20140322

ひとは自分にできることをするのであって、自分がしたいと思うことをするわけじゃないのです。あるいはまた、自分がもっている力をもとにして、自分がしたいと思うことをするのです。自分の映画を一時間三十分の長さにおさめなければならないのなら、歎き悲しみながら、《いや、俺は少しも短くしないぞ》と言って頑張るよりはむしろ、短くしなければならないという現実を――ほかから強制されたものとしてではなく――認めるべきなのです。それというのも、リズムというのは、ある制約と、ある一定の時間のなかでその制約を自分のものにしようとすることのなかから生まれるからです。リズムというのは、スタイルから……制約とのぶつかりあいのなかでつくりあげられるスタイルから生まれるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

でも私はどうかと言えば、私はいつも、なされていないことをしようとばかりしていました。《だれもそれをしようとしないのなら、ぼくがそれをすることにしよう》というわけです。というのも、すでになされていることなら、なにも私が手を出す必要はないからです。結果がいいものになるかどうかは、大して重要じゃありません。とにかく、むしろなされていないことをしようというわけです。アイディアを見つけるというのは難しいことじゃありません。実業家は金をもうけるためには、ほかの人たちがしていることを観察し、ついで、ほかの人たちがしていないことをすればいいわけで、それと同じなのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 5時半起床。前日分のブログの続きを書き記してアップするために早起きした(ブロガーの朝は早い!)。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとりながらメールボックスをチェックしてみるとSからメールが届いていた。おどろいた。じつに二カ月ぶりの音沙汰である。きのうTさんからあれ以後もSとは連絡をとっているのかとたずねられたばかりだった。年明けにメールしたのが最後だと応じたその矢先にこれだ。あいかわらずこわいタイミングでアプローチを仕掛けてくる。
 最後におしゃべりしてからずいぶんになるわね、とあった。それから、あなたのことを考えるととてもつらい、というような文意が、破綻した文法と“i had the heavy stone”という比喩をともなって続けられていた。困難と“heart breaking moments”があった、でも同時にすばらしい時間もあったはずだ、記憶のなかでわたしたちの過ごした日々はまるで昨日のようにみえる、あなたがあなたの一生をwritingに捧げていること、そうしてわたしたちのあいだにはもうなにも起こらないということを理解した、だからこそわたしはもういちどあなたとの友情をとりもどしたい、そうして以前みたいにときどきはスカイプでおしゃべりがしたい。“Wishing the sweetest moments in your life,”とあり、“Kisses”とあり、彼女のファーストネームがあり、それから空行のあとに丸括弧にくくられたかたちで“Would be lovely if you visit London”とあった。
 家を出た。日が高かった。9月の空によく似た色合いだと自転車で坂をくだりながら思った。鴨川のベンチに寝そべりながら本を読んだ晩夏と初秋の谷間に埋もれたしずかな日々を思った。あの日々に認めた空の色と、感傷を差っ引いてもよく似ていると思った。彼女はこちらがロンドンをおとずれることを期待しているのは明白だった。最初の夏は旅先の異国で、二年目はこちらの国で、となれば三年目はむこうの国しかないという単純な運びだった。たしかにわれわれはもういちどいつかどこかで再会することになるだろうという予感を持った。それもおのおののタイミングで、おのおのの確信とともに。しかし再会はほんとうにこのタイミングが適当なのか? この夏なのか? そうではない気がする。いくらなんでも早すぎる。まだ思い出が美化されきっていない。視線をさかのぼらせれば、とげとげしくざらつく細部もたちまちよみがえる。いまはまだ気持ちよく会うことができない。ロンドンには行けない。
 けれども英語でSとおしゃべりすることができればどれだけいいだろうとは思う。勉強のモチベーションがそれによってきっと維持できるし、指先で直接ふれあうことのできない距離をはさむことでおたがいがおたがいにもうすこし優しくなれるんでないだろうかという期待もある。友達以上恋人未満のあわい境域に身を置いてなかむつまじくやるのが、おそらくわれわれに許された最大限に親密な距離なんではないだろうか。それ以上接近すると途端にうらがえる。なにもかもが台無しになる。ちがうか?
 職場ではとうとう系列支店の閉館が本決まりになりそうだとの情報をEさんから秘密裏に提供された。それに応じて従業員の幾人かをこちらで引き受けることになる。そこでだれをどの時間帯に配属するのがベストだろうかおまえに相談したかったのだと、提供の真意はそれだった。その前にまずTのおっさんがMさんの横暴についてEさんに泣きついたという話があった。たしかにMさんのやりかたは目にあまるところがあると応じると、しかしTもTだとEさんはいって、たしかにそのとおりだった。おまえが金借りるからあかんのちゃうんかいうたったわ、とEさんはいった。なんていってましたか、と問うと、もごもごしとった、とあって、あいつはひとのことばっかやいやいいうくせに肝心なときに欠勤しよる、いっつもそのパターンや、ぼくらはお金もろてそのぶん働くのが当然やからとかしらこいこというときながらぎゃーぎゃー騒いで、それで目そらさせといてからじぶんはちゃっかり楽しよる、MもTもどっちもどっちや、と募っていたもののおもわずふきこぼれたような口調でさらにつづけた。Mもひとに偉そうにしたいんやったらヤクザにでもなりゃあええねん、ほんならどんだけでもぎゃあぎゃあ吠えれるやろ、というので、そんな根性あるひとちゃうでしょ、あのひと完全にひと見て吠えとるから、裏ではなんていっとんかしりませんけど結局直接どやされとんのってTさんくらいでしょ、ほら、このあいだむかしここで働いていたばあさん怒鳴りつけとるとこSさんに目撃されてあいつあの態度なんやねんって本社のほうで問題になったいうてましたやん、同じようなことまたTさんにむけてやっとるみたいやしね、ほんでそれ武勇伝みたいに語るから、というと、なんでそれ気づけへんかな、じぶんでじぶんのことちっさいいうとるようなもんやん、とEさんはあきれるようにこぼした。あのひとぼくにむけてやってけっきょく声荒げたことないしね、ほのくせなんかあるたびごとにいまの言い方きつかったかとかこわくなかったかとかたずねるポーズとって、まあ腰巾着やっとるいきがりの中学生が下級生にしてみせるような手口やけれどもほうやってじぶんを優位に置くことで不戦勝の勝ち星かせぎながらおれはキレたらこわいぞってまわりに印象づけようとやっきになっとるんすよきっと、まーどもならんくらいちっちゃいひとやなって話っすよこれ、でもあのひといま金すごい必要みたいやしクビになるわけにはいかんって意識はぜったいにあるはずやから、と続けると、社長使うか、とEさんはいって、夜中に怒鳴り声聞こえたってクレーム入ったいうて、ほんでまたいじめ勃発しとんかって社長キレとるんやけどっていうたろか、社長そんなん大嫌いってしっとるよなMくんって、そうしたりゃええんちゃうのん、と筋書きを書いてみせるので、まあそれがベストでしょうね、と応じた。Hにもいうとるんやけどな、Mにこびてばっかとちごてもうちょいいうたれって、Tいじめたりしてもじぶんの株下げるだけですやんってひとこと言うたるだけでええねん、というので、そういう言い方で気づくことのできるひとちゃうでしょあのひと、なんやったらますます増長するタイプっすよ、ほやしうまいことすんのやったら適当にもちあげるんがいちばん楽っちゃあ楽っすもんね、それはぼくもわかる、と応じると、でもHのはやりすぎや、あんなもんただのコバンザメや、もうちょいバランスよおやれやって話やろ、ちゃうけ、とEさんはとにかく不満たらたらで傍目にもずいぶんイライラしているようにみえた。今週に入ってからトラブル続きらしい。くわえて翌日の休日がおさない息子さんの空手の試合日にあたるらしく、それでまたゆっくりできないのかとげんなりしているようだった。
 系列支店からの従業員引き受けについて、アルバイトはまだしも社員のクビを切ることはできないので、こちらとおなじ業務に就いている社員をひとり引き受けざるをえないことになるらしく、そうなると四つしかないパイに五人の人間がむらがる構図になってしまうのだという。もともとは資格試験に合格したFさんが今年の夏にはもうここを去るという話になっていたので、その穴埋めにちょうどいいとEさんは考えていたようなのだけれど、そのFさんが支払うべきものの未納が原因で給与の差し押さえをくらってしまったらしく、その結果、ちょっといますぐ辞めるってわけにいかないみたいです、もうすこしお世話になるつもりでいます、という報告がつい先日あったという話で、そうなるといったいどうシフトを組むべきなのか、おまえシフト夜に転身することになってもいけるけ、どうなるかわからんけどいまのうちにその可能性だけは確認しときたい、というので、もともとやめると申し出たところをひろわれた身であるのだから何時だろうと何曜日だろうと週休五日制が担保されるかぎりはいっさい問題ない、と答えた。
 それからすこしいろいろ考えた。東京への引っ越しの可能性についてつい先日さまざまに思念をめぐらしたばかりであったこと、そしてまたこの朝にかぎってSからロンドンへの誘いのあったことを思った。じっさいに東京に移るのかロンドンをおとずれるのかという話ではなく、ただ単にそれらが、この街の外へ出よと示唆する強いしるしのように思い返されたのだった。その結果、もし話がそのとおりに運ぶようであるのならじぶんがここを去ってもかまわない、とEさんに告げた。もともとじぶんだけがイレギュラーなシフトで優遇されているところはあるのだし、二勤二休の四人でまわしていくのが本来の配分ではある、だからそうなっても別にこちらとしては文句をいうつもりはない、と続けると、それはあかん、おまえがおらんくなったらこのポジションだれもまともなやつがおらんくなる、という返事があった。話はそこで立ち消えになった。事が本決定するまでおあずけというわけだった。
 「熟コン筋クリート」の日取りが決まった。28日の金曜日、大阪まで出張るという運びになったらしかった。当日はYさんJさんと京阪で待ち合わせてからいっしょに電車に乗りこんで会場にむかうことになるようである。歯が半分以上ないJさんの弱点を補うために、「職業は?」とたずねられたときには満面の笑みで「歯医者です」と答えるというやりとりで最初の笑いをとろうという作戦をたてた。Jさんは当日おそらくシラフでは来ない。もともとが血の気のおおいひとではあるし、繁華街でトラブルになるようなことだけはなんとしても避けてほしいと、これはYさんの懸念でもあった。そのYさんのもとに送られてくる例の五十路女性からのメールを一通のぞかせてもらったのだが、ひどかった。ギャル文字こそ使用されていないとはいえ絵文字だらけのぶりっぶりした文体で愚にもつかぬ媚びとへつらいの色調のもとになにやら書き連ねられており、それだけならまだしも末尾の一段落には、「身も心も◯◯ちゃん(Yさんのファーストネームをもじった呼び名)のもの」「潮吹き◯◯りん(彼女のファーストネーム+りん)より」とあって、絶句していると、こいつそんでおれと同い年の息子おんのやで、狂ってるやろ、というので、男が妄想したエロメールみたいになってますやん、と応じた。ほんま病気やわ、とYさんは吐き捨てるようにいった。Yさんとしてはしつこくメールを送りつづけてくる彼女をぜひともJさんにあてがいたいらしかった。
 帰宅してから懸垂と腹筋をした。先日ひさしぶりにジョギングをしたそのために両腿に鈍い痛みがあった。風呂に入って部屋でAnimal Collective『Feels』を再生しながらストレッチをしたあと、Bill Evans『Alone』を聴きながらブログを書いた。眠気を感じたくなかったので、夕方に職場で冷凍食品のカレーを食して以降はなにも口に入れていなかった。空腹だった。その空腹をこらえたまま寝床について消灯した。0時半だった。