20240125

 ペイパルの創業者であり投資家として知られる、ピーター・ティール氏も投資家=逆張り的な生き方をすすめている。ティール氏は社員の採用面接で「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」と聞くそうだ。多くの人が信じる「常識」の裏に隠された「逆説的な真実」を発見すること。そして、「逆説的な真実」を少数精鋭の仲間たちと共にテクノロジーを通じて実現すること。このような逆張りがビジネスを成功させる秘訣だとされる(『ゼロ・トゥ・ワン』、ちなみに日本語訳の解説は瀧本哲史氏)。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 夜、間借りの一室できのうづけの日記を書き、1年前と10年前の日記を読みかえす。2014年1月25日づけの記事に、同僚であり先輩である(…)さんから引き継ぎの際、資格試験も終わったしモンハンもクリアしてしまったしライトノベルでも書いてみようかなと打ち明けられている。そんな話、すっかり忘れていた。(…)さんは声優とアニメが好きだという。10年前にたしかに交わしたやりとりであるのに、まるではじめて耳にしたかのように、ええー! と声をあげてしまった。以下はそのやりとりに続く記述。

(…)さんにはかつて、というか(…)さんにも(…)さんにも、あるいは(…)にも(…)にもかつていわれたことがあるような気がするのだけれど、いちど変名でもなんでも使っていいからおもいきり売れ線の小説をねらって書いてそれでぼろ儲けしたらいいんじゃないの、それでそのあとはもう売り上げも生活も気にせずじぶんの好きなものを書いたらいいんじゃないのと、そんな提案をされたことが少なからずあるのだけれど、それってでもねらってできることなのかと問われればかなりあやしいと思うし、まずじぶんにはそんなものは書けないだろうという確信が、矜持や意地とは無縁のところではっきりとあって、つまり、そのような作品を構成する文体も習得していなければ構成能力も習得していないじぶんという現実がまずあるわけで、とてもシンプルに技術的な理由から、それはできないだろうと思う。仮にそれに近いものをもし書くことができるとすれば、それは批評的意識を作用させたうえでの執筆を経由してかろうじてなされうるものとしてであって、つまり、ありがちな御涙頂戴な物語、たとえば結核時代の文学にその起源を見てとることもできるいわゆる「難病モノ」にたいするパロディを実践するつもりで、必要最低限の肉付けと骨子のきわめて精確な踏襲という「ゲームの規則」にしたがいながら書けば、案外それっぽいものもできてしまえるんでないかという気もするのだけれど、ただ仮にそのようなパロディックな批評意識のもとで書いたつもりの作品が、しかしシリアスに、そしてベタに受け取られてしまって、しかも反響を呼びおこすということになった場合、じぶんとこの社会との関係は完全に変質してしまうんでないか、そしてその変質はどこまでもそらおそろしく、完璧に不気味な、一種の死刑宣告としてこの身におそいかかるのではないか、そんな不安を先取りして覚えないこともない。ツッコミ待ちで放りだしたつもりのボケがだれにもツッコマれずに受け流されてしまうとき、受け流したそのひとびとの姿さえもがこちら側したらツッコミ待ちの姿勢をとったボケのようにみえるだろう。じつにグロテスクな光景だ。感動的な物語(のパロディ)に感動するひとびと(のパロディ)。世界すべてがこちらの目にはパロディとして映じ、それでいて彼らのほうではいたってシリアスなのだ。狂気と正気をわけへだつ境界線が社会の見えざる手によってひかれるのはおそらくここにおいてである。

 (…)さんのおもしろエピソードも記録されていた。このこともすっかり忘れていたので、「最後の勝負」のくだりで、声をあげて笑った。

(…)さんが朝から弱っているようにみえたのでまたパチンコに負けたのだなと思った。(…)さんも(…)さんもいくらすったかしらないというのだけれど、給料日の二日後にはすでに500円貸してくれとたのまれたと(…)さんはいうし、どうもまたもや全財産なげうってしまったんでないか、今月中に1000円返してもらうのはたぶん無理だろう、(…)さんにいたっては5000円も貸しているのだからじつに気の毒な話だ、そう考えながら帰りぎわの(…)さんをとっつかまえてじぶんたち二人しかいない状況を利用して問いつめてみると、やはり先日パチンコにいって全額すってしまったらしかった。来週には(…)さんの財布を管理しているお姉さんのところにいって、自転車を盗まれてしまったからという名目で15000円借りにいくつもりだというので、家賃やら光熱費やらは(…)さんの給料が銀行にふりこまれた瞬間にお姉さんがあらかじめ確保しているという話であるし(まるで子供みたいなあつかいだ)、また食料にかんしてもやはりそのお姉さん家族が面倒を見てくれているという話でもあるので、まあ15000円あったらひと月どうにか乗り切れるだろうと、なにも無理をいっていますぐ5000円((…)さん)+1000円(じぶん)+500円((…)さん)返してくださいとはいうまいと、そう考えていたのであったのだけれど、当の(…)さんはそんなこちらの気遣いなどつゆしらず、これがやな(…)くん、今度のこの15000円がワシ最後の勝負や、これでもうあかんかったらワシ今後パチンコいかへん、これが最後、まあ楽しみにしとって、(…)くんいっつも腹減った腹減ったいうとるさかい、もう客の残りもんなんか食わんでええようにやな、ワシがうまいお好み焼きごちそうしたる! にひひ! と、歯のぜんぜんない口で笑って去っていったので、駄目なジジイだなー! あいつー! とこちらもつられて笑ってしまった。一連の会話を(…)さんと(…)さんに報告するとふたりともあきれ顔の苦笑いで、もうちょっと先のこと考えて行動せえへんのかなと(…)さんがこぼすのに、まあ先のこと考えるひとやったらそもそもひと殺したりしませんしね、とじぶんと(…)さんのどちらからともなく応じた。

 このくだりを書いている最中に思いだした。(…)とおとずれた源氏の湯の休憩室で(…)さんそっくりの男を見かけたのだった。店内にある改札みたいなゲートを通り抜けてすぐだった。ベンチに腰かけている白髪の巨漢が目についたのだった。角刈りにしていた時代の(…)さんそっくりだった、というかこちらは本当に(…)さんだと思った、だから「(…)さんおるやん」とかたわらの(…)に告げた。(…)は爆笑しながら「白人やん!」と言った。たしかに白髪の白人男性だった。でもそう言われてもまだ(…)さんにしか見えなかった。(…)はこちらの「(…)さんおるやん」という声がひそめられていたのを指摘し、本当に本人だと思っていたのだなと笑った。(…)さんがいまどうしているかは知らない。なんとなくコロナで死んだんじゃないかという気がする。

 (…)にある和食屋の(…)で昼飯を食うという話だったので10時に起きた。きのう眠りについたのは5時をまわっていた。(…)には去年の夏休みにもおとずれている。店は兄経由で知ったらしい。兄と(…)ちゃんが結婚すると決まったとき、両家の親同士がはじめて顔合わせをしたのもこの店だという話だった。刺身と天ぷらと煮物と他こまごまとしたものがひかえめな重箱三段になっていて1600円ほど。安すぎる。
 帰路は(…)で古着を見る。THE NORTH FACEのダウンジャケットばかりならんでいる。THE NORTH FACEはいつからこんなに人気ブランドになったのか。こちらが学生だった時分、THE NORTH FACEはいまのようなポジションになかった。ダサいとまではいかないが、二番手だった。もうすこしいいブランドのものが欲しいけれども買うことができない、そういうひとが手を出しているというイメージがあった。それがいまでは大人気だ。古着でもダウンジャケットは四万円近い価格がついている。なにも買わず手ぶらで店を出る。セブンイレブンでコーヒーを買う。ファミマでうんこをする。
 (…)が庭に面した窓のそばで横になっている。日差しを顔面に浴びたまま居眠りしている。帰宅したこちらにまったく気づかない。死んでいるんではないかと怖くなる。手をのばす。目がひらく。庭に出たいようすだったので、体を抱きかかえて起こしてやると、その拍子にうんこが二つ三つころころと転がりだす。庭ではあるかなしかの雪が降っている。太陽が照っているので、雪が大きめの雨粒みたいにみえる。間借りの一室から毛布を一枚もってきて、居間のカーペットに直接横になる。庭からもどってきた(…)もそばにくる。そうして『世界泥棒』(桜井晴也)の続きを読む。5時間睡眠だったのに全然眠気がおとずれない。72ページに「自分の知らない部分なんてけっきょく知らないままに放置しておくしかなくて、そこになにかいいこととかわるいこととかを持ちこむからへんなことになるんだよ、きっと、わたしたちが知らない部分にまでわたしたちの勝手で手をのばそうとするなら、わたしたちの知っているそのひとのべつの部分を延長させて埋めるしかないんだよ」という記述があり、これは一人称でありながら一人称の圏外にまではみでるこの作品の語りに対応していると思うし、モノローグであれば独り言として処理される「だろう」および「のかな」が文末にくる文章がダイアローグで明確に相手に対する問いかけとして機能させられている(たとえば172ページの「百瀬くんになにをされたんだろう」「百瀬くんがそう言ったのかな」)点とも響きあう(つけくわえるなら、この作品には鉤括弧を用いたダイアローグは存在せず、会話はすべて地の文に埋めこまれている)。こうしたもろもろを、テーマとしてときおり姿をみせる他者性の一語のもとにたばねて読む筋もあるだろう。
 キムチ鍋を食べたあと、ソファで一時間ほど眠る。入浴後、間借りの一室で第19課の改稿にとりかかる。前回の反省点としてアクティビティのテンポが悪くなってしまったというメモが残されている。あたらしいアクティビティがどうしても思いうかばない。クサクサした気分になって指輪をみる。17号の指輪はややブカブカでこころもとないので、落下防止+重ね付け用の15号の安い指輪をZOZOTOWNでポチる。