20140805

(…)すべてが絵にすぎない――フェルメールの制作はこの単純な事実から出発している。存在の確実性――実在性など、はじめから奪われていることを前提に彼は仕事をした。残されているのはすなわち真偽の判断不能な写し=虚像であって、たがいに優劣も決めることのできない、複数の表象=記述の形式だけである。フェルメールの方法は、あらゆる表象の確からしさを否定するということと、なおかつ、このような表象だけを用いて、その正しさ=リアリティを確証する方法を求めるという二重の要請によって構成されている。リアリティの先験的ヒエラルヒーを解消され、その絵の中に並列された、たがいに独立した複数の記述の系列。その決定不能性の中から、なおかつ、リアリティが発生するとするなら、そのリアリティは各々の表象の真実さではなく、その表象の使われ方すなわち、それぞれの表象の交換(翻訳)という作業からしか発生しない。真理(真実の対象)と最終的に対照されることなく、にもかかわらず表象はその正しさをいかに確保するか。あるいは神なしに信仰はいかに正しさを確保するか。宗教改革以降の問いに対する回答の一つがここにある。
 絵はいつでも夢に似ている。それは語られること、すなわち作りなおされるときにだけ、その存在を顕す。絵は誰の視線にも開かれているようだが、誰もが同じ絵を見ているわけでも、見えるわけでもない。メトロポリタン美術館に常時展示され、万人の視線にさらされていたこの絵の中心でいつでもこちらを見つめていたのに、にもかかわらず、誰も彼女――「注意深く見つめる女性」を見出さなかった。その理由は簡単である。すなわち、見えたとしても、誰もそれを語らなかった。この絵に含まれていた、見る=描くという行為が再び演じなおされることがなかったからである。
岡崎乾二郎ルネサンス 経験の条件』「信仰のアレゴリー」)



 10時前におのずと目がさめた。さすがに前日たっぷり昼寝してあっただけあって四時間ちょっとで満ち足りたというわけだった。歯をみがき顔を洗いストレッチをした。いつにない空腹感に見舞われていたのでパンの耳を二枚用意したうちの一枚にキムチとチーズを、もう一枚にシーチキンとチーズをのせて焼いた。コーヒーは飲まなかった。かわりに水を飲んだ。きのうづけのブログの続きを書いて投稿した。
 12時より英語の勉強をはじめた。発音練習を終えたところでこの日はじめてのコーヒーをいれて、次いで文法問題集にとりかかった。とちゅうで音源をいろいろディグるなどの寄り道をしながら15時まで続けた。はじめるまではなんとなく腰が重いものの、いざテキストを開いてみたらなんだかんだでそれ相応の集中力と好奇心に駆られてぐいぐいやれてしまうのが語学というものである。
 懸垂と腹筋をした。いつもなら3セットのところをよくばって4セットした。たったこれだけのトレーニングでなぜ一時間もの時間を費やすことになってしまうのかふしぎといえばじつにふしぎであるが、何度トライしてみても結局それ相応の時間を喰ってしまう現実を思うと、単純にこちらの見込みが甘いということにすぎないのかもしれない。汗をぬぐい街着に着替えてから徒歩でブルジョワスーパーに出かけた。目ん玉の飛び出るほどに鶏肉が高かったので豚肉を買った。もう週五日労働ではないのだからこのスーパーに気安く出入りしては駄目だと思った。地下の鮮魚コーナーから地上にむかうエスカレーターの壁際に子どもの描いた両親の似顔絵みたいなものが貼りつけられていてここに来るたびにそれをながめるのがなんとなしの楽しみになっているのだけれど、だいたい十枚に一枚くらいの割合でドラえもんのイラストが貼りつけられていて、じぶんが彼らと同じ年頃だった20年以上前からかわらず幼子らの絶対的な支持を得ているドラえもんのポテンシャルの高さに毎度のことながらびびった。あとはなぜか奈良の大仏が描かれてあったりする一枚やら(しかも御丁寧に「ならのだいぶつ」というキャプション付き!)、英語圏の親をもつ子の手になるものなのだろうけれど西洋文化圏特有のデフォルメのほどこされた人物像にmy daddyみたいな文字が書き加えられていたり一枚もあったりして、けっこうな頻度で通っているわりにはなかなか飽きさせてくれない。
 帰宅すると16時半だった。筋トレ後にプロテインを飲んでいたので、そしてこれまでの経験上プロテインを摂取直後に夕食をとるとけっこうな確率で腹を壊すことになることを知っていたので、間を置く意味でThe Old Man and the Seaの続きを読んだ。18時をややまわったところで読書を切りあげ、水場にたって夕飯の支度をした。玄米・インスタントの味噌汁・納豆・もずく・冷や奴・茹でた豚肉・豆苗と水菜とトマトとオクラと山芋のサラダを喰らいながらウェブ巡回をすませると19時半になっていたので、The Old Man and the Seaを片手に布団を敷いたうえに横になった。眠気をもよおすまで読み進めるつもりだったのがいっこうに眠くならず、電子辞書片手にぐいぐい読み進めていくうちに20時半近くになったので無理やり消灯した。20分経ったところでめざましが鳴った。妄想英会話をしていただけだった。身体を起こし洗面具をもって風呂場にむかった。大家さんがぶどうをくれたのでありがたくちょうだいした。
 部屋にもどってストレッチをしてから街着に着替えた。すっかりよる夜中の感があったにもかかわらず時刻はまだ22時にも達していなかった。パソコンのディスプレイとキーボードをおしぼりとティッシュで掃除してからリュックにつめて喫茶店にむかった。
 喫茶店はだだ混みだった。カウンター席がひとつぎりぎり空いていたので隣席に許可を得てから腰かけた。Sちゃんが顔をあわせるなり例の介抱女子が見つからないといった。あれはもうぼくの幻覚やったってことにしとこう、恋の予感いっしゅんで終わってしもて残念やけど来年の夏あたりにひょっこり再会するかもしれんし、と応じた。それから今日付けの記事をここまで書き、そのまま「G」になだれこんだ。たくさん削った結果、マイナス3枚で計257枚。ボツに決めた断章が三つあるが、しかしこれを書いているいま、再考の余地のあるように思われたので、ここへの転載は見合わせておくことにする。
 喫茶店ではひさしぶりにYさんやOさんと会った。とくにOさんとは二ヶ月ぶりかそこらだったんじゃないだろうか。YさんもOさんもだいたいいつもイヤホンをつけてマックに対峙している猫背のこちらの肩なり脇腹なりをちょいちょいっとつついてこちらに存在をしらせるのがならいとなっている。ご無沙汰してますとあいさつすると、最近ぜんぜん見いひんだから連絡しようと思っとったんやよとOさんはいった。ここ一ヶ月半のイレギュラーな生活について語って、でももう前の体制にもどったんでだいじょうぶですと付け加えた。それからまた作業にもどったのだけれど、仮眠をとっていなかったためにか目の奥の、ちょうど眉毛のあたりから皮膚と骨を隔てたその奥のあたりにどんよりと重くわだかまる感じがあって、眠気をもよおすまえはだいたいいつもそうなるのだけれどそんなだからあんまり頭が働いてくれなかった。眠気をこらえていると当然のことながら麻痺にもおちいりやすく、おなじ断章相手にずっとにらめっこしているだけになってしまったのでいつまでねばってもだめだろうと、1時前にしてようやく中断の踏ん切りがついた。チケットを支払ってからパンの耳を受けとるまでのあいだ、リュックのなかにはいっていたThe Old Man and the Seaをパラパラめくっていると、帰りしなのOさんに話しかけられたので、いわれたとおりとりあえずヘミングウェイの原書から当たってみることにしましたと告げた。Oさんが去ってしばらく、地震があった。近くを大型トラックの通ったようなかすかな揺れに続いて、ガタガタガタっとはっきりそれ相応の長さで揺れたので、けっこうおおきいなと思った。スマートフォンで速報をチェックしたらしいだれかが京都南部で震度4だといった。めずらしいことだと思った。
 家路についてしばらくOさん宅のまえを通りがかったらプランターの植物に水やりしている姿があったのでこんばんはと声をかけた。さっき地震あったやろ、というので、けっこうでかかったですね、といった。阪神大震災の発生するまえにも京都で二度三度、今度のとおなじくらいの強さの地震が突発的に発生しているのだとOさんはいった。京都ってあの当時どれくらいやったんですかと問うと、震度5はあったといった。関西に越してきてから京都はまだしも大阪や神戸ではうかつに口にすることのできない話題だと身にしみて感じることが何度かあった、大学のクラスメイトもひとり身内をなくしていたしというと、あたしのまわりもけっこう身内なくしてるひとやっぱりおるでなあといった。それから京都は災害に強いとかいうけれどぜんぜんそんなことはない、地震だって台風だってけっこうな被害にあっているのだ、と続けた。台風にかんしてはしかし、地元にいたころにくらべるとやはり圧倒的に被害が少ないというのがこちらの実感である。Eさんがいつだったか、暴風警報で学校が休みになるという経験は一度しかしたことがないと語っていて、それにはけっこう面食らったのだった。
 帰宅してからわりとすぐに寝支度をととのえて床に就いた。今日の作業はいまひとつはかどらなかったが、ひさしぶりにOさんと顔をあわせることができたしまあいいかと思った。The Old Man and the Seaをパラパラめくっているうちにうつらうつらとなったのでいつもどおり冷房(29度・ドライ)をおやすみモード(一時間)に設定して消灯した。3時前だったように思う。