20130620

 私は精神の苦しみを理想化したり、絶望や崩壊、苦悶や恐怖をロマンティックに美化したりしたことは一度もない。両親や家族や社会が、遺伝的もしくは環境的に精神病の「原因となる」などと言ったこともない。耐えられぬほど苦痛である精神や行為のパターンというものが存在することを否定したこともない。自分のことを反精神医学者と呼んだこともなく、初めて友人でも同職者でもあるデイヴィッド・クーパーが「反精神医学者」という言葉を用いた時にはそれを非難しさえした。だが、それにもかかわらず、概して精神医学は、社会が排除し抑圧したがっている分子を排除し抑圧する働きをしているという反精神医学的なテーゼには賛成する。もし社会がこのような排除を求めるなら、社会は、精神医学の助けを借りても借りなくても、排除を行なうのである。多くの精神科医は精神医学がこの役割[排除と抑圧]を辞退することを望んでいる。イタリアでは、すでに述べた通り、一部の精神科医がこれを実行しているし、他の国でも、もっと多くの人がそうしたいと願っているが、これは生易しいことではない。このような完全な方針変更には、それに劣らぬほど完全な世界観の変革が必要なのであり、それは稀にしか起らぬことなのだ。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)



11時半起床。きのうから降りつづく雨のためにか、ひさびさに肌寒さを感じる朝方。10時にセットしておいた目覚ましを10分置き1時間にわたって黙らせつづけた。実に無益なる闘争。寝床のシジフォス。まどろみながら枕元の携帯を手にとって天気予報とニュースをなんとなくチェックしたあとに畳の上に投げ出した携帯電話が面積のせまい側面を地にたてて垂直に突っ立ったので、なんのきざしだかと思った。朝食はパンの耳を二枚とコーヒー。肌寒い朝の起き抜けに飲むコーヒーほど美味いものはない。空腹こそが最高の調味料という言葉があるが、コーヒーには砂糖よりもミルクよりもまず肌寒さが合う。寒さではなく肌寒さという点が肝要である。寒気の勝ちすぎる朝には味覚も衰える。五感にまたがる官能とは本質的に貴族的なものだ。
この一週間の怠惰にケリをつけるべく、というか気分転換に、新しい小説でも書き始めようかと考えるも、「祝福された貧者の夜に」というタイトルとその小説で試みられることになるであろう新たな技術だけが確かで、具体的な中身というか細部というかそういうあれこれが見当もつかないこの感じ、モチベーションだけ高まって具体的な題材がはっきりしていないこのもどかしさ、書き出し前に特有のしどろもどろと右往左往、なにもかもがすでになつかしい。
とかなんとかいいながら結局「偶景」に着手すること1時間半。200枚の大台に乗った。すばらしく官能的なひとときだった。集中が途切れて弛緩してしまう気怠さも含めてじつに楽しく、歓びにあふれ、油断ならぬ張り合いがあり、この生を肯定するにあまりある手応えが感ぜられた。小説を書く愉悦が爆発した。すばらしい。これだ。やはりこれなのだ。じぶんが小説に愛されていると思い知った。こちらが愛している以上に愛されているのだ。追加した断片の大半は過去に書いたブログ記事からの引用改変だった。ここ一ヶ月ほど身の回りでせわしないできごとが色々とあったはずであるのにそれらをなにひとつ偶景として拾いあつめることができていない。日々の細部を観察し認識するこちらの解像度がそれだけ劣化しているというほかならぬ証左である。もういちど気合いをいれなおそうと思った。両立だの多立だのいうのがおそらくじぶんにとってもっとも困難な営みの形態であるのだが、それがじぶんの性格であるだなどといって小手先で正当化するのはいい加減やめにして、変身の哲学を信奉するものとしてここらでひとつ、かつての不可能をたやすく可能に裏むけてみせる華麗な手のひら返しを披露したい。せめて英語の勉強と小説の執筆くらいは並行してみせたいという話だ。たとえば一日につき一時間から二時間ほど、英語の勉強にたいする集中力がとぎれた隙間にさしこむかたちで、気分転換を兼ねて執筆するという方針をとってみればいいのではないか。
15時より19時まで途中で30分の休憩をはさみつつも発音練習&リスニング&音読。(…)がやって来るまでに完成させるテキストの分量にようやく目処がついた。欲張りすぎず、これとこれとこれと、そう決めたものだけをきっちりやりこんで地力に落とし込むことにする。まずは中学生レベルからだ。雨降りの中を徒歩で整骨院へ。帰りに王将にたちより職場でとっている京都新聞についていた無料券で餃子一人前をゲットして帰宅。筋トレだけしたのちこのあいだ(…)にもらった冷凍チャーハンとセットで餃子を食して21時半。ふたたび音読を開始して0時半、一区切りついたところで調べものをするためにパソコンの前にいくと(…)からコンタクトがあった。how is going?と呼びかけると、大学の課題を無事に終えて単位も取得できたらしくテンションの高い返事があり、あと一年残っているけれどもと前置きしながらもなんだか奇妙な気分だわという。電話してもいい?といわれたので、もちろんと了承し、ビデオはあいかわらず回線の弱さのためなのかスカイプのサーバーの問題のせいなのか利用できなかったけれども、音声がやたらとクリアで、その点について突っ込むと、身を寄せている母親宅のネット環境が以前の下宿先にくらべて格段に良いとのことで、おかげさまでずいぶんと話しやすくそして聞き取りやすく、ただそれ以上にじぶんのリスニング能力の上昇を大いに実感した。逆にスピーキングにかんしては前回よりもややおぼつかない感じになってしまったような気がしないでもなく、文型へのアクセスが遅いのではなく、アクセスすることなくまず適当に単語を発してしまい、そこから文を組み立てようとするせっかちな傾向がじぶんにはある気がして、これは文章を書くときとまったく同じであるのだけれど、ちょっと厄介な癖かもしれない。上級者ならばそれでもどうにでもなってしまうのだろうけれど、そこまでの柔軟性を可能にするほどの文型や語彙を獲得できていない現状としてはひとまず、たとえ多少コミュニケーションに遅延がもたらされようとも、まずは頭で文型に一定の目処をたててから言葉を発することにしたほうがいいのかもしれない。でないとこちらのいわんとすることを察そうと耳を傾けてくれている相手方にも迷惑をかけてしまうことになる。通話は2時半まで続いた。労働に出かけなければならないわ。現地時間で19時前、彼女はそういった。何の仕事?とたずねると、単純な事務作業がうんぬんかんぬんというような返事があったような気がするも、この聞き取りにかんしてはあまり自信がない。今日は朝からずっとあなたのことを考えていたのよ、日本はいま何時なのかしらって時差を計算ばかりしていて、ひさしぶりにスカイプしたかったの。おれだってここ数日ずっとログインしていたんだよ。たぶんわたしが仕事に行っていた時間帯だったんでしょうね。タイから日本に渡るにはどの航空会社を使えばいちばん安くおさえることができるのかしら?そう問うので、とりあえず去年の夏じぶんが利用したタイ国際航空のウェブサイトを教えたのだけれど、ほかにもエアアジアとか安いところはたくさんあるように思うので、ひとまず日本語と英語でそれぞれ手分けして情報を探索することにして、結果、エアアジア断トツで安いんじゃないですかという結論が導き出されて、そうして東京なら羽田と成田とどちらがいいと問われたのだけれどこちとら東京なんて中学のときの修学旅行以来なのでぜんぜんわかんないもんだからどっちでもいいよとクソ適当に返事をしてしまって今、本当にどっちでもよかったんだろうかとちょっと心配になってる。バンコクからロンドンへの帰りのチケット9/22付けはすでに購入済みであるらしく、あなたわたしにいつ日本を去ってほしいといきなり問うので、あれ滞在は一ヶ月っていう話じゃなかったのと思っていろいろ聞いているうちに、9/22バンコク発の飛行機に乗ることさえできれば別に日本にぎりぎりまで滞在することもできるみたいな話で、タイは空路だとたしかビザなしで滞在可能期間はちょっきし30日なのだけれど、日本は三ヶ月らしくて、だから最長で7月末から9月半ばまでの一ヶ月半以上を日本で過ごすことができるみたいなアレらしく、だからといってぎりぎりまでいさせてくれとはさすがのわがまま大臣(…)さんでも言いにくいらしく、いつ帰ってほしいと、しきりにそうたずねる。きみがいたいだけいればいい、日本が面白くなかったり飽きたりしたら別にすぐにまたタイにもどってもいいのだし、depend on youだよ、I don't careだよ、と伝えると、I don't careというのはnice wordsねといって笑って、それからどういう経緯であったか、こちらの職場の話になり、するとあなたの職場をいちど見てみたいと言い出したので、それどっちの意味でだよといくらか困惑していると、ウェブサイトとかないのというので、あるよといってURLを送った。ウェブサイトに掲載されている客室の写真をながめながらどれも素敵な部屋ねと(…)はいい、次いでこの建物の外観の写真はないのというので、それはないなと応じた。別段かわった建物じゃない、ごくごく普通の建物だよと応じると、あなたの働くそのタイプのホテルって何っていうんだっけ、と問うので、love hotelだよと答えると、画像検索をかけたのかどうかわからないけれども、おもしろい建物がたくさんあるじゃないという。でもどれもこれもstupidなものばかりだろ、まったくもって芸術的ではないよ、少なくともアーキテクチャを専攻しているきみの興味を満たすものではないというと、これとか面白いわといって送られてきたURLがあって、クリックしてみると、外国人旅行者か誰かの書いているブログで、年中クリスマスなコンセプトで有名なあのなんとかいうラブホテルが写真付きで説明されていたものだから、これ有名なやつだよ、知ってる、と、だいたいそういう話の流れから日本人はクリスマスを一種のホリデイやフェスティバルのようなものとしてとりあつかっている、西洋のように家族で過ごすのではなくて恋人たちがともに過ごす風習になっているみたいな話になり、次いで日本の宗教というか日本人の宗教観についての話へと対話の中身が一気に飛躍して、そのあたりについては去年の夏にも幾度となく語り合ったはずであるのだけれど、語学力の問題からうまく説明することができなかったというか、いやお盆やクリスマスについて語りあったのは(…)ではなくてイスラエル人の(…)だったような気がする。ジャングルトレッキングの最初の晩におこなわれたキャンプファイアーでガイドのタイ人が参加者ひとりひとりに信仰をたずねる一幕があって、こちらが無信仰だと答えたのに興味をもったらしい(…)が後になってから話しかけてきて、そのときに日本人の宗教観についていろいろとたずねられたのだった。その翌日だったか翌々日だったか、たまたま同じいかだの隣同士に乗り合わせたので、イスラエルではやっぱりユダヤ教が盛んなのと馬鹿みたいな質問をすると、若いひとたちはそうでもないわ、ただのホリデイやカルチャーとして受け入れているって感じね、だからひょっとすると日本人とそう変わらないかもしれないみたいな返事があり、それにはたいそう驚いた。(…)はたぶんむこうで出会った西洋人のなかでもっともインテリで、精神分析についてたずねる(…)にフロイトの理論を噛み砕いて説明していたり、こちらが名をあげたラカンメラニー・クインといった固有名詞にも機敏に反応して、それだから緑色の川面にときおりたつ水音と得体のしれない鳥の鳴き声と比較的おだやかだったようにも思い返されるあの日射しの中をゆっくりと無音ですべるいかだの上で、ここに来るまえに日本でちょうどカフカの日記を読んできたんだよ、彼はおれのフェイバリットなんだと告げたりもした。(…)の英語はよくわからなかった。発音の問題ではなく語彙の問題だったのかもしれない。パーイでふたたび彼女と合流した晩、村の中心地から離れたところにあるゲストハウスに(…)を送っていくよう(…)にたのまれたので、彼女を連れていったんじぶんの滞在するゲストハウスにバイクを取りに戻ったのだけれど、その際にあなたの部屋をちょっと見せてもらってもいいかしらと頼まれたので部屋にあげて、ここにシャワーがあってきちんと湯も出る、ベッドには蚊帳がついているし、三日以上の連泊ならたぶんこれくらいまで値切ることもできる、みたいな説明をしていると、不意に、へーあなたはJames Joyceの『Dubliners』を読んでいるのね、とチェンマイの古本屋で購入してちびちび読み進めていたのがベッドに上に放りっぱなしになっているのを見つけていうので、『ユリシーズ』は読んだ? 『若い芸術家の肖像』は? おれはいつか『フィネガンズ・ウェイク』を読むつもりなんだ、そのためにも帰国したら英語を勉強するつもりでいるんだよ、みたいなことを語ったようなそうでないような。後日、この夜のことを(…)に話すと、あなたは彼女を部屋にあげたの?と問い直され、いくらか大袈裟な調子で発された反応からふと、あれ、ひょっとしてあれってもしかしてオッケーサインだったの?いやいやそりゃないっしょ!(…)としゃべったことなんて数えるほどしかないよ!と思ったりしたのだけれど真相は知れず。こうやって書いているとなにかしら惜しいことをしたんではないかという気にどんどんなってくる。とかなんとかどういう話だったかすっかりアレになってしまったけれども、日本は仏教の国だったんでしょ、でもいまはそういうわけじゃないみたい、いったい何があったの?と、スカイプ中の(…)は相も変わらずどでかい質問をごろりと投げ出してきて、それにたいしては歴史的にとても複雑な経緯があったんだよとひとまず告げてから間を置き、たとえば夏の終りに日本人は実家に帰省する習慣がある、これは先祖の霊がその時期にあの世からこの世に帰ってくると信じられているためでその霊をむかえるためにわれわれは里帰りするのだけれどこうした物語はたしか仏教に由来するもので、タイなんかにくらべると仏教の権威みたいなものははるかに劣る日本ではあるけれども、特定の宗教にたいする強い信仰心を持ってはいないかもしれないけれどもそれらの宗教にもとづく習慣や風習はいたるところに見られるみたいな、具体的な信仰を持つというよりはある種の文化として宗教を受けいれてその中で生活を営んでいるみたいな、そういう答え方をしたのだったかどうだかもはやはっきりとは覚えてはいないしそう答えたのだとすればそれはそrでわれながらなんとも陳腐で気のきかない間抜けな説明というほかないのだけれど、そのお盆の具体的な日付はいつなのというものだから八月の中旬だよと答えると、それだったらわたしの滞在している時期ねというので、それじゃあいっしょに里帰りするかと以前も出た話を蒸し返してみるとやたらと高い声でイエース!とかいうものだから、うちの両親もきみに会いたがっているしねというとますますテンションがあがった様子で、でもあなたのお母さんってわたしのことクレイジーだって思ってないかしら?と興奮して早口で問うその質問がうまく聞き取れず、うちの母親がクレイジーだって?と問い返すと大爆笑で、そうじゃなくって、と説明があり、いやー別にクレイジーだとは思ってないとは思うよ、ただまあちょっと変わり者だとは思ってるかもしれないけど、と答え、お盆には祖父母の家を毎年おとずれるんだけれどきみの姿を見たらびっくりして死んじゃうかもしんないねと告げると、ヨーロピアンを見たことがないのかしら、というので、祖父はひょっとしたらあるかもしれないけれども祖母はたぶんないんでないかなぁと答え、すると唐突に、あなたのおじいさんの農場を見たいわ、というものだから、じいちゃん農場なんて持ってないよと答えると、でもあなたお米はいつもおじいさんにもらうって言ってたじゃないとあって、あれは別にじいちゃんがつくってるわけじゃなくてじいちゃんが友達だか遠い親戚だかのところから買ってくれているんだよと応じ、すると少し残念そうな声になったものだから、でも祖父母の住む家はsuper rural areaだから、very very countrysideだからと告げると、それは素敵ね!と一気にもちなおして、あいかわらず田舎と自然が大好きらしかった。あとは兄夫婦の出産予定もたしか八月だったか九月だったかで、それだからひょっとするとベイビーを見ることだってできるかもしれないねというと、大笑いしながら本当に盛りだくさんの夏になりそうねとあって、そういうあれこれを話していると本当になんかいろいろと楽しみになってきて、と同時に、飛行機事故か何かで(…)がうんぬんかんぬんという悪い想像も働いてしまうこの不吉な予感はおそらく昨日の夢に起因している。
(ここまで書いたところで朝方7時、いったん床に着くことにしたのだけれど頭がパリッパリに覚醒しているせいでなかなか寝つけなかった。パソコンデスクから布団にすべりこむその拍子だったかにポケットから携帯電話が畳の上にすべりおちたのだけれど、起き抜けのひとときをなぞるように、せまい側面を地に接して見事に屹立したので、なんの符号だかと思った。)
(…)がチェンマイで行きつけだった最高のレストラン(というか本業はおそらくマッサージのほうなんだろうけれど)を今回も訪問したいのだけれど店の名前をまったく覚えていないというのでふたりで関連ワードなどを日本語と英語でそれぞれ検索しまくった結果、見事にウェブサイトを発見して、そこで出されるベジタリアンフードはどれも絶品で、とくにパンプキンスープとブラックスティッキーライスが半端なく美味で、出身地と父親の仕事柄、わりと美味い食い物をたくさん食べてきているはずなのだけれど、チェンマイ滞在中に毎日のように食べたここのごくごく単純なパンプキンスープほど美味いものはほかに知らないというレベルで、ウェブサイトに掲載されているメニューの写真を見ているだけで生唾がだくだくと分泌されてやばい(ちなみにここで写真を見ることができる、肝心のパンプキンスープの写真はないみたいだけれど→http://thanachai-therapy.com/contact/about/cha-tea-house/)。2時半になってそろそろ仕事に行かなければならないわと彼女はいい、もっとおしゃべりしていたいのだけれど、ねえ明日はあなたはオンラインかしら、そういうので、一日中オンラインだよというと、こっちの時間で10時〜18時の間だったらわたしもオンラインだからまた電話をしてもいいというのでオーケーと答えて、腕時計のデジタルは常にロンドンの時刻に設定してあるのだけれどいまはサマータイムだから一時間ずらす必要があってそれで計算するとこちらの時刻で18時〜26時にログインしていればよいということが判明したので大丈夫であると判明して、それじゃあシーユートゥモローバーイとなってログオフ、そうして溜息もつかず苦笑も浮かべずただただ無表情に、いよいよ参った、えらいことになってしまった、もういい加減認めなければならん、おれどうも彼女にがっつり惚れこんでしまってる、と、思い出を決して美化するなよとあれだけ言い聞かせていたはずの昨夏の反省も無下にして、夏を前にやたらと高揚してしまって落ち着かない早朝、グーグルのトップ画面のロゴから夏至のはじまりを知った。