20140606

(…)しかし記憶にない、その無いということを確めるほど難儀なこともないといまさら思い知らされた。空無からさらに空無へ、そのはてしないこと、自分の死後を思うのにおさおさ劣らない。死後のことならまだしも、思う自分も無いということで思考停止になるが、記憶はなまじ、記憶にないと決めたところでそう決めた主体が無くなるわけでないので、生殺しみたいなものだ。
古井由吉『野川』より「森の中」)



 10時半起床。ド根性で身体を起こし、ほとんど二度寝しながら歯を磨いた。水場で顔を洗うと案の定きりっと目がさえた。部屋にもどりストレッチをすると首から背中にかけてが痛んで腰が鈍く重たるかったが、きのうの筋トレが原因だろうと判断した。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち少しだらだらとしてしまったが、13時より気分を切り替えて「G」に着手した。枚数変わらず265枚。138番まで。16時前に沈没し、二つ折りにして壁際によせてある布団をソファ代わりにしてうたた寝した。作業中、例のごとくTwitterのほうに創作上の発見をメモしていたらNくんがほとんど同じタイミングでなにやらつぶやいていて、と思ったら携帯のほうにそのNくんから原稿ができたので送りますというメールがあったので、いまwordがないのでいぜんのようにpdfでお願いと注文した。
 ぽんち絵展の初日だったが、雨降りの予報だったので別の機会にまわすことにした(しかし結局雨は降らなかった)。初日だと会場が混むかもしれないという懸念もあった。それにどうせ町中まで出るのであればついでに古着屋を冷やかすぐらいのことはしたい。ゆえに来週半ばあたりにでも作業に行き詰まった頃合いを見計らって、気分転換をかねて昼から外に出ようと思った。
 図書館に出かけて帰路にスーパーに立ち寄った。ほんの少しの距離をケッタでぶらぶらしただけなのに汗をだらだらと掻いてこれはどうしたもんだろうかと思った。頸椎の具合を見るために筋トレは休むことにして、玄米・めかぶ・茹でたササミ肉・トマトと赤黄パプリカと水菜のサラダの夕食を早々ととった。そうして風呂に入った。
 どうにも書きたりない気分だった。二日間書けないことを考えると、夜の部も作文にあてるのが懸命ではないかと思われた。とてもひさしぶりに北大路のネコドナルドに出かけることにした。Tとふたりでべろんべろんになった状態で真夜中におとずれて以来だと思う。作業目的で、となるとおそらく一年ぶりかそこらになるのではないか。iPodナンバーガールを入れていた。それでOMOIDE IN MY HEADをクッソひさしぶりに再生したらギターのジャキジャキいう音だけでものすごく気分があらたまってみずみずしい衝動が涌きだし、夏の蒸し暑さもあいまって八歳くらい若返ったような気分になった。最高だった。まだまだどこでも行ける、なんでもやれる、と思った。
 ホットコーヒーのSサイズだけもらって二階席にむかった。知らないあいだにまた100円に値下がりしていた。交差点に面したスツール席で、Sの来日するまえは部屋の冷房もイカれたままだったので、夏場の昼間はたびたびおとずれて「J」や「G」を書いたものだった。すでにあんなにも遠い日々と今日とがおなじ「G」という原稿を介して地続きにあることの不思議を思った。そのおりおりに着手していた作品を基準にじぶんの生涯をふりかえる目線にたてば、あれらの日々と今日とがおなじ一期間としてカテゴライズされるのだ。とても信じられないことだった。なにかしら徹底的な断絶があるように思われてならなかった。
 ストレッチのつもりでここまでブログを書くとぴったし21時だった。ネコドナルドは冷房が入っておらずおもてよりずっと蒸し暑くて、ようやく汗のひきはじめたところでナンバーガールをおともに「G」に着手した。食後のために途中、強烈な眠気を催した。22時半になったところで眠気と熱気にたえきれず店を出た。なあにやってんだろと思いつつも悪い気分ではなかった。SHOP99で買ったイヤホンは音の悪さにくわえて遮音性も最悪だったから、やっぱりPhilipsのものを買おうかなと思った。店内では案の定大学生とも高校生ともつかぬのがやかましかった。おもてに出てからも若者がたくさんだべったり行き交っていたりするのを見た。週末だった。世間様とは逆行するようなスケジュールで生活しているから週末の意味するところも当然ちがった。金曜日の夜はだいたいげんなりする。
 帰宅してからふたたび「G」に着手した。なんとしてもこの作品を仕上げたいと思った。「A」を書き終えてからすでに二年半以上経過していた。いい加減あたらしいものを完成させるべきだと思った。そしてそれが可能だという手応えのようなものがたしかにここ最近はあった。作文が生活の中心にどしんと腰をおろしている感触だ。旅先でのクソドラマチックなSとの出会いはよくもわるくもこの生活に影響を及ぼした。英語の比重がここまでおおきくなるとは思わなかった。原書で読みたい本もあるし翻訳してみたい本もある。これは東京で語ったことでもあるのだが、翻訳でもなければ意訳でもない、魔訳(麻薬)ともいうべきなかば二次創作にちかいトランスレーションをほどこしてみたいというひそかな(といいつつ思いっきり暴露しているわけだが)欲望もあった。というわけで英語を捨てるわけにはたぶんいかない。
 0時に達したところで作業を打ち切り、就寝準備を整えてから『今昔物語』を片手に寝床に就いた。『今昔物語』は本当に面白い。