20240425

 人間(人間観)とは自分を取り巻く自然(自然観)世界(世界観)の一環であって、自然や世界に対するイメージが機械論的に緻密になると人間についてのイメージも同じように緻密になる。私たちは日常的に接しているものから思考のモデル——または、モデルの前提——を習ってしまうようにできているから、自分自身の内面というのも基本的にはそれの延長・変形による解釈なのだ。
保坂和志『小説の誕生』 p.375-376)



 6時15分起床。クソ眠い。トーストとコーヒーの朝食。
 8時から三年生の日語文章選読。「卒業生のみなさんへ(2019年)」第二回。しっかり詰めた甲斐があって完璧。雑談ふくめて大いに盛りあがった。子どものときに何になりたかったかという話になったその流れで、ぼくは保育園児だったころ、仮面ライダーじゃなくて仮面ライダーのバイクになりたかったんだよねというと、みんな盛大に笑っていた。K.Kさんから地理学院に日本人の教授が来ていますよと言われたので、このあいだC.Rくんから聞いたよと受けたところ、ほかでもないそのC.RくんとC.N先生がその日本人教授と今日いっしょに昼メシを食べにいくのだという。C.N先生はおそらく日本語学科の主任ゆえにということであると思うのだが、なぜその付き添いがC.Rくんなのかとたずねると、ふたりは仲が良いからという返事。知らなかった。
 次の教室に移動する前にトイレに寄る。トイレから出たところで、二年生らにばったり遭遇。C.Rくん、R.Uくん、R.Hさん、S.Sさん。ひととき立ち話する。C.Rくんがくだんの食事会に来るかとこちらにたずねたが、招待されてもいない会にのこのこと出ていく気にはなれないので、これは適当に誤魔化す。
 10時から一年生1班の日語会話(二)。第17課。壊滅的。これはあかんわ、やっぱり言うべきことをちゃんと言っとかなあかんと覚悟が完全に固まった。2班の授業では完全にリズムをつかんだ、どれだけ簡単なものでもかまわないからガンガン質問をしてテンポよく学生らの発語をうながしていく、そうすれば間違いないというアレがあったのだが、その方法すらこのクラスではろくに通用しない。先学期の時点ですでにそうであったが、まずろくに復唱(音読)しないし、応用問題に移る前の基礎問題にすら答えられない——というよりそもそもこちらの話をまったく聞かずスマホをいじっている学生が半数以上おり、ほとんど学級崩壊みたいになっている。このクラスはもともとK.SくんとS.Hくんのふたりが実質出禁みたいになっているわけだが、それ以外の学生も本当にやばい、およそ六年間この僻地の無名大学で教鞭をとってきたわけだが、やっぱりこのクラスは過去一でやばい。やる気がないだけではなく、クラスメイト間の関係性も相当悪い、それでますます空気がよろしくなく、そういう意味でいえばOさんたちのクラスを思い出しもするのだが、いや、あのクラスでも一年生のときはもうすこしマシだったのではないか? とはいえ、やる気のある学生もいることにはいるのであり、それはたとえばS.Eくんであり、S.Gくんであり、Y.Eさんであり、H.Kさんであるわけで、そういう子たちも含めてボロクソに言うのはやっぱりちがう。だから、これは先学期の時点ですでに考えていたことであるわけだが、やる気のない学生には授業中内職してもらうことにし、やる気のある学生だけを教室の前方に集めて、たとえそれが10人以下であったとしてもいい、極端な話2人や3人になってもかまわないので(むしろそれくらいの人数を相手にするほうがこちらも質の高いレクチャーをすることができる)、そういうふうに割り切ったかたちで授業をするべきなんではないか? 先学期はそう告げようと思ったものの、一年生前期でそのようなふるまいに出るのはさすがにしんぼうが足りなさすぎるかもしれないと思いとどまったわけだが、もういいだろう、もう十分我慢した、こちらも学生もおたがいに腹の底をさらすべきときだ。アクティビティの時間ですら自分たちのグループが指名されるまで、そのアクティビティのルールにすら目を通しておらずそのことを悪びれもしない、そういう連中にいつまでも付き合っている必要はない。今日通知をしようと覚悟が決まった。
 授業を終える。卒業生のB.Tさんから微信がとどいている。いま(…)にいますかというので、今学期は(…)で授業を担当していないと応じると、いま(…)で復学手続きをしている、午前中で終わらず午後までかかることになってしまった、本当なら先生と会うつもりだったのだが、明日は仕事に関する用事があるのですぐに帰らなければならないと続いた。復学手続きとはどういうことなのかと、それでいえば先日彼女の元クラスメイトであるR.Kくんが(…)にやってきたとき、インターンシップで日本をおとずれていたR.Sくんは大学を休学中ということになっていると言っていたが、B.Tさんも彼とおなじタイミングで日本をおとずれているわけであるし、たぶんそのあたりのアレなんだろうと予想しつつたずねたところ、やはりそうであったらしい。しかし本来は休学扱いにする必要などはなかった。B.Tさん曰く、「クソ」な仲介会社が勝手にわたしたちを休学にしたのだというので、たしかにこれまでほかの学生からインターンシップに参加するのにいちいち休学するなんて話は聞いたことがないもんなァと思った。
 そういうやりとりを交わしながらケッタで(…)へ。キャンパスを取り囲む鉄柵越しにC.N先生が歩いているのを見かける。かたわらにはハゲたおっさんがいる。あ、あれがうわさの日本人教授かな? と思った。(…)では牛肉担担面をオーダー。最初店が空いていたので、四人がけのテーブルをひとりで陣取っていたのだが、じきに混雑しはじめた。女子学生四人組がやってきて、テーブルが空いていないときょろきょろしているのがみえたので、声をかけて、このテーブルを使えばいいと言った。女子学生らは最初遠慮したが、こちらはその遠慮を突っ切るかたちで、どんぶりと荷物をもってカウンター席に移動。KindleでKatherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読みながら行儀悪くメシを食った。
 帰宅。門前にて管理人のMr.Gから「(…)!」と中国語読みで呼びかけられた。なにかと思って近づいていくと、紙袋を差し出された。中には電気ケトルが入っていた。Y老师からだというので、ああ、Lが持ってきてくれたんだなとなった。部屋にもどる。ベッドにぶっ倒れる。そのまま昼寝。一年生の授業のせいで気分がクサクサしていたこともあり、小一時間ほど眠り続けてしまった。じぶんはほんとうにわかりやすい不貞寝をいつもする。
 コーヒーを淹れる。K先生から微信がとどいていたのでそれに返信。先日四年生のK.Kさんの追試問題を作成して教務室に提出するように頼まれたわけだが、そのK.Kさんが不合格になったかつてのテスト問題もデータでかまわないので教務室に提出してほしいとのこと。教務室の教員の連絡先は知らないのでPDFをK先生に送る。ついでにK.Kさんについて、K先生から連絡をいただいた日の夜に微信を送ったのだが、まったく返信がないと告げた。K.Kさんはこちらがゼロコロナ期間中に中国にもどってきてはじめて顔合わせした当時から、というのはつまり彼女らがまだ二年生の後期だったころであるけれども、スピーチが趣味で、といっても日本語のスピーチではなく中国語のスピーチで、あれはいったいなんなんだろう、中国ではそういう文化が盛んなのかもしれないけれどもスピーチを専門に習う塾というか教室みたいなのがあり、K.Kさんはそこに通っていて、三年生になるころには生徒としてではなく教員として通っていたようすであるし、S.Rくんから聞いたのだったかR.Mさんから聞いたのだったか忘れたが、仕事があるからという理由で授業にすら出席しないこともままあるという話だった。だからこちらとしては、すでに正社員待遇でそこのスピーチ教室に勤めているのかなと思っていた、だからこそ忙しくて卒論も提出せずこちらの追試に関する質問にも反応しないのかなと勝手に考えていたわけだが、K先生曰く、スピーチ教室はあくまでもバイトでしかないらしい。本人はもともとそこで就職するつもりだったらしいのだが、卒業生の進路の統計をとるためにS先生が連絡をとったところ、ただのバイト待遇でしかないことが判明、現状そのまま社員として就職できるかどうかは不明だという。
 Lから電気ケトルについて連絡があったので、お礼の返信を送る。それからきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回。17時になったところでいつものように第五食堂にむかったが、道中、四年生のB.Sさんとバッタリ遭遇した。B.Sさん、めちゃくちゃ日本語が達者になっていた。大分県で半年間ほどインターンシップに参加していたわけだが、R.Mさんと同様、現地では全然楽しめていないようすだったのをなんとなく知っていた。しかし会話能力は確実に向上しており、こちらの発言すべてを聞き取れており、それに対する返事も「はい、そうです!」とめちゃくちゃハキハキしている。びっくりした。R.Mさんの勤め先は同僚がネパール人ばかりだったわけだが、B.Sさんの勤め先は外国人が彼女ひとりしかおらず、あとは全員が日本人だったらしい。田舎のクソババアどもにいびられていたんではないか。詳細は聞いていないが、むこうではやはりいろいろ大変だったらしい。四年生はいまみんな大学にいるのとたずねると、いるひともいないひともいるとのこと。R.Mさんは最近故郷に帰ったらしい。
 第五食堂で打包。帰宅して食す。それから一年生1班の学習委員であるY.Tさんに長いメッセージを送る。大学入学後に日本語の学習をはじめた彼女にとってはむずかしいかもしれないが、ま、微信で送っているので、翻訳機能を介せばだいたい理解できるでしょう(というか、学生にメッセージを送るときは、あたまの片隅でいつも、翻訳機能によって正確に翻訳されやすい日本語の文章を意識して作成するようになっている!)。

 Y.Tさん、こんばんは。ちょっと授業のことについて相談があります。
 会話の授業についてですが、きみのクラスは話を聞いていない学生が非常に多く、率直に言って、授業がとてもやりにくいです。ぼくはこの仕事を六年ほど続けていますが、正直、これまでで最も授業態度の良くないクラスであるという印象を受けています。おなじ一年生でも2班のほうはそうでもないのですが、1班は学生の半分以上が授業中ずっとスマホを触っています。ぼくの話もまったく聞いていませんから、質問しても返事が返ってくるまで、ものすごく時間がかかります。全然円滑じゃありません。今の四年生にしても、三年生にしても、二年生にしても、一年生の時に会話の授業でこんなふうになることは一度もありませんでした。こういう経験はこれまでの教師人生の中では一度もなかったことです。だから、かなり困惑しています。どうすればいいのかといつも頭を悩ませています。
 ただ、きみのクラスはそもそも日本語を専攻するつもりのなかった学生が多かったと聞いています。ですから、授業を真面目に受けない学生が多いのも仕方ないのかもしれません。そういう学生の気持ちも、ぼくには理解できます。そして、そういう学生に無理やり日本語を勉強させることに、ぼくは強い抵抗を覚えます。「勉強しろ!」と押しつけるやり方は、ぼくの性格にも合いません。同様に、スマホの使用を禁止することもしたくないです。授業中に翻訳アプリが必要になる場面も多々ありますし、そもそもスマホを禁止するなんてきみたちを子ども扱いしているみたいで気分が良くないです。大学生というのはもう大人ですから。そうでしょう?
 もちろん、きみたちのクラスの中には、やる気のある学生もいます。今日の授業であれば、S.EくんやS.GくんやY.Eさんはずっとぼくの話を真剣に聞いてくれていましたし、質問に対する返事もとても早かったです(もちろん、そのほかにも真面目な学生はいました)。逆に、Y.Iさんの周辺はいつも話を聞いておらず、ぼくが質問してはじめてスマホから顔をあげるというのをほぼ毎週繰り返しています。こういうやりとりは、率直に言って、時間の無駄です。ただただ虚しい。
 そこで、考えてみたのですが、次回以降の授業は、会話に興味のある学生には教室の前方に座ってもらうことにし、興味のない学生には少しだけ後方に座ってもらうことにしませんか? 前方に座る学生には、これまで通り、ぼくはたくさん質問をします。もし、前方に座る学生の数が少なければ、その分だけ前方の学生は日本語で受け答えする機会が増えて良い練習になりますし、ぼくも発音を以前より細かく指導することができるでしょう。授業の質も向上します。極端な話、前方に座る学生が五人以下だったとしても、まったく問題ありません。その時は家庭教師のように、一人ずつしっかり指導することができます。
 逆に、後方に座っている学生には、質問はひとつもしません。授業中は他の教科を勉強してもいいですし、スマホでゲームをしてもいいです。ただし、他の学生の邪魔になるので、私語だけは絶対に禁止という形にします。もちろん、後方に座っているからといって、成績を減点することもしません。成績は期末テストの結果でつけることを約束します。
 どうでしょうか? こういうふうにすれば、(1)授業を円滑に進めたい教師(2)日本語での会話に興味のある学生(3)日本語での会話に興味のない学生、みんなにとって授業の時間がもうすこし有意義なものになると思うのですが。
 とりあえず、クラスメイトたちに以上の提案を伝えた上で、次回の授業以降、教室の前方に座るつもりの学生が何人いるか、後方に座るつもりの学生が何人いるか、その結果を今日中にぼくに教えてくれませんか? 授業をしっかり受けたい学生が何人いるかによって、授業の内容も変更する必要がありますから、事前に知っておきたいのです。日曜日には労働節の分の補講もありますからね。
 さっきも言いましたが、教室後方に座ったからといって、それを理由に減点することは絶対にありません。それを理由に、学生に対して悪い感情を持つこともありません(ただし、先ほども言いましたが、私語の禁止だけは絶対に守ってください)。約束します。ですから、授業に興味がない学生には、正直に答えてほしいのです。本当は興味がないのに、「すみませんでした。来週からは真面目に授業を受けます」と形式的な返事をしないでほしい。それよりも、本心を教えてほしいのです。
 誤解しないでほしいのですが、ぼくは怒っているわけではありません。むしろ、日本語に興味がないにもかかわらず、日本語専攻になってしまった学生には同情しているのです。だからこそ、興味のない授業を嫌々受ける代わりに、その時間を利用して、自分の興味のあることを勉強してほしいです。そのほうが、教師にとっても学生にとっても、幸せなはずです。
 少々面倒くさい仕事かもしれませんが、クラスメイトたちのうち、何人が授業を前方で受けたいか、何人が後方で受けたいか、人数をまとめてから返事をしてください。何度も繰り返しますが、「日本語の会話に興味がない」と答えた学生に対して、ぼくが悪印象を持つことは絶対にありません。むしろ、正直に答えてくれたことに対して、感謝します。ぼくは日本語教師として、日本語に興味を持っている学生のために、少しでも役に立つ授業をしたいと思っているので、ご協力をお願いします。

 こちらの懸念は、まさに「すみませんでした。来週からは真面目に授業を受けます」という返信が、クラスメイト全員の総意として送られてくるという展開。であるから、あらかじめそういうふうにならないように釘を刺しておいたわけだが、はたしてこれでうまく機能してくれるのだろうか? こちらとしてはマジで、やる気のない学生らにいわゆる形式主义的なかたちで授業に参加してほしくない。もちろん、どこのクラスにもそういう学生は一定数いるのだが、一年生1班はその数がほかにくらべて圧倒的に多く多数派となっており、そのせいで元々はやる気のあった学生らにまで完全に悪影響を与えてしまっている。ちなみにこのメッセージの中でわざと名前をあげたS.Eくん、S.Gくん、Y.Eさんの三人は本当によくがんばっていると思う(S.Eくんはもともと現在出禁になっているK.SくんとS.Hくんとそろって叱りつけたひとりであるのだが、いまや完全に心を入れ換えている)。がんばっている学生の中にY.TさんとS.Mさんの名前をあげなかったのは、ふたりとも最近目に見えて授業態度がダレてきているから。Y.Iさんについては、先学期からずっとイライラしているというか、高校一年生から日本語を勉強している女子学生であるのだが、マジで毎週まったく話をきいていないし、話をきいていない学生にしたってこちらが学籍番号順に指名しているのを見れば、ふつうじぶんの番号が近い時点でかまえる、少しは教師の話をきこうとする、そういう構えすらいっさい見せず、毎回毎回こちらからの質問を受けてはじめてスマホから顔をあげ、周囲に状況を聞き、それから教科書やプリントをペラペラして返事をよこすというクソみたいな反応を示すからであり、あのな、おめーおれが高校生のころやったら完全にボコっとるぞ、と毎週ひそかにイライラしていた。だからわざと名前をあげて批判したかたち。どうせ今回のこのメッセージ、そのままクラスメイトからなるグループチャットのほうに転送されるに決まっているので。
 K.Kさん用の追試を作成して印刷する。チェンマイのシャワーを浴びる。あたらしい電気ケトルで湯をわかしてコーヒーを淹れる。そのコーヒーを飲みながら1年前と10年前の記事を読み返す。2014年4月25日は「熟コン」当日。合計27000字以上に達していたが、すばらしくよく書けていた。必読(https://iwasnotbornyesterday.hatenablog.com/entry/2014/04/25/000000)。いちおう以下に何箇所か引いておくが、全文通して読んだほうがおもしろい。

するどく射しこむというよりはまんべんなく照らすような暮れがけの黄金色がときどき目にしみた。風景がこういう色合いのもとに染めぬかれる季節というものがたしかにあった。去りゆくたびごとに忘れさり、おとずれるたびごとに思い出す、そういうささやかなうつりゆきのしるしをして季節感と呼びならわすのかもしれないと思った。

Jさんの結婚歴といえば、たしか場のまだそれほど温まっていない段階であったような気がするのだけれど、二人目の奥さんであるところのフィリピン人女性とは結婚生活二年半だか三年半だかのあいだに「夜の生活」は二度しかしていないという事実をとつぜんぶちまけた一幕もあった(だが、はたしてあれはほんとうに「場のまだそれほど温まっていない段階」だったろうか? 少なくともこちらはすでになかなかけっこうほろ酔いの域にあった気がする、なぜならそのエピソードを受けたSちゃんYちゃんが「一年に一回ですね!」と笑って応じたのにかぶせるかたちで、「記念日や!記念日や!」「Jさんのカレンダーではその二日は祝日扱いになっとるんすよ!」「海の日ってあるやないすか? こないだWikipediaで知ったんすけどあれ元はJさんが奥さんと寝た記念日にもうけられたもんなんすよ!」などとクソしょうもないネタをたたみかけた記憶があるから……)。

 そのJさんとあらかじめ念入りにたてていた「歯医者作戦」は見事に失敗に終った。たしかYちゃんだったと思うけれどもこちら三人の関係を問うてきたので、じぶんとJさんは職場の同僚であると応じたその流れから、これもやはりまた場の温まってはいない頃合いではあったものの、しかし自然にいくとしたらもうここしかないだろうと察せられたのでかなり思いきって、「でもJさんは先生ですからね」と二の矢を継いだのだった。すると「先生って、なんの先生です?」というシミュレーション通りの完璧な前ふりが返ってきたので、ここぞとばかりにJさんが歯のほとんどない大口をあけてにこっと笑いながら「歯医者です!」とかましてみたところ、「ええー! そうなんですかー!」という女性陣のクソ素直で無垢で純粋な反応があり、見事なまでな爆死を遂げたのだった。あのー、これ、いちおうもう二週間くらい前から練りに練りまくった作戦やったんですけど、と申し訳なさそうに漏らしてみせると、Yさんがこらえきれないとばかりにゲラゲラ笑いはじめた(帰りの車内で開催された反省会の場でも「なんであそこ大阪人のくせしてまともに受け止めんねん!」とYさんは肩を揺らしてみせた)。作戦は失敗した。ミッションインコンプリート。ただし、収穫がなかったわけではない。その一件があって以降、基本的にこちらが冗談や軽口ばかり口にする阿呆であることのしっかり伝わったという手応えがあった。つまり、これは笑っていいところなのかどうかと相手にためらわせるそのような要素をすべて除去するために必要な下ごしらえのようなものだったと、先の「歯医者」の一件を総括してみせることもできるわけである。イニシエーションには痛みがともなう。然り。

 酒が進むにつれてJさんの口数が増えていった。昭和の芸能人や歌手のモノマネをしてみせたり古いテレビコマーシャルのキャッチフレーズを口にしてみせたり、だれも拾えない球を投げることにかけては超一流の本領をこの席でもやはりまた遺憾なく発揮しつづけた。面白かったのはやはり世代が近いということもあってか、職場ではだれしもがはてなとなるその言葉のひとつひとつにYりんがしっかり反応しときにはドツボにすら入っていたということで、そのたびごとに「やったねJさん! ここすごいキャッチャーおるよ! ぜんぶ拾ってくれる! ぜんぶストライク! これでようやくメジャーリーガーや!」とこちらが茶化しにかかるという一連のパターンがいつのまにか完成していた。あげくのはてには、「けっこう毛だらけ」とJさんが例のごとく口にしたのを受けた若いSちゃんが「猫はいだらけ、ですか?」とおそるおそる口にしたのを目の当たりにして「やるねえ君ィ!!!!」とスーパーコンボゲージがマックス状態になってしまったJさんが、事前の作戦会議でそれだけはしてはならないとYさんから強く言い聞かせられていたはずの禁じ手こと「小ばなし」を披露しますと言い出し、その宣誓の時点でじぶんとYさんはもう苦笑を通りこしての爆笑であとはもう野となれ山となれだったのだけれど、むかしね、あるところにね、散髪屋さんがおったんですわ、散髪ってのはあれ、そのー、髪を切るね、いまでいうヘヤーなんとか、その散髪屋さんがね、ある男が店にきて、そいで拳銃でバーン、バーン、バーン、と、ここまで話したところでYちゃんが身を乗り出すようにして「三発撃たれたんですね!」とかぶせるようにして口にすると、まさかオチを先取りされるとは思ってもなかったらしいJさんが文字どおり開いた口がふさがらないという表情を浮べたまま完全にしずまりかえってしまい、これには死ぬほど笑った。一座がどかんと沸いた。「歯医者」のくだりとならぶこの夜のJさんの白眉だった。

 作業中、S.Eくんから微信がとどいた。作文コンクールに興味があるらしかった。それでいえば、三年生のK.Kさんからもコンクールに参加するとの連絡があった。彼女はこれで三年連続の参加となる。

 今日づけの記事もここまで書くと、時刻は22時半だった。歯磨きをする。一年生1班の学習委員であるY.Tさんからようやく返信がある。次回の授業以降、教室前方に座る学生が決まったという。Y.Eさん、S.Bさん、Y.Kさん、R.Tさん、Y.Tさん、R.Sさん、T.Gさん、K.Kくん、Y.Kさん、S.Kさん、S.Eくん、S.Mくん、F.Mさん、K.Bさんの合計14人。約半数。この人数ならだいぶやりやすくなったと思うが、おい! おれが評価しとったS.GくんとH.Kさんが入っとらんやんけ! こちらとしては優秀な面々が集まってくれればいいかなというあたまだったのだが、案外そうでもないメンツになった気がする、特にF.Mさんなんて先学期の期末試験でクラスワーストに近い点数をとっているのだが、本当に授業を受ける気なの? 後ろでもうのんびり過ごしていればいいんじゃないの? という感じ。Y.Tさんからは長々とした謝罪の文面もとどいたが、これについては謝罪の必要はないと返信。後ろに座るという学生らにも正直に答えてくれたことに対して感謝していると伝えてほしいと続けた。
 その後、なぜかYouTubeでだらだらと日本人メジャーリーガーの動画などを視聴してしまった。なんでか知らんが定期的に観てしまうものに、メジャーリーガーの好プレー集と将棋の伝説の一手コンピレーション動画がある。野球も将棋も全然興味ないのに。