20131020

憤慨する人にはつねに罪びとが対峙しなければならない、さもないと何か物足りないだろう。
(ローベルト・ヴァルザー/若林恵・訳「ヤーコプ・フォン・グンテン」)



7時前起床。8時より12時間の奴隷労働。きのうあれだけ子鹿の(…)さんの給与袋を(…)さんの目に入らないところに置いておかないといけないと話し合っていたにもかかわらず、というか何ならじぶん発進でそう提案したにもかかわらず、すっかり失念してしまっていて、結果、ものの見事に(…)さんの関心をひくはめになってしまった。これおまえのチョンボやなと(…)さんにいわれてぐうの音も出ない。その一件があって以降、(…)さんが途端に心ここにあらずになってしまった、あれほどわかりやすいひともいないと、あとになって(…)さんが語っていた。その(…)さんからどういうきっかけであったか、以前Tさんとふたりで飲みに出かけたときの話を聞かされたのだけれど、(…)さんと(…)さんの間にはやはり微妙な競争心のようなものが見え隠れするらしく、その間に立つのが厄介でかなわないという。(…)さんならまあかまわないかと思ったので、内密の話としていぜん(…)と(…)さんの三人で飲んだこと、そのときに(…)さんもやはりまたふたりの競い合いに言及していたこと、(…)さんにたいしては上司であり先輩でありその筋の一味であるひとから一目置かれたいという思惑から、そうしてじぶんにたいしては年下の後輩から頼られたいし慕われたいという思惑から、それぞれ接近を試みてはどうにかしておのれの側に気を引いてみせようと苦心しているらしい競争心がありありとのぞけること、その競争心がなによりも雄弁に語る彼らの非承認欲求の強さにじぶんも(…)さんもこのところいくらかげんなりしていることなどを話した。(…)さんは元々(…)さんとは犬猿の仲であるのだけれど、それでも捨てられた子犬のような目でいきなり仕事のことで話があるんで付き合ってくださいといきなりいわれたら断れないといっていて、それは思い当たる節のあるこちらとしてもたいそうよくわかる心情であるのだけれど、(…)さんに連れていかれた寿司屋では案の定(…)さんの嘘や人格についての悪口とまではいかぬほのめかしが延々と繰り出されることになったと、だいたいそのようにして語るので、やはり(…)さんもうっすらと勘づいているところはあるのだろうと思い、(…)さんがどうしようもない人間であることはいわずもがな、(…)さんもまた(…)さんほど表立つことこそないとはいえ一癖二癖である人間ではあると、その虚栄心と手癖の悪さについてほのめかしてみるとわたしも(…)くんのことは最近いろいろと気づきはじめたと答えがあった。ひょっとして(…)さんだったら知っているかもしれないと思ってこのあいだ(…)さんからあった電話のなかで語られていた盗品問題について言及してみると、案の定、先日(…)さんがとっていたという不自然な行動が語られることになってやっぱり黒かと、そういうあれこれを介して盛り上がるというのも妙な話だが、(…)さんは(…)さんでやはり(…)さんと(…)さんの間に立つこともあり、(…)さんと揉めることもあり、(…)さんと(…)さんの間に立つこともあり、(…)さんと揉めることもありで、むずかしい位置にあってそのむずかしさについて相談する相手といえば(…)さんしかいないわけなのだけれど(…)さんの巻き込まれるそれらの煩わしさのなかにもちろんその(…)さんが当事者であるところのものもあるわけでそれについてはただひたすら押し殺すしかない、そういうところにじぶんが腹を割った話をもちかけてきたものだからここぞとばかりにこういうこともあった、ああいうこともあったと、立て板に水になるわけで情報がどんどん共有されていきそれにつれて腑に落ちぬものとして抱えこんでいた謎を解くためのピースが互いに与えられ、となるとやはり盛り上がるというほかない様相をていすることにならざるをえないわけなのだけれどそこに(…)さんがやってきたので話が中断された。さらには(…)さんまでもがあらわれた。(…)さんは登場するなり、ごめん(…)くん、やっぱり今日は無理やわ、と誕生日パーティーの延期を告げたのだけれど昨日の時点で明日はあやしいかもしれないという話は聞いていたし、気分的に今日はちょっと避けたいなと思っていたところもあったのでちょうどよかった。そこからしばらく談笑があった。(…)さんが先に帰宅したところで(…)さんがじつをいうと先ほど(…)さんと会っていたのだがそのときやけに機嫌が悪かった、機嫌が悪かったというよりほとんど激怒していた、むろん原因は(…)さんにあるようなのだが今日なにかしらトラブルはあったんだろうかというので、思い当たる節のない(…)さんとふたりそろって首をかしげた。なにをいっているのかうまく聞き取れなかったがなにかしら金銭にまつわることが原因だと思うという(…)さんの言葉に、(…)さんがあのことちゃうかなと言い出したのでなにかとたずねてみたところ、昼の休憩中だったかに(…)さんが飲みにいかないかとじぶんに誘いをかけてきたことがあってもちろんそのときは(…)さんの先約があったし断ったのだけれど、うまい豆腐用意しておくからとかハマグリで出汁をとるからとか鰤を入れるからとか冗談の体裁をとりながらもわりと本気で話したいことがあるんだろうなというアレが透けてみえる程度には執拗に何度もアプローチをかけてきて、面倒くさいのでたとえスケジュールが空いていたところで行きゃあしませんよと断言した直後にそれじゃあ(…)さん今日はいっしょに飲みにいきましょうかと誘いをかけるというその流れでもってすべてを冗談の煙に巻いて誤摩化すといういつものパターンで事を処理することにしたのだけれど、すると(…)さんがそんじゃあおまえ(…)さんを回らん寿司に連れてくことできんのか、ええ、おれやったらできるぞ、おれはじっさいした、というので、いやー(…)さんにはいうてませんけどぼくもうここのみんなのためにいままでナンボ落としてきたかわっかりませんわーなどと茶化すといきなり、それまでよりひときわおおきな声で高笑いをはじめて、それも無理やりふりしぼられたような高笑い、嘲笑のメッセージであることを存分に強調しすぎるあまりいくらか空転しつつある高笑いで、それが意味するところを要約すればすなわち、おまえごときにおれのような大盤振る舞いができてたまるかひよっこが、という一言に尽きるのだろうけれども、こちらの冗談や茶化しをそのまま受け止めることも受け流すこともできず過剰反応してしまうこの(…)さんの反応を見るかぎりやはり(…)さんの指摘は正しいと思わざるをえない、すなわち、(…)さんのなかでは大盤振る舞いが一種のアイデンティティになってしまっている、だから話題が(…)さんにとっての聖域たる大盤振る舞いにまつわるものになった途端にそれまでの文脈からすると不自然というほかない豹変のテンションで意地と見栄の双方を張る、こちらが口にした冗談も冗談として受け流すことができずじぶんこそがもっとも羽振りのよい男なのだ、飯をおごったり物をあげたりしてみんなを喜ばせている男なのだ、と強いアピールをあらためてせざるをえなくなるという事の経緯が一瞬で透視できるわけなのだけれど、そうしたやりとりの最中(…)さんはただただむすっと黙りこんだままであった。ひょっとしてあのとき(…)さんが(…)さんを連れて寿司屋にふたりで行ったという話が(…)さんの勘にさわったのではないかと、これは(…)さん自身の意見でもあるのだけれど、というのも互いに(…)さんを鬱陶しく思っていた間柄であるはずがいきなりその(…)さんとふたりで飲みに出かけたというので恋心とかそういう変なものではなく(…)さんはやはり焼きもちを焼いていた、それが先日の(…)さんと(…)さんの冷戦の原因だったんだと(…)さん自身は分析していてそれについてはじぶんもおおいに同意するところなのだけれど、いったんはおさまった(…)さんの焼きもちみたいなものが今日の(…)さんの偉ぶった態度と言葉によってふたたび着火されるはめになったんでないだろうか、なんだったらそのとき(…)さんはおれだけが(…)さんとふたりで飲みにいったことがあるのだ、(…)くんはいわずもがな(…)さんでさえないのだと、こうして書いているとまったくもって痛々しいというほかないおっさんだな(…)さんもと溜息をもらさずにはいられないし同時にその被承認欲求から垣間見えるコンプレックスにある種の憐れみを覚えないでもないのだけれど、いずれにせよそのような甲斐性ありアピールまで執拗にくりかえしていたその言葉が(…)さんの逆鱗に触れたかもしれない、と、これは(…)さんがすでに去って(…)さんとふたりで話しているときに出た話題だった。じぶんにしたところで(…)さんにしたところで(…)さんにしたところで、はいはいそうですねと流すことのできる(…)さんのほとんど無垢といっていいほど羞恥とも疑義とも無縁の自己アピールというか自慢話というか要するにおれってすごいやつでしょみんなおれのことすごいと思うでしょみんなおれに一目置くでしょみたいなみんなおれにみたいなことできないでしょというメッセージの発信にたいして、やかましいわこの小物がしゃらくせえやっちゃのあんまりいちびっとると刺すぞボケがみたいな感じで(…)さんはおそらくイライラしている、それがわれわれのくだした暫定的な結論であった。(…)さんはそのまましばらく職場に残っていたのだけれどこちらとしてはむしろいまはもうすこし(…)さんと話したいことがあったというか、(…)さんと共有しておきたい事柄と聞き出しておきたい情報がまだまだあったので話が中断されてしまったのは残念だった。(…)さんは帰るまぎわになってじつをいうと先日(…)さんが財布のなかに入っていた金が5000円ほど少なくなっている、どう計算してみてもおかしい、足りないと漏らしていたといい、金銭にまつわる怒りといったらそれくらいしか思いつくところはないのだけれどと言っていたのだけれど、すると(…)さんがさすがに(…)さんでもそんなことはしないでしょ、それってひととして最悪のふるまいですからねと即答して、よくもまあそこまでなにひとつ躊躇いもなくいえるものだなとかえって感心したのだけれど(…)さんにしたところで(…)さんの手癖について情報を共有したその直後にこのような話題をもちだすのであるからある意味そうとう皮肉な策士であるというかそれともアレか、ただの天然ただの無思慮にすぎないんだろうか。過去に従業員の財布から金が抜かれたというケースは何度もあったと(…)さんは言っていた。(…)さんはなんとなくここの従業員の金を抜くようなことはしなさそうな気がするというのはじぶんと(…)さんの共通見解ではあるのだけれど、それでもたとえば(…)さんはツレの(…)さんの財布からかつて金をバンバン抜いていたと語っていたことがあるし職場の備品もちょいちょいパクっているし、そういう事実と先日(…)さんの口にした「手癖だけは人間ぜったいになおらない」という言葉が重なるところもあったりして、ちょっとこれまで無頓着に鞄も財布も放りっぱなしにしすぎていたかな、もうちょっと気をつけることにしようかな、せめて財布の中にどれだけ入っているかだけでも出勤時にチェックするようにしようかなと、そういうことを考えざるをえない環境であることがまず馬鹿馬鹿しくアホらしく、(…)さん風にいうと、頭がおかしくなってくる。(…)さんは福岡にいる親戚に会いにいく用事ができた、それだから今日の予定はちょっとダメになったのだといった。福岡に用事があるといっていた別の日(…)さんの働く店に電話をかけると店のママから(…)さんいまいるよという返事のあったことがあると(…)さんは寿司屋で(…)さんに語ったという。そんなこといちいち詮索せえへんでもええやんと(…)さんは呆れ顔で言っていた。完全に同意だった。(…)くんって変に女々しいところあるやろ、えらい詮索ばっかりしたりな、とかつて(…)さんが言っていたのを思い出した。どうでもいい詮索はしないにかぎる、トラブルの芽になるわけだから、と(…)さんは続けた、知らないですませておくのできることは知らないままですませておけばいいのだ、そうすれば事は平和に運ぶのだから、知ってしまうからトラブルになるのだ。知恵の実のエピソードをいやおうなく想起させるその言葉はしかし(…)さん自身の浮気にかんする言明の途中にさしはさまれた言葉であった。
だれかとだれかの間には常にだれかが立つはめになるというほとんど節操ないといっていいほど複雑な人間関係の濃密な網の目にからみとられてだれもがみんな疲弊しきっている。こと職場の人間関係だけにかぎっていうならば(…)さんに消えてもらうのがいちばん早いというのはだれもがみんなわかっていることではあるのだけれど、またもや(…)さんの言葉を借りるならば、(…)くんってああいうふうなくせに妙なところで猫になったりするやろ。イエス。鬱陶しいしうざったいことに間違いはないんだけれどだからといって切り捨てたり見放したりしようという気にはなかなかさせてくれないところがあるんだよな、しかたないし付き合ってやろうか助けてやろうかと思わされてしまうこともやはりあるんだよなと、これもまた完全に同意である。
いろいろまいったまいったと思いながら帰宅し、コンビニとスーパーでかきあつめた総菜をおともに酩酊して『ポニョ』をながめながら死んだ。