20131019

それはそうと僕たち生徒は全員、手鏡を所有している。虚栄心とはいったい何を意味するのか、そもそもまったく知らないのに。
(ローベルト・ヴァルザー/若林恵・訳「ヤーコプ・フォン・グンテン」)



夢。小中高時代の同級生であるところの(…)とならんで川端通丸太町通の交差点付近を歩いている。ふと後方をふりかえると(…)ちゃんとその連れ合いらしき男が自転車に乗っているのがみえる。山道を(…)とならんで歩いていると、後方から(…)ちゃんが走ってやってくる。別段こちらを追いかけているわけではない。ジョギング中らしく見える。白いTシャツが汗だくになっている。汗かきすぎやろ、と(…)が嘲笑的にぼそりとつぶやく。道をゆずるべきかどうかを気にしながらも(…)とならんでそのままぶらぶら歩き続ける。不意に、飲み物が欲しいな、という独り言にしてはあまりに不自然な響きをはらんだ声が後方でしずかにたつ。
7時前起床。さみーね。去年の冬に購入したピンクのウインドブレーカーを押し入れから取り出してヒートテックの上に羽織った。冬ですわ。これぞ冬。まごうことなき冬。コンビニで菓子パンと紅茶花伝のホットを買った。唐突な寒気の日にはなぜかいつも紅茶花伝を飲みたくなる。紅茶花伝を見るとふしぎにいつも惹起されるところのなんでもない記憶というのがあって、たぶん小学校中学年か高学年のころだと思うのだけれど、今日の夢にも出てきた(…)(父親がビジネスホテルを経営している金持ちのサッカー青年)の実家がある坂の上から急激な角度でのびる下り坂をくだった先にあるあれは空き地だったか、それとも田舎につきものの個人系の自動車工場みたいなものの一画だったか、とにかくなんでもない道路沿いにわずかにもうけられたスペースに自動販売機が二台ほど並んで設置されていて、その自動販売機のまえに母親の運転するぼろっぼろの軽自動車を止めてジュースを買ったときの記憶、たぶん弟もいっしょにいたような気がするのだけれどそのときじぶんは紅茶花伝のホットを買って、そのとき初めて買ったわけではたぶんなかった気がするのだけれど、しかしなぜかそのときの記憶というのが紅茶花伝という言葉の響きに頑につきまとっており、というかこういうふうにして書きしるしながら記憶を探索するうちにだんだんと明瞭化してくるところがあるのだけれど、たぶんそれまでは自動販売機で購入するといえばじつにクソガキらしい甘ったるい清涼飲料水の類であったのがその日そこではじめて紅茶花伝という、いわばコーヒーとならんで大人の嗜好品であるという印象をもっていたまがりにも紅茶であるところの商品をすすんで自発的に購入したその背伸びの記憶、それまでは母親が購入したのをひとくちふたくち飲ませてもらう程度だったのがついに一缶まるまるじぶんのために買ったという前進の感、べつだん背伸びしたわけでもなんでもなくて本当にその味が好きでそれを買うことにしたのは確かなのだけれどそれだからこその驚き、つまり、クソガキであるはずのじぶんの嗜好がしかし知らぬ間に大人のシンボル(として理解されていた)紅茶にぴったり合致してしまっていることを不意に自覚してしまった瞬間のある種の取り返しのつかなさ、おのれの成長に置き去りにされてしまっていた事実を自覚したとたんに現実と自覚がそのあいだに介在させていた距離をひといきに飛び越えて重なるその収差の働き、そうした印象が強く色濃く残っていて、たとえばこのあいだ職場にやってきたフランス人たちとまがりなりにも英語でコミュニケーションをとれてしまっているじぶんを自覚した瞬間のおどろきもたぶんこれと似たようなものだったし、あるいは(…)とつれだって京都駅の伊勢丹をひやかしていたときにこちらにセールストークをしかけてくるスタッフの言葉をひとつひとつ通訳している、というかできてしまっているじぶんにはっとして気づいた瞬間のおどろきもやはりこれとよく似ていた。自覚の範囲外で着々と進行していた成長(変化)があるしきい値をこえた途端に自覚されるにいたってハッとするみたいな、自身にたいする認識の更新にせまられて不意をつかれたような気持ちになるような、その種の体験の原体験としてあの日の自動販売機で購入した紅茶花伝があるのかもしれない。
8時より12時間の奴隷労働。なかなかにいそがしかった。(…)さんがまたパチンコに負けたらしく気落ちしていた(立て替えておいたタバコ代880円はいつになったら返ってくるんだろうか!)。合間をぬって瞬間英作文に励んだ。職場で内職するなら読書よりも英語の勉強のほうがずっと効率的であるということを発見した。給料日だった。先月は祝日が二日あったので10万円の大台に達していた。子鹿の(…)さんの給料をどうしようかという話になった。ひとまずはこちらであずかるかたちになるわけだけれど、しかしそれ相応の根性がないとバックレた人間がわざわざバックレた職場まで給料を取りにくることなんてできないというか、子鹿の(…)さんの場合はそれに加えて(…)さんとの接触を可能なかぎり避けたいというアレもあるだろうし二重苦で、そういうことも考えたらやっぱり(…)くんは(子鹿の)(…)さんの職場まで行くべきじゃなかったよな、そんなふうにして追いつめたらますますこっちに来にくくなるよな、そんなんちょっと想像したらだれでもわかることやけど、と(…)さんは呆れ顔でいい、それから、まああの女もたいがいやけどな、と続けてこぼした。子鹿の(…)さんはかなり金に困っているみたいだからひょっとすると覚悟を決めて給料だけでも取りにくるんではないかという気がしないでもないのだけれど、そうするにしてもおそらく(…)さんの出勤曜日もしくは出勤時間とはずらして来るだろうし、というかなによりもまず子鹿の(…)さんの給料が当人の手にわたらずいまこの職場にあるという事実だけは(…)さんに知らせてはならない、あの男のことだからそれを知ったとたんにじぶんが届けるなどと言い出しかねないというその一点において一同の見解は完全に一致した。(…)さんは子鹿の(…)さんの勤める別のアルバイト先に二度顔を出しており、二度目の訪問にさいしてはまさかおれのせいで辞めたというわけじゃないよなと当人に直接質問したとかいう話で、ぼくもそこはちょっとひっかかっとったからな、それだけきいとこうと思うたんや、そしたらぼくのせいとはちがうて、家庭の事情やって、(…)さんそういうとったから、それだけはぼくもまあはっきりさせときたかったし、まあそういうことですわ、と先週だったか(…)さん相手にまるで重大な任務を終えたあとの兵士のような、いかにも一仕事やってきましたみたいな口調と物腰で一部始終を報告していて、おれのせいで辞めたんちゃうよなって目の前でいわれていやいやおまえのせいですって答えれるやつなんてそうそうおらんやろという当然のツッコミもまた一同のひそかに共有するところだったのだけれど、いずれにせよ、すごいよね……恋は盲目だよね……狂気だよね……と、世代を問わず盛り上がるはずのいわゆるコイバナにおける紋切り型の文句がなにか異様に毒々しくおそろしい抑揚をおびて一同の口から発されたひとときがこの一件をすべて象徴的に物語っている。
小雨の降るなかをぶつくさやりながら帰宅するとBCCKSから紙本が二冊届いていた。クリムトの表紙案はやはりボツにしようと思ったのだけれど、それかといってかぎりなく白に近い青地に純白のフォントでタイトルとペンネームだけまぶしく浮き彫りにさせた代替案のほうもいまひとつ出来がよろしくない。もう少しこう、海と光線と聖性みたいな雰囲気が出るものかと期待していたのだけれど。ひとむかし前の現代詩文庫へのオマージュとしてタイポグラフィーを駆使しつつ部分的にぬきだした本文のいくつかを表紙と裏表紙それぞれに配置するのもアリかなと考えたこともあったのだけれどこれつくるとなると正直かなりめんどうくさいので却下。二冊のうち一冊は書式を一変して、フォントサイズを落としたかわりに天地の余白をたっぷりとってみたのだけれどこちらのほうがちょっと高級感があるというか、天地の余白をたっぷりとるというと磯崎憲一郎の本とかわりとそういうつくりになっていた記憶があるのだけれどあれはたぶんフォントもそこそこでかかったのにくらべてこちらはフォントサイズちいさめで、ひとによっては若干目が疲れるというかもしれないけれどもじぶんの好みとして、たとえば古本屋で100円で購入したカバーなしのページの灼けた文庫本なんかによくあるような現在流通しているものにくらべて圧倒的にちいさくしきつめられた文字群だけがかもしだすことのできる雰囲気というものもたしかにあって、読みやすさとか読みにくさとかで一概に判断しちゃうのもよくないよなと思う。あと、本が完成したあかつきにはぜひ万置きをしたい。take freeならぬsteal freeみたいなサインとシリアルナンバーを入れてあちこちの書店の書棚に仕掛けたい。丸善の書棚に檸檬を置き去りにするだけの梶井基次郎はなまぬるい。ほんものの爆弾というものがどういうものなのか知らしめなければならない。一語一語が炸裂して爆破するほんものの爆弾。
先日の『ポニョ』はしあわせギフトキャンペーンでもお世話になった(…)さんからの誕生日プレゼントであることが明らかになったのでお礼のメールを送信し、おかえしに『A』の紙本を送る約束をした。問題はまだまだ山積みではあるけれども、よい本になるという予感はある。