概念についての疑いっていうのは, どうやって晴らすんだろう. 難しいな. ある言葉の意味を確かめようとして別の言葉でまたそれを説明しても, こんどはその説明の言葉が疑われる. また, 底無しだ. どうすればいいだろう.
例えば, 正直のところ, ぼくには「神」という言葉の意味は分からない. じゃあ, どうすれば分かるようになるのか. これはたぶん, 言葉で説明されてもだめだと思うんだ. けっきょく, 「神」という言葉が核にある一連の宗教的実践に参加できるようになるかどうか, ということがポイントじゃないんだろうか. ぼくはその実践に参加しようとしないから, いつまでたっても縁なき衆生というわけだけどね. でも, ともかく, もし「神」という言葉の意味を確かめようとして, その実践に参加してみようと決心したら, それからどうなるだろう. 具体的にはどうであれ, まったく一般的に言えば, 新たな実践への導きは, とりあえずぼくがこれまでなしてきたごく平凡な生活の行為に結びつける形で, 何か橋渡しがなされるんだろうね.
こんなふうに, ある言葉の意味を確かめることは, けっきょくはその言葉を核とした一連の実践を確かめることに行き着く. これは, 一見すると外堀から攻めていくような間接的なやり方に思えるかもしれないけれど, 実はそうじゃない. 意味がまず確定して, それに応じてふさわしい言語活動が営まれるのじゃなくて, われわれがなす実践の在り方こそが, 言葉の意味を定めるというわけ. 「意味が実践を確定するのではなく, 実践が意味を確定する」, まあ, スローガン的に言えばこうなるかな. ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」っていう概念のひとつの側面が, ここにあった.
(小林康夫・船曵建夫・編『知の論理』より野矢茂樹「論理を行為する 疑いと探究」)
12時過ぎ起床。腐れ大寝坊。(…)さんからの電話で目が覚めた。大家さんから飯をいただいたのだけれどこれから実家のある大阪に帰るところであるし良かったらもらってくれないかということだったので了承。引き戸を開けた先でブツを譲り受ける。
13時半より発音練習。ひたすら猛烈な眠気に苛まれつづける。どのタイミングで耐えきれなくなったのかてんで覚えていないが、気づけば二時間ほど居眠りしていた。いくつかの夢を見たはずだが、もっとも性的な夢のどぎつい印象によってほかのすべての夢が記憶の未知なる層に追いやられてしまった。タクシーに乗り込んだ車内で(…)さんとホテルにいく相談をしていた。あまりにも簡単に事が運ぶものだからおもいきってドラッグの使用を提案してみると、それさえもが二つ返事でオーケーされた。寝そべるのが精一杯の低い天井の部屋、というかその時点でそれは部屋というよりも何かの隙間と形容するにふさわしい空間なのだが認識上はあくまでも部屋であり、押し入れや照明や箪笥などのどことなく実家の一室をおもわせる調度品や家具の類さえ備えられているという不可能な幾何学的次元の様相をていしているのだが、そこにすでに事を終えたていで横たわっていると、目の前にある小窓のむこうから訪問者の声が聞こえ、中にいるのは一糸まとわぬふたりであるのであわてて小窓に手をかけるも、しかし半ばほどが開かれてしまい、小窓ではなくむしろ玄関の引き戸であるらしい開きかけたそのむこうには外来者の胴体のあたりがのぞき、ゆえにこの小窓が成人男性のへその高さにしつらえれていることが明らかになるのだが、訪問者は佐々木敦である。横目でCさんに服を着るように訴えながら、小窓にのばした片手となんでもない口ぶりでもって、どうにかして佐々木敦を追い払おうとしているのだが、ふしぎに切迫感はない。それで目が覚めた。
炊飯器のスイッチだけ入れて整骨院にむかった。きのうとは違う男性が担当で、年齢や姿格好からしておそらくは院長先生だと思われるのだが、ゴッドハンドだった。なにかこう、圧のようなものがまったくもって違う。ぐんぐん内部に浸透するようなところがある。ぐっと押さえれるたびに骨と骨の間にうつろな空間のあることがおのずと意識されて、人間の体を一本の管として認識するように説いたのは誰であったか。稲垣足穂?
帰宅後、筋トレ&ジョギング。空腹状態でのジョギングだったためやや距離を短くした。入浴。ストレッチ。夕飯。ウェブ巡回。すべて終えるころにはたしか22時をまわっていた気がするが、先週の水曜日が学年末の課題の提出日だったと(…)が語っていたのを思い出し、するともう大学が終わって落ち着いているころだろうと思ってスカイプにログインしてみると不在で、不在だったのだけれど洗い物をしたり調べものをしたりしているうちにログインしたのか、しばらくするとコンタクトがあって、てけとーにチャットをはじめてまもなく着信があり、うわー電話かよーと思いながらあわてて玄関先の小窓を閉め、これはなんとなく同じアパートの住人たちにへたくそな英語で会話しているところをきかれたくないという見栄とも照れともつかぬアレのためなのだが、出ると、半笑い気味のhelloで、だいたいいつもそんなふうにしてはじめるのだけれど、結論からいうと、なんかすごくしゃべれるようになっていた。けっこうぽんぽん言葉が出てくるというか、ボキャブラリーは相変わらず貧困であるのだけれどこちらの言わんとすることにマッチした文型が大きな苦労なく出てくるというかいちいち引き出しをあけてガサゴソしなくてもいいみたいなアレで、少なくとも去年の夏よりはずっとマシになっている。リスニングに関しては相変わらず多少の不安が残るものの、それでもタイでみっちり一ヶ月間行動をともにすることで鍛えられたあの当時と同じくらいの水準には達しているように思われて、それも面とむかってのやりとりではなくて電話でそれなのだからやはり力がついているのかもしれず、で、実際、おれの英語マシになってる?とたずねてみると、あなたじぶんでわからないの?わたしの言ってることをちゃんと理解してるじゃない、とあったので、なるほど、と思った。あと二ヶ月あるわけでしょ、一ヶ月でそれだけだったら十分よ、長すぎるくらいだわ、というので、そういわれてみるとたしかに余裕のあるような気がして、というわけにはいかないのがじぶんというやつで、どうして彼女が来日するという計画をこちらに告げた1月の時点で勉強を開始しなかったのか、それが悔やまれてしかたない。じぶんが生涯をとおして重ねてきた後悔の九割は、どうして◯◯をもっと早くはじめなかったのか、という定型に尽きる気がする。逆にいえば、たとえどれほど遅かろうとなにかをはじめることにはいつも成功しているのだといえなくもないかもしれないが。いずれにせよ、遅刻者の称号こそがじぶんにもっともふさわしいといういつもの結論は変わらない。あいかわらずの回線の弱さでときどき通話のとぎれることもあったけれどたぶん一時間半か二時間ほど適当におしゃべりしていて、(…)は今日中に荷物をまとめなければならない、明日には退去なのだといっていて、ガタゴトガタゴトと乱暴な物音がヘッドフォン越しにたくさん聞こえてきて、今月末にタイに渡ってその一ヶ月後には東京に到着の予定で、たぶん曜日としては火曜日か水曜日になるはずだと思うのだけれど、こちらとしては日曜日の勤務を終えたその足で夜行バスにのってはやめに東京入りするつもりで、これ中学の修学旅行以来の上京になるわけだからどうせならたくさん見学したいというのがあるわけなのだけれど、とりあえずその間は(…)兄弟のお宅いずれかに泊めてもられれば万々歳と考えている(泊めてください)。小金も入ることであるし土日のみの勤務であるし、なんだったら京都以外の土地に出張ることだってできる、たとえば大阪とか広島とかと告げると、oh!osaka!という反応があって、大阪ってやっぱりそれ相応に名の売れた都市なんだろうか。名の売れた都市だろうな。日本で二番目なわけだし。カレン族の村でいっしょに過ごしたベルギー人の兄弟にどうやってタイまでやってきたんだとたずねられたときにも大阪の空港から飛行機でと告げると、大阪!ビッグシティ!みたいな反応があって、旅をとおしても京都よりもむしろ大阪のほうが知名度の高かったような印象があってこれじぶんとしてはたいそう意外であったのだけれど、同じベルギー人に、京都もビッグシティなのかと問われて、まあそこそこじゃないみたいな返事をしたところ、ミリオンシティなのかみたいな質問がつづき、人口なんてしらねーよと思いながらまあ普通に考えてたぶん100万はいるでしょうと思ったのでアーハンみたいな相づちを打つと、マジかよ、100万でビッグシティじゃないってどういうことだよ、ベルギーなんてミリオンはうんぬんかんぬんと、なんかそのリアクションを見ているとまとめブログなんかでよく貼られているあのモヒカンのカナダ人かなにかが日本人はいっちゃってるよあいつら未来に生きてんだみたいなことを漏らしている画像を思い出すのだけれど、会話の輪のなかにいた女性がひとり、そのベルギー人の彼女だったかあるいはアメリカ人の女性だったか、それとも英語とフランス語とスペイン語が流暢で日本語もすこしだけなら理解できるとかなんとかいっていたあのインテリっぽいスペイン人女性であったか、たぶん彼女ではないと思うけれどもとにかくだれかが、と、ここまで書いたところで思い出した、(…)だ、(…)の彼女の(…)が上海を日本の都市だと誤解していて、でもその誤解にたいして(…)を含めた周囲のひとたちだいたいみんなが上海は日本じゃないだろうよといっせいに駄目出しして、だから上海が日本の都市ではないというのは西洋人のなかの一般常識に属する事柄なのかもしれない。
八割がジョークに費やされた会話をとおしてなんとなくじぶんの現在地が把握できたので、むこうがシーツを洗うためにいったん階下におりると言い出したそのタイミングでおれも腹が減ってきたからちょっと外に出ることにすると言い、また戻ってこれるかどうかはわからないと、もう戻ってくるつもりはなかったけれどもいちおうそういう言い方をしてsee you laterしたときにはたしか1時をまわっていた。今日はまだ発音練習くらいしかしていなかったのでとりあえずテキストを何冊か鞄につめこんで家を出て、薬物市場にはなんとなく行きたくない気分だったので先週と同様金閣寺のネコドナルドまで遠出したのだけれどクソ深夜にもかかわらずまさかの満席で作業難民多すぎるだろうというくらいみんなPCやらテキストやらを手にしていてこの時期って大学のテスト期間だったっけか? しかたがないのでハーバーカフェだったか、ここまで来たのだからとあの24時間オープンのカフェに行くことにして、ずっと以前、まだ円町のあばら家に住んでいたころにいちどPCをもっておとずれたことがあるのだけれど電源が使用不可ということでとんぼ帰りするはめになり、けれどとんぼ帰りするのが嫌だったので、たぶんまだオープンしたてだった逃現郷にまで足を伸ばして、開店直後に(…)夫妻といっしょにお祝いをかねて来店したのがたしか一度あって、いや二度あったかもしれないが、とにかく(…)夫妻ぬきでじぶんひとりでおとずれたのはたしかその日がはじめてで、「Z」を書いている時期だったように思うのだけれどそれはともかく、その時以来となるハーバーカフェで、アイスコーヒーにゼリーとアイスクリームの入っているやつを注文してすっかり空の明るい明け方5時まで延々と瞬間英作文しつづけた。時間が時間だけにそれほど周囲に客がおらずそのおかげで声を出せたのがありがたかった。英語の勉強を習慣のひとつに取り入れてからというもの、全体的に生活リズムが押され気味であるので24時間オープンの作業場の確保がますます喫緊の課題となりつつあるわけなのだけれど、本当に近場になにかできればいいのにといつも思う。白梅町まで出張るのはなんだかんだいって面倒くさいし、これから梅雨である。歩いていける距離に24時間利用可能&電源有り(そしてできれば安価)の作業場ができることをたえまなく熱心に祈りつづけている。