20240520

 戦争とか軍備の本もこれと同じで、中国の兵力がこれぐらいで、日本の防衛力は現状これこれこうなっているから、こういう風に攻められてきたらひとたまりもないとか、歴史上戦争というのはこういう条件が揃ったときにはじまっていて、それを現在の日本周辺に当てはめると条件はすべて揃っているとか、戦争にまつわる用語や概念を並べて軍隊の必要性を説かれるとこっちは反論のしようがない。
 しかしそれは当然のことであって戦争の資料というのは本質において戦争を不可避とする思想においてしか作られていず、その外はない。戦争の資料で、これだけの条件が揃ったときに歴史上戦争が起きてきたといっても、すべて戦争が起きた資料から導き出した条件であって、その視点からは同じ条件が揃ったときに戦争が起きなかったケースは漏れているのだし、それより何よりかつての世界経済と現在の世界経済はつねに違うのだから本当いって歴史からは学びようがない。
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.300-301)



 10時前起床。昨夜就寝前にイランの大統領と外相をのせたヘリが墜落したというニュースを見て、なんやこのきな臭いニュースはとびびったのだが、乗員全員の死が確認されたようす。
 朝食はトースト。洗濯機をまわし(夏場なので冬場のように洗濯物をためっぱなしにしなくなった)、コーヒーを飲みながら、きのうづけの記事をあたまから尻まで一気呵成に書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2021年5月20日づけの記事より。

(…)フーコーアレントはどちらも権力と暴力を区別しているけれども、じつはこれらを違った仕方で整理している。アレントも興味深いですが、私にはフーコーのほうが興味深かった。フーコーの整理では、権力というのは、行為に作用するのだと。それに対して暴力は身体に働きかける。つまり、作用点が違うわけですね。権力は、例えば銃口を突きつけて、脅して他人を動かす。直接、相手の身体に触れないで、行為に影響を与えるわけです。それに対して、暴力は物理的に相手の身体になんらかの影響を与えるような振る舞いです。
 ところで、やはり直接的、物理的に相手の身体に触れずに、行為に影響を与えるというものにアフォーダンスというものがあります。アフォーダンスとは何か。簡単にご説明します。
 人でも物でもいいのですが、例えば、私がここにいて、目の前にコップがあるとしましょう。その場合、そのコップは私に対して、「持ちますか?」とか、「水を注ぎますか?」、「注いだ水であなたは喉を潤しますか?」とか、いろいろな行為を促してくると考えます。これを、コップは私に対して「持つ」とか、「水を注ぐ」という行為をアフォード(afford「与える、提供」)している、という言い方をします。目の前のコップから手が生えて、無理矢理私の手を持って、水を飲めと物理的に影響を与えているわけではなくて、存在そのものが私にある種の行為を促してくる。人であれ、物であれ、非接触的に相手の行為に影響を与える力をもっている。その力のことをアフォーダンスと呼んでいます。
 そう考えると、フーコーの権力観は、とてもアフォーダンス的なのではないか、だから、もしかしたらフーコーの権力論とアフォーダンス理論というのは相性が良いのではないか、などとも思いました。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.142-144 熊谷発言)

 そのまま今日づけの記事もここまで書く。今日は5月20日、中国における恋人の日であるので、モーメンツもその手の話題一色。

 明日の日語基礎写作(二)の準備をすませる。13舍そばの菜鸟快递で荷物を回収する。バーコードを通すための機械にならんでいると、「先生!」と呼びかけられる。二年生のC.Kさん。小包を手にしているので、化粧品でも買ったのとたずねると、「食べもの!」という返事。5月20日であるし、彼氏から送られてきたものかもしれない。
 パン屋でクロワッサンをふたつ買う。第五食堂で閑古鳥の広州料理を打包して帰宅。メシ喰うないや喰う。チェンマイのシャワーを浴びる。K先生から微信。以前四年生のK.Kさんのために閲読の追試問題を作成したわけだが、彼女は結局その追試も欠席したという。このままだと本当に大学を卒業することができないので、教務室の教員がもういちど彼女にチャンスを与えようと考えているらしく、それで追試問題をもう一度送ってほしいというのだが、いやいやだいじょうぶなの? という感じ。追試問題を送信し、彼女の置かれた状況について確認してみると、いちおう明日中に卒論を提出すればぎりぎりなんとかなるということらしいのだが、おそらくそれもむずかしいだろう、と。それに続けて、「Kさんの参加している講演能力向上の会社、マルチ商法のにおいがすごくあります」とあったので、やっぱり! となった。
 一年生のS.EくんとK.Kさんの作文コンクール用原稿の添削にとりかかる。とりあえず文章だけ添削したものを返却。内容と構成に手を加えたものは後日また送信します、と。ついでにS.Eくんとやりとり。K.Kさんとくらべて文章の構成がかなりしっかりしていたので、本を読んでいるだけではなく文章を日頃書いているタイプだろうと思ってそう告げると、高校時代に友人といっしょに小説を書いていたという。S.Eくんは趣味としてカメラをやっているわけだが、彼の撮る写真は実際かなりいい、なかには小説のカバーに使わせてほしいかもと思うほどのものもある。日本語の勉強もがんばっている。それにくわえて今日、恋人の日だからこれを送るみたいなメッセージ付きで、『君の名は』で使われているものだという楽曲をピアノで弾いている動画までモーメンツに投稿しており、マジで文化系だなという感じ。うちの学科、イラストやコスプレが趣味だという子は大量にいるし、ラノベ的な小説を読み書きしている子も相応数いるけれども、(自撮りや加工ではない、風景をメインとしたアートの文脈での)写真が趣味の子なんて彼がはじめてであるし、純文学や西洋哲学をメインに本を読んでいる子もやはりめずらしい。もはや現代においては死語ともいうべきタームを借りていうと、サブカルチャーではなくハイカルチャーをたしなんでいる子なんて圧倒的に少数派だから、そういう学生がいるとそれだけでひそかにテンションがあがってしまう。
 寝床に移動後、『ディスタント』(ミヤギフトシ)を最後まで読み進めた。すばらしかった。読み終えた直後、もういちどあたまから読みなおしてもいいなと思った(そういう小説は滅多にない)。「アメリカの風景」「暗闇を見る」「ストレンジャー」の三作。沖縄の離島→那覇→大阪での暮らしがメインで語られる「アメリカの風景」と「暗闇を見る」における語り手は「僕」である。沖縄時代の「僕」は他者からその名を呼ばれることがないし、FFやドラクエなどプレイするRPGの主人公の名前はすべて映画俳優から借りた「マーティ」になっている(『バック・トゥー・ザ・フューチャー』でマイケル・J・フォックスが演じていた役の名前が由来)。それが大阪時代になると、語り手は「僕」のままであるのに対して、他者からは「J」というあだ名で呼ばれるようになっている(マイケル・J・フォックスが由来)。そして全編通じてアメリカが舞台となる「ストレンジャー」においては、語り手は「僕」ではなく、その「僕」がアメリカで出会ったさまざまな被写体となり、「僕」は「ジャック」というEnglish name——この「ジャック」という通称は「J」に由来する——で呼ばれる(カメラを構えて「見る」側である「僕」が、被写体からむしろ「見られる」側として「ジャック」と対象化される)。
 「アメリカの風景」と「暗闇を見る」の二作では、以前も書き記したように、「僕」=「J」が同性愛者であることに対する言及(読者に対する断り)はない。「ひとみしり」や「シャイ」という単語をひとつも使っていないにもかかわらず、あきらかにそうであることがありありと感じられる「僕」=「J」の性格と同様(一人称の語りでこうした性格を直接的な言及なしに表象するのはかなりむずかしいと思うのだが——社恐な外面に反して内面が饒舌であるというパターンの語りは『地下室の手記』をはじめとしてたぶん無数にある——、それがまったく違和感や作為なくいわば自然にできている点が、もしかしたらこの作品でもっとも衝撃を受けた部分かもしれない)、彼の前を通過していく何人かの男たちに対する愛情とおぼしきものがかすかにゆれうごく瞬間もすべてひかえめに抑制された筆致で書かれている。それに対して、「ストレンジャー」における「ジャック」は同性愛者であると言明されているし、性愛のにおいもはっきりとたちこめている。
 一人称の語り手は、沖縄においては名前をもたない存在としてある。その代わり、当時夢中になってプレイしていたRPG(フィクション)の主人公に、映画(別のフィクション)の主人公の名前をみずから与え(「僕」はRPGの主人公には必ず「マーティ」という名前をつける)、その主人公に——あるいはそのフィクションの断片的なエピソードのいくつかに——うっすらと自分の姿や境遇を重ねる(そうすることで、名前をもたない自分の居場所をかろうじて確保しているかのようだ)。沖縄を出て大阪で暮らしはじめると、その環境の変化と呼応するように、役名由来であった「マーティ」はその役を演じていたマイケル・J・フォックス由来の「J」へと変じる。大阪での生活も彼に自由や解放感をあたえたわけではないのだろうが、それでもその呼び名が役名から役者の名前へとレイヤー一層分さかのぼったように、フィクション(偽らざるをえない自分)から現実(偽らなくてもよい自分)に薄皮一枚分近づいたとはいえるのかもしれない。アメリカに渡ると、「J」はその文字をイニシャルとする「ジャック」に転じる。アメリカ社会における「ジャック」は、日本社会における「マーティン」や「J」とは異なり、もはや一聴してあだ名(偽りの名)とわかる呼び名ではない。当時すでに同性愛カップルがめずらしくなく、沖縄や大阪にくらべてはるかに理解のあった環境において、「僕」は「ジャック」として他者から/他者の世界に命名され、対象化され、居場所らしきものを(おそらくは一時的に)獲得する。
 語りの変遷、名前の変遷、それにともなう性およびジェンダーまわりの記述の度合いの変遷が、こうしてみると非常に考え抜かれたかたちで噛み合っている小説となっている。また、解放と自由を与えてくれたアメリカを手放しでことほぐわけでもなく、むしろある種の緊張関係をもって対峙していることは、愛情のゆれうごく瞬間をとらえた繊細にして控えめな描写と同程度にささやかな記述群の端々からも感じとれるし、それは内地に対する関係においても同様だ(アメリカにおいて出身をたずねられたジャックは「日本」とは答えず決まって「沖縄」と答える)。とにかくすべてが繊細で、つつましやかであり、そのトーンにあわせて目を凝らさないと逃してしまうささやかなニュアンスがふんだんに盛りこまれているのだが、構造は上述したように非常にしっかりしているし、表現がひかえめであるだけであって表現されるべきなにかが欠落しているわけでもなければ中身に乏しいわけでもないことはあきらかで(あくまでも抑制された筆致でとりあつかわれているだけであって、「ジェンダー」にしても「沖縄」にしても、こう言うのもアレかもしれないが、大文字の文学的テーマだ)、そうした小説のたたずまいが、「僕」=「マーティー」=「J」=「ジャック」というひかえめであるけれども芯が強い——あるいは頑固な——人物像の生き写しになっている。
 しかしすばらしい作品であるにもかかわらず、さっとググってみた感じ、なにかの文学賞を受賞したとか候補にあがったとかそういう情報には出くわさない。町屋良平とトークイベントはしているようだし、帯には佐々木敦が推薦コメントを寄せているようだが、それくらい。端的におかしい。
 書見の最中、R.Uくんから微信がとどいた。最近は毎日のようになにかしらのメッセージがとどく。こちらがモーメンツに投稿した「卒業生への手紙(2024年)」を、メモをとりながら精読したらしい。そのメモの写真が送られてきたのだが、要点をしっかり押さえたものになっていたので、さすがN1の読解問題で満点をとっただけあるなと感心した。以下、そのメモの写真。
 
(…)
 
 「僕はC.Sくんとこれについて交流しました」「C.Sくんもすごく興味があるのようですね」「ずっと『さすが先生ですね』って」とあったので、これにはやや驚いた。C.Sくん、抽象度の高い会話を交わすことのできるタイプだったんだ、と。以前にもやはりR.Uくんとふたりでこうした「哲学的な」話をしたことがあるらしい。それでいうと、R.Hくんは日本語能力こそ高いものの、抽象的な議論にはあまりついてこれないタイプだよなと思う。彼が好む政治の話をしている最中でも、抽象度を一段高めると途端についてこれなくなり、具体性の水準にひきずりおろして安易な理解に安楽しようとする瞬間がこれまでに何度もあった。抽象的思考ができない政治熱心な人物って、ある意味最悪のキメラであるというか、情報の取捨選択次第ではもっとも厄介なタイプになりかねないわけで、そういうところはやっぱり危うい。
 あと、これも夜遅くだったが、卒業生のR.Kさんから長いコメントがとどいた。曰く、「ずっと「自分が求めているもの」という基準にこだわってしまい、身の振り方も思い惑っている状況は、就職した私だけではなく、20代の社会人になったばかりの若者なら誰もが直面せざるを得ないことだと思います。先生の貴重なお言葉をいただき、誠にありがとうございます。非常に助かりました。」とのこと。R.Kさん、こちらがこれまでに出会った学生の中でもっとも文学的センスがあり、かつ、日本語能力も非常に高い子であり、たしか二年生の前期だったか、オンライン授業でこちらが出した作文の課題に対して彼女が提出したものが、嘘やろ! とびっくりするくらいレベルの高いものであり、というのはつまり日本語の文章としてもほぼ欠点がなく、かつ、その内容も非常に高度で文学性すらあり、いやこれ仮に同じ課題そこらの日本人に出してもこのレベルの答案書けるやつ滅多におらんやろとビビり、それで、きみはもう日本語になんてこだわらなくてもいいからとにかく文章を書きなさい、そういう仕事をしたほうがいい、するべきだ、と何度か強烈にプッシュしたのだったが、二年前の卒業写真撮影の場で再会したときは、文章も日本語もまったく関係ない仕事を(…)でしている、すごくつまらないと言っていたのだった。コロナのせいで二年近くオンライン授業をするはめになって、あれはあれでいい経験だったと思うし実家で毎日(…)と触れ合うことができたのもよかったし、さらにいえばあの期間がなければ「実弾(仮)」を書き出すこともなかっただろうからコロナ禍をなかったことにはしたくないというアレがこちらにはあるのだが、唯一の心残りがあるとすればそれはやっぱりR.Kさんと交流する時間がほとんどとれなかったことだ。というかR.KさんとS.KさんとS.Eさんという、こちらがこれまで中国で出会った学生の中でまちがいなく文学的才能や芸術的センスが突出していた三人が同じクラスであり(のちにR.Kさんだけ双極性障害の悪化が原因で一年休学することになったが)、かつ、三人娘として親しい仲であったというのは、あれはマジでいま思えば信じられない奇跡のような邂逅だったと思う——ということを書いていると、やっぱりコロナはクソだったなと思う。あの三人と交わしえた言葉はまだまだたくさんあったはずなのに!