20240525

 形式は、ある持続的なもの、したがっていっそう価値あるものとみなされている。けれども形式は単にわれわれが考案したものにすぎない。そして、たとえどれほど頻繁に「同じ形式が達成される」としても、そのことは、それが同じ形式であるということを意味してはいない——そうではなくて、現われてくるのはいつでもある新しいものなのである——そして比較を行なうわれわれだけが、この新しいものを、それが古いものに似ているかぎりにおいて、「形式」という単位の中へいっしょに数え入れるにすぎない。あたかもある類型が達成されるべきであり、それがいわば目標として形成作用の行く手に浮かび、形成作用に内在しているかのごとくに。
 形式、類、法則、理念、目的——ここではいたるところで、まるで出来事がそれ自身のうちに服従を含み持っているかのように、偽りの実在性を虚構になすり付けるという同じ間違いが犯されている、——出来事における人為的な分離は、行為するものと、この行為が依拠しているものとの間で行なわれるのである(しかしながら行為するものと行為が依拠しているものとは、われわれの形而上学的・論理学的独断性に対する服従から、われわれによって定められたものにすぎず、何ら「事実」ではない)
 ……(略)……
 論理学を信じさせるわれわれの主観的強制が表現しているのは、われわれは、論理学自体がわれわれの意識にのぼるはるか以前ですら、論理学の諸要請を出来事の中へ置き入れること以外は何もしなかったということにすぎない。それゆえ現在われわれは出来事の中にこの諸要請を見出し——われわれはもはや別様にはなしえないのだ——、今やこの強制は「真理」に関して何事かを保証していると思い込むのだ。同等にすること、粗雑に=単純にすることをわれわれは最も長い間やってきたのであるから、「事物」、「同じ事物」、主語、述語、行為、目的語、実体、形式をつくりだしたのも、われわれにほかならない。
 世界がわれわれに論理的なものとして現われるのは、われわれがまず世界を論理化したからなのだ(断想9〔一四四〕)
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.334-335 ニーチェ『遺された断想』より)



 10時半起床。ひさしぶりにがっつり寝た感あり。S.Fさんから修正後の修論がとどいており、時間があれば再チェックをお願いしたいとのことだったが、いそがしいのでと断った。再チェックの必要は実際ほぼない。前回こちらが修正したものをそのまま提出すれば100%通る。
 朝食はトースト二枚。12時過ぎから「実弾(仮)」第五稿作文。15時前に終了。シーン45、無事片付く。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2023年5月25日づけの記事を読み返す。作文コンクールに応募するための原稿としてお題を完全に無視した文章を書いて寄越した当時一年生のR.Hくんに対する苦言が書きつけられているが、この時点ですでに彼のコミュニケーション能力のまずさに対する言及も残されており、きのうづけの記事に書いたばかりの内容と完璧に同期していた。

R.Hくんに関してはテーマ全無視。ふだんの会話と同じ。つまり、自分の大好きな日本の歴史を語りたいだけ。そういうわけで、彼の選んだテーマは日中友好条約四十周年うんぬんであるにもかかわらず、弥生時代から近代にかけての歴史をひたすら、オタクがみずからの知識を問わず語りに開陳してひけらかし何者かに勝ち誇ろうとするかのようなあのテンションで、論旨も構成もなくただただ記述しているのみという代物。さすがにこれはダメだろと思ったのでその点指摘すると、応募テーマをそもそもろくに見ていなかったと笑顔の絵文字付きで返信してみせるので、こいつアホかと思い、真面目な話をするとこれがもし作文のテストだったらほぼ最低点になると思うよ、問題文をちゃんと理解していないというのは作文の内容うんぬん以前の問題だからと伝えた。R.Hくんはたしかに一年生のなかではトップレベルに会話が上手であるし、少なくともこちらの授業を受けるときの態度も熱心であるし、やる気もある。ただコミュニケーションのあり方もそうであるし、今回の作文コンクール用の原稿もそうであるし、さらにいえばスピーチコンテストの原稿もそうだったが、端的に、独りよがりなところがある。コミュニケーションの場では、会話の文脈を頻繁にぶったぎってじぶんの興味関心にひきつけようとするし、その場合相手の興味関心を考慮することをあまりしない。作文コンクール用の原稿でもやはりテーマを無視してじぶんの興味関心ばかり書きつらねているし(しかもそこには構成的意思がなく、本当にただの垂れ流しになっている)、スピーチコンテスト用の原稿にいたってはそもそもスピーチというものを無視した、新海誠村上春樹に通ずる感傷的なモードをコテコテに盛っただけの、本当に悪い意味でのポエムみたいなものをただぼそぼそと読み上げただけだった。他者がいない。ここをもうちょっとなんとかしたほうがいい。そうしないと、今後、クラスでもちょっと浮いてしまうんじゃないかと思う。N1なんて楽勝だとクラスのグループチャットでイキりまくった発言をしてすでにいくらか顰蹙を買ったらしいという情報もこちらの耳に入ってきているし、このままではかつてのOさんみたいになってしまうかもしれない。

 それから10年前の記事も読み返し、いつものように「×××たちが塩の柱になるとき」に転載するわけだが、あやまって2014年5月26日づけの記事を読んでしまった。その後一日ずれてしまったことに気づき、同年同月25日づけの記事も読んだ。2014年5月26日づけの記事に「めざめると14時半だった。「ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ」みたいな気持ちでむしろ開きなおった」というかわいい記述があった。今後も「ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ」は使いたい。
 以下も2014年5月26日づけの記事より。

 今は昔のこと、さる天皇の御代に、西の京に立つ西の市の、品物を納めておく蔵に、盗賊がはいった。賊が蔵の中にいるということを注進する者があって、検非違使どもがこの蔵を取り囲んだ。上の判官(ほうがん)の某(なにがし)という人が、冠をかぶり、青い色の炮(ほう)を着、弓矢を持って、その指揮にあたり、鉾を持った放免どもが蔵を囲んだ。たまたまその一人が、蔵の戸のすぐそばに立っていると、戸の隙間から盗賊がこの放免を招き寄せた。そしてそっと言うには、
「上の判官にこう言ってくれ。御馬より下りてこの戸のところまでお寄りください、人目を忍んでそっとお話したいことがあります、と」
 放免はさっそく上の判官のところへ行って、
「盗人がこのように申しております」
 と申し上げた。上の判官がこれを聞いて、それではと馬から下りようとするのを、他の検非違使どもは、
「こんな不都合なことはない」
 などと言って止めた。
 しかし上の判官は、これは仔細のあることだろう、と思い、馬から下りて蔵に近づいた。すると盗賊は蔵の戸をあけて、上の判官に、
「こちらへおはいりください」
と言ったので、判官は戸の中へはいった。そこで盗賊は蔵の内から錠をかけてしまった。他の検非違使はこれを見て、
「何とあきれたことだ。せっかく蔵の中に盗賊を閉じこめて、いざつかまえようというところを、上の判官が盗賊に呼ばれて、蔵の中で二人きり錠をかけて閉じこもり、ひそかに話しあうなどとは、まるで前例のないことだ」
と言って、腹立たしげに謗りあった。
 しばらくすると蔵の戸が開き、上の判官が中から出て来た。馬に乗って、他の連中のところへ近づくと、
「これは仔細のあることである。しばらくのあいだ、この追捕を待っていてもらいたい。天皇に奏上しなければならぬ」
と言って、内裏へと参内した。そのあいだ、検非違使どもは蔵を囲んで、ものものしく立ちはだかっていたが、やがて上の判官がもどって来ると、
「この追捕は取りやめにする。すみやかに引きあげるよう宣旨があった」
と言ったので、検非違使どもも恐れ入り、連れ立ってその場を引きあげた。上の判官は一人そこに残り、やがて日が暮れ、あたりが暗くなってから、蔵の戸のそばに近づいて、天皇のおおせになったことを盗賊に語った。それを聞いて、盗賊は声を上げて泣いた。そこで上の判官は再び内裏へと戻り、盗賊のほうは蔵を出て、ゆくえをくらました。
 この盗賊が誰であったか、ついに知られることがなかった。またそのわけも誰にもわからなかった、という話である。
福永武彦訳『今昔物語』より「宣旨により許された盗賊の話」全文)

 『今昔物語』というのは説話集であってここに収録されているエピソードはいちおうすべて実話ということになっている(いちおうと断ったのは妖怪や幽霊や鬼の登場する話もたくさん集められているから、この時代の鬼はマジで化け物じみていておそろしい!)。上に引用した説話にしたところで、罪人の秘する「事情」を汲み取った権力者(この場合は天皇)が当の罪を不問に付す「恩赦」(それはしばしば粋で慈悲深いふるまいとして描写されるものだが)のエピソードとしてはじつに凡庸でありふれたものであり、その「かたち」にははっきりと既視感をおぼえるのだが、しかし肝心のその「事情」の推測の余地を許さぬほど完璧に伏せられたままになっているありさま、「解読」のためのヒントをまったく残さず語り手も闇にほうむられたその事情を追求するようでもなければその謎を謎として強調するふうでもなく淡々と語るにとどめてそれで終わりとする、そのような語りのほとんど即物的な手つきを含めてみると、一見すると手垢のついた物語であるようにみえるこの説話がたちどころにバートルビー - ウェイクフィールド - カフカという系譜につらなるものとしての相貌をあらわにするようにみえる。そのような印象はもちろん、闇に葬られたままの「事情」の持ち主であるところの当の「盗賊」の姿さえもが「蔵の中」という闇にひっこんだままいちどもおもてにあらわれない(彼が蔵の外にでるのは「あたりは暗くなってから」である)という重ねられた謎の効果も加わっているといえるだろう(というかそれこそがむしろこの説話をカフカの眷属として見なすためのフックになっているというべきなのかもしれない)。先にも述べたように『今昔物語』はあくまでも説話集である。このエピソードが現実にあったものと見なしてもなにひとつ不自然ではないし、さもありそうなことだとさえ思われる。そのような「事実」の単なる報告にすぎぬともいえるこの文章が、しかし見ようによってはカフカの諸作品に通ずるようであるところ、ここを論理の蝶番として考えてみると、あるいはカフカの小説こそがリアリズムであるというそれ自体やはり既視感にいろどられた逆説もあらたな説得力をおびてみえる。じじつ、現実には(物語とことなり)いたるところに謎――謎とはそもそも「解」にも「原因」にも「根拠」にも回収されることがないからこそ謎であるという当然の事実を忘れてはならない――があふれかえっている。謎が謎として過不足なく描かれて提示されてあること、あきらかにされることもなく、またあきらかにされないそのこと自体をなにかとくべつな事柄であるかのように強調してみせることもなく淡々と提示する、そのような散文をしてリアリズムであると呼ぶことはかならずしも突飛な逆説などではないはずだ(ちなみに物語ではない現実との関連からこのように定義できる「謎」を、カフカを介しておなじように把握しているらしい作家として、たとえば磯崎憲一郎の名前を挙げることができる)。

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時をまわっていた。今日の最高気温は36度なので起きてからずっとエアコンをつけたまま過ごしている。とても外に出る気になどなれない。

 K.KさんとS.Sさんの作文をWord Onlineで最後まで詰める。夕飯は第五食堂で打包。食後は30分の仮眠。チェンマイのシャワーを浴びたのち、S.Eくん、R.Uくん、S.Sさんの作文も同様に詰める。あとはK.Kさんの作文が返却され次第ちゃちゃっと修正し、全員の作文にタイトルをつけるだけ。そのまま教務室に提出するための書類もすべて作成。月曜日にK先生にチェックしてもらうつもり。作業中は『13 Songs』(Fugazi)と『近藤譲:線の音楽』(高橋アキ)を流した。
 トマトラーメンを卵といっしょに炒めて食す。寝床に移動後、A Prayer Journal(Flannery O’Connor)の続きを読みすすめて就寝。じぶんの勘違いかもしれないが、ちょいちょい文法的におかしい箇所がある気がする。

To maintain any thread in the novel there must be a view of the world behind it & the most important single item under this view of [the] world is conception of love—divine, natural, & perverted.

 ここを読んだとき、うわ! オコナーはやっぱり若いときからオコナーだったんだ! とびっくりした。conception of loveにdivineとpervertedが並列されている!