20140113

 さらに、カントは美が対象に対する没関心性において見いだされるといっている。それはいわば、関心を括弧に入れることである。いかなる関心か? 知的・道徳的関心である。われわれはある対象に対して、真か偽か、善か悪か、快か不快かという、少なくとも三つの領域で同時にそれを受けとめる。通常、それらは混然と錯綜している。或るものが芸術作品となるのは、他の関心を括弧に入れてそれを享受することによってである。しかし、カントが趣味判断の特性としたことは、認識に関しても道徳に関してもあてはまる。近代の科学では、対象認識において、道徳的・美的判断は括弧に入れなければならない。同様に、カントは道徳に関しても「純粋化」を試みる。道徳的領域は快や幸福を括弧に入れることによって存在するのである。むろん、それらを括弧に入れることはそれらを否定することではない。
(柄谷行人トランスクリティーク――カントとマルクス――』)



6時半起床。ストレッチ。トーストとヨーグルトの朝食。8時より12時間の奴隷労働。三日ほど前から続いている今期いちばんのこの寒気にいたってはじめて朝早い出勤時にはヒートテックのタイツを履くようになったのだけれどこれは例年にくらべるとても遅いように思われて今年の冬はひょっとするとけっこうな暖冬なんではないかと疑いつつあってでも去年にくらべると体に肉が巻いている分寒さに強くなっただけなのかもしれないとも同時に考えていたのだけれど同僚もみんな口をそろえて今年はマシだというのでやはり暖冬なんだろう少なくとも京都はと思う。
忘年会のビンゴで当てた景品のシェイプアップシューズなるものがあって持っていてもゴミにしかならないしどうしようかと思っていたのだけれど捨てるのであればちょうだいと(…)さんに頼まれていてでも忘れたままになっていたのを先日の大掃除のときに現品を目の当たりにして思い出してというところに昨日(…)さんから例のサンダルはまだあるのとたずねられたのでそれじゃあ明日持ってきますねとかわした約束を踏襲するかたちで今日持ってきたその物品を更衣室に入ろうとする(…)さんを呼びとめて手渡すとお礼にカップ焼きそばをくれたので昼飯に食した。
出勤時刻になっても(…)さんがあらわれないので電話をかけるとねぼけた声の返事があったので一時間以内に来てくださいと伝えたのだけれど一時間半経ってもやって来ないのでこりゃ二度寝したなと話し合っていたところにむこうから電話がありごめん今日は休ませてほしいとあってなんでも昨日は朝方の6時ごろまで木屋町で飲んでいたらしく要するに重度の二日酔いであった。二日酔いで欠勤とかかっこええ理由やんと苦笑いでこぼす(…)さんの苦々しい笑みを前にしたとたんああこのひといま完全に(…)さんのことを見切ったなと察せられてそれと同時にこの表情については思い当たる節があるというかおのれの表情を視認する機会など原則的にありえないのだからこれはほとんど直感的な思い込みに類するものだというべきなのかもしれないけれどそこで(…)さんの浮かべた表情というのはじぶんも少なからずというかしばしば浮かべることのあるものだと心の深いところで感じた。(…)さんが来ないとなると(…)さんと(…)さんの二人だけで日曜日の客入りを片付けていかなければならないわけでこれは端的にいってかなりしんどい事態であるはずなのだけれども当のふたりはむしろ(…)さんの欠勤を受けてよろこびの表情を浮かべるほどでその不在をこんなふうに周囲からありがたがられる存在になったら終わりだなと(…)さんとしみじみ語り合った。
系列店の従業員から電話があっていまそっちに軽自動車がむかっていませんかというのだけれど受話器を受けながらこちらが目線を送り出していた先にある色あせたモニターの中にはいままさに軽自動車が入りこんできた駐車場の風景が映し出されているところでいまちょうど一台入ってきたところですと伝えるとその車に乗っているおばさんには気をつけるべきだとの忠告があってなんでもいちど入室したあとに荷物を忘れたといって車に戻ろうとするらしいのだけれどそこでペットの小型犬をつれてふたたび部屋に入りこもうとするらしくもちろんペット連れはお断りの方針なのでその場合は断固として帰ってもらうことになるのだけれどちょっと頭のおかしいひとだからいろいろと面倒くさいことになるのだという。わかりましたそれじゃあなんとかして追い返すことにしますと応じて念のために教えられた車のナンバーなどをメモ帳に記入しているあいだにくだんの軽自動車は駐車場から出ていきそして二度ともどってくることはなかった。
昨日の埋め合わせに今日はどうだろうかと思って(…)に連絡をとってみたところ曾祖母が亡くなって急遽帰省しているのだという返答があり場合によっては夜までには京都に戻れるかもしれないということだったのでそれじゃあ戻ってこれるようであれば食事にいこうということにいったんなりはしたのであったけれど結局こちらが仕事を終える二時間前になっても(…)はいまだ地元でそれだからまた来週というふうに流れた。
昨日にひきつづき今日も暇をぬっては瞬間英作文をして暇という暇はなかったというかむしろかなりいそがしかったので分量としてはたいしたことないのだけれどそれでも二日連続でまがりなりにも英語のトレーニングをしてみると(…)の来日を間近にひかえた毎日が英語漬けだった一時期の脳内の回路がそのまま復元されていくかのようであっていまはっきりと頭が英語向けに切り替わりつつあるとのとても具体的な感触さえ得られるのだけれど切り替わってしまえば切り替わってしまったで今度は日本語での作文というかもっと具体的に「偶景」執筆にたいする注意力と関心が薄らいでいくのもはっきりわかってできればこれらふたつの営みをスイッチを切り替えるようにして両立させるのではなく両者の重なる範囲内で共立させたいと思うのだけれどそんなふうな抽象的な見取り図をひろげることができたところでそこから浮かびあがる具体的な方策はひとつもない。
蕁麻疹のスーパーで購入した半額品のローストチキンにとろけるチーズをのせて温めたものと納豆と冷や奴とインスタントのみそ汁の夕食をとったのち風呂に入ったのだけれど今日は週に二度の浴槽にあらたに湯の張られる曜日であってしかも一番風呂の特権にありつけることができたのでここ数日の寒気のためにすっかりひいたと思っていた腰痛のかすかにうずくような気配をふたたび彼方に追いやるためにもゆっくりと浸かって体の芯まであたたまった。風呂から出て服を着て部屋にもどろうとしたところであらわれた大家さんからミカンを手渡されたとたんというかより正確にいうならばこちらに手渡すミカンを両手のひらにすくうようにして持ってよちよちとこちらにむけて歩いてくるガラス戸越しの大家さんの姿を目にしたとたんに不意に極まりかけるものがあってこの生活すべてにたいするいとおしさを瞬時に覚えたのであったのだけれどそれは風呂にゆっくりと浸かって体の芯まであたたまっていたそのためにおもてに出ても真冬の外気が寒いどころか肌にここちよいさわやかな涼気のようなものとして感じられたその錯覚がそのまま春を目前に控えた冬の日の高揚感に連絡した結果としてわきあがあったものなのかもしれない。ことの次第を追う論理よりも力強くありありとこの生を駆動させてくれるそのような恍惚だけがおそらくは愛と呼ばれうる資格をそなえている現象のようにも思われるのだがかりにそうだとするなら愛とはけっしてだれとも共有することのできないものでありそしてその事実はいかなる悲しみとも無縁である。
風邪薬と胃薬をコーヒーで流しこむという背反を犯したあとは眠くなるまでのひとときをたまっていた抜き書きに捧げようと考えて柄谷行人トランスクリティーク』を開いてカタカタと打ち込みつづけて2時になったところできりあげた。これからはもう一分たりとも無駄にはしまいと強く思った。心に決めた。最近は少々たるみすぎだった。もっと時間割に忠実に、そしてすぎさる時にたいして貪欲に生きなければならない。
夏に自転車をくれた(…)さんが意中にある(…)さんとの進展具合について(…)さんから茶々をいれられている現場に今日偶然同席することになったのでこちらからもやはりそれ相応の茶々を入れるなどしていたのだけれどそのような戯れの去りぎわに(…)さんがでもそれがわたしの生き甲斐やけんととびきりの笑顔ではっきり言い残してむろんその一言のなかに認められる指示代名詞それが指し示しているのはほかでもない(…)さんにたいする恋心であるのだけれどまがりなりにも二十歳をすぎた成人でありこの春には関東にでて社会人になるひとりの女性がそれでいてなにかしらの関係を結ぶにいたったわけでもぜんぜんない男にたいする残された時間のわずかな過渡期の埋め合わせみたいなものとしてあるであろう内心では割り切られているはずの恋心にたいしてそれでも生き甲斐という大文字の言葉を使ってみせたというその事実がありがちな自己陶酔をさっぴいてもなおとても印象深く鮮烈なものとしてせまりくる。あるいはありがちな自己陶酔であることを自覚することすら不可能にしてしまう盲目性こそがいわゆる恋の盲目性なのかもしれないというふうにも考えられるのは悩みを打ち明けているつもりの本人の言葉が第三者の距離からはのろけとしか聞こえないという身におぼえのないこともないおそるべき事実とも符号するようであるのだけれどいずれにせよあの瞬間彼女の口から発せられた生き甲斐という言葉にほとんど動揺するくらい感動しているじぶんがいたことを否定することはできずその動揺を頭のなかでいろいろに転がしながら床に着いた。