20240606

 Then she did not hear them any more. What a glare there was in the room. She hated blinds pulled up to the top at any time, but in the morning it was intolerable. She turned over to the wall and idly, with one finger, she traced a poppy on the wall-paper with a leaf and a stem and a fat bursting bud. In the quiet, and under her tracing finger, the poppy seemed to come alive. She could feel the sticky, silky petals, the stem, hairy like a gooseberry skin, the rough leaf and the tight glazed bud. Things had a habit of coming alive like that. Not only large substantial things like furniture but curtains and the patterns of stuffs and the fringes of quilts and cushions. How often she had seen the tassel fringe of her quilt change into a funny procession of dancers with priests attending. . . . For there were some tassels that did not dance at all but walked stately, bent forward as if praying or chanting. How often the medicine bottles had turned into a row of little men with brown top-hats on; and the washstand jug had a way of sitting in the basin like a fat bird in a round nest.
 "I dreamed about birds last night," thought Linda. What was it? She had forgotten. But the strangest part of this coming alive of things was what they did. They listened, they seemed to swell out with some mysterious important content, and when they were full she felt that they smiled. But it was not for her, only, their sly secret smile; they were members of a secret society and they smiled among themselves. Sometimes, when she had fallen asleep in the daytime, she woke and could not lift a finger, could not even turn her eyes to left or right because THEY were there; sometimes when she went out of a room and left it empty, she knew as she clicked the door to that THEY were filling it. And there were times in the evenings when she was upstairs, perhaps, and everybody else was down, when she could hardly escape from them. Then she could not hurry, she could not hum a tune; if she tried to say ever so carelessly–"Bother that old thimble"–THEY were not deceived. THEY knew how frightened she was; THEY saw how she turned her head away as she passed the mirror. What Linda always felt was that THEY wanted something of her, and she knew that if she gave herself up and was quiet, more than quiet, silent, motionless, something would really happen.
 "It's very quiet now," she thought. She opened her eyes wide, and she heard the silence spinning its soft endless web. How lightly she breathed; she scarcely had to breathe at all.
 Yes, everything had come alive down to the minutest, tiniest particle, and she did not feel her bed, she floated, held up in the air. Only she seemed to be listening with her wide open watchful eyes, waiting for someone to come who just did not come, watching for something to happen that just did not happen.
(Katherine Mansfield “Bliss and Other Stories”より“Prelude”)



 6時15分起床。トースト二枚とコーヒー。
 8時から三年生の日語文章選読。今週と来週は通常授業をしなければならないが、二週分にぴったりおさまる手頃な教案もないことであるし、このクラスは会話の授業が(一)から(三)までで(四)がなかったわけであるし、じゃあいま二年生がやっているその(四)の内容をやってみましょうかと提案。つまるところはディスカッションである。しかし三年生は二年生にくらべると活気に欠けるし、クラスメイト同士の関係もあまりよろしくないようにみえる。それがちょっと不安だった。テーマは「幼少期の習い事」と「酒とタバコとギャンブルどれが必要か」という二年生の授業で盛りあがったものを採用したが、優秀な学生らの所属するグループが前半にかたまってしまったせいで、後半がなかなかけっこうきつかった、テンポが悪いなァと感じるものになった。前半はめちゃくちゃ盛りあがったが!
 休憩時間中、K.KさんとS.Sさんから、大学院試験に参加するクラスメイトがとても多いですと、なぜか秘密を打ち明けるような口調で告げられた。現時点で院試に参加することの決まっている学生のリストを見せてもらったが、意外なところで印象に残っているのはC.Iさん(専攻を英語に変更するらしい)、C.Mさん(Dのために公務員試験に参加するのではなかったか?)、B.TくんとK.Kくん(このふたりに関しては日本語能力はほぼゼロにひとしいし、かといってほかのなにかを勉強しているようすもないので、ただの記念受験みたいなものかもしれない)。あと、S.Sくんも結局院試に参加することに決めたようだった。となるとスピーチコンテストの代表はどうなるのだろう? 今日ひさしぶりに会話をやってみた感じ、K.UさんやS.Sさん、それから新入りのK.KさんとS.Dさんのどちらであったか忘れてしまったが一方が、なかなかかたちになるんじゃないかという感じだったので、そのなかに院試に参加しない学生がいればいいかな。

 授業を終える。廊下で待機していた英語学科の学生が続々と入ってくる。C.Mさんがいちごジャムのパンをくれる。彼女とちょっと立ち話をしてから教卓を片付けていると、中国語で日本人だ日本人だと話す声が学生らのほうからきこえてくる。それに続けて「こんにちは」「ありがとう」という日本語がちらほらあがったので、そちらに顔を見やり「ん? こんにちは?」というと、英語学科の学生らはどっと笑った。「さようなら」というので、「さようなら、バイバイ」と声をかけて教室を出た。
 10時から一年生1班の日語会話(二)。期末試験その一。今日はR.Tさん、S.Bさん、K.Iくん、Y.Kさん、S.Bさん、R.Sさん、S.Kさん、S.Mくんの計8人。文句なしの「優」はK.IくんとS.BさんとS.Mくんの3人。驚いたことに、もっとも得点が高いのはS.Bさんだった。全問余裕の正解かつ即レス。今までで一番優秀だよと告げると、たくさん練習した! と胸を張った返事。もともと全然やる気のなかった子であるし、実際日本語能力もまったくもって高くはないのだが、今学期の途中からちょっとこちらになついてきた感があるなというその印象を裏打ちするかのように、あきらかにこちらに対するアピールとして猛勉強してきたことのわかるこの成果この結果この達成で、さすがにこれにはぐっとくるというか、おもわずかわいいな〜と思ってしまうその感情がなにかに似ているなと、これを書いているいまふと感じたのだがアレだ、犬だ、犬があまえてきたときにおぼえる感情そっくりなのだ(などと本人に告げたら、めちゃくちゃ怒られるだろうが!)。
 8人の試験を終えたところで、授業時間がまだまだあまっている。これで教室をあとにするとさすがにまずいかもしれないと思っていたところ、Lからtax recordやflight ticketに関する連絡がとどいていたので、教室にとどまってしばらくやりとりする。tax recordについてはfinancial departmentの担当者がshort vacationに行ったところなのでdragon boat festival以降にまた連絡してくれとのこと。flight ticketについてはreimbursementのためにbording passが必要なので捨てずに取っておいてほしいという。
 セブンイレブンへ。カツカレーと杨梅のジュースを買う。帰宅してメシ喰うないや喰う。小一時間昼寝したのち、きのうづけの記事の続きを書く。一年生2班のC.Eさんから早口言葉がとどく。レベル4以外は完璧だった。中国人、東北人だろうと南方人だろうと、やっぱり促音が苦手であるなという印象。
 夕飯はいつもどおり第五食堂で打包。食後、本とコーヒーをクラッチバッグに詰めてフリマ再訪。弟にあげる「いやげもの」を買うべく、きのう雲南省の民芸品を売っている女子学生のいたスペースをのぞきにいったのだが、昨日と今日ではやはり出店の場所が一変しているらしく、目的の店を見つけ出すことができなかった。代わりに二年生のT.SさんとG.Gさんが店を出しているのを見つけた。前者はゲームのキャラクターカードを、後者はアイドルのカードを売っていた。軽く声をかける。それから第三食堂そばでは、四年生のC.IさんとB.SさんとR.MさんとT.Sさんが店を出しているのを発見。客のふりをして这个多少钱? とたずねると、「せんせー!」と爆笑するので、売り子のスペースにこちらも移動し、そこでひととき談笑。きのうはバスケコート付近で店を出していたというので、ぼく二年生といっしょに昨日の夜あのあたりも歩いたんだけど見つけられなかったわといった。きのうはぼちぼちの売り上げだったが、今日はいまのところ全然だという。これが今日のじぶんの売り上げだといってC.Iさんがスマホの画面を見せてくれたのだが、3元ぽっちだったので、さすがに笑った。クッションや衣類や小さな本立てなどが売り物として出されていたが、なかに瓶づめになった得体の知れない粉があったので、なにこれ? とたずねると、塩! という返事があった。使いさしの塩なんてだれが買うねん!

 こちらのとなりにいたB.Sさんが、日本語の会話に自信がないと中国語でこぼすのがききとれた。たぶんこちらのすぐとなりというそのポジションを、こちらと頻繁に交流しているC.Iさんに譲ろうとしたのだと思うが、それに対してC.Iさんが、わたしなんて(…)と会話するとき名詞しか口にしていない! それでも(…)は全部こっちの言おうとしている意味を推測して理解してくれる! みたいなことを自信満々のようすで言って、それはちょっとおもしろかった。たしかにそうだ。C.Iさんの日本語はほぼ名詞の羅列だ!
 学生らと別れて図書館へ。三階のいつもの席で『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続きを読みはじめるも、小一時間で退散。ぼんやりとした眠気があってあたまが働いてくれなかったし、日記もたまっているし明日の授業の準備もあるしで、今日は早々に切りあげたほうがいいなと判断したかたち。帰宅後、チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返した。そのまま今日づけの記事も途中まで書いていると、二年生のR.Hさんから明日T.Uさんといっしょにお昼ご飯を食べましょうという誘いがあったので了承。R.Hさんも今学期を境にしてどんどん日本語に興味をもつようになりつつあるよなという印象。
 寝床に移動後、The Habit of Being(Flannery O’Connor)の続きを読んで就寝。明日から三日間が高考にあたるらしく、モーメンツはその話題一色になっている。中国人曰く「人生が決まる日」。