20131021

まじめに言って、服従する者はたいてい命令者のように見えることが多い。従者は主人が身につけている仮面と態度を受け入れるほかにどうしようもなく、そうすることでそうしたものをいわば忠実に伝えていくのだ。
(ローベルト・ヴァルザー/若林恵・訳「ヤーコプ・フォン・グンテン」)



夢。(…)さんと(…)さんの三人で山を歩いている。頂上にのぼったあとの帰り道らしい。(…)さんは(…)さんとならんで歩くこちらの前方十メートルほどのところをひとりで歩いている。崖をはさんだ遠方になにかの建物の骨組みらしいものがそびえたっているのを指さして、もうすぐコンビニができるのだ、これでまた自然が失われてしまうと(…)さんが慨嘆してみせるのに、このひとは(…)さんとはまるっきり正反対の政治思想の持ち主だなと改めて思う。(…)さんがアジア系の外国人少女を連れて前方からこちらに引き返してくる。少女は何者かに追われているらしい。(…)さんは持ち前の英雄願望からおれが助けてやらないとと懸命の表情である。うすよごれた身なりの少女にむけて、(…)さんとそろって英語で話しかける。少女は朝からパンひとつしか食べていないらしい。ひざをついて少女の目線とみずからの目線の高さをあわせて語りかけていた(…)さんのその頭頂部にむけてひとりの男が片手ににぎりしめた拳銃の銃床をふりおろす。その場に無言で倒れこむ(…)さんの背後に数名のマフィアが立ちならんでいるのが見える。少女をさらおうとしていたわけではない、ただ彼女が困っているのであれば助けてやろうと思っただけなのだ、と英語で必死に主張しているこちらにむけて男が銃口をむける。引き金を引く。発砲音がする。硝煙もたつ。しかし銃弾は発射されない。失敗したのだ、と思う。失敗したのであれば修正しなければならない。ワードファイルが展開され、一連の出来事がかきしるされている脚本の草稿らしきものがあらわれる。発砲のくだりをチェックすると、数文字カタカナで表記された拳銃の名前が九十度かたむいているのを見つけたので、これがエラーの原因かとおもって即刻修正にとりかかる。
10時半起床。いちど7時半だったかに目が覚めたのだが猛烈な眠気にこれはダメだとなって二度寝した。その二度寝にあたって夢を見た。完璧な筋書きのためには自らの命を引き換えにしてもかまわないらしい終盤の展開は、みずからのパッションによって焼死しかねぬじぶんの在り方、より卑近な例にひきつけていうならば重度の腰痛にもかかわらずデスクにむかうことをやめられずにいるおのれの現状とかすかにだぶる。意味づけされた夢ほど退屈なものはないが。意味が欲しいなら夢など見るな。
昨日付けのブログを書き足しているところに母親から電話がありいま烏丸五条だからというのだけれどiphoneをナビ代わりにしてこちらにむかっているようであるしわざわざおもてに出る必要もなさそうなのでひきつづき書き足し、書き終え、ウェブにアップするか否かというところで玄関の引き戸のガラガラガラと開く音がたった。救援物資はインスタントコーヒーとチョコレート。コーヒーはこの二週間ほど平均して一日七杯は確実に飲んでいるそのためにどんどん減っていくものだからとても助かる。あとは例のごとく祖父からの贈りものとしてどんごろすいっぱいの玄米もゲットした。米代をはらわずにすむというのはありがたい。これだけでぐっと食費が浮く。嵐山のほうにある土産物屋で購入した蚕の絹糸でつくられたお地蔵さんの置物を母にプレゼントした。これはちかごろうちの母親がお地蔵さんグッズの収集に凝りはじめていると知った(…)がプレゼントにといって購入したものである、んではなかった、購入するというのでわかったわかったでも金はおれが出すといって身銭を切ったものであったはずであるが、いずれにせよ(…)からのプレゼントであるといって手渡した。母は(…)に渡しそびれているプレゼントがあるといった。職場の関係者だったかにもらった切り絵かなにかで母の話伝いに(…)の存在をしったそのひとがわざわざ外国人だったら喜ぶだろうからといってくれたものらしいのだけれど、沖縄から戻ってきてからもういちど実家のほうにむかうという当初の計画が立ち消えになってしまったために手渡すことができずに終わったのだった。伏見稲荷に行くという話を聞いていたのだけれど結局それはまたの機会にまわして今日は建仁寺に行く予定なのだと母はいった。(…)の件でいろいろ迷惑もかけたし大家さんにお土産をもってきたのだけれどというその手には例のごとく赤福がさげられていた。95歳に赤福餅という組み合わせにはある種の懸念がつきまとわざるをえないのだが、しかし過去に何度かプレゼントしているのでたぶん問題ない。母を連れて大家さんのところに行くと息子さんが奥の間で客人らしいだれかと話していて、その席に大家さんも同席しているらしかった。土産をさしだすとお返しにといってお菓子をくれたのだけれど後で見てみると式年遷宮関係のものだった。お菓子はかつての下宿人で現在奈良に在住しているひとがわざわざ送ってきてくれたものらしく、すでに箱をあけていくつか食べてしまったのだけれどそれでもよかったらという話だった。父親の運転席で待っている車に乗り込むとわざわざ大家さんが見送りにやってきてくれた。ぜったい10個か20個は歳かんちがいしとるやろ、あんな95歳ありえへんと母はいった。
京都観光マップ的な雑誌を母は購入したらしくそのなかに掲載されている京野菜のビュッフェレストランに行きたいといった。マップを見るとどうやら新風館に入っているレストランらしかった。ここなら迷うことなくガイドできると思ったのでそんじゃあ行こうかということになった。車中、祖父が補聴器を購入したという話を聞いた。以後みるみるうちに生気が戻ったのだという。最近の祖父の様子から察するに今年中かあるいは来年にはもう死ぬんでないかと母と弟は考えていたらしいのだけれど(父「おまえらなんちゅうひとでなしや」)、聴力をとりもどすことで外部からの刺激が増大したそのためなのか、一時期の弱々しい印象はすっかり遠のき、これで寿命が三年はのびたんでないかと母はいう。祖父は補聴器をとりつけてもらった耳鼻科の待合室にもどったとき、そこではじめて院内に流れるBGMに気がついたらしいのだが、最初それは補聴器そのものから流れるメロディか何かだと思ったらしい。母の運転する車に乗っているときも、指示器の出すカッチカッチいう音を耳にして、こんな音が前々からしていたのかと驚いた様子だったという。
六角堂という寺に隣接するパーキングエリアに車を止めてそこから歩いて新風館にむかった。(…)のぶっとびエピソードを披露するたびにあの子ほんまにすごいなと両親は笑った。(…)をともなっての三度目の帰省が立ち消えになったと聞いたとき、弟はあー助かったと口にしたらしい。レストランでは延々と野菜を喰らい続けた。上々だった。野菜だけで満腹になるというのはたいへん贅沢な話だと思う。なか卯の衣笠丼ばかり食べてないでここにこそ(…)を連れてくるべきだったと思った。食事を終えたあとにもののついでだということで六角堂にもたちよった。周囲を背の高いビルにかこまれたすごい立地だった。境内には鳩がたくさんいた。ひとに慣れきっているらしく近づいても逃げない。それどころか地面にうずくまって眠っているものらまでいた(鳥が地面で眠っている姿を見るのはこれがはじめてだった)。コンクリートでかためられた池には白鳥が三羽ほどいた。噛みつくことがあるので手を近づけないでくださいという注意書きがあった。白鳥とはこんなにも大きなものなのかと感心した。泳ぐときには尻のあたりにひきあげた足をたたんで羽毛のなかに埋もれさせるようにしていた。足といえば眠りこける鳩どもを観察した結果、やつらは睡眠時どうも常に片足立ちらしいぞと父が興奮して語る一幕もあった。フラミンゴと同じだと思った。鳩の群れのなかには二羽ほど全体的に白っぽい色づきをした羽毛をもつものたちがいた。白鳥がこんなにもせまい池にとどまって逃げようとしないのはなぜだろうと口にすると、餌には困らないし外敵もいないからだろうと両親のいずれかがいった。しかし風切羽を切断してしまっているという可能性も考えられなくはない。池のなかには鯉もいた。どれもこれも信じられないくらいに丸々と肥え太った個体だった。池のそばには由来を説明する立て札がたっていた。聖徳太子がここで沐浴したというようなことが書かれていた。1500年ものむかしにたてられた寺院が別段大々的にフィーチャーされるでもなくビルに谷間にごく自然にぽつねんとただそこにある、これが京都だと思った。いちど図書館まで散歩がてら歩いて出かけたとき、ほんとうになんでもない歩道のそばにいきなり紫式部の墓ときざまれた石碑があらわれたときのあの驚きとよく似ていた。
それから建仁寺にむかった。風神雷神の屏風と阿吽の龍の天井画を見た。天井画の迫力にも圧倒されたが、なによりも印象にのこったのは建仁寺という建築物、というかその間取りだった。あきらかにほかの寺院とは一風ことなった間取りになっていて、なんならモダンですらある。龍の天井画はここ十年かそこらでとりつけられたばかりのものらしいし、いくらか異質な寺院の間取り含めて、ここは比較的先進的な、というか攻めの姿勢の空気が息づいている寺院であったりするのかもしれないと父と話した。由来もなにも知らないうえでの勝手な想像にすぎないが。
建仁寺をあとにするとすでに16時をまわっていた。もうひとつ寺院仏閣をおとずれるにはすでに遅すぎた。帰宅した。帰宅したもののこれで解散となればいくらかあっさりしすぎているというか、わざわざ京都くんだりまで来た甲斐もないというアレがあったのか、どうせ車があるのだしなにかおおきな買い物でもないのかとしきりにたずねるので、それじゃあとりあえずダイヤモンドシティにでも連れていってくれとたのんだ。イトメンのチャンポンメンがそこでなら購入できるという話をずっと以前(…)より聞いたことがあったのだが、しかし結論からいうとブツは手に入らなかった。しかたないのでかわりにスガキヤの袋麺を購入した。いちばんの目的は書店のチェックだったのだが、シリウスは残念ながらここでも見つけられなかった。きっぱりあきらめたほうがいいのかもしれない。
アパートの前で両親と別れた。部屋にもどってから買い与えられた寿司を食い、仮眠をとろうかどうかと迷ったあげく、『天使のおそれ』の抜き書きがまだ終わっていないことを思い出したので、抜き書きごときに冴えた意識は必要はないという結論から逃現郷にむかうことにした。部屋を出るまぎわに大家さんがやってきて例のごとくいつでもシャワーを浴びてくださいとわざわざ律儀に報告に来た。明日は時代祭であるしそれ目的でご両親はやって来られたのだと思っていたのだがという言葉に、そういえば(…)さんが火曜日に時代祭があるというようなことをいっていたなと思い出した。時代祭の見物にはいまだに出かけたことがない。気がのれば明日見学にいってこようと思った。
抜き書きを終えてからここまで日記を書き記した。22時半だった。それから『A』の最終稿チェックをはじめた。漢字を開いたのは正解だった。しかしなかにはここは開く必要などなかったのではないかと思われる箇所もあるし、反対にここも開いておくべきではないかと思われる箇所もある。攻略できた難所もあれば、あいかわらずぴったりこないままの難所もある。むずかしい。本当にこれが最終チェックなのだろうかと疑う節すらある。
とちゅうで(…)さんがやって来たので、ひさしぶりに小一時間ほどおしゃべりした。交通事故をきっかけに代行運転の仕事は辞めてしまったらしく、いまは本業とバイトをかけもちしてやりくりしているらしかったが、もうすこし稼ぐ必要があるとのことでなにかいいバイトはないかとたずねられたものだから、じぶんの職場の系列店が人員不足だったはずなのでけっこうしんどいとは思いますけどと断りつつもそちらをすすめてみた。したらぜんぜんかまわないという話だったので、面接希望者がいるんですけどとひとまず(…)さんにメールを入れておいた。それからうちの職場の同僚がいかにどうしようもないかということをいくつかの実例をあげて説明したり、二年前にボランティアで時代祭の仮装をさせられたという(…)さんの体験談を聞いたりした。(…)さんはいまビオトープ管理士という資格を取得すべく勉強中だといっていた。ビオトープ管理士という言葉をさいしょ病棟管理士と空耳した。深夜の病院で宿直するために必要な資格なのかと思い、ひょっとするとそれってうまく仕事にありつけたらかなりラクチンで内職し放題なんではなかろうかと考えたりもした。(…)さんの息子は私大の理系学部に所属しているらしく、院にも行くつもりらしい。となると金がかかる。学費が免除になる成績優秀者というのは上位3%らしいのだけれど、(…)さんの息子さんはその3%の壁をつきやぶれずだいたいいつも5%付近に位置しているという話だった。底辺をさまよっているのであれば期待することもないけれど、そのレベルまで達しているのであればたとえば四年間のうちせめて一年間でも免除の領域に達せればと、そりゃまあ期待してしまいますよねという話である。とうとうアーロンチェアを購入したといったらびっくりされた。二年越しの願いやもんなと(…)さんにいわれて、そういえばアーロンチェアの存在を知ったのはたしか(…)さん契機であったなと思った。なにせ机にむかう時間が長い。ジョギングや筋トレでは誤摩化しようのないレベルまで身体に負担がかかりはじめているのだ。この買い物は不可避である。
1時に帰宅した。パンの耳を食い風呂に入ってストレッチをしてちょっとだけ本を読んで寝た。