20130715

4時半起床。ひさびさの早起き。気持ちがよろしい。昨日づけのブログを書いたのち英語の調べもの。macの言語環境を英語に変更した。これは勉強のためではなく(…)利用に備えての変更である。いまのところ不具合などは特にない。予約した夜行バスの詳細などを確認していたのだけれど京都→東京にあたって利用したバス会社のものはむこうから送られてきた予約確認メールに当日の集合時間や集合場所などが記載されていたのだけれど、東京→京都の確認メールにはその手の情報がいっさい記載されておらず、気のきかない会社だと思いながらウェブサイトのほうで確認してみようとしたのだけれど会員登録をしていなければじぶんが予約した便の詳細すら確認することができないというアレで、しかもいまさら会員登録したところで会員登録する以前に予約した便についてはやはり確認不可みたいな、サポートセンターにいちいち電話してたずねるしかたぶん選択肢がないという具合で、それだったら利用者全員に会員登録必須とかそういうアレにしておけよと思うのだけれど、とにかく予約した便の確認がまったくできないとかこれ本当にこの手のサービスというか旅客運送業としてはかなり終わってるというか致命的なシステムの欠陥だろうというほかなくて、詳細を問い合わせるメールをいまさっき送っておいたのだけれど、たぶん二度とこの会社を利用することはないというかこういうのって本当にイライラする、おまえ馬鹿かとシステムを考案した人間にひとこと言ってやりたくなる。
8時より12時間の奴隷労働。(…)さんが最近太ってきているのを気にしてなのか、体脂肪率も計ることのできる備品の体重計を持ち出してごそごそやりだしたので、こちらも便乗することにしたのだけれど体重は着衣で56キロ、体脂肪は11%だった。体脂肪率11%というのは「標準」と「痩せ」のぎりぎり境目であるらしく、じぶんが文句のつけようもないほどの「痩せ」などでは全然ないというこの事実に感動した。いちばんやばい時期で体重が50キロ台を割ったことがあって、あれはまだ円町の二階に住んでいたころであるから大学を卒業して一年とかそこらだったような気がするのだけれど、それ以降やったりやらなかったりのon and offな習慣ではあるのだけれどまがりなりにも筋トレをはじめて、ここ一年はジョギングも加わって、そうして少なくとも(このおそるべき食生活で)5キロ以上増やすことができているのだから、まあ万々歳といってもよいんではないか。
休憩中に(…)さんが(…)の写真を見たことがないと言い出し、ほかの同僚たちにはいちどタイ・カンボジア旅行の写真を見せてくれとたのまれたそのときついでに見せたことがあるのだけれど、そうしたらいきなり手持ちのipadで(…)のカタカナ表記と彼女の国籍のカタカナ表記で検索をかけはじめて、あ、これやばいな、と思った。その場にいるのが(…)さんだけだったら別にかまわないというか、見つかったところで、まあめんどくさくなるだろうからほかのひとたちには言わんといてください、と、そうひとこと言えばそれだけですむだけの話なのだけれど(…)さんが検索をかけはじめたそのときその場に(…)さんもいて、このひとの場合は確実に話がめんどうくさくなるというか、ことがテクストに及ぶとなるとたとえ冗談とわかっていても茶化されなどしたらまたケンカになるのは必至というか、じぶんの怒りや歓びがいちばん賭けられているよりどころにかかわる話になるのだからそうなるともはや前回程度の小競り合いでは絶対にすまないし、殺す殺さないという域に本気で達してしまうんでないかと怒りの感情にたいするおのれの自制心の欠落を本気で憂慮するところさえあって、率直にいってひやひやした。Lithuaniaってカタカナでどう表記するんだとこちらにたずねるので、カタカナ表記でヒットするわけないでしょ、twitterなりfacebookなりのアカウントをサーチするんなら英語じゃないと、と切り返したりしてなるべくこのブログから遠ざけようとしたのだけれど、水際でそんなふうにせめぎあっているうちにふと、ひょっとしてこのひとすでにこのブログを発見しているんじゃないか、それがなんとなく切り出しにくいので偶然をよそおっていままさに発見したていで突破口を開こうとしているんではないか、あるいは同僚のだれにも存在をつげていないこのブログがこちらにとってどんな意味と役割を担っているものであるのかそこんところを見極める意図でわざとつついてみてはこちらの反応をうかがっているんではないかと、そんなふうにも思えてきて、探るような目つきがまたこうした疑念に拍車をかけるわけなのだけれど、ただその目つきはひょっとすると、なるべく冷静を装うようにつとめていたもののそれでもおもてににじみだしてしまったこちらの一抹の焦りみたいなものを認めた結果こいつはblogなりtwitterなりfacebookなりのアカウントをきっとどこかに隠し持っているぞと察するにいたった、そのような洞察の目つきだったのかもしれない。(…)さんが画像検索をはじめた途端、これはもうまちがいなく発見されると思ったので、せめて(…)さんにはバレないように(…)さんの口を封じなければなるまいというアレからわざと(…)さんのそばにいって、ほんなことしても何も出てこんでしょーといいながらも画面に目を光らせつつ、仮に該当する画像が表示されることでもあればすぐに(…)さんに見つからぬよう手元でサインを送るかなにかしてとにかくいったん黙らせる、そうして(…)さんが立ち去ったあとにふたりであらためて事情を告げるみたいな、そういう覚悟を決めるところまでいったのだけれど、しかしどういうわけか、当該キーワードで楽勝にヒットするはずのこのブログがなぜか(…)さんのipadではヒットしなかった。もういっそのことその場で見つかってくれたほうがよかったと思わなくもないのは、こちらが不在の場で(…)さんがたまたまこのブログを発見してしまって、なんか見つけたでオイ!という発見の興奮から(…)さん含む同僚のみんなにふれてまわるみたいな悪夢の可能性が大いに残存するからで、(…)さんは配慮と軽薄さがわけのわからないバランスをとっているひとで、たとえばこういうとき、なにやら発見してしまったがこれはナイーヴな領域に属する事柄であるから黙っておいたほうがいいのかもしれないというような気遣いを見せることのできるひとのようでもあれば、うおーい!(…)のブログ発見したでー!とクソ軽々しく騒ぎ立ててしまうひとのようでもあって、仮定する今回の事故が現実化した場合いったいどちら側にふりきれてしまうのか、率直にいって見当がつかない。などと考えをめぐらしているうちにひとまず今回の峠はどうにか乗りきることができたようであるのだけれど、どうにもこの種火は今後ふたたび再燃するんでないかというおそれがないこともなく、ちょうど検索避けのことを考えて(…)さんの名前をローマ字表記に徹底しようと考えはじめていたばかりのことであったのでこのタイミングの一致は余計に不吉である。不幸中の幸いといえば(…)さんがネット関係についてはいっさい何もしらないずぶの素人であるというアレで、ただ近頃やたらとタブレットに興味を持ちはじめているようなので、なんかそういうあれこれを考えているとここもそろそろ潮時かもしれないと思わないでもない。およそ一年更新し続けたところで廃棄→引っ越しというのがこのブログであれこれしはじめる前の常道だったのだ。いまがイレギュラーなのだ。ひとつの土地に長く滞在しすぎている。
仮に(…)さんがすでにこのブログの存在を知っていたとした場合、ここに書き記した内容からこちらの考えを察してくれたらいちばんありがたい、そういう意味で、上段の記述は日常の細部をかきとめるいつもの日記的な手つき以外にもうひとつの機能を帯び役割を担わされているともいえる。このブログはたぶん、これまでそうとはっきり意識したことはなかったけれども、半不特定少数という仮想読者との間にはりめぐらされたある種のサスペンスを原動力としているところもあるのかもしれないと思った。
(…)さんから祇園祭の影響でバスがまったく動かない、遅刻するかもしれないと連絡があって、結局20時あがりのバイトが1時間延長して21時あがりになったわけなのだけれど、そのおかげというべきか、ふだんそれほど話すことのない夜シフトのひとたちとわりとがっつりおしゃべりすることができて、特に今日は月曜日なので、これまでたった一度しか顔をあわすことのなかった(…)さんという芸大院生の男の子と話すこともできたというか、まあ例のごとく相手が話のわかる人間であると悟った瞬間にこちらが一方的に猛烈な勢いで言葉を爆裂させたという始末であったのだけれど、最初(…)さんがなにやら雑誌をコピーしたものらしい紙片に目を通していたのでそれ何すかと話しかけると美術批評ですという返答があって、グリーンバーグか何かかなと思ったのだけれどむしろポスト・グリーンバーグ的なアレだったみたいで知らない名前のひとだったのだけれど、そこから実作ではなくて芸術史を研究したいという(…)さんの話を聞いて、名古屋でベーコンを観てきたとか、秋にはターナーがあるとか、あとは去年だか一昨年だかのポロックとかクレーとか、そのあたりの話を皮切りにして、そのとき同席していたやはり芸大生の(…)さんという女の子もターナーが好きだといっていたりしたのだけれど(そしてこの(…)さんのことを輩のほうの(…)さんは大好きなのである。事実(…)さんはたしかにかわいい)、ベーコンを論じたドゥルーズの書物からブランショフーコーといった固有名詞が飛び交いはじめて、そこから文学の話にもなったので毎度まいど馬鹿のひとつ覚えのようであるけれどもとりあえずムージルポルトガルの女」とモロイ「ベケット」を猛プッシュして、もちろんヴァルザーとカフカにも言及したのだけれど、ムージルに関しては断片的にこのブログでも書きつけてきたもろもろを原案にした作家論の大枠が頭の中でとっくにできあがっているのでそれを口頭でバババーっと説明し、かつ、ひととおり説明したあとにでもこれいつか発表する予定だからパクっちゃダメだよとワケのわからない釘の刺し方をしたりして、そうした一連の会話というかほとんどひとりよがりなおしゃべりであったのだけれど、この手の話題を共有できる人間にたいして遠慮なく、言葉を選ばず、ありったけの力で言葉を連射することのできるこの快楽、ストレスのなさ、官能性みたいなものをひさびさに、心の底から味わっているじぶんの、鏡をのぞきこむまでもなくそれとわかってしまう晴れ晴れしい表情に、あーやっぱり飢えてたんだ、という自覚を抱くにいたった。顔をあわせる頻度がいちばん高い職場の面々相手には、当然だけれど芸術が文学が哲学が宗教がうんぬんかんぬんといった話が通じるわけがないしそんな話題を求められていないのもわかりきっているので、週に二日あたまを空っぽにする時間とわりきっていかにくだらないやりとりで相手を笑わせるかに魂をゆだねているところがあって、これはこれでしかしながら実際のところそこそこおもしろいゲームであるのだけれどそういうやりとりばかりを主に(…)さん(…)さん相手にしていて、これまでだったらそれでも残る五日間は本を読んで映画を観て音楽を聴いて、そうした諸々について書きながら考えるための場としてのブログがあって、というアレがあったのだけれど最近は英語一色であるし、英語ほどありったけの力で言葉を連射することの快楽から遠く離れているものもないだろうというのが率直なところであって、言葉が胃の腑で渋滞を起している。その渋滞がこの日、ほんの少しだけ解消された。それはよろこばしい感情をともなう瞬間だった。小説できれば読ませてください、と例のごとくいわれた。このひとだったらいいかもしれないと思った。東京にいったら(…)兄弟を相手取ってまたバババババーとアホみたいにしゃべりまくってしまう気がする。話がわかると見なした相手にたいしてはどうしても甘えてしまうところがある。相手を置き去りにすることをいとわずアホみたいに言葉を連射してしまう。そんなじぶんを職場の同僚たちは知らない。最近はたえてなかったことであるけれど、彼らとじぶんの間にうっすらと口をひらけている巨大にうつろな懸隔の竪穴を目にしたような、下半身のむずむずするよう居心地の悪さをいまこうして記述しながら感じている。
一時間遅れで帰宅。道中浴衣姿の男女をよく見かけた。夜行バス会社から返信があった。(…)さんからまたポイントが送られてきていた(これで無事に40ポイントたまった!)。(…)さんに鯖寿司をもらった。コンビニでパスタを買って食って酩酊して寝た。