2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

20140831

コメレルは、「暗喩(メタファー)の文学的価値は過大評価されている」という。たしかに詩において暗喩は、愛好者を引きつける魅力にはなるけれども、詩にとって不可欠の富というわけではない。そう述べながら彼は、ジャン・パウルの、「すべての暗喩は、暗…

20140830

芸術の純粋性に対する信仰、社会的現実的な有用性を軽蔑し、もっぱら「芸術のための芸術」を追い求める志向。いうまでもなくそれは、十九世紀の後半に到って特に顕著になった芸術上の現象である。そして同じくいうまでもなく、すべてを技術化し、その有用性…

20140829

あおばの話を真に受ければ、このときわたしはつぎのような二者択一をせまられていたことになる。玉手箱の中をしかと見とどけた上で、中身はおろか箱じたいが現存した事実さえも忘却させられてしまうことを選ぶか――はたまた、玉手箱の蓋は開けずに、その神秘…

20140828

永遠回帰の衝撃から癒えたツァラトストラを前に、蛇と鷲が次のような歌を披露する。「一切はこわれ、一切は新たに接ぎ合わされる。存在という同一の家は永遠に再建される。一切は別れあい、一切はふたたび会う。存在の円環は、永遠に忠実におのれのありかた…

20140827

同じ記憶を全く違う観点から見せること、そのためには観点そのものである「私」の位置を変えなければならない。大爆発の映像を標準の五〇ミリレンズで撮影したとしよう。間近で撮れば臨場感あふれる映像や写真が撮れるかもしれないが、撮影者も激しい爆風に…

20140825

分節言語の主体は、命題の主語や言表行為の主体であるよりも前に、先ずは苦痛の主体であり、嗚咽の主体であり、必死に叫びをかみ殺している惨劇の主役なのである。苦痛の強度的な記憶を刻み込まれることによって、強度的な夜から引きずり出された者こそが「…

20140825

先ず第一に確認しておかなければならない事柄がある。「器官なき身体」は、アルトーにとって最終到達点だったということ、そしてその最終地点がドゥルーズとガタリの壮大な構想にとっては、かけがえのない基底部にして原点に据えられたということである。こ…

20140824

強度には大きく二つの面があると言ったのも覚えておられるだろうか。 一つは此性の主成分である情動や速度と同様、いかなる度合も尺度も寄せつけない特異性について言われる。差異も情動も速度も、ある一般的な数値で言い換えられない特別な振る舞いや軌跡を…

20140823

対立以前の差異とは、簡単に言えば対立項なき差異である。 私たちは「差異」と言うと、AとBとの差異を思い浮かべがちである。しかし、よく考えてみよう。AとBの違いが言われるときには、すでにAはAとして、BはBとして個体化されているのではないか。水平線を…

20140822

此性は「これ」と「あれ」とを比較して「これ」を指すことではない。唯一無二の強度的な何かを直接に「これ」として指す(個体化する)とき、その事象の個体性が此性と言われる。 また、強度や強度的なものとは、何らかの度合ではないし、ある度合によって計…

20140821

9時半にアラームで起きたが10時まで寝床のなかでグズグズやっていた。夢とも妄想ともつかぬエロいヴィジョンをこねくりまわしていた気がする。階下におりて風呂に入った。歯をみがいてストレッチし荷物をまとめてから弟に声をかけた。街着に着替えて荷物をさ…

20140820

9時にアラームで起きた。下におりると昼夜逆転生活の弟が例のごとくたたみのうえに腹這いになりながらパソコンをいじっており、隣室のフローリングでは犬が暑さにうだり横たわっていた。腰痛が思いのほかマシだったのでしめたと思った。念入りにストレッチを…

20140819

9時に起きた。歯を磨きストレッチをしチョコレートとミルクで朝食を簡単にすませたのち弟の部屋で延々ときのうづけのブログを書き続けた。昼過ぎにTから川に行こうと連絡があったので了承した。きのう墓参りを終えた時点でTに絶好の川日和だなとメールしたと…

20140818

6時半に起きた。夜中から朝方にかけて何度もめざめたおぼえがあった。おもにソファに飛びのってきた犬っころのせいだったと思う。起きろ起きろと顔を何度もなめられた。夜通し隣室でパソコン相手になにやらカタカタやっていた弟の気配にも幾度か意識を吸い寄…

20140817

10時半にアラームで起きた。階下におりると仕事を終えて帰ってきた父の姿があった。弟はすでに居間で横になっていた。あるいは父が帰宅したのはこちらが下におりてからだったかもしれないし、弟が眠ったのもこちらが出かけるまぎわになってからだったかもし…

20140816

6時起床。パンの耳かバナナのいずれかを食べてから昨日付けのブログの続きを書きだしたが投稿にまではいたらなかった。アーケード商店街をぬけて職場にむかった。雨は降っていなかったが、あやしい空模様だった。鴨川はずいぶん増水していた。職場に到着して…

20140815

6時半に起きた。歯を磨いて顔を洗ってストレッチをしてバナナを食べて昨日づけのブログを投稿した。雨は降っていなかったけれども雲行きのあやしい空だったのでビニール傘を片手に家を出た。傘は持っていって正解だった。19時をまわったあたりからぽつぽつと…

20140814

被害者の女性は、あなたがたが私にしたことにより、私は今でも当時の苦しみから解き放たれず、同じ恐怖と同じ悪寒に襲われ、苦しめられていると告発する。しかし、加害者男性たちは、時間の秩序にしたがって古びるべき事柄をおまえは未だに持ち出して、グズ…

20140813

出来事の此性とは何か? 私たちはそれを《強度》という言葉で定義しよう。強度(intensite)とは、強さの度合ではない。原則として、強度の座標というものは存在しない。 しかし、このことを理解するには多少の注釈が必要だろう。 日常語で強度と言うと、ゴ…

20140812

久々に思い出の楽曲を再生する。途端に、人生の折々に刻み込まれた悲喜こもごもの物語が瞬間的に蘇生される。そして、人はそのサウンドを通じて、出来事が生起した当時の感情生活を〈今―ここ〉に甦らせることになるのである。そう、人が甦らせるのであるが、…

20140811

言い換えるなら、色々な数値で表象される要素や条件があって、それらすべてが秋の条件を満足する度合のうちに収まれば、私たちは秋の此性に到達して、「ああ、秋だなあ」と感じるものなのだろうか。 いや、そうではない。常識に従順な図式的思考はそう信じが…

20140810

(…)責任と無責任という発言は、敬意と自由と言い換えることができる。 (澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』) 5時起床。ブロガーの朝は早い。歯磨きをしながらおもてにでるとぽつぽつの小降りだったのでこれはすでに台風が過ぎ去ったあとなのだろう…

20140809

映画で、窓の外の光景が高速で移動していく映像が写されたとき、たいがいは、実は移動しているのは窓の外の光景ではなく、その内側つまり人が乗っているところの空間(車?)であると理解される。これは知覚のしきたり(コンベンション)に従っているだけで…

20140808

(…)ある程度動いた段階で、人は突然それが変化したことを認知する。われわれが知覚するのは変化であって動きではない。 (岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』「三位一体」注) 8時にアラームとめざましの合わせ技で起きた。やればできる男の本領発揮であ…

20140807

しかしパリティの問題とは、たとえばここにA、Bの二つの点があり、AからBへ変換する事と、BからAへ変換する事は同じにはならない事、つまり、その変換によっても、もともとのA、Bの二つの点にあった位相の差異はあいかわらず保存されるという問題にたとえら…

20140806

感覚与件が、五感によって分割などされておらず、むしろ、それらを連合することで組成される行為の差異によって系列化されていること、すなわち諸感覚はわれわれの行為の用法の違いによって系列化、むしろ分割されてしまっていることは、J・J・ギブソンのア…

20140805

(…)すべてが絵にすぎない――フェルメールの制作はこの単純な事実から出発している。存在の確実性――実在性など、はじめから奪われていることを前提に彼は仕事をした。残されているのはすなわち真偽の判断不能な写し=虚像であって、たがいに優劣も決めること…

20140804

たとえば、フェルメールの人物の表情は、なぜああも起伏に満ち、人を魅惑するのか。経験を積んだ画家ならば簡単に答えるだろう。つまり、それは表情として読まれるべきであることを明確に示しているからである。手紙を書く、読む、楽器を演奏する。そして異…

20140803

いずれにせよ一六世紀以降の芸術様式の終わりなき展開の基底に、このマニエリスム的懐疑が潜んでいると言えないことはない。マニエリスム以降の美術史はたえず顕在化してくる新たな「様式として意識された」様式(表面上の整合性)によって、潜在的な「様式…

20140802

トリエント宗教会議によって、決定的になったのは宗教改革以後、信仰の正当性がその対象(神)と、その信仰行為自体の現実的な運用方法の二つの基準に分裂し、それが逆転するという事態である。宗教改革によってもたらされた混乱は、たとえば「神は存在する…