20130210

 ひとの知らないもの、けっして見るはずも愛するはずもないものは、われわれの思考、われわれの行為が白昼の光の中に生みだしたものよりも重要なのだ。この夜はわれわれの光よりも明るく、この空虚はわれわれの現存よりも濃密かつ現実なのだ。それらは、結び合わされて、ぼくの生命の向こう側にあり、そしてぼくを待っている。ぼくはそれらのほうへ向かって行くのだ、降りることによってではない、崩折れることによってではない、そうではなくて、ぼく自身となることによってなのだ。ぼくはぼくの生命以上のもの、ぼくの運動以上のものであるべく固定のほうへ向かって行くのだ。ぼくは充たされるのだ。現実の人間としてのぼくの各瞬間は、まわりを取り囲むこの現実のほうに向けられている。ぼくが自分の尺度に合わせた目的性を賦与しようとした場合に、不完全であると思っていたものは、けれども驚異的に完全だったのだ。一つ一つの物体がそれなりの姿勢を、世界を持っていた。それはすでに天地創造の眩暈の中で行く方も知れなくなり、生まれていると同時に死んでいて、しかも矛盾してはいなかった。してみれば、ぼくの生命はこのことに役立ったにすぎなかったのだ――恒常なるものの束の間のあり方をぼくに知らせるというだけのことに。数々の神秘は解くべきものではなかった。発展や移転の数々は完結させるべきものではなかった。ぼくがそれらに一つの終末を与えることはできなかった。それらがあるがままの形でとって押さえることはできなかった、なぜならぼくはそれらを選択することによって分離していたからだ。ぼくにできることといっては、それらに希望を托すことだけだった。それらを、結びつき、切り離しえぬ状態において欲求すること、それらの本性において、それらの存在の疎外不能な美において想像することだけだった。
ル・クレジオ豊崎光一・訳『物質的恍惚』)

ぼくはぼく自身の息吹によって支配され、ぼく自身の肺によって呼吸されていた。ぼくはぼくの口によって切り裂かれていた、ぼくの咽喉によって呑まれ、ぼくの腸によって消化されていた。ぼくから外に出てぼくに戦いを挑んでいる、油断なく身構えたぼくのすべての器官によって、見られ、聴かれ、感じられていた。
ル・クレジオ豊崎光一・訳『物質的恍惚』)



5時半起床。朝食とったのち出勤まで一時間ほど執筆。プラス2枚で計417枚。良い感じ。8時から12時間の奴隷労働。きのうとは打って変わってものすごくヒマだった。ヘルプとして別支店から(…)がやって来た。職場のひとたちに見せる顔と(…)に見せる顔との間にある異同みたいなものの違和感に戸惑うはめになるかもなぁと思ったけれどそうでもなかった。(…)くんの友達って感じじゃないねと(…)さんにいわれた。なんかやんちゃそうな子やなぁとは(…)さんの弁。これら思ってもみなかった反応にこそむしろ前述した異同が宿って見える。
職場のひとたちはだいたいみんな韓国や中国が嫌いで、その手の話題になると明らかに差別的で排他的な発言を口にし、そうした発言になにひとつ疑問を持たないどころか、それにたいして不快感を抱く人間がいるということにすら思いが及ばないようにみえる。唯一(…)さんだけがそうしたじぶんたちの考え方をある程度相対的に見ることができるのだが、ここでいう相対的とはあくまでもじぶんたちとは別の考え方をする人間もまたいるという事実を認知しているという意味に限定されるもので、じぶんたちの意見や主張や思想の正当性を疑うものでは断じてない。(…)さんの相対性はしばしば反日や左翼といった言葉のいまいましげな発語として具現化する。どこぞのまとめブログを出所とする根も葉もない流言飛語をとある筋からの話と置き換えてインターネットにまるで馴染みのないほかの同僚たちに話してみせる場面にもしばしば出くわす。そういうときじぶんはいつも何もしらないふりをする。たいていの場合は新聞や本を手にして話に加わっていないという体裁をととのえる。対立をおそれてではなく、どんな言葉も届きそうにないという諦念がそんなポーズを強いる。
引き継ぎの相手が(…)さんであった場合はなんともないが、(…)さんであるとそれだけでけっこうげんなりする。四十をまわっていまだに巻き舌の関西弁でしゃべる男という時点ですでにかなりきついのだが、金と女と腕っ節にまつわる武勇伝をまくしたてるかその場にいないひとの悪口を叩くかのいずれかの話題がいちいちこちらの同意をもとめる語尾とともに繰りだされるのを長々と浴びせられていると、世間というやつはほんとうにろくでもないものだと改めて絶望的な気持ちになる。あら探しに次ぐあら探しを重ねて、やれ誰々は仕事をしないだの、やれ誰々は使えないやつだだの、そういうことばかり口にしているのはきっと本人がそう自称する「細かさ」だとか「仕事はきっちりする性格」によるものではまったくなく、むしろほとんどでっち上げに近いダメだしの羅列によってそれらの「細かさ」や「仕事はきっちりする性格」という自己像を練りあげているといったほうが正しい。そのイメージを拡大し流通させることによって自身のミスや怠慢を上書きしてしまおうという、いくらかは意識的でいくらかは無意識的な魂胆が透けてみえて、そこがまた口ぶりのわりにせこくてみみっちいひとだなと思う。
客室にもっていったケーキがふたつ丸ごと残っていたので両方食ったそのせいで腹いっぱいだったものだから、帰宅後の夕食は卵かけご飯のみとなった