20240426

 だからどうだって言うんだ?
 そんなことは知らない。
 「だから」と思考を急いで統合しないで、しばらく考えが出てくるのに任せよう。「だから?」と言われたら、「そんなことは知らない」だ。人間はただ単線的に成長(進歩)して、成長(進歩)した知性からは不合理とみなされる思考を成長(進歩)した思考にきれいさっぱり置き換えるわけではなくて、爬虫類時代の記憶のように古層として持ちつづける。というか、それが最もプリミティブな思考様式や感受性であれば、その後どれだけ知のあり方が更新されても世界に対する感触として鼓動しつづけ、おそらくはリアリティとはそこから供給される。
保坂和志『小説の誕生』 p.379)



 8時15分起床。トーストとコーヒーの朝食。ケッタに乗って外国語学院へ。今日の最高気温はひさびさの30度なので半袖一枚、チャラチャラしたシルバーのネックレスをひさびさに身につけた。まずは教務室に立ち寄り、追試用の問題用紙を提出。それから教室に移動。
 10時から二年生の日語会話(四)。「わたしのアイドル」第1回。発表時間については一人につき5分程度を想定していたのだが、例によってみんな長い、「食レポ」のときとおなじだ。今日はK.Dさん、R.Uくん、C.Rくん、I.Kさん、S.Kさん、S.Gさん、R.Kさん、O.Gさん、G.Gさんの9人で終わり。本当はR.Bさんも今日やる予定だったのだが、準備ができていないとのこと。正当な理由はないようだったので、その分は減点しますと伝える。K.Dさんのアイドルは双笙という女性歌手。人物紹介のくだりでかつてネットでデマを飛ばされたという話があったので、発表後に具体的にどんなデマを飛ばされたのかとたずねると、著作権がうんぬんかんぬんという返事があったのだが、その返事の途中、K.Dさんは泣き出してしまった。最初緊張したせいでそうなったのかなと思ったが、そうではなかった、感極まっているのだった、つまり、それくらい大好きなのだった。R.Uくんのアイドルは新房昭之。アニメーターでありアニメ監督である人物。C.Rくんのアイドルは姜文。中国の映画監督兼俳優。聞いたことがないと思っていたが、いまウィキで確認したところ、『鬼が来た!』の監督だった(この作品のせいで、中国国内で映画製作・出演禁止処分を受けている)。I.KさんのアイドルはJesse Eisenberg。だれやねんと思ったが、『ソーシャル・ネットワーク』でマーク・ザッカーバーグを演じた人物。wikiをざっとみたが、『ヴィレッジ』(M・ナイト・シャマラン)や『イカとクジラ』(ノア・バームバック)にも出演しているとのことで、ということはこちらも彼の演技を目にしているはずなのだが、まったくおぼえていない。映画も観なくなって10年以上になる。S.Kさんのアイドルはメイリア。日本語圏ではMARiA、中国語圏では美依礼芽という名義で知られているらしい日本人女性歌手。まったく知らなかったが、日本よりも中国でのほうが知名度が高いらしい。S.Gさんのアイドルは趙麗穎。中国の女優。R.Kさんのアイドルはテイラー・スウィフト。O.Sさんのアイドルは歴史上の人物だったが、彼女の日本語は壊滅的であるし、PPTもわけのわからんことになっていたので、名前は不明。G.Gさんのアイドルは史鉄生。中国の作家。生涯病気とともにあった人物らしい。ちょっと気になる。発表について、文句なしのA評価と現時点で断言できるのはR.Uくん、S.Kさん、R.Kさんの三人。S.Kさんが想像以上によくできていた。

 授業を終える。K.DさんとR.Hさんからリスニングの宿題を確認してほしいとたのまれる。女性ナレーターが読みあげる日本語の文章の一部が聞きとれないのだという。イヤホンを借りて聞いてみる。ひとつは「散見される」という表現で、この単語は二年生には難しすぎる、わからないのも仕方ない。もうひとつは満員電車に関するもので、痴漢と間違われないように男性が両手をあげているの「りょうて」が理解できなかったようす。「りょうて」とディクテーションできているのだが、それが「両手」につながらない。あとは「通勤ラッシュ」の「ラッシュ」が、やはり「らっしゅ」という音としては聞きとれているのだが、意味につながらないようすだったので、英語のrushだよとレクチャーした。R.Hさんは英語が得意なので、英語でもろもろ説明したほうが手っ取り早いところがある。
 K.Dさんといえば、今日はR.Kさんとならんで着席していた。ケンカしたのではないかというこちらの懸念は杞憂だったのだろうか。あるいはケンカしたもののすでに仲直りしたということなのかもしれない。R.Kさんはセーラー服の上下を着ていたのだが(いわゆるJKファッションだ)、背中には雷神風神みたいな刺繍が入っているし、暴走族が特攻服に入れている「天上天下唯我独尊」という文字列みたいなテイストの、あれはただの模様なのだろうか? それとも古代文字なのだろうか? どちらともみえる不思議な紋様めいたものが刺繍で入っていて、いわゆるスケバンみたいだった。日本のむかしの不良みたいだねというと、ええー! じゃあ先生といっしょ! とのこと。ほっとけ。
 教室を出て便所へ。階下に移動する途中、「先生!」と声がかかる。一年生2班のR.KさんとK.Kさん。一軍のふたり。ふたりして雑巾とほうきを持っている。教室の掃除をしなければならないのだという。一年生は日替わりで教室の掃除を義務づけられているらしい。のみならず寮の掃除をしなければならない。めんどうくさいねというと、外国語学院はバカです! とケタケタ笑いながら言う。気持ちのいいふたりだ。H.KくんとK.Uくんのふたりもほうきを持ってあらわれる。やはり掃除当番らしい。
 立ち話をしていると、K先生がやってくる。こちらの話し声がきこえたので、わざわざ立ち寄ってくれたようす。それでしばらくふたりで立ち話。一年生1班の話をする。かつてのOさんらのクラスよりもまずいかもしれない、正直かなり授業がやりにくいと、きのう学習委員のY.Tさんに送ったメッセージの件も踏まえて伝えると、そんなにですかとびっくりしていた。でも基礎日本語のテストの結果は1班と2班ではそんなに変わらなくてというので、会話の期末テストもおなじだったと受けつつ、ただ授業中の雰囲気が全然ちがう、2班にも当然やる気のない学生もそれなりの数いるが授業が成立しないということはない、しかし1班に関してはどうにもならないレベルに達しているといった。1班の基礎日本語を担当しているY先生(?)は、けっこうやる気満々らしくて、朝の自習時間にも教室に顔を出して学生らに音読をさせているというのだが、ほんまけ? という感じだ。
 ついでに(…)日本語学科の未来についても憂いあう。どうなるかわからないという。こちらは別に他の大学に移るなり日本に帰国するなりどうにでもなるわというあたまでいるわけだが、K先生をはじめとする日本語学科の教員らはどうなるのかとちょっと心配になる。日本語学科がなくなってもクビになることはないと思うという話だったが、ただ日本語学科がちかぢか取り潰しに遭う可能性はやはり否定できないようで、就職率も悪いし他の学院に「転籍」を希望する学生も多いしで、そういうデータを大学がどう判断するかというところらしい。K先生自身、大学教員として本来は授業以外になんらかの研究をする必要があるらしいのだが、そんな時間はないしそもそも意欲もないしで、それについてはおそらくほかの教員らも同様なのだろう、そういう面でもやはり日本語学科の評価は高くなりづらいというアレがあるらしかった。
 一階で別れる。ま、あとは野となれ山となれやわな、とひらきなおる。奨学金の借金400万円分はひとまずこっちで稼いだのだし、仮にいま日本に本帰国することになったとしても月々22000円の借金返済に汲々とする必要はない。家賃20000円の物件に住めば、以前のように週二日から三日だけのバイトでもどうにかやっていけるだろう。かつてと同様月70000円あればいけるはず——いや、さすがにもうそれは無理か? いまは物価もかなり高くなっているのか? 以前(…)大学の学生がやってきたとき、日本の物価についてたずねたのだが、たまごなど信じられないほど値上がりしていて、こちらが京都にいたころとはくらべものにならないくらいえげつないことになっていた(が、具体的に現状いくらになっているのか忘れた)。しかし借金を全額返済できるだけ稼ぐことができたと考えると、やっぱりこっちに来たのはまちがいではなかったのかもしれん。あのまま京都にいたら奨学金返済猶予10年分が切れた段階で詰んでいた。あと、ちょっと思ったのだが、仮に来学期新入生が入ってこないとなった場合、つまり、日本語学科は現在1年生の学生が最後であるとなった場合、それでもこちらはその1年生が3年生になるまでのあいだはおそらくここで働くことができるのだろうし、場合によっては卒業ぎりぎりまで(ものすごく少ない授業数で)居座ることができるかもしれないわけで、それならそれでそこをひとつの区切りにするのもいいかもしれないなと思った。かかわる職場すべてを閉店・破産に追いこんできた「死神」の称号にふさわしい中国生活の最後ではないか!
 第四食堂で猪脚饭を打包する。ケッタに乗って寮にもどる途中、うわさの日本人教授らしい姿とすれちがった。今日の授業前、きのう昼食会に参加したC.Rくんがその日本人教授の写真を見せてくれたのだが、小太りのポニーテールというけっこう特徴的な外見だったので、あれ? このひとじゃないか? と思ったのだ。C.Rくん曰く、専門は地理ではなく観光らしく、五年ほどよその省のなんとかいう大学に研究者として勤めているとのことだった。研究室の学生も同行するかたちで(…)に滞在しているのだが、その学生も日本語専攻でないにもかかわらず日本語がペラペラであるとのことだったので、たぶん211大学なんではないか。
 帰宅。二年生のR.Hくんからはやくも作文コンクール用の原稿がとどいた。たぶんほかの学生が「わたしのアイドル」を発表しているあいだに書いていたのだと思う。学生の発表中にほかの学生らが内職することについては、これはもう叱っても注意してもどうにもならないというか、それが無礼であるとか悪いことであるとかそういう意識の片鱗すら学生らの表情やふるまいからはのぞけないし(たとえば今日の発表中にしてもこちらのとなりや後ろ、つまり、すぐそばに座っている学生たちも平気で他の授業の宿題や課題をしていた)、以前日記にも書いたことはあるがこうしたふるまいは学生のみならず教員すら平気でとるものであって、だからそれを注意したらたぶんみんな「まずい!」と思うのではなくて「え? なんで?」と困惑するというレベルのアレであるので、これについてはなにもいわないことにしている。
 30分ほど昼寝をする。執筆をしたいのだが、今週の日曜日は連休の分の補講があるのでその準備を先に片付けなければならない。フラストレーションがたまるが、仕方ない。洗濯機をまわし、手始めにきのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。以下、2023年4月26日づけの記事より。

(…)たとえば、人間が「化」していく現実を考えてみよう。それは、人間が、卵子精子の結合から生を得て、諸器官が分化し、赤ん坊となり、子どもから成長し大人になるという変化でもあるし、男や女になり、老いて死ぬという変化でもあるだろう。この現実は、実にありきたりの変化である。しかし、それにもかかわらず、わたしたちはこの現実の変化を摑まえる言葉をいまだに十分には有していない。せいぜいのところ、出生とは何か、子どもとは何か、男とは何か、女とは何か、老いとは何か、死とは何かという、「何か」としての本質を問う言説を有している程度である。変化という現実は、本質を問う言説から滑り落ちていく。
 ここで表現された「物化」に即して言えば、腕や尻あるいは心(心臓)を実体的に把握することはできる。しかし、実体とはどういうことなのだろうか。それを「化」の側から見れば、「化」の運動速度が遅くなった状態であり、ある程度の恒常性と定常性を有した事態にすぎない。わたしたちは、自分がはかることのできるスケールに「化」を封じ込めて、実体と称しているのだ。
 そうであれば、わたしたちのはかるスケールを変更したらどうなるだろうか。たとえば、鳥の声を聴くのにテープの速度を変えた武満徹のように。そのとき、より速い速度によって構成されている「化」を捉えることができることだろう。それはよりミクロなレベル(たとえば分子)での運動を捉えることでもある。そうしてはじめて、ある実体的なあり方というものは、変化し続ける運動が偶々ある方向に整序されたことで成立しているものであることが理解できるだろう。逆から言えば、変化し続ける運動の方向をわずかに変えることで、実体的なあり方もまた根本的に変容しうるのだ。
 ここで表現された「物化」は、通常であれば、形態異状として片づけられるものだ。ところが、『荘子』の想像力は、それを形態異状として片づけようとするのではなく、左腕が左腕のままでありながら、それを「化」の運動の中に置き直し、定められた構成を自由に変更することによって、時を告げる鶏になることを見て取ろうとするのである。
 この想像力は、これまで見てきた、名人や真人あるいは聖人の行う、他なるものになろうとする努力と同じものである。自らが他なるものになることで、その他の物もまたその〈運動〉に巻き込まれて変容していく。そして、それに応じて、「この世界」それ自体が変容していくのである。
 ジル・ドゥルーズであれば、このことを「悪魔的現実性」(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ千のプラトー』中、一九〇頁)と呼ぶことだろう。それは、生成変化という速度の相から捉えるなら、わたしたちの現実性は単一で平板なものではなく、特定の方向に整序されることのない、思いもかけないような結合と分離の運動からなるものだということを告げたものだ。そして、そのドゥルーズは、すなわち生成変化の思想家としてのドゥルーズは、まさに荘子的な「物化」を自らの中国論の核心に据えていたのである。
中島隆博荘子の哲学』)

 2014年4月26日づけの記事には当時見た夢が記述されているのだが、そのなかに「ビットコイン」という単語があり、当時はいくらだったんだろうと思って調べてみたところ、1ビットコインが18000円程度、買っとけよアホ! なにしとんねん! とメロスは激怒した。
 そのまま今日づけの記事も途中まで書く。17時をまわったところで第五食堂へ。打包して寮にもどる途中、Cと遭遇。第四食堂の一階にもじぶんで好きなおかずをピックアップすることのできる店がある、そちらのほうが牛肉などはchewingしたときの感触がいいみたいな、あれはたぶん歯応えという意味なのかな、いや歯応えを表現するのはcrispyか、まあなんでもええけどもそういう感じのことを教えてくれたので、じゃあ明日行ってみるよと応じた。でも第四食堂のground floorにそんな店あったっけ?
 メシ食う。チェンマイのシャワーを浴び、コーヒーを淹れる。新調されたコーヒーミルと電気ケトルがキッチンにならんでいるのを見ると、ああこれも歳月の表現だよなと思う。コーヒーミルにいたってはこいつで第三代目だ。着実に時間は経っている。20時過ぎから授業準備。日語会話(二)の第18課を詰める。授業に参加するのは現状14人とのことだったので、少人数用にアクティビティを作りなおす。できた資料をY.Tさんに送信。いつものように全員分印刷する必要はない、教室前方で授業を受ける学生の分だけでいいと伝える。それから日語文章選読用に「幸福の瞬間」も詰める。一部修正するだけでオッケー。脚本のみ印刷する。
 ちょっと思ったのだが、来学期は現一年生が二年生になる、それにともなって作文の授業もはじまるわけだが、二クラス合計60人の添削を一度に手がけることになるのはこれが初めてであり、負担が単純計算で二倍、正直めちゃくちゃ嫌であるのだけれども、日語会話(二)のノリで、作文の授業でもあらかじめアンケートをとってやろうかな? で、作文に興味がないという学生は自習でオッケーということにし、興味のある学生のものだけ添削することにすれば、こちらの負担も減らすことができるのでは? これはなかなか悪どいひらめきであるが、いやァ、実行したいな! やっちまうか? 仮にあとで上から注意されることがあったら、うるせーほんならおめえら毎週60人分添削してみろやとわけのわからんキレかたをするという手もなくもない、というかうちの大学のありがたいところってまさにそういう力ずくの反論が通用しかねない点であるというか、ふつうに募集してもこんな僻地この給与で日本人教師なんてやってくるわけがない、そのことを大学側も知っているからこそこちらに対してあまり強く出ることができない、それにくわえて大学そのもののレベルが高くないこともあって監査がゆるいのかなんなのか知らないけれども授業に対する要求も全然厳しくない、具体的にいえば指定教科書こそ存在するもののそれを使おうが使うまいが自由であり、というか日語文章選読にいたってはこちらも学生も指定教科書がそもそもなんであるのか知らず、こちらが勝手に準備したテキストやこちら自身の手になるテキストを教材として使っている、こんなめちゃくちゃなやりかた、都市部のしっかりした大学では絶対に許されないと思う——と、書いていて気づいたのだが、じぶんが僻地・辺境である種の居心地の良さを感じてしまう理由ってまさにこれなのかもしれない、(…)にしたところでもともとは二勤二休という契約でバイトをはじめたのに二ヶ月か三ヶ月でギブアップ、もう辞めますと伝えたところ、マネージャーであるEさんの強い働きかけのおかげで本社に話がつき、フロントは二勤二休であるという原則が破られるにいたり、こちらは夢の週休五日制を獲得するにいたった(この件についてTは、なんでもかんでもおまえの思うとおりに運びすぎやろ! とびっくりしていた)、あれも結局従業員のほぼ全員が曲者(半数が前科者)という極限状況にあっては、大卒であり、英語対応ができ、ヤンキーおよびヤクザの取り扱いも心得ている(ゆえに従業員同士のトラブルを調停することができる)というこちらは相対的に有能な人物という扱いになる、そのおかげでいろいろおいしい条件をお膳立てしてもらうことができた(もちろんその分、めちゃくちゃめんどうなことにもさんざん巻き込まれたが!)というカラクリであって、それってまさにいま、(…)に勤めている状況と構造的にほぼ同じなのではないか? 代わりがいない、同僚もレベルが低い、だからこそ重宝されるし、重宝されていることを自覚してこちらもいくらか打算的に動くことができる。もしかしてワシの辺境に対する享楽趣味ってこんなしょうもない内実やったんか? 小狡いな!

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は23時だった。作業中は『余白のメロディ』(寺尾紗穂)と『窓から』(松井文)と『Build From Here』(Wolfgang Tillmans)を流した。『窓から』には高田渡の“ウイスキーの唄”のカバーが収録されていたが、これはかなりいい。松井文というひとについてはこれまで知らなかったのだが、ググってみたところ、「折坂悠太、夜久一と共に「のろしレコード」を立ち上げ」たという情報があった。Wolfgang Tillmansは“Modernist Survival Unit”という楽曲が、Felix Da Housecatの“Madame Hollywood”やそのオマージュというかパクリというかそういうアレであるSPANK HAPPYの“Vendôme, la sick KAISEKI”に共通するノリがあって、ちょっと癖になる感じがする。