20140423

 ときおり、ミュージシャンたちを乗せた車がやってきて、ブリジェットをひろっていった。そういうとき、彼女は一晩中どこかへ行っていて、明け方、クーパーがカード・ゲームから戻ってくるころに帰ってくる。「いっしょに来ない?」と彼女は訊いた。「わたしはうたうのが楽しいの」
 彼はためらった。閉じられた空間にいる彼女にしか馴れていなかったからである。ほかの人々に対して彼女がどんなふうに振る舞うのかを見てしまうと、自分が知っている、望んでいるものから離れることになるかもしれなかった。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)

(…)幼い息子は、むりに行儀よくしている犬みたいに、初めはそれを見ようともしないが、すぐにジャムを塗るナイフの動きに目を奪われ、大人たちが食べて呑みこむと同時に唾を飲みこみながらじっと見つめる。だから、自分の番がまわってくるときには、すでに三人分食べたような気分になっているのだった。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)



 10時起床。二度寝しようと目覚ましを30分後にセットしなおし布団にもぐりこんだところで引き戸をガンガン叩いたのちガラガラとあけて「Mさーん」と呼ぶ声がしたのでしかたなしに起きあがって出た。Aさんが本を送ってきてくれたのだと思ったが、それにしてはやたらとおおきなダンボールで、差出人の名前をみるとMとあって、親族だった。ということはたぶん父方の叔父だろうとおもって梱包を解いてみると、洗剤セット一式みたいなのが入っており、箱の側面にはりつけられていた紙片をちぎりとって目を落としてみれば、薄墨色の達筆で印字されてある定型文があり、法要がすんだので粗品をうんぬんとあるのだけれど、四十九日とかそういうアレだろうか。冠婚葬祭についてほとんどなにひとつしらない三十路前である。
 歯を磨きストレッチをしパンの耳とコーヒーの朝食をとった。丹生谷貴志経由で知った平野威馬雄西江雅之という名前をウィキってみたところふたりともすごい経歴のもちぬしだった。むちゃくちゃな人生をタフに生きてぬいているひとの経歴をながめると、うかうかしていられない、ちっちゃいところでうじうじしていちゃだめだ、といつも思う。関連項目でそのままたどりついたのであったか、ジョシュア・ノートンの記事にじつに数年ぶりにたどりついたので読みなおしてみたところ、おおいに感動した。《皇帝崩御は遠く州外にまで報じられ、『ニューヨーク・タイムス』は「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」と評する追悼記事を掲載した。》のあたりとか、とくにぐっときた。すこぶる粋だ。
 前夜のげんなりをひきずるじめじめしたテンションの起きぬけであったが、読書メーターのほうにあらたな感想が加わっていたので、がぜん元気になった。捨てる神あれば拾う神ありとはまさしくこのことだと思った。感想を書いてくれたのはどうやら有名なミュージシャンらしく、Twitterのほうでも名前をだしてくれていた。フォロワーも大勢いることであるし、これが着火点になってくれればと期待した。
 前日分のブログの続きを書いて投稿すると12時だった。そこから15時過ぎまで「G」の作文にとりかかった。プラス1枚で計264枚。遅筆きわまりないが、このようにして一枚また一枚と重ねていくほかに方法がない。
 作文を終えて家をでた。ビブレのなかにあるユニクロにむかった。肱や袖がボロボロに破れまくっている白シャツの代用品を購入するつもりだったが、三着試着してみてどれもこれもかたちやサイズがしっくりきてくれなかったので、もういいやとなってなにも買わずに店をでた。また別の機会に無印あたりをねらってみればいい。中途半端に筋肉のついたそのためにこれまでだったら迷いなくSサイズを購入すればよかったのが、ものによってはMサイズのほうがしっくりくることも最近ではいくらかあって、それだけならまだしもたいていの場合はSとMのいずれもぴったりきてくれなかったりするので、じつになやましい過渡期の体型である。東京行きのまえに購入したジャケットなんてあの当時でもシャツとセーターの上に着用するとなると腕のあたりとかそこそこきつかったのだけれど、いまとなってはTシャツいちまいのうえにはおることすらはばかれるくらいパツパツで、そう考えると筋トレの成果はそれ相応に出ているのだとよろこぶこともできるのだけれどしかしどうにも中途半端だ、さっさと増量するだけして65キロ付近に落ち着かせたい。ついでに別の店で財布と帽子と靴も冷やかした。群青色の革靴があってものすごく格好よかったので試着したのだけれど二万五千円くらいした。手の出るはずがない。青い革靴といえば京都にきてまだわりとまもないころにFが古着屋で青いブーツを購入したことがあって、群青色のレザーで、そういう色の革製品ってあるんだとはじめて知ったのがそのときだった。oh my friend! お前が履いてた! すり減った安物だけど! いかした青いトンガリBOOTS!
 そのまま帰るのも癪なので一階にはいっているスーパーに立ち寄ることにした。ショッピングセンターの一階にあるスーパーなんてぜんぶ高いというイメージがあってこれまで寄りつかなかったのだけれど、野菜が98円均一だか89円均一だかたまたまそういう日だったのでふだんあまり購入することのないセロリやら赤なすやらみょうがやらオクラやらをバカバカ買い物かごのなかに突っ込んでいって楽しかった。はじめておとずれたスーパーで買い物をするときの興奮は古本屋で掘り出し物を探りあてるときのあの感覚に少し似ている。総菜コーナーでカニクリームコロッケが売っていたので迷いなく購入した。
 帰宅してからカニクリームコロッケをレンジで温めることさえせずに喰らった。美味かった。17時だった。英語の勉強をはじめた。18時半になったところで夕飯の支度にとりかかった。玄米・あさげ・納豆・冷や奴・レタスと水菜とはくさい菜とトマトのサラダ・茹でたササミのしょうもない夕飯をかっ喰らいながらウェブを巡回した。
 仮眠をとった。めざめると21時過ぎだった。たった20分の仮眠だったのだけれど、ほんのわずかなその眠りのあいだにずいぶんと深い域にまでもぐりこんでしまったらしく、デスクのうえに置かれてあるめざましを止めるのにやたらと難儀した。このまま朝まで眠りつづけようかと一瞬迷ったが、どうにか気合をいれて布団をたたむと、チェアに移動した。頭がまったくまわってくれなかった。眠気の芯が植物の根のように四肢の末端まではびこっているようだった。身体がけだるく、目玉が重く、呼吸が深かった。だらだらと過ごしながら目のさえわたってくれるのを待つうちに22時になった。一念発起して英語の勉強の続きにとりかかった。 23時半に達したところで勉強を切りあげ、しっかりとストレッチをしてからジョギングにでかけた。なんとなくiPodは部屋に置いていくことにした。じぶんの呼気と足音だけをリズムの基準にして(長)を走りぬいた。たっぷり汗をかいた。
 シャワーを浴びてから部屋にもどりストレッチをし、洗濯機をまわしてからパンの耳2枚を食した。いい加減パンの耳にも飽きてきたのでなにかいい食い方はないものかと検索をかけてみたところキムチをのせてマヨネーズをかけてみるといいというきわめてジャンキーな食し方が紹介されていたので、ふだん買うことのないキムチをくだんのスーパーにて購入したばかりだったこともあって、そのとおりに調理してみて食べた。ふつうの味だった。コンビニで購入した太陽のマテ茶は一瞬で飲み終わってしまった。ジョギングに出かけた日の風呂あがりはすごく喉が渇く。そろそろ家で茶を沸かすようにしたほうがいい。冬のあいだは飲料はコーヒーだけでいつもしのぐ。
 ブログをここまで書くころには3時をまわっていた。読書をする時間をまったくとることができなかったのが今日いちにちの瑕疵だった。歯を磨きながら空き地をはさんだとなりにあるアパートのまえまでいって、そこに設置されている自販機で追加の茶を購入した。歯磨きというごく私的で生活感あふれる行為をともなっておもてにでると本来は外であるはずのその空間までもがじぶんの部屋と地続きになって内に傾くようにおもわれた。4時消灯。