20240522

過程[プロセス]の中から目的という観念を取り去り、それにもかかわらずなおも過程を肯定しうるであろうか?——もしできるなら、それはこの過程のあらゆる瞬間に、いかなる事柄でも実現している場合である——しかも常に同じ事柄がである。(断想5〔七一〕より、傍点原訳文)
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』p.325 ニーチェ『遺された断想』より)



 8時15分起床。母からLINEがとどく。めだかの鉢を水換えしていたところ、見たことのない魚が混じっていたという。送信された写真を見たところ、なんてことない、ヨシノボリだった。おなじ鉢にいるエビを食っちまう可能性もなくはなかったが、それほど大きい個体ではなかったので、たぶんだいじょうぶだろう。
 10時から一年生2班の日語会話(二)。「道案内」。期末試験の内容であると授業途中でネタバラシしたこともあって、まずまずみんな集中していたようす。しかし準備していた分が思っていたよりもはやく片付いてしまった。いちおう来週も復習を兼ねておなじ授業をするつもりでいるのだが、時間がもたない可能性もなくはないので、ちょっとしたゲームでも用意しておいたほうがいいかもしれない。
 セブンイレブンでカレーとライチのジュースを買う。帰宅後、メシ喰うないや喰う。職場はベッドで30分仮眠。起きたところで、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事の読み返し。2014年5月22日づけの記事に「つぎ引っ越すことがあったらそのときのブログタイトルは「辺境の饒舌」にしよう!」という記述があり、すっかり忘れていた! あと、オコナーに対する言及もあった。オコナーがじぶんにとって徐々に特別な作家になりつつある時期なのだ。

『賢い血』『族長の秋』の抜き書きをした。『賢い血』のあの記述の質感がなんどもよみがえった。ものすごい独特の小説だったなと思った。ぺらぺらめくったり思いかえしたりしているうちに、ひょっとしてあの小説はじぶんがこれまで読んだ小説のなかでもかなり上位にランクインするものだったんではないかと思った。なにかそらおそろしい、得体のしれない、とてもつかみどころのないものをそれとなくうちに孕んでいる、そんな小説だったのではないか?

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は15時半だった。

 K.Kさんの作文コンクール用原稿を添削する。こちらに対する感謝状という趣旨のものだったのでややこっぱずかしい。Kさんとはじめて接したとき、ちょっとつんけんしているような、なんとなくどことなく棘のある子だなァという印象を抱いたものだったが(彼女のこちらに対する最初の印象はおそらくあまりよくなかった)、いつのまにかデレッデレになっている。
 S.Eくんの原稿もややいじる。段落ひとつ分こちらの手で完全に書き換える必要ありと判断。
 17時をまわったところで第五食堂へ。打包して帰宅後、メシ喰うないや喰う。二年生のR.Iさんから微信。「高木直子」の本がとどいたと写真入りの報告。ググってみたところ、「たかぎなおこ」名義で活動されているイラストレーターが存在するらしい。なんとなく聞き覚えがある、もしかしたらほかの学生から聞いたのだったかもしれない。R.Iさんは小学生のときにたまたま彼女の本に出会ってからずっとファンであるらしい。いつか日本語原文で読んでみたいとのこと。
 MacBook Airと保温杯になみなみそそいだコーヒーをもって図書館へ。二階でC.Sさんと遭遇。C.Sさんとは本当にしょっちゅういたるところで遭遇するので、教室外で姿を見かけるとそれだけでおたがいに吹き出してしまう。自習室で勉強していたとのこと。いつもの三階席にむかったところ、今度はK.Kさんと遭遇。こちらがいつも腰かけている長テーブルに先着していたので、いや絶対狙ってここにおったやろとなる。日本語の文法問題集を解いている。軽くあいさつして、こちらはこちらで作業にとりかかる。S.Eくん、K.Kさん、S.Sさんの作文コンクール用原稿をたてつづけに修正。図書館ではネットに接続できないので(たぶん大学が提供しているWi-Fiに教師も登録することができるはずなのだが、面倒なのでしていない)、文字数カウントのウェブサイトに飛ぶことができない。Pagesは単語数はカウントできるものの文字数のカウントはできないので——と、書いたところで、ほんまにそうやっけと思ってググってみたのだが、文字数でも余裕でカウントできた。ケー! こういうところがドアホの真骨頂よ!

 20時半に作文添削は切りあげ、「実弾(仮)」第五稿をひらく。しかし作文の文字数がどうなっているのか気になって仕方なかったので、21時に作業を中断して図書館をあとにする。K.Kさんはその少し前にC.Rくんが迎えにくるかたちで去っていたのだが、図書館の外に出てほどなく、電動スクーターに2ケツしたふたりに声をかけられた。大学のジョギングアプリをひらいたスマホをケツにのったK.Kさんがぶんぶんふっている。学期中に規定距離数をジョギングした証拠としてアプリのスクショを提出する必要が学生らにはあるのだが、こんなふうにスクーターやケッタを使って誤魔化している学生も当然たくさんいる(「上に政策あり、下に対策あり」の縮図)。
 帰宅。二年生のC.Kさんから「投票」をうながす微信。なにかの授業の課題の一環らしいのだが、日常の風景を写真に撮ってBGMと組み合わせたものをオンライン上に発表、投票数を競い合うというようなアレが開催されているらしく、リンク先でしかるべき番号をポチってほしい、と。C.Kさんが投稿していたのは大学内の梅の木かなにかの花が散って吹き溜まりをなしているのを写したものだった。C.Kさん、わりと頻繁に自撮りを撮る学生であるし、実際彼女はかなり整ったルックスをしているのでそうして撮られた写真もなかなかさまになっているのだが、風景を撮らせると死ぬほど凡庸であるなァという印象。チェンマイのシャワーを浴び、懸垂をしてりんごとトーストとヨーグルトを食し、ベッドに移動後はA Prayer Journal(Flannery O’Connor)を読んで就寝。今日は『Radiant』(Daichi Yamamoto & JJJ)と『MAKTUB』(JJJ)と『A Dream Is All We Know』(The Lemon Twigs)を流した。