20140611

 この夏前まで内山の父親は入退院を幾度か繰り返したがおおむね家にいた。それまで二年あまり、夫婦は三時間とまとまらぬ眠りをきれぎれにつないで暮らしていた。睡眠不足は常態になると睡気も差さなくなる。睡気なしに眠り、睡気なしに覚める。父親を老人病院へ預けてからは、夜の睡眠時間はとにかく確保された。ところが昼間の半端な時に睡気におそわれる。とくに一人で車を運転している最中だ。近頃では休みの日に病院へ通う時よりほかに車を使っていないが、その途中が危い。これには十分に用心している。間違いはなかったつもりだ。先日も間違いはなかった。眼はよく見えていた。手もとはあくまでも確かだった。しかし、遠くのほうと、問答しているのだ……。
 問答している気持だ、と内山は言い直した。遠くは遠くでも、どちらとも方角はない。相手の声が聞こえるわけでない。顔は見えない。問答と言っても、こちらにまず、尋ねるにしても答えるにしても、言葉も考えもない、怪しみがあれば、幻覚だと思えるのだろうが、それもない。目の前の道路と同じく、何の不思議の念も起こさない。ただ、つくづくと尋ねてつくづくと答えているような気持を振り切れない。ついうなずきそうになる。その間際に留まって、眼はいよいよ冴える。車の走る感触が指先に集まる。恐怖感はなかった。しかし病院に着いて車を置いて父親の病棟まで上がったとたんに、全身から汗が噴き出した。額もべったりと濡れる。病人の眼にどう映るかとおそれて、廊下のベンチに坐って汗の引くのを待った。
古井由吉『野川』より「一滴の水」)



 12時起床。きりっとしてさっぱりした起きぬけだった。レム睡眠とノンレム睡眠の切り替わる周期が一時間半でうんぬんとよくいうけれどもたしかに6時間睡眠の朝は快活に起床することができる。いつからそうでなくなってしまったのかはっきりおぼえていないが、睡眠時間はかならず6時間と決めていた一時期もあった、と、書いていて思い出した、自律神経を狂わせてからもう少したっぷり睡眠をとるように心がけはじめたのだった。三年前にもなる。そろそろ6時間生活にもどしてもいいかもしれない。
 歯を磨いて顔を洗って部屋にもどりストレッチをしてからパンの耳2枚とホットコーヒーの朝食をとった。昨日付けのブログを投稿すると1時半だった。おもてはどんよりした曇り空でいつ降りはじめてもおかしくないような生暖かい空気さえ流れていたが、出かけるとしたら今日をおいてほかにはないという謎の確信があったのでそれにしたがいポンチ絵展にむかうことにした。ネットでギャラリーのある場所を調べて、バスか電車かケッタか、迷ったあげく色々と融通のきくケッタで出かけることにした。最寄りのATMで五万円おろした。
 細い路地に入っていかなければならないからと警戒していた道のりだったが、わりとすんなりと現場に到着することができた。nowakiという名前の、京都によくあるタイプの町家ギャラリーだった。軒先にケッタを停めて開きっぱなしの引き戸のむこうに足を踏みいれると奥のほうから女性の話し声が聞こえてきた。三和土で靴を脱いで畳を踏んだ。店主らしい女性と客らしい男性が岡崎乾二郎福永信浅田彰についてなにやらしゃべっていた。二間続きの一階の壁際に書籍や器や雑貨などが陳列されていた。ポンチ絵は木枠の額縁におさめられて壁にかかっていた。ぜんぶで二十にも満たなかった。あとで聞いたところによると、東京の展覧会で百個以上あったうちの九割近くが売れたらしかった。東京の展示ではダンボール製のフレームにおさめられていたが(Aさんのブログで見たやつだ)、ここで展示されているものは岡崎乾二郎自らが手がけたという木材のフレームにおさめられていた。物量の乏しさが悔やまれた。Wさんの指示におとなしくしたがって東京での展覧会を観ておくべきだったと思った。
 なにもかもが展開されつくしたと語られてひさしい美術という分野にこのような「新しさ」、だれの目にも「新発見」として映ずるにちがいない領野が残されていたという事実にやはりおどろいた。とても単純な発想であるはずなのに決定的に「新しい」、つまり、この方法論を元手として枝分かれし展開されていく無数の帰結がきっとあるにちがいないと思わせられるほどの可能性をはらんだ方法だった。作品単独の力強さよりも、あらたな方法の提示そのものに打たれるというめずらしい体験だった(そういう体験はおそらく今後ありえないだろうと語られてひさしい時代なのだ)。描いてから切り貼りした箇所と、切り貼りしてから描いた場所とが複雑にからみあっているなかに、なにも描かれておらずどこにも貼りつけられていない、ただ切られただけの余白を有している作品がひとつだけあって、それが気になった。複雑に入り組み絡みあい錯綜したレイヤー群のなかで、ただそこだけがほかのいかなるレイヤーとも接触をもたずに宙ぶらりんになっている、そういう危うさを平気で残してしまえる岡崎乾二郎という作り手の大胆さに目を見張った。じぶんにはそんな勇気はないと思った。「丘設計事務所」とかなんとか記されている紙が使用されていた。岡崎乾二郎の父親が建築家で、その仕事で用いていた用紙らしかった。「岡」ではなく「丘」とあるのは、「丘」という文字の見た目がパルテノン神殿に似ているという理由で気に入っていたからだと、ギャラリーの女性が教えてくれた。岡崎乾二郎の父親が建築家であるという話がそもそも初耳だった。ウィキで調べてみると母親は発明家とあった。
 美術館だったらいったんソファかどこかに腰かけてゆっくりひとりで考えることもできるのだが、こじんまりとしたギャラリーだとそういうわけにもいかなかった。なんでもかんでも小説にひきつけて考えてしまう傾向があった。「紙」と「絵」をそれぞれ「語り」と「意味」に置き換えたらどういうことになるのか、「人称」と「時制」に置き換えたらどういうことになるのか、あるいはこの作品のねじれに焦点をあてて一種のメタフィクションとして解読したうえでテキストという分野にインポートした場合、そこでひねりだされるのはいったいどのような構造をもった小説ということになるのか、作品を前にした状態でたっぷり時間をかけて頭のなかをごちゃごちゃにさせてみたかったが、ひとり黙りこんで居座ることのできる会場ではなかった。あきらめて立ち去ることにした。ほかの展示物をながめるゆとりはなかった。
 小雨が降りだしていた。御池通の駐輪所にケッタを停めて寺町に入った。当初の予定どおり服屋をめぐることにした。去年赤いフルーツ柄のシャツを買った半地下の店に入った。ここはたびたびじぶん好みのブツに出くわすからひいきにしていたが、販売スタッフがちょいちょい鬱陶しく、いぜんTとおとずれたときもこちらがたまたま手にした上衣を指さすなり、それぼくも買ったんですよマジいいっすよみたいなことをいわれて、だからなんやねん知るかと思ったのだった。今日はTシャツを買うと決めていたのでTシャツを物色していると、以前とは異なる男性スタッフが寄ってきて、そのブランドぼく大好きなんですよとやっぱり似たようなことをいうので、そういわれてそれじゃあ買いますというのはおまえの信者くらいだろうよと思いながら、ちょっとゆっくり見させてもらってええすかねといつもどおり対応した。この言葉はじつに便利だった。みんな黙って後ろにひきさがる。
 二軒目は古着屋で、ここは一軒目の系列店だった。ファレル・ウィリアムスが流れていた。派手なシャツがたくさんあったが、今年はシャツはいらないのではやばやと店をでた。
 三軒目でなかなかよろしいTシャツを見つけた。値段も安かった。しかしパンチが弱かった。ひとまずキープと思った。
 四軒目はリニューアルオープンしたばかりの古着屋だった。Tシャツはどれもこれもださかったので早々と退散した。
 五軒目はTシャツ専門店だった。学生のころにFとちょくちょくおとずれた店だった。廉価であるし種類も豊富である。ひとつ気に入ったのがあったので購入することに決めた。安かったので失敗しても痛くなかった。そのまま部屋着に流用すればいい 。
 六軒目をおとずれるのはひさしぶりだった。癖のある品揃えの店で、けっして安くはなかった。ずっとむかしにここで財布を買ったことがあった。今日着ていたエメラルドグリーンの丸襟のTシャツも学生時代にここで購入したものだった。スタッフの服装もほかとくらべて圧倒的に個性的かつシャレオツだった。長身髭モジャの男性にここよく来てくださるんですかと入店するなりたずねられたので、ちょくちょくねと応じた。Tシャツよりもメキシコ産のサンダルや芥子色のイージーパンツが気になった。イージーパンツは14800円した。色落ちはしないというのでそれだったら思いきって買ってみるのもありだなとすこし思った。なにかお目当てのものがあって来られたんですかと先のスタッフがいうので、Tシャツ探しにきたんすけどねと応じると、なんかいいのありましたかねというものだから、いやあんましないすねと答えた。音楽とか好きなんですかというので、よくしゃべる店員だなと思いながらも相手の顔つきを見るとやや緊張しているふうだったのでひょっとすると新人さんなのかもしれないと思われたものだからあんまり冷たくするのもはばかられて、まあぼちぼちっすねと応じると、いまたとえばなに聞いてたんですかというものだから、バッハと一言答えた。すると、バッハってあのクラシックのですか、クラシックファンなんですかとおどろくので、たしかに今日の出で立ちだとリップスライムとかDragon Ashとか好きそうな感じだったかもしれんがと思いながら、なんか適当にね、ひろーくあさーく聞いてるだけでね、やからクラシックも聞くけどノイズなんかもわりと好きやし、と、そういうところからなぜか音楽談義がはじまってしまい、ノイズミュージシャンの名前を適当にあげていっても知らない知らない知らないの一点張りだったけれども、非常階段というキーワードにはさすがにぴんとくるものがあるらしくて、ああ、あのすごいやつ、という反応があった。そうこう話しながらまだチェックしていなかった一画にあたってみたところでひとつなかなか良さげなTシャツが見つかって、これいいなと思っているとそれは70年代だかにアルバム一枚だけリリースしてすぐに消えたジャズミュージシャンのそのアルバムカバーをプリントしたものでという説明があって、ミュージシャンの名前はわからないらしかったがエピソードとしてもなかなかしゃれていると思ったので試着した。するとぴったし似合った。これだと思った。値段は8900円かそこら、税込みだと9000円オーバーだったが、今年は安物買いの銭失いしないと決めていたのでどーんと支払った。TシャツにはなぜかミックスCDが一枚ついてきた。このデザイナーによる商品を買った客に無料で配布しているデモCDらしかった。ノイズとかはたぶんないんですけど、と申し訳なさそうにいうので、いい楽しみができました、と応じた。
 七軒目はセレクトショップだった。すでに二着ゲットしたあとだったのでどうでもよかったのだが、帰り道の途中にあったのでついでに寄っておこうと思ったのだった。ヒステリックグラマーの新作を見た。ぜんぶすごいださくてギャル男みたいなセンスのものばかりだったのですぐに店を出た。カート・コバーンTシャツ復刻してくれないかなと思った。
 雨が降りだしていた。16時だった。せっかく町に出てきたのだからどこかついでにとは思わなかった。さっさと帰宅して後半戦の作文に備えようと思った。ふられながら家路をたどった。帰宅したところで米を炊き忘れていたことに気づき、夕飯は弁当ですませようと思った。懸垂と腹筋の日だったが、あさ起きたときからずっと左肩の筋をたがえたような痛みがあったので(おそらく昨夜の腕立て伏せが原因だと思われる)、腹筋だけした。そうしてブルジョワスーパーにでかけて目論みどおり100円引きの弁当を買った。ここの弁当はふしぎに美味い。ほかのスーパーと一線を画す。一線を画すといえば品ぞろえもそうで、今日も今日とて海ぶどうを発見してしまい買おうかどうか迷ったが、これはなにか特別な日のディナーにとっておくことにして今日はもずくでもなくめかぶでもなくイカの塩辛を買った。イカの塩辛! なんてリッチなウィークエンドワーカーだ! そうしてこれはおそらく生まれてはじめての選択だと思うが、カルピスの原液を購入した(それもぶどう風味とかいうやつ)。カルピスは別に好きでもなんでもない。作文のときの口さみしさをまぎらわす、ちょっとした気分転換のきっかけにでもなってくれればという願いからだった。
 帰宅してから弁当・インスタントの味噌汁・納豆・冷や奴・水菜と赤黄パプリカとトマトのサラダをかっ喰らった。ウェブを巡回してから『今昔物語』を片手に寝床に横たわった。仮眠をとるべく消灯してしばらく、思念と夢とが主導権を争っている波打ちぎわに足を踏み入れたあたりで、どしんと一発揺れた。地震だと思って胸がドキドキした。眠気が飛んだ。おもてから大家さんと住人のだれかが話をしているのが聞こえてきた。水場の蛍光灯を取り替えているらしいと見当をつけた。玄関に続くガラス戸を閉めきってめざましの設定時間を延長しふたたび寝床に就いた。
 20時半前に起きた。風呂に入るべく入浴具一式をもって大家さんのところをおとずれると、ちょうど大家さんがトイレから出てくるところで、あんたこれ見てみ、といいながらふるえる手でつかんだゴキブリホイホイを目の前に持ってこられたのだけれど、ながめるまでもなく中身がみっちりぎっちりの満員電車状態であることはあきらかだったので、とにかくそのぷるぷるふるえる手指でひっつかんだものを顔面に近づけないでくださいと思った。ネズミ捕りの粘着シートかなにかもあるらしく、それもいつでもいいから組み立ててほしいというので、あした部屋代を支払うついでに組み立てて持ってきますと約束した。
 部屋にもどってストレッチをした。服屋でもらったミックスCDを流しながらここまで一気呵成にブログを書いた。ミックスCDはいかにもアパレルあがりという感じだった。アパレル関係者特有の、というか美容師にも多いと思うけれども、この界隈のひとたちに共通する音楽の趣味というのがたしかにあって、ヴィレッジヴァンガードの店内で流れているBGMの上位互換として位置づけるのがおそらく妥当な、そういう音楽はあまり趣味じゃなかった。彼らの思う「オシャレな音楽」の分母について。
 ブログを書きおえると23時になっていた。二杯目のカルピス片手に「G」に着手することにした。すぐに麻痺った。ふてくされた。このあいだ発見したのとは別のWEB漫画を読んだ。おもしろくなかった。書けないと本当にだらだらとしてしまう。それだったらいっそのこと書かないほうがましだ。鬱々として最悪の気分だった。死んじまいたい気分というのは要するに感傷の別名ではないかと自問した。3時ごろになってようやく今日をあきらめる決心がついた。『今昔物語』片手に寝床にもぐりこんだ。そのまま最後まで読み終えてしまったので、枕元に置いてあったヘレン・ケラーの自伝を手にとった。『今昔物語』はいまでいう2ちゃんねるのおもしろい話・こわい話・ふしぎ話のコピペみたいなものだった。つまり寝入りばなに読むには最高にうってつけの書物だった。4時半消灯。