20240620

As she stood up to feel if the dress-basket was firm she caught sight of herself in the mirror, quite white, with big round eyes. She untied her "motor veil" and unbuttoned her green cape. "But it's all over now," she said to the mirror face, feeling in some way that it was more frightened than she.
(Katherine Mansfield “Bliss and Other Stories”より“The Little Governess”)



 6時15分起床。8時から三年生の日語文章選読。期末試験その一。以前書いてもらった作文について7分前後マンツーマンで会話するというもの。さすがに三年生だけあって筆談の必要はほぼなかった。今日はR.Kさん、J.Kさん、K.Sさん、Y.Gさん、K.Sさん、C.Kさん、G.Gさん、C.Sさん、R.Sさん、T.Tさん、R.Sさん。文句なしだったのはC.KさんとR.Sさんのふたり。R.Kさんもかなりよかった。C.KさんにいたってはR.Sさん以上の口語能力かもしれない。彼女は一年生のときはさほど目立っていなかった、というよりもクラスで下から数えたほうがはやい位置につけていたと思うのだが、二年生の途中から、あれ? この子けっこうできるんちゃうか? となって、後期には文句なしの「優」をつけたのではなかったか? 今回もせっかくなのでベタ褒めしておいた。大学院に進学するつもりはあるのかとたずねると、今年はインターンシップで日本に行くので院試には挑戦しないという。大親友のJ.Kさんとそろって半年間鹿児島に滞在予定。鹿児島はどうですかというので、まあ田舎だねと返事。あとは火山に気をつけなさいと適当なことを笑って伝えると、鹿児島に行った先輩から日本の温泉は最高だと聞いた、それが本当に楽しみだというので、R.Sさんだな、彼女はたしかにモーメンツでも温泉に毎日浸かるようになったおかげでずっと悩まされていた肌荒れがよくなったみたいなことを投稿していたなと思い出した。C.Kさんは日本の大学院に進学したいと考えているという。両親はだいじょうぶ? 家族には反対されない? とたずねると、むしろ支持してくれるという。海外の大学院卒となれば箔がつくかららしい。インターンシップで日本に行く学生はかなり多い。今日確認できただけでもR.KさんとR.Sさんが淡路島、J.KさんとC.Kさんが鹿児島、Y.GさんとG.GさんとC.Sさんが栃木に半年間滞在する予定。Y.Gさんの日本語能力はちょっとあやしいが(J.KさんR.Sさんもやや不安)、ほかの面々は基礎がある程度しっかりしているし、方言およびネイティヴの発話速度に慣れさえしたら問題ないはず。あと、R.Kさんについては、一年前の期末試験でうつ病持ちであることをカミングアウトされていたので、その点について確認。最近はまずまず安定しているとのこと。しかしこうしてインターンシップに参加する許可がおりているということは、O.Gさんとはちがって学内のメンタルヘルスチェックにひっかからなかったということだろうか?
 テストは終業時間とほぼ同時に終わった。便所で小便するために廊下に出ると、例によって二年生らと廊下で遭遇し、そのまま立ち話をする流れに。C.Rくん、T.Uさん、R.Hさん、R.Kさんといういつものメンツ。R.Kさんはこれまでにこちらが受け持ってきた学生のなかでダントツのアニメ声の持ち主であり、実際にアニメキャラやゲームキャラのコスプレをするくらい熱心なオタクでもあるので口調もややアニメキャラっぽく、かつ、声がけっこうデカくこちら相手にもひるまずガンガン話しかけてくるタイプであるので、ふたりで廊下で立ち話をしていると、他学部の学生らがなんだなんだという感じでわれわれのほうをけっこうジロジロ見ていく。学生たちはこれからリスニングの授業のテストだといった。それほどむずかしくないでしょうとたずねると、試験範囲がとても広いので不安だという。
 教務室へ。日語基礎写作(二)の期末試験問題AとBを提出。
 10時から一年生1班の日語会話(二)。期末試験その三。Y.Eさん、H.Kさん、Y.Iさん、S.Eくん、K.Kくん、R.Kさん、S.Gくん、H.Mさん、C.Iくんの計9人。文句なしの「優」はY.Eさん、S.Eくん、K.Kくん、S.Gくん、C.Iくん。S.Eくんとはテスト後、今日の予定について相談。午後授業があるのでそれが終わってからうちに来るという。となると16時半ごろか。しかし夜は夜で授業がある。さっき突然そういう通知が入ったというので、じゃあ夕飯もいっしょにという流れではないのかな、コーヒーだけ飲んで小一時間だべってはやめに解散かなと予想した。
 Jで食パンを三袋購入。第五食堂で閑古鳥の広州料理を打包。帰宅後、食しながら『serial experiments lain』第5話。「冥府は溢れている/死者共は行き場を失うだろう」というフレーズを目にして、いやいや、『回路』(黒沢清)やんけ! となる。しかし『回路』は2001年。1998年の『serial experiments lain』のほうがはやい。あと、これは第1話を観たときからずっと思っているのだが、玲音の声がSPANK HAPPY第二期の岩澤瞳にそっくり。清水香里という声優らしい。
 H.Kさん、S.Gくん、Y.Iさんの早口言葉を採点して返信。R.Sさんのスピーチ原稿を録音して送信。その後、一時間半ほど昼寝。日記原理主義者なので小手先で誤魔化すことなく率直に記録するが、一年生1班のY.Eさんといっしょに実家の一室にいる夢を見た。薄暗い部屋に横たわるこちらのあたまをなぜか彼女が黙ったままやさしくなでているというもの。ダイレクトに性的なものではなかったが、その分余計になまなましいというか、おれは酸いも甘いも噛み分けた中年やから命拾いしたがこれ思春期やったら一発で好きになっとったぞと思った。いやしかし、なんちゅうはずかしい夢なんや。これやったらやることやったっちゅう夢見るほうがよっぽどマシや。こちらはこれまでY.Eさんをそういう対象として見たことはない。
 四年生のC.IさんとR.Mさんから微信。最後の食事に行きましょうという誘い。なんとなくそうなると思っていたんだよなと了承。S.Eくんにこれこれこういう事情なのでコーヒーの件はまた後日にたのむと連絡する。きのうづけの記事の続きを書く。
 待ち合わせは16時半に女子寮前。小雨の中、傘をさして徒歩でむかう。女子寮に到着後、ふたりがやってくるのを待っていると、一年生のK.Kさん、H.Kさん、R.Kさんからたてつづけに声がかかる。全員メシの入った袋を手にさげている。
 C.IさんとR.Mさんがやってきたところで南門にむけて歩き出す。歩き出すと同時に雨脚が強くなる。ひどい蒸し暑さ。今年いちばんの不快指数。滴滴で呼んだ車に乗りこむ。運転手はめずらしく女性。後部座席のふたりに声をかけるこちらのようすを見て、どこの人間だという。日本人だと後ろのふたりがいうと、見た目では全然わからなかったと笑う。その後なにやらあれこれ口にしていたが、学生らが通訳しようとしなかったところから察するに、たぶんあんまりよろしい話ではなかったのだろう。追求はしない。
 以前おなじメンツでおとずれたカフェのある通りで車をおりる。目当ての店はその近くにある。おとずれるのははじめてだが、ネットでの評判はいいとのこと。名物料理は牛蛙。外観も内装もこの街のどこにでもある小汚い店舗。エアコンもない。ただ店の片隅にぴかぴかした真新しい黒板が掲げられており、そこに网红菜なんちゃらという文字とともに人気メニューが10品書かれている。网红菜って、あれ、ほんとなの? とふたりにたずねると、ほんと! という返事。小红书でちょっと話題になっている店だというのだが、そんなもん网红になんぼか払ったらなっとでもなるやろというのがこちらの率直な感想。网红うんぬんというわりには周囲の客も全員地元のおっさんおばさんばかり(17時になるかならないかの時間帯から白酒を飲んでいる)。牛蛙はまあまあうまかった(しかし辛さひかえめで注文したにもかかわらず辛い)。ほか、アスパラガスの炒めもの、茄子を卵でつつんで揚げたものも注文した。これらはなかなかうまかった。
 食事中は例によっていろいろ話す。K先生が入院したという話があった。原因不明の頭痛の原因を探るべく精密検査を受けるのだ、と。のちほどモーメンツにベッドにあおむけになった自撮りを投稿していたのだが、脳波をチェックするためだろう、まるで開頭手術でもすませたあとみたいに白いネットをあたまにかぶせていて、五、六時間はこのままでいないといけない、スマホを使ってもいけないと言われたというメッセージを付しており、あ、きのうこちらに伝えようとしていたのはこの件かもしれないなと思った。K先生は心臓も悪いという話であったし、ひざにも爆弾を抱えているし、何年か前には帯状疱疹にもなっていたし、いろいろだいじょうぶなんだろうかとちょっと心配になる。

 卒業旅行でおとずれた雲南省の話。R.Sさんがタクシーに足を轢かれたという。タクシーに乗りこんでいる最中、R.Sさんがまだ車外にいた段階でタクシーが発車した。そのために足の甲を轢かれたというのだが、運転手は最初じぶんの罪を認めず、その後おとずれた病院で支払う医療費についても割り勘にするべきだと主張したとのこと。怪我はたいしたことなかったという。
 今後の予定について。ふたりとも広東省に出ることを考えているという。やはり(…)省には仕事がないらしい。日本語を使う仕事となると、貿易関係がメインになり、となるとやはり広東省、上海、深圳あたりに出るしかないようだ。のちほど聞いたのだが、R.Mさんは本当は南京に行きたいという。特に理由はないのだが、なんとなく子どものころから将来は南京に住みたいというあたまがあった。しかし広東省にくらべると仕事が少ないので、現実的ではないかなと考えているとのこと。
 店を出る。帰路は小一時間ほど歩く。途中、入り口にパレスチナの国旗を掲げている店がある。中国では最近パレスチナ支持を公の場所で訴える運動みたいなものが散見せられるのだが、不思議なのは当局がそれを規制しようとしていることだ。パレスチナ支持を訴える中国人の大部分は、イスラエルアメリカ=世界の巨悪というお上から上意下達される図式にただ機械的に従っているだけでしかないのだが、そしてそうであるかぎり当局がパレスチナ支持を訴える声を規制するというのは理屈に合わないわけだが、もしかしたらこの問題をきっかけに人民に人権意識が芽生えることをおそれているのかもしれない、そうした批判意識がいずれほかでもないこの社会にはえかねってくることを警戒しているのかもしれない。あるいはたとえそれがどのような訴えであれ、社会的な主張を当局の許可なしに公然と訴えるというふるまい自体を取り締まる社会になりつつあるということなのかもしれない(白紙運動以降の変化?)。
 K.Kさんの話をする。追試の答案を書き直しさせろという要求があったというと、ふたりともびっくりしていた。のみならず、その書き直しをこちらの手でさせようとしたり、日本語などまったくできない自分の友人にさせようとしたり(しかも事前連絡なしにその友人を試験中の教室に送りこんでくる)、あまりにも無茶な要求を重ねるものだからさすがにキレてしまったというと、ふたりともいくらなんでもそれは先生に対して失礼すぎる、ちょっと考えられない、普通じゃないと唖然としていた。やっぱりあの詐欺会社のせいなのかなという。R.Kさんも一度Kさんに誘われてあの会社に行ったことがあるらしいけど、これはあやしいとなってすぐに帰ってきたみたいだねというと、R.KさんはK.Kさんが心配だったので一度だけ会社に同行したのだという返事があり、そういう世話焼きなところはいかにもR.Kさんらしいな、彼女は班导としても後輩からけっこう慕われているもんなとなった。
 日本に帰るときはわたしたちに連絡してくださいとふたりは言った。一時帰国前の話ではない、本帰国前の話だなと口調でわかった。(…)の日本語学科が潰れたタイミングでたぶん帰国するよというと、60歳までいないんですかとC.Iさんがいうので、それは考えたことがないなァと受けた。
 (…)公园の入り口そばにバーがあった。おもてにたててある黒板に美式咖啡や柠檬茶という品書きもあったので、喉が渇いていることであるしここでちょっとレモンティーを打包するよといった(辛いものを食べたあとなのでコーヒーはひかえた)。十畳ほどの横に長い一室。バーカウンターがあり、ボトルがならべられている。店内はかなりうすぐらい。入り口側の壁ぎわにはソファとテーブル。カウンターのむこうには若い男の子がひとり立っている。打包可以吗? とたずねると、肯定の返事があったので、レモンティーを注文する。一杯16元。高すぎるとふたりがびっくりする。蜜雪冰城だったら4元だというので、そりゃあんなチェーン店とこういうタイプの店を比べちゃダメだよという。できあがるまでのあいだソファ席に座って待つ。ほかに客はひとりもいなかったが、ふたりはやや緊張しているようす。バーだのカフェだのに入る習慣はふたりにない。バーやカフェというのは芸術家が集まるところだからという。都市部ではそうでもないだろうが、中国の田舎ではそういう認識なんだなと思う。実際、この国にある個人経営のカフェをおとずれると、きまってアーティスト崩れみたいな男の姿を見かける。C.Iさんがトイレに立つ。バーであるにもかかわらずトイレがないので、わざわざ外に探しにいく。そのあいだR.Mさんとぽつぽつ言葉を交わす。R.Mさんが以前ワインを好むといったのをおぼえていたので指摘すると、市販のものは別に飲まない、ただ故郷に名物のワインがありそれだけは好んでいるという返事。父親もおじさんも大酒飲みらしく、じぶんもたぶん飲もうと思えばけっこうどれだけでも飲めるタイプだと思うが、酒はそれほど好きではないとのこと(日本ではほろ酔いをたくさん飲んだ)。
 レモンティーができあがるまで20分ほどは待った。カクテルを作るみたいにシェイカーでシャカシャカやっている姿を見て、あ、これは絶対うまいわ、次はここでコーヒーを飲んでみようと思った。で、できあがったものに実際に口をつけてみたところ、やはりかなりうまくて、うん、これだったら16元の価値がある!
 C.Iさんがもどってきたところで店を出る。C.Iさんは今日このまま実家に帰るという。そういうわけで近場のバス停に移動。C.IさんはそこでR.Mさんにポチ袋を渡した。たぶん手紙だろう。親友である彼女にこれまでどうもありがとうのメッセージを送ったのだと思う。今日このまま帰るというのは意外だった。最後のお別れの瞬間にじぶんが立ち会ってしまってもいいのだろうかという戸惑いもあった。バスはじきに到着した。じゃあまたね! と声をかける。バスに乗りこんだ彼女が後部座席にむかって歩いていく様子を、バスの外からながめながら手をふっていたのだが、C.Iさんは一度も窓の外のわれわれに目をやらなかった。R.Mさんとそろって笑った。
 R.Mさんとふたりでキャンパスにもどる。R.Mさんは明後日の朝、大学を去るという。荷造りはまだ終わっていない。当日は父親が車で迎えにくるという。大学から実家まで車でどれくらいかかるのとたずねると、三時間か四時間くらいだというので、ああ、けっこう近いんだねと受ける。受けたところで、中国にいると感覚が変になるね、日本だったら車で三時間なんて近いとは言わないんだけど、中国にいるとすごく近く感じるよという。ルームメイトで最後まで寮に残るのはだれなのとたずねると、たぶんG.Tさんという返事。G.Tさんは卒業旅行にも同行しなかった。S.Eさんと同様、ほかのルームメイトらとの関係が悪いのかなと思ったが、別にそういうわけでもないらしい。ただ、毎日ゲームばかりしているという。課金もけっこうしているはずだから、それでお金がなかったのかもしれないというので、たしかに彼女はしょっちゅうモーメンツにゲームの画面を投稿しているなと思う。
 女子寮前で別れる。仕事が決まったらまた連絡してねと伝える。寮にもどり、チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2014年6月20日づけの記事より。笑った。

(…)高円寺ぐらしが、そんなふうで、何ヶ月かつづいたが、近所の商人たち、米屋、雑貨屋、そば屋、豆腐屋と、店並(かどな)みに借金ができ、豆腐屋などは、一丁五銭の豆腐が百丁、計五円也というためかたであった。商人は、今日より弱腰だったとは言え、八方からの矢の催促をふり払うだけで毎日神経がくたびれた。友人の陶山篤太郎が「放っておき給え。僕などは、家賃を二十六ヶ月ためている。おなじ長屋の連中がそれで気をつよくして、有難がっているので、いまさら払うわけにはゆかなくなったよ」と苦に病んでいる私を励ました。
金子光晴『どくろ杯』)

 そのまま今日づけの記事も途中まで書く。夜食のインスタントラーメンを食しながら『serial experiments lain』第6話を視聴する。寝床に移動後、The Habit of Being(Flannery O’Connor)の続きを読みすすめて就寝。