20240129

 最近、「勇気づけられる」という感想をよく見かけるようになった。小説や映画の売り文句としてもよく使われる。この言葉を目にするたびに、どっちの「勇気づけられる」なのか、と思ってしまう。自分と同じような考えと出会って、自分の「常識」を再確認して「勇気づけられた」のか。それとも、自分のなかにある「常識」を打ち破って、世界を根本から思考することを「勇気づけられた」のか。もちろん、人間にはどちらの勇気も必要である。頭を働かせるためには、休ませるときも必要だからだ。とはいえ、どうも自分の「常識」は正しかったという安心感を、「勇気づけられる」と表現する人が多い気がしている。
(綿野恵太『「逆張り」の研究』)



 正午起床。階下には弟と(…)の姿のみ。母からじきに電話があった。父とそろってスーパーで買いものしているという。なにか必要なものはないか、と。ふたりが帰宅したところで、弟の用意してくれた餃子ほかを食す。今日は暖かい。めだかの鉢をのぞくと、稚魚のみならず成魚まで水面近くにやってきていた。
 ポチったコートがとどいていたので姿見の前で着てみる。全然似合っていない。Mサイズなのにぶかぶかだ。まるでてるてる坊主のようだ。すぐに返品することに決める。ほかにいいコートはないだろうかとまたネットでいろいろ探してみたが、どれもこれもしっくりこない。
 コーヒーを飲みながらきのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、一年前と十年前の記事を読み返す。以下は2023年1月29日づけの記事より。

(…)夏目漱石『行人』に着手。たぶん15年くらい前に読んでいるはずなのだが、まったくといっていいほど内容をおぼえとらん。以下、大阪にいる岡田とその妻お兼さんのところをおとずれた「自分」(二郎)が、その後、三人そろって電車に乗っている場面。二郎と夫妻は対面する格好で座席に座っている。

 岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直(まっすぐ)にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪(こちら)へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。

 ここは本当にすごいなァとため息をつく。まず、相手に何か質問をされるも、その意図がつかめないまま適当な返事をしてしまうという、いわば日常生活あるあるみたいなものをちゃんとすくいとっている点(そしてそのようなふるまいをとってしまう二郎の反応から、彼が夫妻とのあいだにある種微妙な距離を感じているように察せられる点)。さらに、「岡田の意味」が解らなかったということを、「自分はただ「結構です」と答えた」という記述の前後にさしはさむのではなく、お兼さんの二度目の質問(補足)のあとに続ける、つまり、後出ししているという点。そして最後に、このくだりより前に、夫妻がことさら大阪を誇るような言葉を口にしているわけでもなければ、大阪の目新しい風景描写が重ねられているわけでもない、しかるがゆえに読者もまたこの岡田の「どうです」の意味にはじめまったく見当がつかない、そういう造りになっているという点。なんでもないやりとりであるにもかかわらず、ものすごく経済的かつ凝った書き方をしているのだ。漱石はマジでこういうのがうますぎる。さらっと書き流しているようにみえて、実はめちゃくちゃ技巧的であるし革新的である、みたいな。びっくりするわ。

 『存在論的中絶』(石川義正)もとどく。いや、とどいたのは昨日だったかもしれない。日本にいるあいだはなるべく図書館で借りた小説をたくさん読むつもりでいる。買った本は中国にもっていく。
 (…)を連れて(…)川へ。父のレザーダウンを借りる。元々は6万円だか7万円だかするのをセールで買ったもの。サイズが合わなくなったのでやろうとずいぶん前に言われたのを出かける直前に思いだしたのだ。こちらにとってもけっこうきつい。前を閉じるとほとんど肉襦袢みたいになる。しかし暖かい。荷物になるので中国にはもっていかない。(…)川ではまた(…)と会った。遠くからわれわれめがけて茶色い弾丸のように駆けてくる。驚いたことに(…)までもがちょっと走りかけた。歩くのはふらふら、立っているのがわりとやっとのあの(…)が、むこうから駆けてくる(…)の姿を認めるなり、自身も駆けだすそぶりをみせたのだ。(…)はまるで猫みたいに(…)と鼻と鼻をちょんっとあわせるあいさつをした。そしてすぐにこちらの胸に飛びこんできた。血便がまじっているので散歩のあと病院に連れていくという。今日も旦那さんのソロプレイだった。小さな容器にいれた燻製のかけらをたくさん(…)にくれた。さすがに一瞬のダッシュで力を使い果たしたのか、(…)はその後ほとんど歩かなかった。一瞬とはいえひさしぶりに若いころにもどったみたいだった。夜、母とそろっておむつを穿かせようとすると、ぐるるるるるとうなってみせたので、コラ! と叱った。そんなところまで若返りしなくてもよろしい。
 夕飯はカレー。入浴後、間借りの一室で書見。『盗まれた遺書』(仙田学)読み終わる。仕掛けがたくさんある作風なのは表題作だけだった。「肉の恋」「乳に渇く」「ストリチア」あたりはわかりやすいが(「盗まれた遺書」もふくめてフェティッシュ・部分対象・移行対象あたりのタームで雑に語ることもできそう)、「中国の拷問」は一読しただけでは作品の輪郭(世界観や設定)をつかむことすらあやうかったので、寝る前にもういちど読みなおした。収録作のなかでは「盗まれた遺書」がベストだと思う。
 CWS創作学校のウェブサイトに「作家インタビュー第1回 仙田 学」(https://cwsnet.co.jp/books/_02/_01)があったので、これも読んだ。
 そのまま『落としもの』(横田創)へ。ひとまず「お葬式」だけ読んだが、びっくりした。言い方がかなり雑になってしまうが、こんなに普通に読めてしまう小説も書いているんだ、と。