20240504

 意識というのはそのようにあやふやなものの総体というよりも集合体であって、オーケストラがそれぞれ勝手に楽器を鳴らしているときに偶然にもちゃんとした音楽のようなものに聞こえた状態、それが意識なのではないかと思う。
 あるいは、もう少し統制されていて、三十人いる楽団員は全員、自分たちの演奏するレパートリーはマスターできている。レパートリーは百曲以上あり、一つの曲はだいたい数分間しかつづけることができない。曲の転換の合図は外から突然鳴らされ、その合図に最もふさわしいと思った奏者が自分の判断でどんどん次の曲を演奏しはじめ、他の団員はとっさに曲目を聴き分けてその演奏に追随する。
 どちらのイメージでも肝心なところは指揮者がいないということだ。意識とは指揮者のような全体を見渡せる何かが統括しているわけではなく、個々の楽団員の方に主導権がある。もし指揮者がいるとしても、指揮者は鳴っている音楽に合わせて指揮棒を動かしているにすぎない。
保坂和志『小説の誕生』 p.431)



 10時半起床。菓子パンとコーヒーの朝食。菓子パンはきのう第五食堂そばのパン屋で買ったものだが、小さいやつ三つで12元して、なんかいよいよ食いもんの値段も日中でそうひらきがなくなりつつあるよなと思ったのだった。
 12時過ぎから16時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。きのうにひきつづきシーン41を加筆修正する。すごくすごくすごく良くなったことはまちがいないのだが、うまくハマったかどうか不安なところが一箇所あるので、そこだけ明日またチェックする。シーン42もがっつり加筆する。かなり短いシーン。全篇通していちばん短いかもしれん。なくても成立するシーンであるのだが、だからこそ残したい、ふしぎな魅力のあるシーンにしたい。
 しかし敲を重ねるごとに加筆しているわけだが、その加筆というのが多くの場合、人物の動作や風景をより細かく分節し、文と文のあいだにあらたな文を挿入していくという、分け入っても分け入っても文の山的ないとなみになっていて、これ無条件でよしとしていいわけでもないよなと思う。書かないですませたほうがいいところもきっとあるはずなのだ。しかし人間ひとりが道で転ぶにしても、その右手左手右足左足がそれぞれどのような順序でどのように動いたのかを克明に書き記していくほうが楽しいというのは正直ある、そしてその楽しさに淫することをときには自制すべきなのだ。
 きのうづけの記事の続きを書く。17時半をいくらかまわったところで二年生のC.Rくんから着信。K.Kさんとそろって寮の前に到着したという。スマホと財布(現金はほとんど入っておらず、鍵と饭卡用のケースとなっている)だけ持って部屋を出る。門の外でふたりと合流。どこに食べにいくか決めていないというので、とりあえず后街にむけて歩いていくことに。ふたりはルームメイトや友人らといっしょに先日「密室ゲーム」で遊んだという。ここ数年うちの学生たちがよくこの手の施設をおとずれて遊んでいるのを朋友圈で確認している。たぶん日本にもよく似たものがあると思うのだが——と、書いたところでググってみたのだが、どうやら日本では「リアル脱出ゲーム」と呼ばれているらしい。ふたりが先日参加したのはホラーテイストのものだったという。K.Kさんがホラー好きであるしそういうものをチョイスしたんだろうが、現場ではけっこうキャーキャー悲鳴をあげていたとC.Rくんが楽しそうにからかう。K.Kさん曰く、「鬼」役の人間が突然扉をバーンとあけて驚かしにやってくることがあったのだという。
 地下道と病院を抜ける。メシはひさびさに麻辣香锅を食うことに。店に入る。冷蔵庫のなかの食材をトングでひっつかんでボウルにガシガシ入れていく。レジでそのボウルを渡す。味付けは不辣不麻でお願いする。会計は79元。39元こちらがもつ。ふたりはけっこうしつこく遠慮した。二階席に移動して運ばれてきたものを食う。量はちょっと少なかった。男がふたりいたのだから肉も野菜ももっとボウルにぶちこむべきだった。
 今年の年末に大学院試験をひかえているK.Kさんであるが、志望校を吉林大学ではなく瀋陽にある東北大学に変更するかもしれないという。吉林大学は彼女にとってちょっとレベルが高すぎるらしい。C.Rくんと付き合ってからというもの、中国の恋人らの例に漏れずほとんど毎日のようにふたりで散歩して過ごしているようであるので、正直大学院試験はきびしいんではないかと思うし、どうも彼女自身そう考えているようだった。先日、付き合って一ヶ月の記念日だったので、彼女はC.Rくんのためにわざわざシルバーのブレスレットを買ったというのだが、C.Rくんはそんな記念日のことなどすっかり忘れていた。K.Kさんはそのことでちょっとおかんむりのようすだったし、彼女のクラスメイトやルームメイトもC.Rくんは「思いやり」が欠けていると批判しているとのこと。ちなみにこの「思いやり」という言葉について、C.R先生の授業でこれこそまさに日本(人)の特徴であるとレクチャーされたとのこと。夏休みはK.Kさんは故郷の大連に帰って勉強する。C.Rくんはどうするのかとたずねると、学生会の行事で陝西省をおとずれることになるだろうとのこと。学生会は二年生で終わりなんじゃないのかとたずねると、C.Rくんはおそらく三年生時に会長になるだろうという返事。秘密ですよというので、教員との関係がよろしい彼のことであるし、内々ですでにそういう話がついているのかもしれない。学生会については典型的な「政治」の場であると、これまで途中で会を離脱した学生らからさんざん悪評を聞かされている。要するに、关系がものをいう環境というわけだ。しかしC.Rくんが会長になるのだとすると、日本語学科の学生が外国語学院の学生会のトップに就くということになるわけで、これはS.MさんやY.Eくん以来の快挙ということにいちおうなるはず。
 店を出る。(…)で食パンを三袋買う。病院と地下道を抜けてキャンパスにもどる。ふたりがケンカしたりのろけたりするのをききながら寮にもどる。K.Kさんは「不良みたいな男の子」が好きだと公言してはばからないわけだが、全然不良ではないC.Rくんと付き合っている。しかし抖音ではいまでも不良っぽいイケメンの動画をしょっちゅう鑑賞しているという。それをC.Rくんがあきれたようすで指摘すると、じゃあそっちはどうなんだとK.Kさんが反論し、相手のスマホを奪いとって抖音の履歴かなにかをチェックしたのだが、JKファッションのかわいい女子や旗袍を着用したセクシーなお姉さんがくねくねダンスしている動画にばかり点赞しているのが判明し、これには爆笑してしまった。K.KさんはK.Kさんで、筋肉質のイケメンがシャツを脱いで半裸になる動画に点赞していたので、正直どっちもどっちであるが。
 寮に到着する。門前でなお立ち話を続ける。K.Kさんは日常のささやかなことでもC.Rくんと共有したい。だから食事中の料理の写真や道端で見つけた花の写真などを逐一C.Rくんに送るのだが、C.Rくんのほうではそういう写真を全然送ってくれない、それが不満であると口にした。そういうのマジめんどくせえよなァと内心ひそかにC.Rくんに同情していると、男は一般的に言って写真を撮るのは好きじゃないですとC.Rくんはかなり苦しい言い訳を口にした。それに写真を撮って送るのはちょっと……と言い淀んだのち、K.Kさんのほうをちらりと見て、麻烦ですと続けるので、そこは正直にぶっちゃけるんかよと大笑いしてしまった。K.Kさんは付き合って一ヶ月の記念日を彼が忘れていた一件のほかに、風邪気味であると伝えた彼女に対してC.Rくんが多喝热水というお決まりの文句しか寄越さなかった件についても立腹しているふうだった、S.Sさんの彼氏だったらきっと差し入れの外卖を注文してくれると不満を口にした。さらに、付き合う前のほうがこまめに連絡をとってくれたし優しかったというので、まあそれはあるあるやよなと思った。あと、ジャンケンで負けたほうが自撮り写真を送るというゲームをしていたとき、負けたC.Rくんの送ってきた写真がじぶんひとりだけ写っているものではなく友人(女子含む)といっしょに写っているものだったとか、自分はスマホの待受画面にC.Rくんの写真を設定したのにC.Rくんのほうではなかなか設定してくれなかったとか、そういう些細な不満がつらつらつらつら続いて、彼女には本当に悪いのだが、おれCくんの立場やったら三分でK.Kさんと別れるわと思った。マジで無理っす。毎日微信だのLINEだのでやりとりせにゃならんって考えるだけでサブイボ立ってくるわ——と考えたところで思ったんやが、交換日記ってやばい発明やな! 毎日何十通何百通としょうもないメッセージを義務感で交わすくらいやったら交換日記すりゃええやんけ! 交換日記やったらワシなんぼでも書けるわ!

 帰宅。20分ほど仮眠をとる。チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。1年前と10年前の記事を読みかえし、そのまま今日づけの記事も途中まで書く。作業中は『botto』(野口文)と『アセトン』(原口沙輔)と『Awakening:Sleeping』(MASS OF THE FERMENTING DREGS)を流した。MASS OF THE FERMENTING DREGSの“Just”という楽曲、マイブラやんと思った。
 23時半になったところで作業を中断し、冷食の餃子を食った。歯磨きをし、今学期の残りのスケジュールをざっと確認する。5月はやっぱりバタバタしそう。あー、いやだいやだ。
 生活リズムをぼちぼちたてなおす必要があるので歯磨きをすませてとっとと寝床に移動。眠気をもよおすまで『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読み進めるつもりだったが、途中でふと「塵と光線」のことを思い出した。思い出したからにはたまには更新しておこう、なんといってあれはいちおう作家名義でやっているブログなのだからとなり、それで『S&T』の中からいま読んでも許せるみじかい断片をいくつかまとめてピックアップし投稿しておいた。それでふたたび書見。先日ひさしぶりに新人賞に原稿を応募するのもいいかなと書きつけたわけだが、でもそういうメジャーシーンで名前が売れてしまうと、いまみたいにこうやって日記をオープンにするのもちょっとむずかしくなるのかな、また以前のように会員制にしてひきこもる必要があるのかな、それはちょっとアレかもしれん、せっかくこの空気この意識にもなじんできたところであるのに、それに応じて手癖にもぼんやり変化のようなものがみえてきたところであるのに、そのタイミングでまたひきこもるとなったらなんとなくもったいない気がする。辺境は気軽でええもんやでほんまに!