撒くのを彼女にはやめてほしい。(…)さん、こちらの見立てではかなり貢ぐタイプなのだ。ことあるごとに金銭や物品で解決しようとする傾向がちらちら見え隠れする、そうしたふるまいがどうしてもこちらには気になる。だから、けっこう戒める口調で、道理の通らない贈り物なぞする必要はないと説いたのだが、なんだかんだで明日になったら詫びのミルクティーをふたりのところに贈っているんじゃないだろうかという気もする。
  • というかそもそもなんで(…)くんと(…)くんのふたりやねんといまさら激しく疑問に思ったので、きみが彼らと親しくしているところなんて見たことがないんだけどと前置きしたのちその点たずねてみると、「先生と生徒の風評のためには、女の子だけが先生のところに行かないほうがいいと言われたからです」「彼らとはそれまでほとんど連絡を取っていませんでした」「他の人がゴシップをしないようにします」「でも、今はこれらは全然重要ではなく、好きな人と一緒に食事をすることが大切だと思います」とあって、ああそういうことねとなった。まあこちらとしても(…)さんが夜遅くたびたびうちに差し入れをもってくる件については人目が気にならないこともなかったわけだが、しかし「女の子だけが先生のところに行かないほうがいいと言われたからです」というのは、いったいだれに言われたのだろう? 英語でいうところの it is said とか they say みたいなニュアンスで書いてよこした文章なのかもしれないが(というか正確にいえば翻訳アプリを噛ませた文章だろうが)、なんとなく、クソタヌキこと(…)先生の顔が思い浮かび、その瞬間、おれの私生活にごちゃごちゃ口出ししてくんなよクソ野郎が! てめェはろくに仕事もせんくせによォ! と気持ちが荒ぶり、というかそもそも女子ひとりはダメで男子ひとりはオッケーっていうのもたいがいアレやろがと思うところもあって、「ぼくは他人がなんと言おうと気にしない。こういう噂話をする人間は、どんな些細なことでもすぐに疑うものだよ。放っておけばいい。」「ぼくの部屋には女子学生がひとりで遊びに来たこともあるし、男子学生がひとりで遊びに来たこともある。でも、それでその学生たちに文句を言う人間がいるのであれば、ぼくが直接代わって反論する。」「ぼくはそういうくだらない人間が大嫌いなんだよ。」と指先にピオリムをかけて即レスした。
  • しかしこれで今後、本当にどこかから注意されることがあったら、それを理由にもう仕事をやめちまうのもいいかもなとも思った。ま、その場合は立つ鳥下痢便撒き散らす式で、怠慢クソ教師どもの面子も全部粉々に砕いてやるつもりだが。
  • 明日は結局、(…)さんがひとりで来るのか、それとも食事会そのものが流れたのか、そういえばよくわからんままであるのだが、それはそれとして、(…)さんは(…)さんでけっこう思い込みの激しい子であるから、(…)くんと(…)くんのリアクションを誤読している可能性もあるんだよなァとちょっと思った。(…)くんについては正直どんな子であるのかさっぱりわからんが、(…)くんについてはそもそも過去に恋人がいたこともあるし、なにより日頃のおっとりとした物腰と発言の数々から受ける印象からは、(…)さんが叩きまくるような男尊女卑思想に凝り固まった人物ではないように思うのだが。中国では数年前から上野千鶴子が大流行りしているし、ネット空間上で男女の分断がすさまじいという話もよく聞くし、女子学生らと交流するなかでも実際ここ数年中国人男子のことをまとめて悪様に口にする言葉もけっこう頻繁に聞く。こちらはフェミニズムそのものは支持するし関連著作もまとめて読みたい気持ちがずっとあるのだが、それとは別に、いま女权主义で盛りあがっている若い女性らの口にする批判的言説のなかにある種の粗雑さがあることは間違いなく、そしてその粗雑さというか大雑把さのなかに、壁の中の情報を絶対的正義と信じて疑わず壁の外側に战狼を仕掛ける人民らの態度と共通するものが見え隠れするときがあり、それにちょっとひっかかりをおぼえてしまう(とはいえ、これについては、フェミニストを名乗りながらとんでもない差別的言説を平気で垂れ流しているTwitter(X)アカウントなどに対しても同様におぼえる違和感なのであって、中国国内に限定するべきではないのかもしれない)。
  • 添削をすべて終えると1時過ぎだった。やはり時間がかかる。今日づけの記事も書き、2時半になったところで寝床に移動。