20130426

 三日ののち、彼には物の区別がなくなってしまった。
 七日ののち、彼には外部がなくなってしまった。
 九日ののち、彼は自分自身の存在の外に歩み出た。
 そののち彼の精神は朝のように輝き、彼は顔と顔を合わせて、本質を、彼の自己を観た。
 彼が観てしまったとき、彼には過去も現在もなくなった。
 ついに彼は、もはや死も生もない領域、死なすことなく生を殺し、生かすことなく生を産むことのできる領域に入った。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「『荘子』のうちより」)

知覚が棄却されると、人間は世界のあらゆる刺激から脱却できるようになり、純粋で、開かれた、完全なもの、万象とまったく一体であるもの、広大で、生気を与えるそよ風のように制約のないものとなり、人間のもうけるいかなる区別にも支配されない。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「《赤い縞のある洞窟の書》より」)



11時半起床。ものすごい風。真冬みたい。びゅんびゅん吹くものだから部屋がゆれるゆれる。どこかの路地で金属質のなにかが倒れて転がる甲高くうつろな物音がたつ。これは4月の物音ではない。
12時半より18時過ぎまで瞬間的に英作文しつづける。こんなことばかりしていて本当に効果があるのだろうかと根本的な疑問を覚えもするが、疑いだせば効率が落ちる。めくらめっぽうの信仰がいまは必要なのだ。
生鮮館で買い物だけすませてからジョギング。冷え込んでいるし風は強いし腹は減りまくっているし、最悪のコンディションでまったくもって気乗りしないが、しかしこういうときにど根性を発揮できるか否かの微細な差異こそが勝負の分かれ目なのだ。なんの勝負か?人間というこの虫酸の走るような有限性との勝負、うまれおちたとたんにはじまる余生との勝負である。という壮大な思い込みでもって走る。コンディションを理由に甘やかさない。ゆえに常と変わらぬ距離を走る。走りつづける。おかげでちょっと吐きそうになった。
熱い湯を浴び、夕餉をかっ喰らい、安らかな仮眠をとってしまえば明日の出勤にさしつかえが出るので我慢して洗濯物を部屋干しするなどして22時半。眠気と悪戦苦闘しながら『フォレスト』を読み進めて1時。323ページまで。文法書はまったくもって面白くないし理論は目を通すだけで頭に入るものでもないが、しかしいちど通読しておくとよく仕組みのわからないセンテンスに出くわしたときにそういえばこんな感じのごにょごにょがあのあたりに書いてあったようなそうでないようなみたいな感じでわりと役に立つことがある気がする。
大学の同級生のぴろぴろにょっき君(ここまでふざけた呼び名であればもはやイニシャルを用いる必要もない!)に英語をマスターする方法を教えてくれと先日送ったメールの返事が今日あったのだけれど、「とりあえず海外旅行してモチベーションあげてDuoを全暗記するくらいやってSkypeで外人と喋るのループで良いんじゃない!」というさすがの切り返しだった。
あしたからの三連勤にそなえてそろそろ寝ようかというところで(…)がスカイプにログインしたので軽くチャットした。こっちは英語の勉強、むこうは大学の課題でおたがいに忙殺気味。