20140825

 先ず第一に確認しておかなければならない事柄がある。「器官なき身体」は、アルトーにとって最終到達点だったということ、そしてその最終地点がドゥルーズガタリの壮大な構想にとっては、かけがえのない基底部にして原点に据えられたということである。この点を重視しておこう。
 というのも、ドゥルーズたちが繰り返し注意を促していることの一つに、「器官がない」というのは何か大事なものが欠けている状態だとか、あるいは必要なものが不足して困っている状態を指しているわけではないからである。器官がないという状態は、言葉の面で言えば、あたかもあって然るべきものがそこにない状態を指しているように感じられるが、実際には否定的な欠如を表わしているのではなく、それどころか一切の否定性を受けつけない完全無欠な状態なのである。そう、器官なき身体が最終到達点であるというとき、逆に考えなければならないのは、器官のある状態こそが否定性をふんだんに含んでおり、不純な身体性にとどまっているということである。純粋状態にある身体には器官がない。
 どういうことだろうか。
 私たちは他人からあてがわれた言葉を使い、社会が用意した役割の秩序にしたがって、あるいは仕事に就き、あるいは学業に従事し、各自が課せられた役割を果たそうと日々奮起している。我々の身体も同様である。目や耳などの感官はもちろん、心臓や肺などの内臓についても、それぞれが所定の役割を担い、任務を果しているからこそ我々は生きていられる。道徳的な人であれば、それゆえ我々は他者に感謝し、社会のために尽力しようなどと考えるのだろう。しかし、アルトーは違った。彼は我々について、どいつもこいつも施し物の言葉を使っていて何の抵抗も感じないし、施し物の仕事にありついて満足し、施し物の器官で生き在えていて、そのことに違和感すら抱かない腑抜けどもだと言い放つ。
 器官なき身体という概念の厳しさは、既成の言語や思想、そして現行の社会秩序に対する呵責ない告発が、そのまま器官を完備している身体、つまり我々の肉体に対しても言われることにある。ジル・ドゥルーズは、常識に見合う度合や杜撰な尺度が大手を振って闊歩する光景を告発するが、それは真に思考されるべき差異が隠蔽され、見出されるべき此性が蔑ろにされてきたからである。常識を斥け、道徳を告発するドゥルーズが、アントナン・アルトーの激越な思考の経験に共鳴し、共同戦線を張るのは、それゆえ至極当然の道行きであったと言えるだろう。繰り返すが、こうしてドゥルーズたちはアルトーの到達点を出発点に据え、思考の最深部から調査を開始するのである。
 器官なき身体とは、絶対の前夜、すなわち差異が差異化される以前の夜の状態である。個々の身体について言えば、受精卵やヒトES細胞の例で見たように、器官や組織が分節化される前夜の状態である。無数の差異が、まだ然るべき方向すら見出すことなく、ただ蠢き、犇く。ドゥルーズたちはそのようなあり様を指して「強度的胚種」と呼び、それを卵に譬えた。鶏の有精卵には最初、黄身と白身しかない。けれども一か月も経てば雛が孵る。白い殻を自力で破り、破片の帽子をかぶった可憐なヒヨコが小部屋から姿を現わすだろう。しかし、産卵されたばかりの卵には、まだ何一つとして分節されていないが、これから分化(差異化)してゆく可能性のすべてがぎゅうっと詰まっている。差異の犇きとはそのことであり、ドゥルーズたちはまさに胚の状態にある差異の犇きを強度的と呼んだのである。
(澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』)



 8時ぴったしにめざましで起きた。背徳感と隣りあわせのなまめかしい夢の余韻があった。かなり強烈だった。YさんがBさんとシャブを使ってキメセクしていた。まったくおなじような夢をたしか以前も見たことあったし、あのときの夢の後味もやはりまた強烈だった。実家の一室に職場のモニターが設置されてある空間にひとりでいた。いつものようにスーツを着て椅子に腰かけながらモニターのようすをうかがっていたが、映し出されているのはSM部屋のような暗がりの一室に置かれてある背のやや高いベンチにあおむけになって寝転がったBさんの裸の胸に、ガンギマリの笑みを浮かべたYさんが油性ペンかなにかで卑猥な言葉を書きつけている現場だった。なんちゅう趣味だとなかばあきれながらも、まんざらでもなさそうなBさんの表情にやや動揺した。Yさんはいちいち、それじゃあ○○させてもらってもいいですかね、と行為にでるたびごとにいつもの丁寧語でBさんに話しかけていて、それがいかにも変態的だった。そのようすをモニター越しにながめながら不謹慎な高揚をおぼえているこちらもやっぱり変態だった。隣室にはたしかTさんがいた。行為の様子を録画したVHSを資料としてEさんに提出した。
 歯をみがき顔を洗い小便をすませた。バスケットの中身を確認して一部をネットに収納したのちまとめて洗濯機のなかにぶちこんでスイッチをいれた。ストレッチをしているときに首の左から背中にかけてを痛めた。寝違えたような痛みだった。きのうの懸垂がちょっとききすぎているのかもしれないと、おきぬけの身体の感じから察してはいた。首の寝違えは入浴後の排便欲求とおなじくらいテンションがさがる。
 バナナを一本だけ食べながら昨夜に続いて巡回先ウェブサイトのたまりにたまっていたアーカイヴを消化していった。とちゅうでパンの耳も追加し、ホットコーヒーもいれた。すべて読みおえたところでおとといづけのブログの続きを書いて投稿した。その時点で14時をまわっていた。炊飯器を洗ってから玄米を四合分用意してスイッチをいれ、街着にきがえてから家をでた。
 図書館で延滞していたCDを返却し、ボブ・マーリーのなくしてしまった音源をふたたび借りた。それからいつものスーパーにたちよって食材を購入した。帰路をケッタでたどっているときにふと秋のはじまりに似た風を感じた。さらりとかわいていてむきだしの肌を軽くなぜていくようだった。帰宅してからバナナをさらに一本追加して食べ、きのうづけのブログを書きだした。とちゅうまで書いたところで中断し、ストレッチをしてからジョギングに出かけた。羅生門にいたるまでの細道で鉢植えに水をやっている大家さんの姿を見かけたのでこんにちはとあいさつした。ジョギングに出かけるこちらの姿を認めるなり、いぜん住んでいた方で弁護士にならはったひともマラソンを、といつもの話がはじまった。むずかしい書き物にはきっとマラソンがええ助けになります、という〆の言葉を聞き終えたところで路地にでた。iPodでCharli XCXをセレクトしてから横断歩道をわたって走りだした。
 バナナを一本追加で食べたとはいえあまり食べ物を胃にいれていないのが不安だった。河川敷におりて折り返し地点に達するまではどうにかして走りつづけたが、帰りは二度ほど歩行をはさんだ。水分がぜんぜん足りていないと思った。もっとしっかり水を飲んでから家をでるべきだったとくらくらする頭で悔やんだ。風が秋めいたところで太陽が雲に隠れたところで暑いものはまだまだ暑い日中である。それにくわえてヒートテックを着て走っているのだから汗はだらだらとそれこそ滝のようにしたたりおちてほとんどきりがない。連日の雨でやや増水している川にスクール水着の中学生男子が四人ほどわけいりながらたわむれていた。そのそばではおなじ学校の友人らしいのがこちらは私服のままやはり膝丈の川におりて竿をふっていた。橋の下の陰では老年の男性が地べたに尻もちをついて涼んでいた。そのかたわらでは黒いラブラドールが飼い主の男性よりもずっとだらしのない姿勢でごろんと横たわって四肢をなげだしており、コンクリートが冷たくてとても気持ちよさそうだった。16時台ということもあってすれちがうランナーの数は少なかった。散歩をする初老男性の姿ばかり目立った。
 シロツメクサの芝生のうえにある台座にあおむけに寝転がって息をととのえた。おきあがってからじぶんの寝転んでいたあとに目を落としてみると、ひとがたのシルエットが残っていた。残りわずかな帰路もまた走ったり歩いたりしてたどった。とにかく水分が足りなかった。下宿にもどったところでミネラルウォーターをがぶのみした。人心地のついたところでそのまま風呂に入った。アイシングをしたのちなんとなくの気分で口髭をそりおとした。あごともみあげは残した。風呂場のドア越しに大家さんの呼ぶ声がした。ドアをあけて先をのぞくと、コップに入ったカルピスと羊羹がひとつ用意されていた。身体をふいて部屋着に着替えたのち、羊羹だけを手にとって部屋にもどった。たがえてしまった筋を気遣いながらストレッチをした。口髭をそりおとしたあとの顔を鏡でのぞきこんでみるとなんとなくおさない気がした。こんなにも上唇がうすかったのかと思った。そりおとしたあとを指先でなぞると落ち着かない感触がした。なにか物足りない気がした。
 玄関の引戸を思いきり叩く音が何度も続いた。返事をしているにもかかわらずバンバンバンとたたきつづけられるといくら年寄りの仕業とはいえけっこうイラっとくるものがある。炊いたばかりの白米が入ったタッパを手にした大家さんがいた。米は足りている、足りなくなったらもらいにうかがう、といぜん話したばかりだったが、おかまいなしだった。あまっているからもらってくれの一点張りだった。こちらもいまちょうど炊き終えたばかりのところだと突っぱねた。たのむからそうっとしておいてくれと思った。
 夕食の支度をするために水場に立った。たかだか十分からそこらのあいだに両脚のくるぶしより下の箇所だけで合計11箇所も蚊に食われてしまいものすごくいらだった。玄米・納豆・茹でた鶏胸肉・レタスとトマトと赤黄パプリカのサラダを食べた。もうひとつきふたつきもすればサラダのシーズンも終わるのかと思ったらさびしくなった。根菜がとってかわることになる。蓋を割ってしまったタジン鍋を新調しなければならない。
 食後しばらく経ったところで寝床に就いて15分ほどの仮眠をとった。起きるとぴったし20時だった。きのうづけのブログの続きを書いて投稿した。そのまま今日付けの記事もここまで一気呵成に書いた。すると22時をまわった。そろそろひと月経つころだろうしSとスカイプでもしようかとおもってログインした。コールがかかってくるまで「G」を適当にいじくるつもりだったが、着手してまもなく没頭のきざしが感ぜられたので退席中にきりかえ、けっきょく1時前までそのまま改稿しつづけた。プラス2枚で計260枚。
 就寝準備をととのえたのちAusterを一段落も読み進まないうちに寝落ちした。