20131121

サミュエル・バトラーの辛辣な冗談に、もし頭痛が陶酔のあとじゃなくて先にきてたら、アル中は一種の美徳になって、厳格な神秘家たちが一生けんめいそれに精進するだろうっていうのもあるぞ。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「メタローグ:中毒」)



12時起床。10時にいちど起きたのだけれどもうあと30分とめざまし延長して二度寝。10時半にふたたび起きるももうすこしもうすこしとめざましセットせず三度寝。気づけば昼。さいきん気づいたのだけれど木曜日に腐れ大寝坊をすることがとても多い気がする。ストレッチ。洗濯。パンの耳2枚とバナナとヨーグルトとクリームチーズとコーヒー。右ふとももに蕁麻疹が認められたのでアレグラ服用(13時半)。前回同様36時間周期。夏服を押し入れに片付けるまえに洗いなおしておこうと思って薄手のズボンのロールアップしてある部分をくるくる元に戻していたら沖縄の砂がパラパラパラーと畳のうえにちらばってOMGとなった。あの夏、いちばん愚かな海。
14時より「A」推敲。17時、麻痺ゆえにいったん切り上げた。39/53枚。ぶつくさやりながら買い出し。帰宅後筋トレ。腹筋をいじめぬく。腰痛には背筋よりも腹筋を鍛えるほうが大事なのだと、これは腰痛歴の長い(…)さんと物知りの(…)さんの双方が言っていたのでおそらくそういうことなのだろう。そういうことにしておいていじめぬく。
玄米、納豆、冷や奴、永谷園のインスタントのまつたけ吸い物、鶏胸肉とブロッコリーとピーマンをマヨネーズと醤油と塩こしょうと砂糖で適当に炒めたどうでもいい夕飯をかっ喰らったのち、起床したのが遅かったことであるし仮眠は必要あるまいと決めてシャワーを浴びてからストレッチをして(…)に出かけた。到着したのはたしか21時半ごろだったと思うが、2時近くまでぶっ通しで推敲した。アホほど集中しまくっていたので時計をまったく見ずにいたらえらい時間になっていたので驚いた。ひとの気配がだんだん少なくなってきたことであるしそろそろ0時かなと我に返って時計に目を遣ってみたところ2時みたいなアレで、今日は全体的に長居のお客さんが多い日らしかった。「A」の難所は計16箇所。難所とかいいつつもこんなのたぶん傍から見ればしごくどうでもよろしいみたいなアレなんだろうけれど引っかかるものは引っかかる。たとえば今日おおきく手をいれなおしたひとつに

 父が大樹と比せられるならば、シシトはむしろ蔓のような男だった。体格のへだたりが比喩の主柱であることはさることながら、太刀より弓を好み、同じ弓でも音を奏でるほうのそれを好むという性向の異同もあった。リズムというよりは旋律、詩というよりは修辞のひとであった。それでも戦とあれば一族の名にふさわしい戦果をあげてみせるところに、たくましい血の流れが感じられた。先の一戦においても一介の騎士として前線にたつことをみずから志願し、比較的戦火の下火であった地域に配備されていたとはいえ、地平線の裏側にひそむ夜を満たしてあふれはじめた曙光がそのかんばせに流された血の赤ごと赫灼と大地を染めぬいてから次なる地平線にむけてみずからを洗いながしていくまでのあいだ、戦陣を一歩も離れず淡々と矢を放ちつづけては敵兵の心臓を五十も六十も射ぬいたという連日の武勲が声高に謳われていたし、南中の太陽めがけて射られた矢が丸一昼夜かけて巨大な放物線を描いたのち、海上からはるばる指揮をとっていた敵軍の副隊長の頭蓋を鉄兜ごと垂直に射ぬいたという神話の所業じみた武勇伝がまことしやかにささやかれてもいた。

というくだりがあるのだけれどここの《巨大な放物線を描いたのち》のあとにくる読点がすごくしっくりこなくてこれを打ったり消したり打ったり消したりくりかえしていたりして、これきりないなーと思ったから《声高に謳われていたし》のあとに「あるいはまた、」というつなぎを挿入してみることによって《巨大な放物線〜》のあとの読点の必要不要がはっきりするんでないかと試してみたりもしたのだけれど、そんなふうに「あるいはまた」を挿入してみると今度は別の点が、すなわち「まことしやかにささやかれてもいた」という述部がどうも物足りないというかしっくりこない気がしてそれじゃあこれ「あるいはまた」のかわりに「それにまた」にしてみようか、それだったら述部とうまくカチっとはまってくれるんでないか、みたいな感じでいろいろ試してみるのだけれどどれもこれも100%の手応えを与えてくれないので試行錯誤しているうちに頭がバグってきて麻痺におちいりゲーっとなってしまう。あるいは、

鈴の音ひとつ許さぬ白々とした静寂が昼もなく夜もなく降りしきる大広間はだだっぴろくがらんどうとしており、壁ぎわには四階にまで達する吹きぬけをそのまま背丈とする巨大な騎士の立像が正面に剣をたずさえた姿勢を断乎として崩さぬまま、たがいに真っ向からむかいあうかたちでたちならんでいた。立像は代々の領主をかたどったものらしく、アルシドの独立を宣言する以前は代替わりするたびにあらたに建造されたということであったが、それほどまでに巨大なものをいったいどのようにして館に運びこんだものか、風習の廃れたいまとなってはだれひとり知るものはなかった。大広間はいたるところに設えられたランプによってくまなく照らされており、尽くされたひかりはまばゆく、蠅の影の忍びこむ余地もないほどだったが、本来ならばこのうえなく豪奢な印象をともなうはずのそうした可視性も、生きた墓場のような館のしずけさのうちにあってはむしろ逃げ場のどこにも見当たらぬ不気味にはなやかな閉塞感、死角のことごとくが漂白されたおそるべき八方ふさがりとして結実するようであり、磨きあげられた大理石に滴りおちる黄金色の光彩がなめらかにはねかえり、風のある日の木漏れ日のようにたえまなくゆれては輝かしくせめぎあうその逐一がまったくの無音のもとではじまりもなくおわりもなく亡霊の手まねきのようにくりかえされるさまは、島の老人らがしきりに口にするいささか抹香臭い教訓、明るみの既知にこそ暗がりの未知がひそむという古ぼけた金言のたぐいに差し色を添えるもののごとく思われた。高みからふりそそぐ瞳の欠けた騎士の睥睨を左右に受けながら、亜人はその大広間を足音ひとつたてずに、むしろ沈黙をより厳かにきわだたせるつつましさでうつろに徘徊した。好奇心や探究心とはおよそ無縁の、強いられるのでもなければ試みるのでもない、意味も目的ももたぬ、因果の鎖からはぐれた行為ならぬ行為としての徘徊だった。自覚の範疇から遠くへだたり、認識の手がとどくこともなければその意味が問いの俎上にあげられることもない、だれの欲望にも基づかぬ非人称の矢印こそがその推進力であった。歩みは常に一定で、いくらか鈍重でさえあり、腕をあげたり足を踏みだしたりするだけのなんでもない身ぶりひとつとっても人間には常に表情というものがつきまとうのだということが逆説的に理解されるような徹底した無表情性によって、あますところなく律されているように見えた。背を軽く曲げ、首を前に突きだし、足音ひとつたてずにさまよい歩くそのさまは冒険者の探索というより幽霊の彷徨のようであり、まぼろしに誘導される夢遊病者のようでもあった。ときおりなにかに耳をすませるかのようにしてたちどまることもあったが、真意は読みとれなかった。真意そのものの欠落を思わせぬところに、あてどないその歩みを機械じかけの産物として看過することを許さぬあやしげな余白が嗅ぎわけられた。

このくだりの《おそるべき八方ふさがりとして結実するようであり》の「ようであり」といういくらか無理のあるつなぎかた、本来ならここで一文区切るべきだろうにうまい文末が思い浮かばないそのせいで必然性もないまま次の文に引き継いでしまうこのやりくちであったり、あるいは《逆説的に理解されるような徹底した無表情性によって》のあとに続く読点などがどうにも気にくわない。要するに90〜95%には達しているのだけれど決して100%の正解をつかみきってはいないこの手のくだりが計16箇所あってそれにうんぬん悩まされているのだけれど、こうやって具体的に細部を指摘して書いてみるとなんかじぶんがほとんど狂人めいた完璧主義者であるような気がしてアホらしくなってきた。
兄からMacBookAirを譲ってもらうということでこれ実質10万円浮いたようなものであるし、今年の冬は財布とあたらしい眼鏡を買おう。両者とも必需品ではないけれどもしかし財布はあんたそれいい加減どうにかしたほうがいいと(…)から指摘されつづけているほどボロッボロに汚いしなんだったら(…)からもあなたあたらしい財布買ったほうがいいわよわたしが見繕ってあげるといわれたほどアレだからまあ潮時だというかこれたぶん京都に来て最初の冬に購入したもののはずだからもう9年使い続けているわけか。めがねは月給7万円のくせに4万円も出して購入したやつなのだけれど度があわなくなってきているしタイプの違うものがちょっと欲しくなってきているのでいいフレームのものがあればという条件付きで買いたい。おじいちゃんがかけているようなやつがほしい。あとはバグりかけているiPodと断線しかけているヘッドホンもいずれ買い替えなければならない。両者ともにもう五年くらいフルに使いつづけている。