20130501

(…)当時のルーマニア領チェルノヴィッツに生まれたパウル・ツェランも, 父親が「ユダヤ的」教育を施そうとするのをむしろ嫌っていたと伝えられている. 逆説的にも, ナチによって一方的に「ユダヤ人」という規定を付与されることによって, 彼らは自らの「ユダヤ人性」を深刻に想起させられたのだった. その意味で彼らにとって, 「ユダヤ人」というアイデンティティには, 最初からある種の他者性が付着していたと言えるのだ. (…)
 要するに, マイノリティの位置にある――あらざるをえない――人々にとって, アイデンティティをめぐる問題はまた, マジョリティ側の土俵, 圧倒的に「他者」の支配している舞台でなされるほかない, という側面が抜きがたく存在しているのである. 自分が自由な個としてアイデンティティを選び取る以前に, マジョリティの無数の指先が自分に突き立てられていて, 自明のように帰属クラスタを指定しているという理不尽な事態――. そこでは敵の舞台で, 敵の武器を逆手にとって, 「固有の自己」をもとめての暗闘が繰り広げられる, という局面が現出せざるをえないのだ.
細見和之アイデンティティ/他者性』)



5月だぜ!
夢。(…)さんと部屋にいる。円町のあばら家の二階のようでもあれば実家の一室のようでもある。突発的な性交渉を終えた直後らしい。行為が行為だけに復縁の可能性がただよいだしている。探るような言葉の応酬の果て、問いのかたちをとらずに返答を強いるひとことに、可能性を断ちきる方向にむけて相づちを打ってしまう。すると途端に、かつてじぶんが犯した失言についての叱責がはじまる。脈絡なしにはじまった叱責であるが、内容が内容だけに、なぜいまここでその話題が?という疑念はひとまず奥歯で噛み殺したうえで、こちらが悪かったとひたすら頭をさげつづける。
11時起床。カフカ「判決」を思わせるような夢だった。豹変と叱責。12時半より瞬間的に英作文しつづける。16時半にいちど切り上げて生鮮館に買い出し。帰宅後、筋肉を酷使し、夕餉をかっ食らう。とちゅう玄関の引き戸をガンガン叩く音がし、そのあまりの音のでかさに瞬間的にイラっとしながらおもてに出ると案の定の大家さんで、明日は法事があるから、いまからお湯をわかしますさかいまたお入りください、とあって、この発言は前半の「明日は法事があるから」と後半の「いまからお湯を〜」を独立した別々の情報として受け取るべきなのか、あるいは順接によってむすばれたひとつづきの論理として受け取るべきなのか、後者であるとすればそれはすなわち明日の法事に出席するにあたって身体を清めておけという指令であるのか、というか一介の間借り人がそんなアレに出席する義務などあるのか、義務ではなく良識か、作法か、人情か、そもそもがだれの法事であるのか、亡き夫なのか、などなど思いつつも、えらい大きい音で扉を叩いてしまって堪忍しておくれやすという大家さんの言葉の、合鍵で解錠して部屋に侵入するたびにこぼすえらい泥棒みたいな真似して堪忍しておくれやすという言葉とまるでおなじ装われたにすぎない反省の色にまたイラっときてしまい、風呂にはまた後で入りますからとつっけんどんに対応してしまったその拍子にこんどはコインか何かが地面に落ちる音がして、え?と思って足下に目を落としてみても何も見つからない。なにが落ちたのかさぐってみると、どうしたんやと大家さんもそれにならって腰をかがみだし、引き戸のレールをなぞったかと思うと唐突に、またここに油さしておくれやす、あかへんと困るさかい、というのだけれどぜんぜんささっているというかそもそもあんたがこっちの留守中に勝手に扉を交換したばかりだろうよというアレにまたイライラが募り、まあまあもういいです、あとでじぶんで探しますから、とようやくにして玄関から追出してすぐ、落下物の正体がピアスであることに気がついた。キャッチだけが見つかった。本体はどこにも見当たらない。日本でいちばんボディピをなくす男だと思う。
あのひとはあんなに働いてえらいという言い方があるけれども、こうした言い方にはその前提として、本当は働きたくない、できれば働かずにすませたい、という本音がこめられているようにみえる。あるいはもっとわかりやすいかたちのものとして、あのひとは家族のために身を粉にして働いているだとかじぶんを犠牲にして尽くしているみたいな言い方がある。こうした言い方は、忍耐・我慢・屈従・後悔・殺された欲望の怨嗟を前提することではじめて出てくるものだろう。換言するならば、このような言い方をなんらの抵抗もなく口にできるひとというのは、結局のところ、労働や家庭生活というものにたいして、たとえうわべではどんなきれいごとを口にしていたとしても、本心では絶望に近い感情を覚えているということになる。で、じぶんの知るかぎり、これら「労働」と「家庭」を回避する生活を送っているものをめざとく見つけるなり、ときに酸いも甘いも知る年長者の説教という体裁で、ときに心配の口実を装う慈善家の口調で、しかしながら結局のところケチをつけてみせる類の人種というのは、往々にしてこの手の言説をしきりに口にするものである。要するに、彼らをつきうごかすのは「おまえだけずるい」式の論理でしかないわけだ。自らの労働によろこびを覚えるものならば、自らの家庭に満足を得ているものならば、労働や家庭を語るにあたって、それらとは無縁の生活を送るものにたいして、命令形の言葉で語りかけはしないだろう。ただ、彼らの歓びを気持ちよくすこやかに語るだけのはずだ(そしてその手の言葉というのは受け手にとっても気持ちのいいさっぱりしたものである)。これが、あるいは仕事をしろ、あるいは家庭を持て、というような言説に転じると、まるで話がちがってくる。そこには自らが肩まで浸かって抜け出せなくなっている泥沼に相手をひきずりこもうとする亡者の手口のようなものが見え隠れする。そしてこのひがみ、そねみ、ねたみのどす黒い炎を正当化するのにうってつけの方便として「苦労は買ってでもしろ」という物言いがある(慣用句にはしばしばうすぐらい秘密がたちこめているものだ)。
こういう言い方をするとすぐに早とちりする馬鹿がいてそのたびに辟易するのだが、べつだん働くことが悪いといっているのでもなければ家庭を持つのが悪いといっているのでもない。それらの営みによろこびをおぼえるのであれば、それらの営みを回避する理由などなにひとつない。当然だ。むしろ歓びの在処を無事に探り当てたことにたいして祝杯をあげるべきだ。ただじぶんの場合は幸か不幸か、おそらくは少数派であるというその意味にかぎっていえば不幸なのだろうが、その歓びというのがたまたま「労働」とも「家庭」ともずいぶん隔たった領域でしか獲得できないものとしてあるらしく、そしてそうであるからにはひとまずそのひとけのない辺境にひとり身を落ち着けてみるほかない。その暫定的な帰結としてこの現状があるわけだが、心底では「労働」にも「家庭」にも歓びを覚えていないにもかかわらずそこに歓びがあると自己欺瞞を重ねている一部のヒステリックな人種は、このような経緯を経て営まれているじぶんの生活様式を目にするがいなや、それが自らの欺瞞にさしむけられた攻撃や当てこすり、皮肉や裁きのたぐいであるとの妄念を抱き、その反発から醜い糾弾の矛先をこちらにむけて威勢よくけしかけてくる。これがまったくもってうっとうしい。おまえのコンプレックスを押しつけてくるな、となる。
あるいは頭の悪いバンドマンなどがしばしばサラリーマンは全員クソだだとか結婚したやつはひとりのこらずアホだとかいうようなことを平気で口にしている場面に遭遇することもある。よくよく考えてみるまでもなくわかることだが、この手の連中というのは結局のところ上述したヒステリックな人種をそっくりそのまま裏返しにしただけのドアホにすぎない。そうした自らの安易な立ち位置をしてカウンターカルチャーを気取っているのだから、場合によっては余計にタチが悪いとさえいえるかもしれない。愚の骨頂だ。どぶくさいニヒリズムだ。こいつらにはなにひとつ期待してはいけない。徒党を組んだのち落伍するのが連中の末路である。
と、ここまでブログを書いたところで19時半。そこから22時半までとちゅうで30分の仮眠をとりながらもふたたび瞬間的に英作文しつづけて23時。ジョギング。入浴。ストレッチ。1時前より自室で『フォレスト』を読み進めるも一時間も経たぬうちに(…)からコンタクトがある。(…)は大学の課題、こちらは英語の勉強と、おのおのの作業と同時並行的にゆるやかなチャットを交わす。あれから一年が経とうしているなんて信じられないわ!もっと信じられないのはいまにいたるまでわたしたちがコンタクトをとりつづけていることよ!というので、きみとバンコクではじめて会ったときに一年後の夏にまた会うことになるなんてちっとも想像していなかったよ、と応ずると、それどころかわたしなんてまさか一ヶ月もあなたといっしょに行動するなんて思ってもみなかったわ、とあって、たしかにクロコダイルファームにきみを連れていって時点でおれはふたり旅もここでおわったなと思ったよ、といったら、(…)は笑って、あの日はほんとうにおかしかったわ、わたしたちたくさん歩いたわね。そう、たしかにたくさん歩いた、それもカルマを解消するためにね。大変だったけどでもその価値はきっとあったわ。おれたちほとんど毎日ものすごい距離を歩きまわったものね、ときにはきみのあの土産物でいっぱいになった重いバッグといっしょに。今年はわたし何も買わないわ、そう決めたのよ。無理だね! じゃああなたがわたしを監督してくれなきゃ。日本はタイにくらべたらなにもかもが高くつくから気をつけないといけないよ。でもわたし勉強のためにいくつか買わなきゃいけないものがあるのよ。勉強に必要なものなら仕方ない、でも監督者としてこれいじょう服を買うのは許可しないよ。だいじょうぶよ、着るものはもうたくさんあるもの、でも日本にいったらあなたの服を借りるかもしれないわ、荷物は少なくしていくつもりだから、小さなバッグと二三の衣類だけよ! おれだってそんなにたくさん服なんて持ってないよ、だから日本に来たらまずは適当な古着屋でもめぐることになるだろうね、そしてそこできみは信じられないくらいの量の買い物をするんだよ、また! それじゃあわたしはやっぱりタイで服をいくつか購入したほうがよさそうね、タイだったらあなたの監督もとどかないし!それじゃあ監督者として毎日の支出をおれに報告することを命令するよ。でもわたし今年に入ってからとても倹約しているのよ、このまま不必要なものを買わない生活を続けるつもりよ。倹約しすぎるのも良くない、じゃないとおれみたいに栄養失調で気絶することになるよ。だいじょうぶ!わたしは食べるのが大好きだもの。たしかに、きみのことを思い出すといつもなにかを幸せそうに食べているきみの姿が見えてくるな。でもわたしロンドンにいるあいだにすごく痩せたのよ、それにほんとうのところをいうとわたしはあなたの前で食事をするのがちょっぴり恥ずかしいわ、だってあなたはわたしにくらべるとぜんぜん食べないように見えるから。冗談だよ、恥じることない、きみが大食いだなんて思ったことも一度だってないよ、きみはたぶん日本でおれが食べている米の量をみたらびっくりするんじゃないかな、タイではぜんぜんお金がなかったし、いまだって日本で貧乏しているわけだけど、でも米だけは腐るほどあるんだよ。あなたは米だけしか食べないのね!バナナも食べるよ。たしかに!それじゃあわたしたち日本でいっしょに毎日たくさん食べることにしましょう。少なくとも飢える心配はないよ。日本の夏は暑いみたいだし着るものの心配だってないわ。
と、ここまで続いたところでいきなり(…)がログアウトしてしまったので会話内容を書きつけて3時半。たっぷりのコーヒーを用意して「邪道」作文。5時まで。枚数かわらず計456枚。(…)さんから地元の川やそこで採集した魚やエビの写真を見せてくれと頼まれていたので作業に行き詰まるたびにこれまで撮った写真を見返すなどしていたのだけれど、ちょいちょいクソ笑える自画撮り写真がまじっていたので深夜の自室でひとり声をあげて笑ってしまった。

(…)
ゴダールとツーショット。これは2010/02-07というフォルダに入っていたものなのだけれどおなじフォルダに円町時代の写真が数枚はいっていたことを考えると以前のアパートに越してわりとすぐのころなのかもしれない。微熱と胃の不調と肛門掻痒症の三重苦で悶絶していたのにようやく回復のきざしが見えはじめてきたころだと思う。


(…)
いぜんの職場(AV店)についている監視カメラ越しに撮影したじぶん。2011/08。なにを思ってこんなものを撮影したのか。職場に持っていった本を読み終えてしまいすることがなくたまたまかばんに入っていたデジカメで遊んで時間を潰していたのか。なんかそういう一日をブログに書きつけた記憶があるので自画撮りで検索してみたのだけれどそれらしいものがヒットしない。


(…)
これは(…)夫妻から誕生日プレゼントとしていただいた着る毛布を着用しているところ。2011/09-10。これだけ自画撮りではないな。(…)が部屋に遊びに来たときにこの姿で出迎えたところ爆笑された記憶がある。そのときに撮ったものか。暖房がなかったので冬場はいつもヒートテック二枚重ね+スウェット+パーカー+着る毛布+ちゃんちゃんこという出で立ちで過ごしていた。それでもガタガタ震えながらの毎日だったけれど(なんせ真冬など室温が余裕で2℃とか3℃になる)。たくさん着込むせいで首や肩への負担もすさまじかった。このときはまだ秋口なのでさほど着込んでいない。ちなみに見切れている画面右端はもうすぐベッドで、撮影者は壁際ぎりぎりまでさがった場所に位置しているといえば、この部屋の信じがたいせまさが伝わるだろうか。閉鎖病棟


(…)
おまけ。チェンマイを(…)とぶらぶらしていたら小さな寺院に出くわしてほかに行くところもないしなんとなく立ち寄ってみたところ、境内で太極拳か何かをやっている老人集団がいて、それを見るなり(…)がわたしもトライしてみるわとかいって見よう見まねでなにやら体操をはじめてしまい、こりゃアカン、スイッチ入ってしもうたわ、と思ったのでひとまず放置することにして境内をひとり散策している途中に撮影した写真。上から順に、(1)「こりゃアカン、スイッチ入ってしもうたわ」の瞬間 (2)なんか近所のひとたちが日常的にお詣りにやってきそうなこじんまりとした仏壇の設置されていた小空間 (3)境内の中央に建てられていた女人禁制のしょぼい塔みたいなところにあった祭壇 (4)しょぼい塔から見下ろしたスイッチの入っているひと。