20130218

プラトンは、――アリストテレス派の連中が口にしているごとく、――「狩猟家」、「料理人」、あるいは「政治家」といった種を不完全に分割しているわけではない。彼は、「漁夫」、「罠を仕掛ける猟師」といった類的特質を知ろうとしているのではない。プラトンは、誰が真の猟師かを知ろうとしているのだ。誰が、であって、とは何かではなく、正真正銘の者、純金を索そうとしているのである。下位の単位に分類するのではなく、間違いのない鉱脈を選別し、その鉱脈をたどろうとしているのだ。土地台帳に記載された所有地に応じて権利主張者を配分するのではなく、権利主張者のうちから選択すること。そして選ばれたものを弓張りの試練にさらし、その結果、一人を除いて残りの全員を遠ざけること(そしてその一人とは、無名のもの、放浪するものである)。
蓮實重彦・訳『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』よりミシェル・フーコー「劇場としての哲学」)

だが『意味の論理学』は、とりわけ形而上学概論の最も大胆なもの、最も傲慢なるものとして読まれねばならぬ。――ただしそれには、またしても存在を忘却したといって形而上学を告発したりはせず、いまこそ形而上学に過剰=存在を語らしめるのだという単純なる条件が必要だ。自然学とは、物体、混淆、反作用、外部と内部のメカニスムをめぐる観念論的構造についてのディスクールである。形而上学とは、非物体的なるもの、――幻影、像、模像の物質性をめぐるディスクールなのである。
蓮實重彦・訳『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』よりミシェル・フーコー「劇場としての哲学」)



12時半起床。一晩あけても昨夜を整理できない。現実と妄想と便宜的な二分法を適用することでしかいいあらわすことのできないある種の対立、拮抗、相互浸潤、折衝、闘争、乱交、シームレスな接続、細胞分裂、アメーバ、リゾーム、ゲル、スライム、粘液と吐瀉物、永遠の持続、さめない夢、さめたと思えば別の夢、メタの天空がベタの地層にめりこんだ認識の奇形の持続。これが永続するならば、ある意味で脳を壊すことに成功したともいえるだろう。主観が強化され、相対的な目線が曇り、情報リテラシーが弱体化する。そのことに恐怖も不安もないという事実が何よりもまず壊れている。どんな暗示にも催眠にもたやすく引っかかる気がする。パラノイアがすぐそばで控えている。陰謀論に陥りがちな別人の脳をシミュレーションしているかのようでもある。知性が失われるというのは要するにこういうことなのかもしれない。
ブログを書きネットを巡回し時間を稼ぐもいまだにおさまりがつかない16時半。読み書きがまだあやしい。ひとまず時間を稼ぐためにダウンロードするだけして放りっぱなしだったPDFいくつかと(…)くんの原稿をプリントアウトすることにする。(…)くんの原稿を三分の二ほど印刷したところでインクが切れた。買いに出かける気になれない。
一念発起。雨の中ジョギングに出かけた。がっつり走った。近所の酒屋でポカリを買った。それを片手に風呂に入った。長風呂である。俄然すっきりした。頭も冴えた。みっちりとストレッチして19時。走っている途中、なんでもないはずの日々、時間割に強く規定された日々を送りつづけているつもりのじぶんの直線的な生活というものが、数年単位で俯瞰してみるかぎりでは存外劇的な出来事に波打っているかもしれないと思った。出会いの質が、その(乏しい)量を補ってあまりあるともいえるのかもしれない。過去のじぶんが想像してもいなかった事態にある現在のじぶんを認識するたびに、多大なる未知を抱え込んだ世界の豊穣さという観念に恍惚とした思いをおぼえる。ここ最近はすっかり恍惚としっぱなしだ。そしてこの恍惚があるかぎり、じぶんはおそらくこれから起きる出来事・出会う事象なにもかもすべてを(少なくともひとつの側面においては)肯定することができるはずだ。ひとによく指摘されるじぶんの異常な楽天性だとか過剰な自信家っぷりだとか潔いとも薄情ともいえる関係の切り方とか、あるいは(…)さんからきのう指摘された「エキセントリックな性格」とかいういわれたこちらとしてはそれほど身に覚えのないたぐいの評言やらもぜんぶ、とどのつまりはこの恍惚によってもたらされる「しばしば場違いな歓びと笑い」がひとに与える印象の産物なのかもしれない。これはかなり的を射た自己分析のように思われる。
夕食はとらず(…)へ。プリントアウトした「アスペルガー化する社会」読む。のち20時半より「邪道」の作文に打って出るもまるではかどらず。21時半に中断。かわりにドゥルーズフーコー』の抜き書きを23時半まで。五分の一も進まない。抜き書き対象がまず大量にあるし、抜き書きする過程で読み直すし、読み直せばいろいろと考えざるをえないし。帰りしな(…)さんにパンの耳を大量にいただいた。帰宅してしばらくすると(…)さんからメールが入って、文芸書と評論書を処分するのでよかったらもらってくれないか、という。ひとまずどんなものかラインナップを確認したいというと、それじゃあまたちかぢか喫茶店のほうで会いましょうかという話になった。(…)さんは古井由吉が好きだといっていたし、大学院では漢文とか日本の古典を専攻していたという話も聞いたことがあるので、けっこうよさげなブツがそろっているかもしれない。