20240419

 宇宙というとき私たちは、宇宙の中にふわふわ浮かんでいるボールのようなものをイメージしているだろう。しかし宇宙というのはそんなものではない。ではどういうものが宇宙のイメージか? 宇宙は私たちが地球儀みたいに視覚像を持てるようなものではない。視覚像とはそれに似たものによって代用することであって、宇宙は他の何とも似ていないのだから、宇宙をイメージできる像はない。つまり、宇宙について考えるということは、視覚像が拒絶されるということを経験することでもある。
 人間は視覚によって把えることができるけれど、人間の一生は視覚によって把えることも視覚によって代用可能なイメージを作ることもできない。しかし私たちは人間の一生をイメージできる視覚像を持っていないことに関して、何も不思議に思わないしもどかしさも感じない。そしてそのとき、私たちは「人間の一生の外」という言葉を使おうと思わない。
 宇宙も世界も存在している仕方は人間の一生とは全然違っているけれど、それを代用する視覚像がないということだけは人間の一生も宇宙も世界も同じであって、だからそれに対して「外」という言葉は使えるはずがない。
保坂和志『小説の誕生』 p.228)



 8時15分起床。トーストとコーヒーの朝食。ケッタに乗って外国語学院に向かう途中、南門から少し離れたところにひとりぽつんと立っていた警備員が緑色の細い棒を持っているのが目につき、朝顔の鉢植えにぶっさす支柱みたいなもののようにみえたのだけれどもまるで釣り竿を構えるようにして持っているしその棒の先端も錘がついているかのようにぐにゃりと弧を描いているしで、ちょうど茂みのそばに立っていたこともあって、え? もしかしてキリギリス釣りでもしとんけ? と思った。しかし近づいてよく見てみると釣り竿でも園芸用の支柱でもなく、警備員のおっさんが手にしていたのは茎の長い雑草で、あのな、ええ年したおっさんがなんで仕事中に道端の雑草ちぎってぶらぶらさせとんねん! 童心に返りすぎやろ!
 しかしキリギリス釣りなんて遊びがあることをずいぶんひさしぶりに思いだした。キリギリス釣りをしたことはしかしない。実家にあった昆虫図鑑でそうした捕獲方法があることを知ってはいたが、子どもの時分のこちらはそんなまわりくどいことなどせず、草むらがあったら直接手ぶらでつっこんでいってキリギリスでもバッタでもカマキリでもなんでも手づかみしていたのだ。
 キリギリスといえばSはキリギリスのことをいつもスイッチョンと呼んでいて、いかにも田舎くさいその呼び名を現役で使っているその時点でけっこうおもしろかったのだけれども、当時クラスメイトだったJという名前の女子のことを、あいつかわいいけど正面から見るとちょいちょいスイッチョンにみえるよなと不意にこぼしたことがあり、あれはけっこうおもしろかった。ちなみにキリギリス=スイッチョンは「実弾(仮)」にも登場させている。
 あと、これを書いているいまふと思い出したのだが、Sは中学に入学するまでずっと、ニガーが黒人の蔑称であるように、スタローンは白人男性の蔑称であると勘違いしていた。
 外国語学院に到着する。駐輪場のそばでスタローンことJがぶらぶらしながらタバコを吸っていたので、Good morning! と声をかける。Long time no see! に続き、How are you? とあったので、先週体調を崩して数日間授業を休んでいたと受ける。風邪だったのかCovidだったのかわからないけどというと、WHOがどうのこうのというので、うん? とききかえすと、WHOがあらたなワクチンがどうのこうのみたいなことを苦虫をかみつぶしたような表情でいうものだから、ああ、また陰謀論の話かと適当に流した。いちおうわれわれの契約書には授業中政治や宗教に関する内容については触れてはいけないという文章が盛り込まれているわけだが、Jはああいうタイプであるしどうなんだろ、学生ら相手に微妙ににおわせたりしているのだろうか? コロナについてもアメリカの生物兵器だのWHOのprojectだのわけのわからんことをこちらの前で語ってみせたことがかつてあったわけだが、たとえばコロナウイルスアメリカ政府やアメリカの製薬会社による兵器であるとするタイプの陰謀論は中国政府にとってはむしろ好都合なわけであり、となると授業中にそういう話をJがしたとしても別段おとがめなしで済んだりするのかもしれないが、とはいえ英語学科の学生にだって当然VPNを噛ませて西側の情報を仕入れたり西側の価値観をひそかにインストールしていたりする学生が決して多くないだろうけれどもいるはずであって、そういう学生がたとえば、R.Hくんがこちらとふたりきりのときに西側視点での政治の話をしたがるように、Jに共感をもとめてアプローチをすることもおそらくあると思うのだが、その場合に返ってくるのはしかし、とにかく反アメリカ的な言説であればどれほど荒唐無稽なものであっても鵜呑みにしてしまうある意味平均的な中国人よりも極端でやばいスタローンのガンギマリになった饒舌であるわけで、それはなかなか困惑するだろうなと思う。

 10時から二年生の日語会話(四)。ディスカッション。テーマは「連休の過ごし方」と「大学の改革案」。前者の選択肢は「旅行」と「帰省」と「寮でゴロゴロ」、後者の選択肢は「食堂の無料化」と「自習の中止」と「寮のひとり部屋化」。まあまあ盛りあがった。今年の労働節の予定についても質問してみたが、旅行もせず帰省もせず大学に残るという学生の数がおもいのほか多かった。理由としては高铁のチケットをとることができないからとか、调休のせいで連休が短いからとか、そのあたりが挙げられた。一方で、たしか瀋陽の大学といっていたと思うが、16日連休を実施する大学もあるらしい。信じられない。あと、おなじ(…)省内でも(…)大学は例年调休なしでがっつり連休を採用しているとのこと。
 今日の授業はめずらしくR.Kさんが休みだった。遅刻は多いが、欠席はめずらしいので、ルームメイトらにたずねてみると、おそらくアラームを設定し忘れているのだろうとの返事。つまり寝坊だ。授業後にO.Gさんが教壇にやってきて曰く、R.Kさんは朝の5時まで起きていたとのこと。わたしがどうしてそれを知っていると思いますかと続けてみせるので、もしかしてきみも5時まで起きていたのとたずねると、わたしは全然寝ていません、ずっと起きていましたという返事。徹夜らしい。学生らが徹夜をしているのを見るたびにちょっとうらやましくなる。こちらは徹夜なんてもう絶対にできない。徹夜できるというのは本当にとんでもない能力だと思う。学生時代はたしかにこちらも徹夜なんてしょっちゅうしていた。夏休みにAのアパートに集まって徹夜でトランプしたりぷよぷよしたりしたその翌日にそのまま川に泳ぎに行っていたりしたのだから信じられない。「体力」というのはまさしくああいうものだと思う。本だってむかしのほうがガンガン読めた。
 R.Hくんから昼メシに誘われる。この時間帯は混雑するので食堂には行きたくないと応じると、じゃあセブンイレブンでという返事。それで先週同様、ふたりそろってセブンイレブンで弁当を買った。道中は例によって最近日本語圏のインターネットで話題になったあれこれについていろいろ質問をぶつけられるわけだが、こちらは彼ほどしょっちゅうSNSに入り浸っているわけではない、というかインスタもフェイスブックもなんだったらミクシーも一度もアカウントを作ったことはないわけであるし、Twitterにしても中国まわりの情報に特化したROM専アカウントをひとつ持っているきり、そんななかで唯一15年以上続けているのがもはや古の時代の営みとされている長文日記ブログであって、世の中でなにがバズってなにが炎上しているか、そんなもん知ったこっちゃない。R.Hくん曰く、最近自転車に乗った日本人女性の動画が炎上したという。子連れであるにもかかわらず交通マナーがおそろしく悪くしかもじぶんのあやまちを悪びれるようすもなくうんぬんかんぬんと続けてみせるので、燃えた女も燃やした連中もどっちもクソってことでしょ、どいつもこいつも暇なんだよ、ほかにやることのない連中ばかりなんだよと乱暴に切り捨てた。中国でもこの手のニュースはよく炎上するとR.Hくんはいった。中国人の交通マナーはなかなかえげつないもんなと思っていると、政府がわざとそういう報道ばかりする、そうすることで本当に知られたくないニュースから目を逸らすと続いたので、あ、やっぱそっち方面の話題にもっていきたいわけねと思った。R.Hくんからはほかに訪米時の岸田文雄のスピーチについてどう思うかとか、れいわ新撰組についてどう思うかとか、Twitter経由で触れたとおぼしきあれこれについて問われたが、正直どう思うもクソもない、そんな話をするくらいなら(…)中学校の四階の男子トイレに信じられないほどでかいうんこが流されずそのままになっているのが放課後に発見、うわさがうわさを呼ぶかたちでそのとき部活中だったあらゆる男子生徒が次々に練習を切りあげて四階に押しかけた1998年のできごとについて語り合うほうがよっぽど有意義だ。れいわ新撰組は減税をしようとしていますよ、減税はいいことですよね、減税すれば世の中はよくなりますよというので、市民目線にとってはありがたいことだろうけれども減税しさえすれば社会問題の大半が解決するみたいな単純な話はおかしい、税収が減ればその分のひずみは当然生じるわけであってそのプラスの面とマイナスの面を慎重に検討するのが政治だ、なになにすれば万事オッケーみたいな魔法の解決法なんてものは存在しないし仮にそういう謳い文句をくりかえしている人間がいれば警戒すべきだとしか思わないと応じた。いや、こちらはれいわ新撰組の政策なんて全然知らんわけやが!
 帰宅。30分の昼寝をとったのち、14時過ぎから17時過ぎまで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34、ようやく完成。半分以上書き換えた。シーン35の前半もがっつり加筆修正する。ここはそれほどむずかしくない。
 夕飯は第五食堂で打包。食後、なんとなく外で書見したい気分になったが、金曜夜のスタバは地獄の可能性があるので、ひさしぶりに図書館で過ごすことに。保温杯にコーヒーを200ccいれてバッグに隠して図書館へ。三階にある長机の一画に腰かけて『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。19時前から閉館まぎわの22時までがっつり書見。閉館前に館内に流れる謎のセンチメンタルなメロディをひさしぶりにきいた。書見中、集中が切れかけたタイミングで気分転換に、『Śisei』(arauchi yu)や『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』(VIDEOTAPEMUSIC)を流した。

ひとを狂気にするのは、懐疑ではなくて、確信である。
(353)

……ぼくにはあらゆる病気の徴候が欠けている……
(354)

(…)ぼくはまた、現代の内面生活、野心、幸福、精神性、その他が、どの点で文学から離れたところで行われているかも考えた。
(370)

六月一七日。グストルは、魚が彼には恐怖の混じった魅力を及ぼすと話した。田舎で最初の数日間彼は何時間も気が狂ったように魚釣りに熱中した。それから熱が冷め、恐怖と境を接する嫌悪が消えた。子供の頃、彼は内臓を抜いた魚の骨を取って、それを深皿に載せ、何時間もその前に立って、じっと眺めていたことがあるという。
 彼は、同じように、鳥に惹かれるひともいるばかりか、顔に鳥的なものがあるひとさえいる、誰もが自分と協調する動物をもっていて、そのひとはその動物と神秘に内面的に関連しているのだと主張した。
(376)

 リドの思い出。一二歳の少女の外陰部、盲目の眼のよう。
(396)

一一月末。ぼくはいつもより早く床に就いた。風邪をひいたような気がする。そう、たぶんすこし熱があるのだ。電灯が点っている。ぼくは天井かバルコニーに出るドアの上に垂れているカーテンを見る。ぼくがもう脱衣を終わっていたとき、きみは脱衣を始めた。ぼくは待つ。ぼくはきみの音を聞くだけだ。部屋のこの部分、あの部分での、不可解な足音。きみは来て、きみのベッドの上になにかを置く。それはなんだろう。きみは戸棚を開け、なにかを詰め込むかあるいは取り出す。ぼくは戸棚が閉まる音を聞く。きみはテーブルの上にいくつか固い物、箪笥の大理石版の上にあるのとは別な物を置く。きみは絶えず動いている。それからぼくは髪をといてブラシで梳く聞き慣れた音を聞く。それから洗面台に張られる水。さっきもう脱衣は終わったのに、いままた脱いでいる、きみが何着服を着ているのかぼくには不可解だ。靴。それからきみの靴下が、さっき靴がしたように、絶えず行ったり来たりする。きみはいくつものコップに、三度、四度とつづけざまに水を注ぐ、なんのためなのかぼくにはさっぱりわからない。ぼくはとうに想像できるものは想像し尽くしたのに、きみはあきらかにまだ現実のなかでなにか新しいものを発見している。ぼくはきみがネグリジェを着る音を聞く。しかし、それだけではまだまだ終わらない。またしても百の小さな行動がある。ぼくは、きみが急いでいることを知っている、したがってそれらすべてはあきらかに必要なことなのだ。ぼくは理解する。ぼくたちは魂をもっていないはずの動物たちが、朝から晩まで、きちんと秩序立った行動をする物言わぬ動作を驚嘆して眺めるではないか。それとまったく同じことなのだ。きみが実行する無数の操作について、きみには絶対に必要と思われ、実は完全に無意味なすべてについて、きみはまったく意識していない。しかしそれはきみの生のなかに高く聳え立っている。待っているぼくは偶然それを感じる。
(398-399)

 上のくだりは今回読んだ範囲のなかでもっともムージルを感じた。すばらしい。

 ドイツで驚いたこと。非常な暗さ。非常な湿気。人間がけっして長くは滞在できない土地に来たのかと思う。街路、空気、衣服、すべてがじめじめしている。ミュンヒェンでのことだ。
(407)

 ここを読んだとき、タイ旅行中に知り合った西洋人らのことを思いだした。Sもふくめて西洋人らは雨季のタイの湿気について、単なる不快感の表明を超えた呪詛を撒き散らしていた。つまり、それが一種のウイルスのごとく直接的に体調不良をもたらす原因であるかのような口ぶりで呪っていたのだが、気圧によって頭痛がもたらされるとか、湿気のせいで古傷が痛むとか、そういう話はよく目にし耳にしていたものの、湿気のせいで体調が漠然と悪化する、肉体的に疲れやすくなる、そういう発想はタイとおなじく雨季を有する国に生まれたじぶんにはまったくなかったので、当時かなりおどろいたものだった。

聖霊降臨祭前の日曜日
 アイヒカンプ近郊の奇妙なグルーネヴァルト。体操場と遊戯場。青いトランクホーズをはいた娘たちが腕を組んで歩いて行く。スポーツ場のある場所では若い二人が水泳着をきて日光浴をしている。みなは走ったり、ボールを蹴ったり、ハンドボールをしたりしている。二組は、体操着で、フェンシングまでしている。都会の犬を野外に放したかのようだ。噴出する無意味な運動衝動。かれらは自分がしていることに完全に白痴的に幸福である。
(413)

ベルリン、八月、戦争。
 あらゆる面から雪崩れ落ちてくるような雰囲気。(…)
 根こそぎにされた知識人たち。
 しばらく経って、自分はふたたび平衡を回復した、自分の見解はなに一つ変更する必要がないと断言する人びと。たとえばビー。
 あらゆる美化とならんで、カフェでの俗悪な歌。すべての新聞で論争を挑もうとする興奮。戦場に赴く権利がないために、列車に殺到する人びと。
 記念教会の階段の上で、懺悔とミサ聖祭の間に、俗人が説教をはじめる。
 産院での多数の緊急結婚。
 女性たちのいちだんと質素な服装。
 ぼくは号外を手にいれるため、かなりのスピードで走る自動車の屋根にぶら下がる。
 さまざまな職業の声明。アポロンは沈黙し、軍神が時を支配する、と俳優協会の声明は結論する。
 唯一つの新聞、ポスト紙だけは依然として社会民主党員たちを攻撃して、けっして眼を放してはならない「国内の敵」について論じる。
 第一日、夕方、路上で誰もが号外を求めて犇き合い、号外が声高に読み上げられ、市街電車がきわめて緩慢に通り抜けようとしているとき、二〇歳代の終わりの大男が叫びはじめる、立ち止まれ、諸君、立ち止まれ! そして気違いじみてステッキを振り回す。彼の眼は狂人の表情をたたえている。精神異常者が所を得て、したい放題のことをする。
(415)

 上のくだりはかなりなまなましい。開戦の高揚感。有事の興奮。コロナ流行当初の記憶と響き合うところもある。

 ひとはいったいに、ただ宗教的であるときにだけ愛することができる。
(425)

 しかし神秘は消えた。神秘は市中では持続できないのだ。
(426)

農民たちの性的特徴について適切な観念を得たいと思うならば、かれらの食べ方を思い出さねばならない。かれらはゆっくりと、音を立てて、一嚙み一嚙みを味わいながら咀嚼する。同様にかれらはまた一歩一歩を確かめて踊る、おそらく他のすべても同様だろう。
(427)

 テンナでの榴散弾数発と飛箭。すでにしばらく前からそれは聞こえていた。風のようにヒューヒューという、か、あるいは風のようにザワザワする物音。それがしだいに高まる。時間がひどく長く思われる。それは突然ぼくのすぐ傍らの地面に突きささった。物音がすいこまれたかのようだった。風の戦ぎについてはなにも思い出せない。突然増大した近さについてもなにも思い出せない。しかし事実はそのとおりだったのだろう、なぜなら、ぼくは本能的に上体を横に倒し、両脚はしっかりと直立したままかなり深いおじぎをしていたのだから。しかしそのとき、驚愕は跡形もなかった。また、いつもは不安をともなわなくとも起こる動悸のような、純粋に神経性の驚愕もなかった。——後になって非常に快適な感情。それを体験したという満足感。ほとんど誇り。共同体に取り上げられたという感覚。洗礼。——
(435)

 上のくだりは「黒つぐみ」にそのまま応用されている。『日記』には「黒つぐみ」の元ネタだけではなく「グリージャ」の元ネタも多数書きつけられている。「ポルトガルの女」と「トンカ」はわからないが、少なくとも「グリージャ」と「黒つぐみ」については、ムージルが現実に体験したこと、実際に目にし耳にしたものを(ゴダールモンタージュのように)単純にならべることで成立している部分——「ならべたらつながってしまう」その力に依存しているというかその力を信頼している部分——がかなりあると思う。

危険は理論的なものであり、疲労は現実的である。
(451)

なにかを仕上げられるとき、そして、書きながら目は数ページ先を見ているとき、そのときにだけ真剣に書くこと。まだその域に達していないときには、無責任に素描することで満足し、最初の障害で放棄すること。
(474)

 帰宅。チェンマイのシャワーを浴びる。ついでにトイレと浴室の掃除もおこなうつもりだったので、浴室にスピーカーをもちこんでLampの『恋人へ』と『一夜のペーソス』を流す。あがったところでトマトスープのインスタントラーメンをこしらえて食し、歯磨きをすませ、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。2014年4月19日づけの記事は全体的におもしろい。

 職場の更衣室で着替えているときにミサンガのちぎれたことに気づいた。ミサンガといっても四五日前、いたんだ畳のうえにガムテープを貼りつけている途中にいぐさの中からひょろりとでてきた硬い一本をなんとなく右手首に巻きつけて結んだものだった。ちぎれたからにはなにかが起きるにちがいないと思った。

 ここを読んだときは、さすがに「嘘やろ!?」とびびった。おれは(…)アパートのあの腐った畳のいぐさをミサンガ代わりにしとったんか! (…)荘の住人の残りものや(…)の客の残りものをバクバク食っとったエピソードよりもこっちのほうがずっとキチガイじみとるやんけ!
 あと、以下のくだりにも苦笑した。キレるタイミングがまったく理解できん。これ、当時は一般公開していたブログだったから伏せているだけで、もしかしてシャブを炙ったあとやったんかとも疑ったが、夜はふつうに眠っているようであるのでそうではないはず。シラフだ。

 帰路、二人組の警官に自転車を止められた。無点灯とイヤホンの双方が原因だった。警官はとても下手に、ほとんど卑屈といっていいほどこちらを気遣ってみせるような態度でバインダーにとめられたシートをさしだし、住所と氏名と生年月日の記入をこちらにうながしてみせた。おそらくは上層部の指令で、自転車マナー向上のための検問のさいにはなるべくひとあたりのよいふうに、さしさわりなく下手に出るように命じられているのだろうと察せられた。「学生?」というので、「フリーターです」と応じた。記入しているこちらのそばを一組の中年男女が通りすぎていった。警官に止められる直前、自転車にのって彼らのわきを通りすぎるこちらにむけて男のほうがなにやらわめいていたのは目にとめていた。いかにも酔漢めいた身ぶりとはりあげた声らしくおもわれたが、大音量で2pacを聴いていたこちらの耳にははっきりと届かなかった。その酔漢が警官の手にした懐中電灯の円いひかりに照らされたシートの空白を埋めているこちらのそばを通過してしばらく、ぴたりとその場に足をとめてふりかえるがいなや、わかいもんつかまえてしょうもないことしとんなよコラ、と叫んだ。その怒声が、なぜかとつぜんこちらの気に触れた。シートから顔をあげて男のほうをじっと見据えていると、もう一声なにやら続くところがあった。おっさんおまえなんや! と気づいたら声をはりあげていた。警官のひとりが、まあまあ放っておいて、とこちらをたしなめるふうにいった。また怒声がたった。ふたたび、おまえなんやねんコラ! と応じていた。あーもう相手したらあかん、放っといたらええから、とおなじ警官がいった。シートの残りを記入し防犯登録の確認を終えると、例の男はいままさに変わろうしている歩行者信号をまえにしてふらふらとしていた。連れあいらしい女性の姿はすでになかった。こちらの視線に気づいたらしいもう一方の警官が、Mさん相手したらあかんよ、もう放っといて、とシートに記入したこちらの名前を呼んでたしなめるようにいった。生年月日の記入漏れがあったらしく、口頭でたずねられたので西暦で応じたのち、元号で答えなおした。ありがとうございました、というふしぎな感謝の言葉とともに解放されたので、自転車を横断歩道の手前まで進めてそこで乗り捨て、いままさにその先へと渡ろうとしているおっさんの肩に手をかけた。こちらにふりかえらせて、おっさんおまえさっきからなにいうとんねん、とジャケットの襟元を握りしめあげるようにしてからぶんぶんと揺さぶり因縁をつけた。背後からかけてくる足音があって、たちまち先のふたりの警官の手によってひきはがされた。なぜかひとことも言葉を発さない男にむけて、いくつかの売り言葉を叩きこんだ。そのたびに、落ち着いて、もう放っておけばいいから、と警官に制された。制されれば制されるほどますます煮えくりかえってくるものがあって、こちらの正面にたってなだめようとする警官のその肩のむこうに手をのばして例の男の襟元をふたたびにぎりしめてふりまわそうとしたが、もういっぽうの警官の機転により失敗におわった。だーめーだって! だめだから! それ以上は現行犯になるから! といわれて一気に頭が冷えた。捨て台詞を吐きすてて自転車をおこして家路の続きをたどった。警官は追ってこなかった。

 記事の読み返しのすんだところで、そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。1時になったところで作業を中断し、寝床に移動。