20240617

 Moon took ages. When she had her socks put on she pretended to fall back on the bed and waved her legs at Nurse as she always did, and every time Nurse tried to make her curls with a finger and a wet brush she turned round and asked Nurse to show her the photo of her brooch or something like that. But at last she was finished too. Her dress stuck out, with fur on it, all white; there was even fluffy stuff on the legs of her drawers. Her shoes were white with big blobs on them.
(Katherine Mansfield “Bliss and Other Stories”より“Sun and Moon”)



 10時ごろ起床。二年生のC.Kさんからスピーチコンテストの原稿修正依頼。ついにこのときがきたか。校内予選はいつ開催されるのかとたずねると、25日(火)という返事。四級試験後ということだ。二年生の代表がC.Kさんだったらけっこうアツいなと思った。彼女は授業態度もかなりいいし、能力も高いし、舞台度胸もある。スピーチ向きだ。
 Lからも微信。(…)-(…)間の高铁はinvoiceを発行してくれなかった、だからあなたが直接駅でpaper ticketかinvoiceを手にいれる必要がある、と。いやそのあたりの話は前回したんじゃなかったか? バスのチケットという名義で請求するんではなかったか? と思ったが、ちょっとよくわからん。おたがい母語ではないせいでコミュニケーションに難があるということもあるのだが、Lの場合、けっこう頻繁に以前交わしたやりとりを忘れることがある。それが仕事の忙しさに由来するものであればまだアレなのだが、そうではないとするとちょっと心配であるというか、病的なきざしを疑ってしまうほどなのだ。
 冬休みに空港で知り合っていっしょに济南を観光したC.Tくんからひさしぶりに微信。EJU(日本留学試験)が終わったという。今年は特に難しかったらしい。
 トースト二枚の食事をとりながら、『チンピラ』(青山真治)をちょっとだけ観る。無料ではなく有料だったが、1本300円だったので、まあそれくらいならいいかと思ったのだ。しかし映画を観る習慣があったころ、TSUTAYAやビデオインアメリカではだいたい1本100円くらいでレンタルしていた気がするのだが、いやさすがにそんな安くなかったか? 旧作一週間、キャンペーン中で150円くらいだったか?
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。作業中は『BORN IN ASIA』(SATOH)と『行』(5kai)を流した。2014年6月17日づけの記事に、「ビブレのユニクロでエアリズムとかいうインナーを一着購入した。おなじものは手元にすでに二着ある。丸首のほうは数年前に購入したものであり、夏場Tシャツの下にしょっちゅう着ていた。Vネックのものは近所のアパートのベランダから風にふかれて下宿のそばまで流されてきたもので、サイズがぴったりだったものだからそのままいただくことにしたのだった」という記述があり、ちょっと笑ってしまった。とんだコンクリート・ジャングル・サヴァイヴァーだ。しかし10年前の時点では「エアリズムとかいうインナー」と表記するほどエアリズムはまだ一般的ではなかったのか? ちょっと気になったので「実弾(仮)」の原稿を「エアリズム」で検索してみたが、だいじょうぶだった、使っていなかった。
 二年生のK.Sくんから微信。彼とB.Aさんのふたりは転籍組であるので日語会話(二)の試験を受ける必要がある、と。日語会話(三)のテーマトークをひとつ増やすことで対応することに決める。ふたりの所属をたずねる。K.Sくんは2班で、B.Aさんは1班だという。最初はふたりそろって1班だといい、その後やっぱりわからないとあったので、わからないのであればどうして1班だと答えたのだ? とたずねると、1班ですという返事があり、その後しかし、やっぱりじぶんは2班でB.Aさんは1班だとあったので、やれやれとなった。登録先を間違えたら最悪単位を取得することができない、それで損をするのは彼らのほうであるのに、なぜ自分の登録先をたしかめるという簡単なひと手間すらかけずその場しのぎのいい加減な返事をよこすのか?

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は14時だった。C.Kさんのスピーチ原稿を添削して録音する。やたらと長い文章だったので、バッサリ短くした。校内予選のスピーチはひとりにつきせいぜい一分半から二分程度の発表でいいはず。C.Kさんの元の文章は、こちらが朗読してみても三分以上かかる代物だった。
 日語基礎写作(二)の期末試験を作成する。それからその試験について説明する資料も作成。17時をまわったところで外に出る。后街まで出張るのもめんどうだったので、第五食堂近くのパン屋で明日の朝食の菓子パンを購入し、食堂で打包して帰宅。食しながら『チンピラ』(青山真治)の続きを観る。C.Kさんから原稿をさらに短くしてほしい、思っていたよりも暗記するのが大変だからというメッセージがとどいたので、さらにカットして録音しなおす。ついでに誉め殺しする。曰く、きみは一年生のころからずっと授業をまじめに受けている、成績もトップクラスを維持し続けている、大学入学後に日本語の勉強をはじめたにもかかわらず、ぼくの言うことを現時点ですでに大半聞き取ることができている、だからぼくはきみのことをとても高く評価しているし過去の日記にもそのように記録されている、と。「ああああああ高評価ですね!とても楽しかったです。毎回先生の授業を受けるのはとても楽しくて楽しみで、収獲も多いです。先生との関系は先輩後輩のようで、先生は先輩のようで、あまりプレッシャーをかけずに付き合っていけます。とにかく私も先生と先生の授業が大好きです。先生に認めてもらえて、モチベーションが上がりました。私もずっと優秀でいたいです!」とすぐに返信がとどく。そんなによろこんでくれるのであれば、もうすこしはやく褒めてあげればよかったな。教訓をひとつ得た。優秀な学生のことはもっと頻繁に褒めよう。いや、実際、こちらの褒め言葉ひとつで授業態度が変わる学生は過去にもいたのだ。G.Rさんなんて、きみは発音がきれいだね、と彼女が二年生のときにこちらがぽろっとこぼしたひとことをきっかけに、院試に挑戦することを決意し、そして実際(…)大学に合格したのだ。
 仮眠はとらず、チェンマイのシャワーを浴びる。コーヒーを飲みながら、『チンピラ』(青山真治)を最後まで観る。冒頭、波打ち際に座る大沢たかおの姿を俯瞰でとらえるショット。波打ち際をこの角度で捉えるショットを観たのははじめてかもしれない。大沢たかお寺島進と片岡玲子の三人が駐車場で演じるぶん殴り合いと愁嘆場の長回しもなかなかいい。大沢たかおと片岡玲子のふたりはまだまだ序盤にもかかわらず、ハードボイルド映画のクライマックスみたいな刃傷沙汰と涙とキスのほとんどキッチュなシーンを演じるのだが、次のカットでそのおおぎょうさはあっけなくキャンセルされる。そのキャンセルの落差を生み出すために、あそこは意図的にいくらかわざとらしい演技、わざとらしい台詞回し、わざとらしいカメラワークを使用しているのではないかと思ったが、どうだろう。
 屋上の風見鶏をとらえたショットになんとなく見覚えがある。その後その屋上で大沢たかおと片岡玲子のふたりが演じる、例によってカメラの死角を役者が縫って移動することで成立するカットを目の当たりにした途端、いやおれこの映画知っとるわ! むかし観とるわ! といまさら気づいた。びっくりした。きのうづけの記事に「こういうカメラの死角を利用した俳優の移動、ほかの作品でも何度か観たなと思う。黒沢清の『勝手にしやがれ!!』シリーズだったかもしれない」と書いているが、ちゃうわアホ! 『チンピラ』や! まさにこのシーンやわ! それで過去記事を検索してみたところ、2011年9月17日づけの記事に、以下のような感想が書き記されていた。

映画。青山真治『チンピラ』。大沢たかお片岡礼子がビルの屋上でおしゃべりしている様子を正面やや遠目から映しつつなめるように右手にむきなおるカメラがやがて風見鶏をとらえてしばらくその場で停止したのちそのままゆっくりとちょうど屋上から眼下の風景を見晴らすような位置にむけて前進したところで画面右手に映りこんだ階下へむかうビルの螺旋階段に先ほどまでたしかに左手にいたはずの大沢たかお片岡礼子が抱き合いキスしている姿が遠目に認められるという一連の長回しであったり、あるいはクライマックスで大沢たかおが公園の水飲み場に腰かけながら同じその公園でダンカンと出会ったころの記憶を思い出すのに回想する大沢たかおと回想される大沢たかおとがカットを割ることなく映し出される場面であったり、カメラの死角を利用(し役者が移動)することで可能になる継ぎ目なしでこれをやっちゃうの的な演出が、いかにも映画の制度や限界みたいなものを利用したという感じで多少のあざとさこそ鼻につくものの、しかしきわだって素晴らしい(鈴木卓爾私は猫ストーカー』の電話シーンもこの手の「死角」を利用した演出がほどこされていた)。この映画はたぶん一般的にはダンカンの妙な存在感が取り沙汰されるんじゃないかと別に感想を調べてみたわけでもないのにそう思うのだけれど、誕生日プレゼントとして手渡された大きな写真パネルを両手で持ちあおむけに寝転がってながめる大沢たかおのそのとなりにパネル下からすべりこむようにして横たわる身のこなしであったり、大沢たかおにヤクザ稼業から足を洗ってくれと頼んだのちに冗談だよとおどけてみせるその間の完璧さであったり、それほど出番があるわけではないものの(あるいはそれゆえにこそ)片岡礼子の出演しているシーンの多くにむしろはっとさせられた。ヤクザの組長がパチンコ店で刺殺されても周囲の客たちがみな無反応でありつづけたりするところや、あるいはダンカンが大沢たかおにむけて拳銃を構えてみせるくだり(というよりもそのあとに「なぁんちゃって」や「冗談だよ」を挿入することなくただふたりがならんで歩いているシーンをつなげることでそうしたダンカンのふるまいが冗談であったことが知らされるのだけれどしかしシリアスな後味は奇妙に残るというそのやりくち)なんかの「不穏さ」「不気味さ」「危うさ」はわりと率直に黒沢清の影響なんじゃないかなと思ったし、刺青を入れて出戻ってきたぞと根拠のない噂をたくましくする故郷の連中に対するあてつけに背中に絵の具でヘタクソな絵を描いて上半身裸でランニングしてみせるくだりなんかははっきりと北野武だと思った。北野武といえば『アウトレイジ』に割り箸を耳の奥につっこむシーンがあったけれど、『チンピラ』にも同様のシーンがあって、しかもこちらのほうがはるかに「痛そう」だったのも印象的。

 片岡礼子の存在感はたしかにみずみずしかった(大沢たかおがベッドに腰かけている片岡礼子を残してひとり部屋を出るその姿を悲しげな目つきで追う彼女のバストショットの、画面外にある部屋の扉がひらいたことが風にわずかにゆれる彼女の前髪でそれとなく知れる瞬間にグッときた)。黒沢清の影響と記されている部分については、いやむしろ北野武やろと思う。というか全体的に北野武の影響がおおきくないかと思ったシーンがいくつもあって、たとえばしがないチンピラである大沢たかおとダンカンのふたりが自転車に二人乗りする姿なんてどうしても『キッズ・リターン』を思い浮かべてしまうわけだが、ただのちほど調べてみたところ、『ソナチネ』も『キッズ・リターン』も公開はおなじ1996年だった。石橋凌のところに詫びを入れにいったあとに大沢たかおとダンカンのふたりが公園ではしゃぎながら父子ごっこをするカットにしても、そのはしゃぎっぷりを反復するように朝方の海岸をふたりで走り回るカットにしても、墜落して(?)ぶっ壊れているセスナを見つけてテンションがあがってはしゃぎまわるカットにしても、これ全部『ソナチネ』ちゃうけという感じであったし(海岸や砂浜が出てくるので余計にそういう印象をもってしまう)、死んでしまったダンカンが公園の木の前に突っ立って笑いながらカメラのほうをむいている姿が映し出されるところなんてまんま『あの夏、いちばん静かな海。』だと思った。ただその逆に、北野武のほうが青山真治のほうを追っているというか、いや実際のところ北野武青山真治の映画を観ていたかどうかは知らないのでいい加減なことは言えないのだが、そういうふうにとらえることのできるシーンもいくつかあって、たとえば13年前の記事でも指摘されているように、『アウトレイジ』にあった割り箸を耳の奥につっこむシーンは『チンピラ』が先取りしているし、さらにいえばパチンコ店で組長クラスの人間が刺殺されるというシーンもやはり『チンピラ』が『アウトレイジ ビヨンド』を先取りしている。あと、ダンカンが大沢たかおにむけて拳銃を構えてみせるくだりについては、13年前とはちがって黒沢清よりもやはり北野武を想起したのだが、それと同時に、『地の果て 至上の時』(中上健次)の狩猟のくだりも想起した(青山真治はたしか熱心な中上健次ファンだったはずなので、この場面を撮影したとき、あの狩猟のくだりの緊張感があたまの片隅にあったとしてもおかしくはない)。
 ほか、大沢たかおがゲーセンの客のあたまをはたきまわるシーンもよかったし、組の金を持ち逃げしたダンカンを田舎の駅で見つけた大沢たかおが逃げる相手を画面の奥行きいっぱいを使って追いまわすシーンもよかった(一悶着あったのち、青山知可子とダンカンと大沢たかおが一列になって線路内を歩いていく終幕がいい)。

 明日の授業で配布する資料を印刷。今日づけの記事の続きを書いたのち、ベッドに移動してThe Habit of Being(Flannery O’Connor)の続きを読みすすめる。Caroline Gordonという作家が気になった。注釈によると、a generous mentor to Flannery, giving her invaluable criticism from the beginning to the end of her writing lifeとのこと。ざっと調べてみたところ、角川文庫の『マドモアゼル傑作集』というふざけたタイトルのオムニバスのなかに「化石の女」という作品が収録されているようす。ふつうに原書で読んだほうがはやいか。