20140801

 いずれにせよ、現在としてあるのは「過去」であれ「未来」であれ「現在」であれ、その不在の対象に向かうところの意識の働き、想起だけである。いわば想起としての現在とは二つの項を結びつけるところの一種の関数である。しかし問題はこれで解決されたのではない。ここであらためて提起され直したのである。すなわちアウグスティヌスのこの説は自ずから、たとえば意識の現在という働きが「過去」「現在」「未来」という異なる、最低でも三つの方向に向かってばらばらに「分散」(distentio)してしまっている事態を示し、現在という瞬間そのものが異なる時間系列にちりぢりに分裂してしまっているということを語っているからである。
 たとえば「もしもすばらしい知識と予知とをそなえていて」「すべての過去と未来とをよく知っているというようなすぐれた精神があるとしたならば」(「告白」第十一巻第三十一章)とアウグスティヌスは仮定する。「じっさい、このような精神にとっては、すべての過去のできごと、まだのこっている未来の世々のできごとはあますところなくあきらか」(同前)であるはずであるが、そのことがもたらすのは結局のところ、とめどなく分散してしまった精神の姿でしかありえないだろう。たとえば音楽を聞くとき、われわれは今聞こえている瞬間の音しか通常は知覚していないが、もしその曲全体に対する完全な記憶があり、これから聞こえてくるだろう音のすべてと、そしてすでに演奏されてしまった音のすべてが、今聞こえている音と同じくらいの明晰さと強度で同時に想起されうるとしたら、もたらされるのはただの散漫なる印象、多方向に感覚が分裂した、うつろいやすい不安定な状態でしかないだろう。つまり、とめどなく気が散っている状態となんら変わることがない。
 すなわち音楽の全体を、その細部にいたるまで隈なく、一瞬の内に把握しようとすることも、おおよそこの世にありえ、ありえただろう記憶のすべてを忘却することなく思い出そうとすることも、結果としてもたらされるのは全知と言われているものに期待されるところの統一性どころか、混乱と分裂だけである。記憶の忘却から目覚め、そのすべてを保持しようとすればするほど魂の働きはただ「順序も知らない時間のうちに」ばらばらに散らばらされ、「ずたずたにひきさかれて」しまうだけである。しかしアウグスティヌスにとって神の知とはこのようなものであるはずがなかった。
岡崎乾二郎ルネッサンス 経験の条件』「三位一体」)



 7時半に起きた。すっきりとして快活なめざめだった。歯磨きしながらおもてにでたところで今日が燃えるゴミの日であったことを思い出したので、歯ブラシを口のなかにつっこんだまま両手にそれぞれ半透明の黄色いゴミ袋をさげて路地にでた。とちゅう乳母車をキィキィおしながら歩く大家さんとすれちがったのであいさつをした。小便をすませて顔を洗い、部屋にもどるとすでに蒸し蒸ししていたので、きっと今日も真夏日になるだろうと思った。洗濯機をまわしてからストレッチをした。水をのんでからパンの耳とコーヒーの朝食をとり、昨日づけのブログの続きを書いて投稿した。それから洗濯物をおもてに干した。高校生のころに無理して購入したEMPIREのTシャツを十年以上経過したいまもなお夏場の部屋着として着用しつづけていたのだけれど、背中に空いた穴がいい加減ひどいことになっていることにいまさらながら気づいて、というか背中のみならず胸のあたりも虫食いにでもあったみたいにたくさん破れていて、これいくら部屋着といってもちょっとひどすぎるなと干しながら気づいたので捨てることにした。干支ひとまわりの年月おつかれさん。
 部屋にもどると9時半をまわっていた。起床してから一時間半後に最初の作業にとりかかることの不可能をつくづく思った。見込みが甘かったというほかない。朝からおもてに出て作業しようとなんとなく思っていたのだけれど、「G」のテキストファイルを何気なくひらいたらそのまま勢いで自室での作業になだれこむことになった。12時半に作業を打ち切ったところで枚数変わらず260枚。改稿は243番まで。朝一のほうがやはり頭は冴えているらしくずいぶんはかどった。作文は午前の部にまわすべきなのかもしれない。とちゅうでバナナとヨーグルトを食べた。暑くなってきたので最近はあまりコーヒーを飲まない。朝の一杯は別として、あとは眠気をおぼえたときだけ飲めばいいと考えている。
 12時をややまわったあたりでJさんから着信があった。職場ではちょうど昼休憩の時間にあたる。以前よりにおわされていた飲みの誘いだろうと思ってでると、はたしてそのとおりだった。みんなで、とたずねると、アホいうなおまえとふたりでや、とあった。かくして年の差40歳のサシ飲みが決定した。飲んでもきちんと家に帰れるようにMくんちの近くでというのだが、こんなところまで出てきてもらうのもしのびない話だったので、こちらから出ていくと応じた。今日は飲まないから遠くなってもかまわないというと、ワシひとりだけ飲んでもおめえ話すもんも話せへんやんけというので、これはやっぱりなにかしら相談事か悪企みかがあるなと踏んだ。Yさん関係かはたまたBさん関係か、鬼がでるか蛇がでるか、いちおうEさんにひそかに連絡をいれておいてもしもの事態にそなえてもらったほうがいいかもしれないといっしゅん考えたが、それはそれでおおげさかと思いなおした。待ち合わせは19時に王将前でとなったが、店はその周辺にあるだろう適当な居酒屋でという段取りになった。
 チキンラーメンを食べた。それから寝床についてヘレン・ケラーの続きを読んだ。眠くなったところでめざましをセットして20分程度の仮眠をとった。めざめると15時前だった。それからまたヘレン・ケラーの続きにとりかかった。今日中に最後まで片付けることができればと考えていた。あともう少しというところでいったん風呂に入った。部屋にもどってストレッチをしているところでふたたびJさんから電話があった。集合時刻を予定よりも30分早く繰りあげてほしいということだったので了承した。ヘレン・ケラーはあきらめた。
 街着にきがえて家をでた。夕刻の下り坂をThe Weekndの『House Of Balloons』を聴きながら延々とくだった。目的の王将に到着したところであたりを見渡すと、横断歩道をわたったむこうのコンビニのまえで190センチ白髪の巨漢が軽く手をあげていた。信号がかわるとこちらにやってきて、近くに焼き肉屋があるといった。誘導されるがままに店のまえにいって品書きをながめた。焼き肉を食べることなど滅多にないので相場がわからないというと、まあこんなもんやろうとあったので、それじゃあここにしますかとなった。入り口近くの四人がけの席についてひとまず瓶ビールとジンジャエールを注文した。乾杯してすぐに、あるいは乾杯するよりもはやくだったかもしれないが、まくしたてるように同僚らの悪態をつきはじめるので、これは想像以上にめんどうくさいことになるかもしれないとひそかに危ぶんだ。けれどその悪態もビール瓶の次から次へと空になっていくにつれて、Bさんにたいする心苦しい片思いの心情吐露みたいなものに転じていったので、最終的にはまあ腹をかかえて大笑いした。最初のほうこそやれだれそれの仕事が遅い、やれだれそれが気に喰わないという話だったのに、蓋をあければ要するにことごとくが「ワシよりおねえと仲良くしやがって」式のひがみに帰着するものばかりで、飲み食いしはじめて一時間も経つころには「Jさん本気ですやん!」というこちらの言葉に「あいつもなんでワシのこの気持ちがわからんのかのぉ!」という返事がかえってくるぐらいにあけすけになっていた。Bさんとはもうかれこれ一週間ほど口をきいていないといった。きっかけをたずねると、耳の悪いじぶんのことを放りっぱなしにしてTさんとなにやらコソコソ・ニコニコ・イチャイチャしゃべってばかりいるのに腹が立ったからという返事があった。それだからもう勝手にしろとなってだんまりを決めこみはじめたのだと、そういうふうなことを苦々しげにいってみせるので、子どもやないすか、とおもわず突っ込むと、そうやねん、ワシ子どもやねん、ツレにものMくん、ワシよぉいわれるんや、おまえは純粋すぎるて、と、「子ども」を「純粋」にさらっと置換してなにやら都合のよろしい自己正当化をはかっておきながらまったくもって悪びれるふうでもなかった。いぜんなら耳の悪いじぶんも話に加わることができるようにおしゃべりの場でも声を張ってくれていたのに最近ではめっきりそういうこともなくなった、シフト変更を含めた引き継ぎ事項にしてもじぶんにきちんと伝達しないまま終わることも多々あるし、Eさんにしたところで朝礼のさいにはあいかわらずぼそぼそしゃべるだけでなにをいっているかまったく聞こえないと、だいたいにしてそのようなことをたてつづけに漏らしたが、おなじ話をくりかえし口にするJさんの口ぶりの焦点が酩酊のすすむにつれて「〜とふたりでぺちゃくちゃと」というフレーズに収斂していったあたり、相手がTさんであろうとEさんであろうとHさんであろうと、要するにBさんとふたりで楽しげにJさんには聞こえない声量でおしゃべりしている現場のすべてが気にくわないということらしかった。Mくんはいまでもワシにおっきい声で話しかけてくれるやろ、ほやしワシもふざけてよお相棒いうてやな、軽口たたけるわけや、それがあいつら見てみい、ぼそぼそぼそっとしゃべって、いやいちばん悪いんはワシやてわかっとるんやで、ワシの耳が聞こえへんのがいちばん悪いんや(「そりゃべつに悪いことちゃいますよ」)、いやいや悪いんや、そやけどの、それやてあいつらさんざんわかっとるわけやしの、もうちょいワシにも聞こえるようにしゃべってな、そういう考えくらいもってくれたらええのに、それがぼそぼそぼそっと、こうや、そんなんされたらもうええわってな、勝手にしてくださいってこうなるもんや! BさんはいちどJさんが機嫌をそこねているのを察知してそのことをJさん本人に問いただしているはずだが――そう水をむけてみると、頭にきていたから疲れているだけだと答えて突き放してやったというので、いやいやそこですやんと突っ込んだ。ワシは偏屈やからの、とJさんはしきりに弁明するでもなく開き直ってみせた。だからじぶんからはぜったいに折れへん、強情にもそう主張しつづけた。先日の火曜日には腰が痛いと嘘をついてずる休みしたというので、どうしてかとたずねると、BさんTさんのあいだに入ってまわるのがいやだったからという返事があり、あいつら勝手にイチャイチャしとりゃええんやとほとんどやけっぱちに続けて、やっぱりクソガキの論理である。
 七十歳を目前にひかえた大の大人とは思えぬ受け答えばかりがそのようにしてしばらく続いた。最初はこのじいさんはたしてどうとりあつかったもんかと思案しっぱなしだったが、 酔いの進むにつれて「これはまあ嫉妬かもしれんがの」だの「これはまあひがみやけどやな」だの「ワシのやきもちってことはわかってんのや」だのいうキーフレーズが頻出しはじめて、それがだんだんとおもしろくなってきて、しまいにはJさんの一語一語にたいしていちいち(発語した当人もそろって)ゲラゲラ笑うほどになったのだったが、そこにいたるまでの手続きというのはやはりあるにはあった。はじめのうちは愚痴の聞き役に徹した。口吻のしだいにおさまりを得だしたところで打つべき相づちのところどころに逆説の助動詞を挿入し、同僚らがいかにJさんのことを信頼しているか、心配しているかについて具体例を重ねて突きつけていった。偏屈で頑固きわまりないひと相手なので思いこみを崩すのになかなか手こずったが、時間の経っていくにつれていちばんとんがっていた部分がだんだんと氷解していく手応えのようなものがたしかに感ぜられたし、そのあたりからみずからの嫉妬心を自認する言葉もちらほら洩れだしたのだった。そうしてついには「あいつもなんでワシのこの気持ちがわからんのかのぉ!」のひとことに結実した。言葉の意味を裏返しにして本音をあばいてみせることに我ながらものすごく見事に成功してしまった感があった。腹が立つから来月には辞めてやろうと思っているだとか、あんまりにもむしゃくしゃするものだからYのやつにでも連絡をとってアレでもと考えていただとか、飲み食いしだした当初の剣呑な言葉を思いかえして比較してみると、これはこれでなかなかけっこうなガス抜きにはなっているらしかった。Bさんに彼氏がいると思うかとたずねてみせるので、いるんじゃないですかねと適当にはぐらかした。じつをいうとこれYから聞いた秘密の話やけどな、という前置きのあとにこちらにぐいっと身を乗り出し、妻子ある男とつきおうてるらしいわ、ととつぜん言った。そりゃないでしょうといちおう否定しておくと、いやあれでなかなか当時はYもおねえと仲良かったからな、いろいろ聞いてるはずや、ありゃたぶんマジやで、と続けた。 YさんからはさんざんBさんにアプローチをかければいいとあおられたというので(むろんその手段として提供するモノについてはっきりとにおわせたうえで)、Yさんにたいする不信感がますます高まった。そのYさんにまつわる今度の事件の疑惑について、たぶんいまをおいてほかにチャンスはないだろうと思われたので、懇切丁寧にいちから説明した。すると納得がいったようだった。あいつはたしかにそういうところあるかもしれんのいま思えば、といった。そのJさんもなにも最初からYさんを信用していたわけでもないらしかった。パチンコでいちどだけ勝ったことがあるがそのときに負けたと嘘をついた、なぜなら勝ったときには儲けた額の半分を譲渡する約束になっていたからだ、というので、意外にちゃっかりしてんだなと笑った(しかも負けたふりを徹底するためにわざわざこちらから五千円を借り入れるという念のいれようだったらしい)。そのいちどだけ勝ったパチンコの件について、それはBさんから陰毛を一本もらったからなのだと、ここだけの話のていでJさんはいった。想いを寄せている女性の陰毛というのは強力なお守りになるとJさんは信じていて、たしかにむかし特攻隊員が恋人や奥さんの陰毛をふところにしまいこんで戦闘機に搭乗したという話は聞いたことがあるし、大江健三郎の『同時代ゲーム』にも、あれは妹だったように思うが、語り手がその恥毛を後生大事にとりあつかっていることについて述べるくだりが冒頭にあった気がするのだけれど、その陰毛というのがじつをいうとBさんがじぶんの髪の毛の一本抜けたのをひっぱってちぢれさせたものでしかないという裏話をすでに知っている身としてはちょっとなんともいえず、へーそんなことがあったんですねと驚きの表情をひとまずとりつくろった。とりつくろった表情ではあったが、それでいていくぶん真にせまったところもまたあって、というのもあれほど負けつづきだったパチンコに、陰毛でこそないとはいえたしかに想い人の体毛には変わりないものを一本たずさえていっただけで見事に勝利を得ることができたわけだから、呪物のちからというものもたいしたものだとわりと感心した。偽陰毛を手にしていどんだ勝負に負けたと知らされたBさんはそれじゃあやっぱりわたしのこと内心ではどうでもええって思っとったってことやなと、暗にJさんの気持ちを試していたかのような発言を漏らしたこともあったのだけれど(こういう発言の節々からBさんの「必要とされたい」「求められたい」欲求の強さをたびたび感じる)、あの発言も真相を知ったらちょっとばかし変わるだろうと思った。ワシの、Mくんよ、姉さん女房っていうかの、よしおまえの小遣いは月三万やとな、そういう気の強い女がええわけや、というので、わかります、ぼくもどっちかっていうと気ィ強い子にばっか惚れとるから、と応じる場面もあった。あるいは、来月給料入ったらの、ワシ金払うさかい、Mくんちょっと外人ナンパしてくれへんか、ワシ外人に興味あんねん、もうな、ワシいまおねえより外人がええ、外人に興味あんねん、と唐突に言い出したこともあったし、Mくんよ、おまえはの、やっぱりしっかりしとるわ、大学でてるだけあっての、芯のところがしっかりしとる、といきなりわけのわからない角度からこちらを褒めはじめたこともあった(大学をでている人間はじぶんとSさんしかいない。半数は中卒で、半数は高卒である)。それからむかしつきあっていた20歳以上年下のべっぴんさんの彼女とのなれそめ(会社の飲み会)と別れ(彼女がアムウェイにはまったため)や、いくつか前の職場での不倫について、さらにはJさんがいちばんギラギラでイケイケでゴリッゴリのヤクザだったころのクソやばい話もたくさん聞いた。ぜんぶ破天荒でおもしろかった。
 23時をまえにして会計をすませた。16000円をこえていた。Jさんが支払った。一万円札しかもっていなかったのであしたまた払うというと、ワシが誘ったんやしワシが払えばええんや、と例のごとくかたくなだった。店の外に出て、烏丸通までいっしょにケッタでならんで帰ったが、たかだか数百メートルにすぎぬその道行きの間にJさんは二度も転んだ。自転車をおいてタクシーで帰るようにうながしても意地をはってぜったいにうんとはいわないので、とりあえず車道側は走らないでくれとだけ告げて別れた。これであしたJさんが出勤しなかったらどうしようといくらかの心配を抱えこみながらの帰路をたどった。最寄りのコンビニに立ち寄って水と飲むヨーグルトを購入した。帰宅して屁をこくとさっそく臭かったのでヨーグルトで腸内環境をととのえた。水をがぶがぶ飲みながら今日付けのブログの続きを書きすすめ、0時半をまわったところで明日もはやいので中断することにし、寝支度だけととのえてさっさと寝床についた。