20140415

 彼は自分をひとつの「類」と見なしていたが、それに属しているのは彼ひとりきりだった
(残雪/近藤直子・訳「素性の知れないふたり」)



 8時半に起きた。あたらしい時間割のはじまりである。歯を磨きストレッチをしパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。そうして9時半からたまっている日記の続きを書きはじめた。12時を前にしてようやく10日付けの記事を完成させることができたので投稿し、香川で購入したキリンラーメンにささみと水菜をぶちこんで食した。この昼食後に本来は英語の勉強(そして場合によっては仮眠)をするつもりでいるのだが、いまはそれよりも日記を片付けるのが先決だと思われたので、16時まで11日付けの記事を延々と書きつないだ。こうして旅先の記録を日記としてつけていると思うのだが、たとえば一年後でも三年後でも五年後でもいいのだけれど、これら旅先の日々をふと思い返すことがあったとしても、じっさいに彼の地で過ごした記憶をそのまま想起するというよりはむしろそれらの日々を記録した日記の文章のほうを優先的に思い出すことになるんではないか、たとえ記憶そのものの想起にいたることがあったとしてもあくまでもそれらの文章を起点とすることではじめてそこにいたるというふうになるんではないか、それくらいじぶんのなかでは文として整列された体験のほうが五感で受容されたなまものの記憶よりもずっと幅をきかせているようなところがあるような気がしてやまない。職業病というのは世の中にたくさんあるけれど、こうした記憶のたくわえ方というのは毎日飽きもせずに日記を書きつけているここ数年のこちらにおける一種の職業病(というよりは生活習慣病といったほうが適切かもしれないけど)みたいなものともいえるかもしれない。
 ダンベルを使って筋トレした。香川の銭湯で半裸のじぶんの姿をおおきな鏡にうつしてみたときに思ったのだけれど、肩の筋肉が足りないせいでひょろひょろにみえるような気がする。ゆえに三角筋を鍛えたい。そうしてもうすこしマシな肩幅を獲得したい。
 ケッタに乗ってスーパーに買い出しに出かけたのち、玄米・冷や奴・納豆・もずく・なすびの漬け物・水菜とレタスのサラダ・茹でたささみのしょうもない夕飯を喰らった。喰らっている途中に猛烈な便意におそわれて便所に駆け込んだ。すさまじい下痢だった。筋トレ後のプロテイン摂取後、時間を置かずに夕食をとると、だいたいこうなってしまう気がする。消化の処理が追いつかないのだ。難儀な内臓である。
 猛烈な眠気があった。30分弱の仮眠をとるつもりで目覚ましをセットして布団にもぐりこんだが、あまりに猛烈な眠気だったので起きることができるのだろうかと不安に思うところがあった。めざめるとはたして22時前だった。せっかくの時間割がこれで台無しになったわけだった。最悪の気分だった。
 ひとまずシャワーを浴びて部屋にもどったのち、11日付けの日記の続きにとりかかった。3時過ぎまで延々と書きつないでようやくの完成をみたところで見直しは翌日にまわすことにして布団にもぐりこんだ。山内マリコ『ここは退屈迎えにきて』の続きを読み、眠気のきざしたところで本を閉じて消灯した。6時だった。ガラス戸越しにさしこむ屋外の空気はすでに青白かった。布団を頭までかぶって目を閉じた。