20240418

 空間、空気といったものは、それに馴れていない人間はすぐにその異質さや特殊さを感じることができるけれど、馴れている人同士のあいだでは言葉としてうまく言うことができにくいし、そういう空間や空気であることをつい忘れてしまう。
保坂和志『小説の誕生』 p.196-197)



 6時15分起床。トースト二枚とコーヒー。8時から三年生の日語文章選読。「キラキラする義務などない」の残りを片付けたのち、「卒業生のみなさんへ(2019年)」。後者については自分がかつて書いた文章であるし、京都時代の思い出に触れた内容もふくまれているので、必要最低限の解説だけ事前にこしらえておきさすればあとはどうとでもなるだろう、即興でおしゃべりするかたちでも十分成立するだろうとたかをくくっていたのだが、さすがに調子にのりすぎた、準備がおろそかだった、途中でだらしなく間延びしてしまった。反省。やっぱり準備は必要。ゴダールが好きな映画監督を三人挙げろという質問だったかに「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたみたいなエピソードがあったように記憶しているけれども、授業に必要なものはなにかと問われたら「準備、準備、準備」にマジで尽きる。準備にかけた時間がかならずしもプラスに働くとはかぎらないが、少なくともマイナスに働くことだけは絶対にないと断言できる。
 三年生は労働節の連休明けに、あれはどういう名目だったろうか? たしか口語実践演習みたいなアレだったと思うけれども修学旅行みたいな感じで遠方に出かけるのがならいで、ゼロコロナ政策がまだ生きていたころは旅行の代わりに(…)市内にとどまって(…)市の文化だの歴史だのを日本語で紹介する動画を制作するというつまらない企画にたずさわることを余儀なくされていたわけだが、今年は例年どおり旅行することに決まったらしい。目的地は西安。現地には一週間ほど滞在するというのだが、(…)からバスで12時間かけて移動するとのことで、いやそれは地獄やなと思った。先生もいっしょに来てくださいとC.Sさんから言われたが、こちらは大学に残って一年生や二年生の授業をしなければならないので無理!
 授業を終えて教壇の荷物を片付けていたところ、次の授業でこの教室を使う英語学科の学生らが続々とやってきたのだが、見慣れない日本人であるこちらのようすをやや遠巻きに観察しているのがひしひしと感じられて、しかし話しかけてくるわけではない。たぶん三年生だろうなと思う。一年生や二年生であればもっとひとなつっこいというか、すれていないところがあるので、好奇心から話しかけてくる場合が多い。
 となりの教室に移動したのち、便所で小便をすませる。便所から出たところで二年生のR.Hさんとばったり遭遇。最近毎日のようにばったり会うねというと、たぶんyou3yuan2ですという返事。発音から逆算して「有缘」かと推測、縁があるねと応じる。
 10時から一年生2班の日語会話(二)。第14課&第15課。きのうの1班の授業と同様、重複をおそれず簡単な質問をとにかく連発しまくる。「好きなスポーツはなんですか」とかそういうレベルのもの。それでもまともに答えることのできない学生はかなりの数いるし、既習組にしても「週に何回くらいしますか」とか「何年くらい続けていますか」とか続けるとだいたいみんな口ごもってしまう。口ごもらせるくらいでちょうどいいのかなとちょっと思った。これまでは相手が口ごもってしまうような質問は相手の発話意欲(自信)を喪失せしめる可能性があるのでよくない、なるべくだれでも答えることができるような簡単な質問にとどめたほうがいいという方針でいたのだが、むしろそれは逆効果だったかもしれない、簡単すぎるというアレで一部の学生を退屈させてしまっていたかもしれない、優秀でやる気のある学生を相手にする場合は歯応えのある質問をガンガン投げてやったほうがいいかもしれない。ちょっとそのあたり今後も意識してみよう。
 しかしまあよかった。先週——じゃないわ、先週は病気で伏していたのだから先々週か、先々週の一年生の授業は両クラスとも失敗だったのでひさしぶりにたいがい嫌ンなった、もうこの仕事もぼちぼち潮時かなと思ったものだったが、今週でちょっともちなおした。おれはこのレベルの学生相手によくやっているよ、本当によくdealしているしhandleしているとあらためて思った。学生のモチベーションが低い、教員のモチベーションも低い(かつ教員同士の仲がおそろしく悪い)、給料が少ない、日本人どころか外国人がマジで全然いない——一般的な外教やったら裸足で逃げる環境やで! 引っ越しするのがめんどうくさいというただそれだけの理由でこんな僻地に五年六年勤めとる人間まずおらんやろ!
 昼飯は(…)。瑞幸咖啡でアイスコーヒーを打包して帰宅。30分の昼寝をとったのち、14時から17時すぎまで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34の後半を延々といじくる。別に全然むずかしい場面ではないのだが、なんとなく文章がつるつると流れすぎてしまっている気がしてしっくりこず、起伏をもうけるための記述をどうにか挿入することはできないだろうかと延々とあたまを悩ませてしまった格好。悪い癖が出ている。つるつるはつるつるのままでもかまわないのが「実弾(仮)」という小説のstyle(スタイル=文体)ではなかったか?
 夕飯は第五食堂で打包。食後、チェンマイのシャワーを浴びる。ここ数日、外気にくらべて室内の温度がずっと高く感じられていたので(ときどきエアコンをつけるほどだった)、今日は雨降りであるし花粉もそれほど飛散していないだろうというアレもあり、ひさしぶりにキッチンと阳台の窓をあけて風を通した。空気が入れ換わるとあたまの冴える感じがする。二酸化炭素の濃度が下がるからだ。
 コーヒーを淹れて、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。「実弾(仮)」の初稿があがったのは2022年4月18日らしい。いまから二年前。初稿は865枚。第五稿現在、総枚数は1100枚をうわまわっている。しかし改稿だけで二年かけているのかと考えると、おれもたいがいやなとさすがに苦笑せざるをえない。シャワーを浴びている最中、なんとなく決定稿は第十稿くらいかなという見通しを得たのだが、単純計算であと二年か。
 2014年4月18日づけの記事には「携帯電話の液晶画面に流れてくる一行ニュースにガルシア・マルケスの訃報があって、まだ生きていたのかとそちらの意味でびっくりした」という記述があった。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は21時だった。明日の日語会話(四)で行うディスカッションの内容を考えてまとめる。それからふたたび「実弾(仮)」第五稿作文。23時半までカタカタやってシーン34の最後を大幅に加筆する。
 寝床に移動後、Katherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読み進めて就寝。