20140520

(…)また吉田は「自己の残像」というようなものがあるものなんだなというようなことを思ったりした。それは吉田がもうすっかり咳をするのに疲れてしまって頭を枕へ凭らせていると、それでもやはり小さい咳が出て来る、しかし吉田はもうそんなものに一々頸(くび)を固くして応じてはいられないと思ってそれを出るままにさせておくと、どうしてもやはり頭はその度に動かざるを得ない。するとその「自己の残像」というものがいくつも出来るのである。
梶井基次郎「のんきな患者」)



 12時にいちどめざましで起きた。小便をするためにおもてに出た。サンダルの底を擦ってざりざりする音が便所のほうから聞こえてきたのでひょっとして大家さんがトイレ掃除をしている最中なのかもしれないと思うとはたしてそのとおりで、ただ目のまえにいきなり飛びこんできたのがどういうわけか下半身が素っ裸の後ろ姿だったので、見慣れているとはいえ起き抜けの至近距離だったこともあり、さすがにこれにはぎょっとして部屋にもどった。そうして尿意をこらえたまま二度寝した。次にめざめると13時だった。まあこんなもんだろうと思った。Tからメールが入っていて、来月タイに渡ろうと思うのだけれどバッグのサイズはどれくらいにすべきだろうか、バンコクからシェムリアップまでバスだとどれくらいかかるのか、シェムリアップにタクシーは走っているのか、という質問があったので、前から順に、短期滞在ならデイバッグで十分ことたりる、早朝に出発して夕刻に到着したおぼえがある、シェムリアップにタクシーは走っていない、トゥクトゥクがメインの移動手段になる、と返信した。タイへ渡るというけれど語学学校のほうはどうなっているんだろう、長期休暇のようなものがあるんだろうか、とふしぎに思った。
 ストレッチをしてから昨日の残りのカレーを温めた。パンの耳2枚をトーストして切り分け、カレーにディップして食べた。それから昨日づけのブログを投稿した。食後のコーヒーを飲みながら今日は涼しいと思った。予報では午後から雨らしかった。明日の昼ごろまで続くのだという。洗濯物がたまっていた。
 英語の勉強をはじめた。規定どおり三時間こなした。とちゅうでTからメールがあった。学校を休んで八日間かけてタイとカンボジアをめぐる予定らしかった。両国の国境は飛行機で越えるのだという。それだったら問題ないと返信した。陸路だとしばしば面倒に巻き込まれる。Sとおなじバスを予約したはずが別々のバンに乗せられ、国境では賄賂を要求された。経路によっては強盗に遭うことも少なくないという。
 18時前からダンベルを用いて筋トレをした。外では雨が降りだしていた。いつものスーパーまで傘をさして向かうのが億劫であったし、それに時間も時間だったので値引き品の弁当がきっとあるだろうという見通しから、ブルジョワスーパーに出かけた。案の定、弁当が安売りされていたので購入した。羅生門にさしかかったところで奥泉光『虚構まみれ』があいかわらずだれの手にも引き取られることなく雨ざらしになっていたので、ひっつかんで部屋に持ちかえった。これもなにかの縁だろうと思ったが、そういう縁にたよって読んだ本に後頭部をガツンとやられたことはこれまでにいちどもない。落ちていたり捨てられたりしているものをすぐに拾って持ちかえる癖があるなと思いながら着替えた部屋着もやはりまた職場から持ちかえってきたものだった。
 弁当・納豆・冷や奴・もずく・レタスとトマトのサラダの夕食をかっ喰らいながらウェブを巡回した。一年前の日記を読み返していると、Tが通っていたジムのトレーナーの言葉として「身体を大きくするなら一日3000キロカロリー摂取しなければいけない」というのが書きつけられていたのだけれど、3000キロカロリーというのが具体的にどれくらいなのかよくわからない。パンの耳や山盛りのサラダではとうてい達することのできる域などではないらしいことはなんとなくわかるが。Fの誕生日について触れているくだりを読んで、誕生日おめでとうメールを今年は送っていないことを思い出した。ゆえに二週間以上遅れたけれどもの断りつきで送信した。いったいどんな毎日を過ごしているんだろうかと思った。『A』には目を通してくれたんだろうか。
 5時間睡眠の食後にもかかわらずふしぎに眠たくなかった。きのうの日中やはりあれだけ眠りまくったのが大きいのかもしれないと思った。雨脚がどんどん強まりつつあった。風までびゅうびゅう吹いて、そのたびにだれか引き戸に体当たりしているんじゃないかとおもわれるくらい力強い衝突音がたった。涼しくてさわがしい真っ暗な夜だった。自室でひとりきりで書見をするのにはうってつけだった。アーロンチェアに腰かけながらBGMもなしに『虚構まみれ』を21時半から23時半まで読み続けた。それからブルジョワスーパーで購入したレトルトの親子丼を鍋で温めて、おなじくレンジで解凍し温めた玄米の上にのせてかっ喰らった(めざせ3000キロカロリー!)。風呂に入るための大家さんのところにむかうと先客がいたので、もういちど部屋にもどってさらに三十分書見を重ねた。水たまりを跳ねて歩く足音を聞きとめたところでふたたびおもてに出た。バケツをひっくりかえしたような大雨だったので、わずかな距離にもかかわらず傘をさして大家さんのところまでいった。シャワーを浴びてから部屋にもどりストレッチをした。YouTubeマルタ・アルゲリッチシューマンを弾いている姿をながめて一服したのち、ここまでブログを書くとすでに2時だった。抜き書きが七冊分もたまっているにもかかわらず、どうにも着手する気になれなかったので、また『虚構まみれ』を手にとった。そうして3時には消灯した。眠気の強すぎるときにかぎって入眠しようとするこちらの意識をはねつけて押しかえしてみせるような弾力のある抵抗を感じることがままあり、そのたびごとに短い眠りと覚醒をくりかえすことになるのだけれど、この現象の仕組みと名前を知りたい。