20140612

(…)土手に沿って風の走るのが、土手そのものが風上へ向かって走っているように聞こえる。その力に引かれて家々の軒も順々に傾いで、やっと踏み留まっている。そのまま町全体がずるずると押し流されかける。しかし風の間には恐ろしい静まりがある。
古井由吉『野川』より「一滴の水」)



 15時過ぎに起きた。身体中がだるくてしんどくて痛くてしかたなかった。シラフにもかかわらず11時間近く眠っていたことになる。原因はわかっている。うまく書けなかったからだ。不貞寝というよりは腹いせに近い感情だった。じぶんでじぶんのいちばんいやがることをやってのけたわけだった。なにもかもうまくいかなかったきのうのじぶんが、あらたまった一日にあって無関係なはずの今日のじぶんに八つ当たりをした格好である。まったくもって幼稚きわまりない話だが。
 夢を見すぎたが、どれひとつおぼえていない。浅い眠り特有の、現実と大部分が地続きになった内容だったように思いかえされる。歯を磨き顔を洗った。おもての気配はすでに昼下がりを経て夕刻の域にさしかかっていた。今日をどうして過ごそうかと思った。ポストに分厚い封筒が届いていた。口を破いて中身を取り出してみると、市民税と府民税にまつわる書類だった。両者ともにこれまでいちども支払ったことがなかった。支払う義務もなかった。公的な収入はずっと0円だったからである。今年からはちがった。一年間で二万円近く支払う必要があるらしかった。印税が全額消し飛んでしまう。
 ストレッチをしてから洗濯機をまわした。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとってから昨日付けのブログを投稿した。睡眠時間をこれからは6時間にしようみたいなことが書いてあった。話にならないと思った。とちゅうで豪雨が降りだした。典型的な夕立だった。すぐに止んだ。今日をどうして過ごそうかとまた思った。わるい生活が続いていた。うまい気分転換をはかる必要があった。英語は来週までおあずけになりそうだった。
 ここまで書くと17時半だった。一年前の日記の読みなおしをした。2013年6月12日付けの記事の、最後の段落がよかった。部屋が暑くてたまらないという愚痴からはじまって以下のように続き、そのまま放りだされる。山内マリコの、西洋人女性の出てくるあの短編のラストを思い出した。

ひとり暮らしをはじめて十年近くになるはずなのだが、いまだにまともな部屋に住んだことがない。バンコクで最初に泊まった古いゲストハウスで出会った世界一周旅行中の日本人はここがゲストハウスの底辺、この部屋で過ごすことができたらだいたい東南アジアのどんなゲストハウスでも快適に過ごすことができると親切にも教えてくれたが、部屋に足を踏み入れたじぶんが最初に抱いた感想は、前日まで寝起きしていた京都のアパートもこれくらい快適であればいいのに、というものだった。くだんの日本人は翌日インドに旅立つ予定らしかった。ほかにすることもないからといって、一日かけてひとまず徒歩圏内にあるバンコク市内の観光地をめぐる予定でいたこちらに同行させてくれないかといった。はじめての海外でいくらかなりと心細かったこちらとしてもありがたい申し出だった。ワット・ポーにむかった。そこでSに出会った。写真を撮ってくれないかと、彼女はこちらの連れ合いに声をかけた。思い出した、彼の名前はTくんといった。お礼をいって立ち去る彼女の後ろ姿を巨大な金ぴかの大仏そっちのけで追いながら、あの娘すごくカワイイっすねー日本人サイズの白人ってはじめて見ましたよまだ若いすよねえきっとティーンかもしれないやばいっすねーおれ声かけていいっすか、そうして寺の出口にさしかかったところで本当に声をかけた。そこからすべてはじまった。Sがマレーシアで出会ったという台湾人の、中年というよりはすでに老境にさしかかっている女性がいつのまにかパーティーメンバーに加わっていた。われわれは女性陣の後につきしたがうかたちでフラワーマーケットを歩いていた。おれとTくんがとりあえず主人公ってことでまあ勇者ってことにするとさ、まああの女の子がいわゆる僧侶的なポジションなわけやん、たぶん回復魔法とか使える感じの、そんであのおばちゃんはおそらくサポート系やよね、普通にプレイしとったら二軍落ちやけど縛りプレイやと活躍する上級プレイヤーが好みそうなキャラ、で、定石通りにいくとこのパーティーに欠けとるんはまずはパワー型やよね、ほやしたぶんそのうち屈強な黒人が仲間になると思うんよ、で、そのあとは、そうやなぁ、アレかな、天才少年、つねにノートパソコン持ちながら移動しとるみたいな、そういうキャラやね、人種はどうしよか、やっぱりユダヤ人かな。そう口にする勇者1のひとことひとことに勇者2は大笑いし、それから不意に、おれよく考えたら明日からインドでした、とつぶやいた。その日の深夜、勇者2はバスでバンコク市街地に住まう友人宅へとむかった。翌朝、勇者1はゲストハウスから徒歩で三十分ほどいったところにある橋の上で僧侶と落ち合った。僧侶は待ち合わせの時間に一時間遅れてやってきた。寝坊だった。台湾人の姿はなかった。黒人もユダヤ人も仲間にならなかった。勇者1と僧侶だけで25日間、魔王のいない異国で旅をつづけた。

 ひとまず買い物にでも出かけようかとうじうじしていたところでEさんから電話があった。Eさんからこちらに電話があるということは十中八九トラブルの告知を意味しているので緊張しながら出ると、YさんとTさんがふたりそろってパクられたとあった。職場に朝から警察が来て、夕刻仕事あがりにそのままパトカーにのせられていったのだという。任意同行だったらしいが、ふたりそろってという点から罪状はだいたい予想できた。帰宅したらひとまずEさんのところに連絡するとあったらしく、Eさんは今日中には仮釈放されるだろうと見越しているようだったが、そうでなかった場合は職場がたいへんなことになる。系列店の閉鎖にともなってここ数日おそろしいくらいの激務が続いているらしいので、ただでさえ人手不足なところにくわえて二名の欠員となってしまうと、これはもうたまったものではない。とりあえず連絡さえくれればいつでも出勤しますからとは申し出たものの、そんな悠長なことばかりいってられる身でもなし、さてどうしたもんかと思ったが、どうするもこうするもなるようになるしかないと割り切るほかない。というわけでブルジョワスーパーに出かけた。割引弁当はすべて売り切れていた。仕方ないので値引き品の総菜を買って、帰宅してからマルタイラーメンといっしょに食べた。ほんのちょっとだけワクワクしているじぶんがいた。こんな馬鹿げたできごとにスリルや非日常を見出してもしかたないだろうにと思いながら風呂に入った。
 部屋にもどりストレッチをした。どしっとかまえて日常を持続するほかないと思ったので喫茶店にむかった。きのう買ったばかりのTシャツを着ていたのでおもてに出るとちょっとウキウキした。21時過ぎから0時過ぎまで滞在して「G」を書いた。マイナス2枚で計259枚。改稿は154番まで。がっつり削ったが、しかしかなりはかどった。ようやく難所をブレイクスルーできた感があった。店に到着してわりとまもない時間帯にEさんにメールを送った。ふたりからの連絡はまだないようだった。朝方まで起きているので連絡があったらこっちにも通知おねがいしますと伝えた。YさんもTさんも執行猶予中の可能性があるのでそれもEさんに伝えた。ちょっと以前にYさんが引っ張られた件、示談になって解決しているのであればまだしも(そのあたりの詳細をたずね忘れていた)、そうでないとすると期間的にまずまちがいなく執行猶予中であるから、今度の一件であわせわざの実刑ということになる。Tさんはおそらく執行猶予中ではないと思うのだが、前科がいくつかあったはずなので、場合によってはやはり実刑をくらう可能性がある。いずれにせよ雲行きのよい話ではなかった。
 帰宅してから懸垂をした。パンプアップしたときの上体がなかなかがっしりしてきた。腹が減ってきたので近所のコンビニに出向いてボンゴレを買った。レジで温めてもらって帰宅するなりすぐに食べた。エロサイトを見て保身(川端康成)したあと、2時から金子光晴『どくろ杯』の抜き書きにとりかかった。ぴったり5時までかかった。とちゅうTwitter上でHくんとやりとりした。Hくん学校あるのにこんなにも夜行性でだいじょうぶなんだろうかと思った。また不眠症気味なのかもしれないとちょっと心配になったが、いちばん心配すべき事柄はしかしそこではないだろうと自嘲が漏れて、どうしてこんなに平気なんだろうかとわれながらいぶかしんだ。人生なめくさってるからだろうという端的な答えがでた。どのみち棒にふってる。じぶんの生活を斜めうえのほうから軽蔑気味に見下してほくそ笑んでる。
 腹が減ったのでパンの耳を食べた。それからヘレン・ケラー『わたしの生涯』片手に寝床にもぐりこみ、6時すぎに消灯した。