20240524

 同じ一つのものを肯定し同時にまた否定することは、われわれにはできないということ。これは一つの主観的な経験法則にほかならない。つまり、そこで表現されているのは何ら「必然性」ではなく、一つの無能力にすぎない。
 もしもアリストテレスの言うように、あらゆる根本法則のうちで最も確実なものは矛盾律であり、それはあらゆる証明行為が依拠する窮極的かつ根底的な法則であり、この矛盾律の中にこそ他の一切の公理の原理があるのだとすれば、われわれはそれだけますます厳密に、矛盾律というものがその根底ですでにいかなる主張を前提として含んでいるかという問題を、熟考しなければならないであろう。矛盾律は、現実的なもの・存在するものに関して或ることを、すなわち現実的なもの・存在するものには相対立する述語は与えられえないということを、まるで存在するものをどこか他の所からすでに知っているかのごとくに、主張しているのであろうか。それとも矛盾律が言わんとするところは、現実的なもの・存在するものには相対立する述語は与えられるべきでないということであろうか? 後者だとすれば、論理学は一つの命令であり、それも真なるものを認識せよとの命令ではなく、われわれにとって真を意味すべき一つの世界を定立し、かつ整序せよという命令にほかならないであろう。(断想9〔九七〕)
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.333-334 ニーチェ『遺された断想』)



 8時15分起床。トーストとヨーグルトとコーヒーの朝食。
 10時から二年生の日語会話(四)。ひさしぶりのディスカッション。ひとつめのお題は「スマホはいつから持つべき?」で、選択肢は「大学生から」「中高生から」「小学生から」「スマホはゴミ! 必要なし!」。ふたつめのお題は「仕事をするなら?」で、選択肢は「給料が多いが996」「給料は少ないが休みは多い」「自営業」「無職最高!」。ディスカッションを司会進行するコツもだんだんと掴めてきた。ただそれぞれのグループの意見を順番にきいていくだけでは途中でネタ切れっぽくなるので、中弛みしはじめたなというタイミングでそれらの意見をフックにして別の雑談をはじめたり質問を投げたりするのがよい。たとえば「スマホはいつから持つべき?」だったら、最初の15分で各グループの意見を戦わせる、そして残る15分で中国の高校生がスマホといかに付き合っているか、最近流行っているスマホを利用した詐欺にはどのようなものがあるかなどというふうに脱線させていく。教科書に準じた授業よりもこういう授業のほうがずっと楽しいし、レベルの高い学生らのためにもなる。来学期、半年前倒しにするかたちで二年生前期の授業でも取り入れてみたいとちょっと思うのだが、いやでもこの授業が成り立っているのって現二年生だからだよな、これだけ明るくて積極的な学生が多数いるクラスだからだよなという気もする。うーん、要検討やな。
 今日の最高気温は34度。ゆえに教壇で声を張りあげてぎゃーぎゃーやっていると汗だくになるわけで、授業が終わるころにはシャツの下に着用していたタンクトップがびしょ濡れになっていた。しんどい。なんでエアコンないねん。
 授業後、ひさしぶりにR.Hくんから誘い。作文コンクールの件で説教して以降、こちらをおそれてなのかなんなのか距離を置いているふうにみえたわけだが、いっしょにお昼ご飯を食べましょうという。このクソ暑い中、アホみたいに混雑している食堂だの飯屋だのでメシを食う気になど全然なれなかったので、セブンイレブンで昼飯を買おうと応じる。Jで食パンを三袋買い、セブンイレブンでカレーとレモンティーを買う。店の近くで一年生2班のK.KさんとR.Kさんのふたりと遭遇する。K先生のリスニングの授業を終えた帰り。これから麻辣烫を食うというので、35度近い日中によくもまあそんなもん食う気になるなと敬服する。
 R.Hくんがいるのでケッタに乗ることができない。寮まで歩く必要がある。ただでさえクソ暑くてしんどいところに、例によってずっと政治や歴史の話ばかりきかされるのであたまが痛くなってくる。きのうづけの記事だったかおとついづけの記事だったか忘れたが、抽象度の高い話についていくことができない+政治に強い関心があるという組み合わせはかなりまずいと書きつけたばかりであるが、R.Hくんとひさしぶりに言葉を交わしてみてあらためてそう思った。彼の日本語能力は高い。二年生の中ではトップクラスだろうし、いや一年生から四年生まで含めてなおトップクラスであると思うのだが、その割にはこちらに寄越す質問がおそろしく稚拙なのだ。なんというか、善悪二元論でしか物事を考えることができないというか、白黒二色の世界に生きていてグラデーションで物事をとらえることができないというか、要するに「度合い」や「程度」を思考に取り入れてそれをもとにして物事を考えることができない——というとまさに現代的であるというか、SNS全盛期の大衆の在り方そのものであり、彼はある意味もっともわかりやすい現代人のサンプルであるのだなと意地悪な見方もしたくなるのだが、たとえば今日にしても「岸田文雄習近平蒋介石は良い政治家ですか」みたいな質問をしつこく寄越して、いやその質問はいくらなんでも大雑把すぎるでしょうというアレで、たとえば習近平にしてもその功罪はいろいろあるでしょうと応じると、具体的な例をあげるようにせまる。それで習近平は国内の汚職を叩きまくった、あれについては一定の効果があったのはまちがいない、しかし同時に汚職摘発を権力闘争に利用したのもまちがいない、そういうふうに物事には功罪がつきまとうと答えたところ、なんとなく納得のいかない表情を浮かべてみせる、なんだったらもともとじぶんの中にあった結論にこちらを導こうとしてみせるみたいな、で、そういう彼のふるまいに対して物事を度合いや程度でとらえるのが知性であり、人物単位にしても政策単位にしても善悪二属性で単純化(物語化)するなという話をすると、はいわかりましたそうですよねという反応があるのだが、しかしその直後に「◯◯は良い政治家ですか」と完全にわかっていない質問がまた続くというあんばいであって、なんというかこう、言葉がまったくとどいていない感じがする。そもそも、政治の話だの歴史の話だのそういう話が好きな人間ばかりではない、他人とコミュニケーションをとるときはじぶんの話したいことばかり話すのではなく相手を尊重することもおぼえなさいという話を以前こんこんとしたはずであるのに、結局それもまったく忘れ去ってしまっている。七月から四ヶ月間、日本でインターンシップをすることになっている彼であるが、このままいけば現地でなんらかの失敗を絶対にやらかすと思う。

 帰宅。カレー喰うないや喰う。食後ベッドで20分ほどうたた寝。それからLに微信を送る。航空券を購入するにあたってflight ticket agencyにお願いしたほうがreimbursementの手続きなどが楽であるという話が先日あったが、去年の夏休み前に航空券を購入しようとした際、結局そのagencyは使いものにならず自分で購入するという流れになったように記憶しているのだが、今回はどうなのだろうと問いあわせたかたち。We can ask the agency firstという返事がじきにあったが、結局その後どうなったのかの連絡はないまま夜になってしまって、となると土日は動いてくれないから返信は最短で月曜日、それまでにこちらの狙っている航空券は売り切れてしまうかもしれない。
 作文コンクールに参加する学生らに作文のタイトルをつけるように連絡。タイトルをつけるのがむずかしいのであればこちらが適当に考える、とも。
 15時をいくらかまわったところで寮を出る。饭卡にチャージするために第三食堂の窓口をおとずれたのだが、午後は16時以降オープンとの張り紙がある。ギラギラの日差しが照りつけるクソ暑い中をわざわざここまでやってきたのにとげんなり。食堂の駐輪スペースでは電動スクーターにのったC.Iさんと遭遇。日焼け避けのためにマスクと長袖で完全武装していた。今日の日差しは実際かなりやばい。
 瑞幸咖啡でココナッツミルク入りのコーヒーを打包して帰宅後、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。
 17時をまわったところでもう一度第三食堂の窓口へ。閉まったまま。ふざけんなクソが! 時間通りにちゃんと働けボケ! 饭卡には残り一食分しか残高がない。今日の夕飯はどうにかなるとしても、土日は窓口が閉まっているので、明日と明後日の二日間は食堂なしで過ごさなければならない。げんなりしつつ第五食堂へ。教員には毎月300元分の食費が補助として出る。で、その補助のチャージは食堂にある機械に饭卡をかざせばいいだけなのだが、5月の分はたしか今月のあたまにチャージしてあるよなと思いつつ、いちおうもしかしたらの期待をこめて饭卡をかざしてみたところ、300元チャージされた! やった! 5月の分まだチャージしていなかったのか? あるいは6月の分を先取りするかたちでチャージできたのか? いずれにせよ、これで週末の二日間を食堂なしで過ごすという罰ゲームはまぬがれたわけだ! ばんざーい! ばんざーい! カラマーゾフ万歳!
 閑古鳥の広州料理を打包して帰宅。帰宅後メシ喰うないや喰う。夜は図書館で過ごすつもりだったので、作文コンクールの件でやりとりしていた三年生のS.Sさんに図書館のエアコンが稼働しているかどうかをたずねる。稼働しているとの返事。ただしこちらがいつも作業しているホールにはエアコンがないので少々蒸し暑い、閲覧室はエアコンがガンガンきいているのでそちらに行ったほうがいいとのこと。しかし結局図書館には行かなかった。食後またしても眠気をおぼえたからだった。ベッドで20分ほど仮眠をとった。ここ数日、夜まともに眠れていない感じがある。たぶん暑さのせいだと思う。エアコンをつけたり消したり、あるいはアイスノンを使ったり使わなかったりしているのだが、ちょうどいいあんばいを見つけ出すことができず、結果、就寝中に何度も目が覚めるはめにおちいっている。
 仮眠からさめたのち、チェンマイのシャワーを浴びた。それから「実弾(仮)」第五稿作文。20時半から22時半まで。シーン45をがっつり加筆修正。まなうらに眠気のこびりついている感じがあったので作業ははやめに切りあげた。

 インスタントラーメンをこしらえて食す。今日づけの記事を途中まで書く。0時半になったところで寝床に移動し、A Prayer Journal(Flannery O'Connor)の続きを読みすすめて就寝。
 今日はひとつおおきな発見があった。VPNを噛ませているとYouTubeの動画がなかなか再生されないという問題がずっとあったのだが、動画が再生されず赤い円がぐるぐるぐるぐるなっている最中に別のタブをひらき、そこでほかのウェブサイトにアクセスすると、どういうわけかそれをきっかけに元のタブで動画の再生が無事はじまるということに気づいたのだ。これでもう食事中に動画がなかなか再生されずにイライラするということもない。裏技の発見!