20130216

「とっつぁん、狂人や酔っ払い、激しい興奮状態にあって苦しんでいる者の行動というのは、その行動をとった者の精神状態を知る者には自由度が低く必然性が高いものに見えて、知らない者には自由度が高く必然性が低いものに見えるのだよ」
マルカム・ラウリー斎藤兆史・監訳/渡辺暁・山崎暁子・共訳『火山の下』)

 ――「明日が何の日か覚えていますか?」彼は手紙を読んだ。いや、覚えていない。手紙の言葉がまるで石のように彼の頭のなかにずしりと沈み込んだ。――実のところ、彼は自分の状況が理解できなかった……自分自身から切り離されていながら、同時にそのことをはっきりとわかっていた。手紙を受け取った衝撃で、ある意味で目覚めたのだが、目覚めたと言っても、一つの夢から醒めて別の夢を見はじめたようなものであった。自分は酔っており、しらふであり、二日酔いなのだ。
マルカム・ラウリー斎藤兆史・監訳/渡辺暁・山崎暁子・共訳『火山の下』)

下の引用における「彼」はアル中。「目覚めたと言っても〜」以下のくだりは酩酊状態というものをすばらしく簡潔に、かつ、完璧に描写しきっている。



6時40分起床。きのうはひさしぶりに寝つきの悪い晩だった。眠れないときは眠れないじぶんに開き直るのがいちばんである。ゆえに4時過ぎまで布団にもぐりこんだまま『草の葉』をちびちびと読み進めていたのだったが、目覚めは思っていたよりもずっと快適だった。外に出るとわずかに雪が積もっていた。粉雪もちらほら。傘をさすのは鬱陶しいので、コートのフードをかぶってケッタに乗った。歩道も道路も大半は雪が融けて水びたしになっていたけれど、鴨川にかかる橋だけは降り積もるものをさえぎる遮蔽物がないためにかまだまだうっすらと白く覆われ、自転車の轍がそのうえを何本も走っているのが見た目に楽しかった。雪が陽射しを反射して銀色にまぶしい。すごくきれいだ。目に痛い。
8時から12時間の奴隷労働。2時間ちょっとの睡眠じゃあさすがにキツいかと思ったけれども、ふたを開けてみればなんてことはない、居眠りなしで乗り切っているじぶんがいた。さすがに頭の回転は鈍く弱化しており、本を読んでいても文章の意味がなかなかすんなりとおさまるべきところにおさまってくれないもどかしさみたいなのはあったが、そういう難局にあたっては気つけ薬かわりにコーヒーを一気飲みするなどの力技でもって対処した。
(…)さんが用事があって階下におりてきたときにチョコレートをくれた。隠しといてね、といわれたので、わかりました、と応じた。次におりきてきたときには、別にびびらんでええからね、(…)さんと(…)さんと(…)さんにはバレンタインの当日にあげたから、ただ(…)さんにだけはあげてないから隠しといてって頼んだだけやで、といわれた。びびらんでええからね、という断りがちょっと面白い。
一昨日だかその前の日だかの晩ちょっと色々あって留置所で過ごしていたと(…)さんが朝から出し抜けにいったので驚いた。親族のいない(…)さんは身元引き受け人としてTさんを選び、夜中の3時ごろだかに悪いけれどむかえにきてくれないかと電話したらしい。(…)さんは何もいわずにわかりましたといって迎えに来てくれたという。なんだったら一生ものといえるくらいの恩を作ってしまった、と若干悔いの残るニュアンスで呟いていたのがおかしかった。
入室して22分後に退出した客が一組いた。
帰宅。また玄関の鍵があいてやがる。最近では帰宅するたびにまた解錠されてるんじゃないだろうかとむしろ期待しているような節すらある。のち夕食&入浴。翌朝早朝の作文にむけて残り物を眠剤代わりにインストール。もらったばかりのチョコをぜんぶかっ食らってしまいこれじゃあ逆効果じゃないのと思いつつ、iPodを装着したまますとんと眠りに落ちた。
金曜日に夜更かしして読み書きするか、翌朝土曜日に早起きして読み書きをする。土曜日の夜は軽めに夜更かしして遊び、かつ、日曜日の朝は早起きして読み書きする。そうして日曜日の夜はがっつり夜更かしして遊ぶ。これが理想的な週末のリズムかもしれない。平日=休日をワーカホリックに生きるための梃としての土日祝日――文面だけ見るとまともだが、実状は世間と逆行している。