20140509

 その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられていました。びしょびしょと雨が降っていました。そしてその音が例の音楽をやるのです。本を読む気もしませんでしたので私はいたずら書きをしていました。その waste という字は書き易い字であるのか――筆のいたずらにすぐ書く字がありますね――その字の一つなのです。私はそれを無暗にたくさん書いていました。そのうちに私の耳はそのなかから機(はた)を織るような一定のリズムを聴きはじめたのです。手の調子がきまって来たためです。当然きこえるはずだったのです。なにかきこえると聴耳をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思い当てたまでの私の気持は、緊張と云い喜びというにはあまりささやかなものでした。しかし一時間前の倦怠ではもうありませんでした。私はその衣ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。それにも倦くと今度はその音をなにかの言葉で真似てみたい欲望を起したのです。ほととぎすの声をてっぺんかけたかと聞くように。――しかし私はとうとう発見出来ませんでした。サ行の音が多いにちがいないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。しかし私は小さいきれぎれの言葉を聴きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷のしかも私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になっていたのでしょう。そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思います。心から遠退いていた故郷と、しかも思いもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝をつきあわせた感じでした。私はなにの本当なのかはわかりませんでしたが、なにか本当のものをその中に感じました。私はいささか亢奮をしていたのです。
梶井基次郎「橡の花」)



 10時にめざましで起きた。30分後にセットしなおして二度寝した。それでもまだ寝足りなかったので、携帯のアラームを11時にセットして三度寝にいどんだ。アラームはセットできていなかった。宅配業者がとなりの部屋の引き戸をバンバンバンと叩く物音で目がさめた。11時15分だった。翌日に労働をひかえていることを思うと、今日は早めに床に着かなければならない。そんな日にかぎって寝坊してしまうというのはいったいどういう気のたるみだろうかとイライラした。ほんの半日しか活動できない。
 歯を磨くためにおもてにでると生温い風が吹いていた。かげりのある曇り空で、いまにも降りだしそうな不吉な色合いをしていた。天気予報はしかし晴れマークである。部屋にもどってストレッチをしたのち、洗濯機をまわした。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち、排便しにおもてに出ると、ぽつぽつ降りだしつつあった。鴨川にパソコンをもっていってそこで作業しようかと考えていたが、このようすだとちょっと無理だろうと思った。
ここまで書いてから洗濯機の中身を回収しにおもてにでた。雨はやんでいた。軒先の物干に干した。二杯目のコーヒーを入れて部屋にもどった。13時から「G」の修正にとりかかった。枚数は変わらず259枚。断章は83番目。ひさしぶりにはかどった。たしかな手応えも感じられた。このあたりをさかいにどうやら作品の形式にふさわしい文章の書き方をつかみはじめているようにみえた(序盤の記述にはやはりおそるおそる手探りでやっているような中途半端さが散見せられたのだ)。修正もここを機にいっきに楽になってくれればいいのだけれど。
 16時過ぎに作業をきりあげて腕立て伏せをした。それから鴨川に出かけることにしたのだけれど、パーカーを着用しようしたところぱっつんぱっつんで、やはり身体がひとまわりでかくなったようだった。すでに暮れどきであるのにくわえて風の強い日だったので、日当りのよい川岸近くのベンチに腰かけてぶつくさやり続けた。一時間経ったところで場をあとにした。吹きっぱなしの風のせいで体温がすっかり奪われていた。ひさしぶりに指先のひえるような感覚をおぼえた。もう七ヶ月、八ヶ月もすればまたあのしびれるような寒気の日々がやってくるのだと鬼の笑うようなことを思うと、けっこうげんなりした。冬は好きじゃない。夏がいい。 
 スーパーで買い物をしてから帰宅し、瞬間英作文の続きをやった。そうしてとうとう(三冊目の)二十周達成とあいなった。ゆえに明日からはまた別のテキストにとりかかることになる。途中でうっちゃってある文法問題集か構文問題集のいずれかに着手したい(ほそぼそとした時間の合間をぬってやるのであれば後者のほうが都合はよさそうであるが)。
 玄米・インスタントの味噌汁・納豆・もずく・茹でた鶏胸肉・水菜と赤黄パプリカとトマトのサラダをかっ喰らった。それからシャワーを浴びて部屋にもどりストレッチをし、HくんのミニアルバムとMiles Davis『Get Up With It』をおともに延々と川村二郎『アレゴリーの織物』の抜き書きをし続けた。日付をまわる直前にSからいきなり着信があったので、このタイミングでかよと思いながら出た。疲れた声だった。事情を問えば、案の定試験前らしく、大嫌いなプレゼンもひかえているためにけっこうな鬱モードに入っているようだった(精神的に参ったときにだけコールしてくるというこの感じはいかにも「都合のいい男」みたいで居心地がよい)。一時間ほど会話をした。stubbronの一語が出てこないじぶんにあせった(昨夏にはあれほど多用しまくった語であったというのに!)。あなたは強いといういつもの言葉を皮切りにじぶんがいかに駄目かを延々と愚痴りだすので、ないにひとしいボキャブラリーを総動員して否定したりなぐさめたりした。わたしはやらなければならないこともせずにひととおしゃべりばかりしているというので、いったい一日に何人くらいとおしゃべりするんだと問うと、今日は多くない、電話だけでいうならあなたで五人目だとあったものだから(ちなみにその時点でロンドンは午後4時である)、おれなんて先日の出勤日いらい誰とも口を利いていない、今日がはじめてだと応じると(しかしこれはあとになって間違いであることが判明した、というのもきのう喫茶店で去りぎわにMちゃんらと十分程度おしゃべりしたばかりなのだから!)、How do you do it? とあったので、ええー……となった。でもまあおれは極端だからくらべる必要はない、じぶんのまわりを見わたしてみてもみんなもういくらかは直接会って遊んだり電話でおしゃべりしたりしていると思う、もちろんそっちのほうが精神的にもきっと健康だろうといった。そこからも延々とこちらのことを比較対象にあげながら、おなじことをひたむきにやりつづけるにはどうしたらいいのかだとか(「あたらしいことにがんがん首をつっこむのがきみの持ち味だろ!」)、すぐにさみしくなってしまってだれかに会いたくなってしまうのはどうすればいいのかだとか(「おれがほかのひとにくらべて極端にさみしさを感じにくい性格なだけでそんなことでわざわざ悩む必要はないよ!」)、あなたは必要最低限の稼ぎだけでやりくりするために京都でいちばん安いアパートに住んでご飯もろくに食べないでパーティーにも行かないしひととも会わないし恋人もつくらないしそれで文句もたれずにやっているのに、家もあってふかふかのベッドもあって贅沢な食事もあって家族もいて友人もいて働いてもいないわたしは愚痴ばかりこぼしているだとか(「いやいやいやいや……」)、日本語でさえ対応するのがめんどうくさいこの手のモードにある女性をましてや英語でなんてみたいなクソハードなシチュエーションですっかり疲弊したというか、おれだってそんなに強くないよ、強いふうに装ってるだけでぜんぜんそんなことないんだよみたいなありがちな弁明から冗談のつもりで、きみが弱った声で電話をかけてくるからこっちがしっかりしなきゃなんないってわけでがんばってるだけみたいなことをいったつもりが、つっかえつっかえの英語になってしまったためになにかシリアスな雰囲気で受けとられてしまって(まるで相手に駄目出ししているかのように)、わたしpretendは嫌いよみたいな駄目出しまで受けるというごちゃついた展開になってしまってとにかくすっごい疲れた。そしてぜんぜんしゃべれなくなってしまっている事実にへこんだ! しょせんは独学の付け焼き刃、使わないと一瞬で錆びる!
 通話を終えると1時だった。ヘッドフォンをはずしたとたんに隣室の薄壁越しに通り魔がぶつぶつなにやら音読か暗唱しているらしい声が聞こえてきたのでまたかよと思った。注意しにいこうかとも思ったが、こちらはこちらでついさっきまで通話していたわけであるし、勉強のためにぶつぶつやってるのだったらある程度はいたしかたのないところもあるので、こらえた。軽くひっかけてから寝床に入った。英語の勉強時間を増やさなければいけないと思った。iPodで一曲流しおえるころにはすっかり眠りに落ちていた。