20140528

 人は背中から老けるものだとは中年に入る頃からよく聞かされて、年長者たちの背つきの急な変わりように驚かされることもしばしばだったが、自身がその年頃にかかると、背後の人目にたいしてまさに後ろめたさを覚えることはあっても、それが俺に何の関わりがあるとうそぶかんばかりに、押し返す乱暴さはまだ持ち合わせた。背中の老いは斉(ひと)しい割当てのようなものであり、人と人との間のことであり、それさえ弁えていれば自分がどうこう責任を持つことでもない、と思い切ることができた。背中の老いを本人は見ることもならない、と若い頃には他人事に哀れに思われたのが、いざ自身が哀れまれる立場になると、自分では見えないことがなかなかの恵みであるように、感心させられた。老いを背後へ振り捨てるほどには、脚もまだしなやかだったのだろう。
古井由吉『野川』より「背中から」)



 11時過ぎにめざましとアラームの怒濤の追撃によりどうにか身体を起こすことに成功した。昨夜就寝したのが5時近かったことを考えるとまあよろしい。ひさしぶりに夢を見たが、例のごとく歯を磨き顔を洗いストレッチをしパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとってから昨日付けのブログを投稿し、としているうちにすっかり忘れてしまった。小学校の教室みたいなところでフリースタイルを披露してやんややんやと盛りあがるみたいな内容だった気がする。クラスメイトには小学校の同級生もいればネット上でかすかに名前を目にしたことがあるだけのひともいた。
 書いていて思い出した。きのうも夢を見たのだった。H兄弟とAさんの四人で交差点で信号待ちをしていた(Aさんはいぜん読書メーターのアイコンとして利用していたストリートビューの姿格好として表象されていたが、服装だけがしばしば変わった)。小降りの曇り空で、黒い革靴を履いているAさんにだいじょうぶですかと問うと、安物だからかまわないという返事があって、いくらだったんですかと重ねてたずねると、2万円とあった。とちゅう雨降りにもかまわず軒先のワゴンを片付けていない古本屋さんに立ち寄ることになって、ワゴンのなかにはボリス・ヴィアンがあった。なかに入ると薄暗くほこりっぽくて、店主の姿もなければ照明もついておらず、フローリングの店内に一台ピアノが置かれていて、簡単なコードを押さえながら簡単なフレーズをくりかえすなんちゃってミニマルみたいなことをしていると、さっきまで床板をひっぺがしてそのなかにある秘密の通路をNくんといっしょに探検していたHくんがやってきてピアノの前に腰かけてみせるので、バッハを弾いてほしい、ゴルトベルクのHくんなりの解釈を聞かせてほしい、とお願いした。
 12時半から英語の勉強をはじめた。一時間経ったところで、よし、散髪にいこうと思い立ち、Tシャツに着替えてから歩いて近所の美容室に行った。おとずれるのはだいたい一年ぶりだった。たしかSが来日するちょっと前、英語漬けの日々のさなかだったはずだ。店の入り口でお客さんと立ち話しているスタッフのところに近づいていって、すみません、予約してないんすけどいまからだいじょうぶですかね、とたずねてみると、あーいまからはちょっときびしいかもという返答があって、すると奥からもうひとり出てきて、このひとが美容師さんでもうひとりはたぶん共同経営者兼雑用みたいな立ち位置だと思うのだけれど、だいじょうぶです、いけますいけます、とあったので、それじゃあお願いしますといって店に入った。席に着いてどうしますかとたずねられたので、サイドをかりあげてヒゲとつなげてもらってあとはもうなんでもいいんで短くしてくださいと答えた。寝癖ボサボサのまま行ってしまったのでちょっと失礼だったかなと思ったけれどまあどのみち髪を濡らすのだしという開きなおりもあって、でもシャンプー台には案内されず霧吹きの水でシュウシュウされるだけだった。たぶんちょうど一年くらい前にここでお世話になってるんすけどおぼえてはります、とたずねてみると、ええもちろんもちろん、とふたりから返答があって、去年はでももっとラフな服装でしたよねと背後で控えている経営者っぽいひとがいうのに、Tさん譲りのユニクロの紺色のストローハットに蛍光緑のミッキーの印刷されたTシャツ、それに腰のところに入っている紐でぎゅっとしばるタイプのあのちょっと民族衣装っぽいイージーパンツを七分にロールアップしてパーイで買ったサンダルをはき、グレゴリーのデイバッグを背負いながら大雨の真昼時に店をおとずれた一年前を刻明に思い出した。ちょくちょくかわいい外人さん連れて歩いてはりますよね、インターナショナルやなーていつも思うて、というので、あーとなった。去年の夏ごろでしょ、まあもう帰っちゃいましたけどね、と応じながらこれやっぱり去年のいまごろみたいにもういっかい英語漬けの日々を送れってしるしなんかもしれんとつくづく感じた。カットが終わり、全自動のシャンプー台で洗い流してもらってから鏡にむきあうと、悪くなかった。やっぱり短髪のがいいと思った。お客さん個性的なほうが好きそうですからというので、よくわかってらっしゃると思った。金を払って店を出た。次は夏に帰省したときにSに切ってもらうことになるだろうし、盆に切れば年末までたぶんもつだろうからその次もSにまかせることにして、それだからまた一年後、引っ越ししていなかったらよろしくお願いしますという感じである。近いからという理由だけでなにも知らずに利用していたけれど、男性専用の美容室らしくて、そのせいで女性としゃべる機会がぜんぜんない、飲み会とかいくと緊張してしかたないみたいな美容師らしからぬことをふたり口をそろえてぼやいていた。昼間のホストっていわれるような職業やのにねと苦笑いしていうのに、そういえばSもそんな表現を用いていたなと思った。
 帰宅すると14時半だった。散髪ついでにボーボーのひげをきりそろえることにした。すっきりした。起き抜けにチェックしそびれていたメールボックスにログインしてみるとWさんからメールがとどいていて、6月に京都で岡崎乾二郎ポンチ絵を見ることができるという情報提供だったので、すんませんいつもありがとうございますと返信した。ありがたやーありがたやー、展覧会情報ほとんど任せっきりになっとる。
 部屋がクソあつくてなにもやる気になれないので先に用事をすませることにしてぎらぎらの日射しのなかケッタをえっちらおっちらこいで図書館に出かけた。『野川』『族長の秋』『賢い血』を返却して小沢健二を二枚借りて、そのままビブレまで足をのばした。夏場にむけて短髪でもにあうストローハットはないものかと思って試着の鬼と化したのだけれどどれもこれもいまいちだったので時間の無駄だったわケッという気分になって帰宅した。そのまま夕飯をこしらえて食った。玄米・インスタントの味噌汁・納豆・もずく・にんにくと塩で茹でた鶏もも肉・トマトときゅうりと水菜のサラダ。
 食後あまりの眠気に気絶するように布団に倒れこんだ。15分の予定が布団のうえでぐずぐずぐずぐずしてしまって結局たっぷり一時間も仮眠をとってしまってもはや仮眠ではない。眠りの深い域にさしかかっていたためにかものすごくけだるい起き抜けだった。Oさんにいただいた琵琶茶をのんで頭が働いてくれるのを待った。
 19時だった。英語漬けの日々をむかえるまえにまずは読みかけの書物を片付ける必要があった。21時前まで『レトリックと人生』の続きを読み、集中力のとぎれたところで懸垂と腹筋をして筋肉を酷使した。それから風呂に入った。部屋にもどりストレッチをし洗濯機をまわしたうえでここまでブログを書いた。小沢健二の『毎日の環境学』はもうずいぶんと以前、あばら家の二階で生活していたころだから学生時分だと思うけれどもそのときちょくちょく聞いていて、書いては捨てて書いては捨ててをくりかえしていた時期だからちょっと苦しい印象がともないもするのだけれど、『Eclectic』のほうは初めてで、これがちょっとすごい名盤だった。こんな音楽を作るひとだったのかとフリッパーズギターからソロ活動初期にいたる線の延長を予想していたこちらとしては驚くほかなかった。ものすごくセクシーでものすごくアダルトで半端なくソフィスティケートされている。先日YouTubeで視聴したいいとも出演時の弾き語りがなぜあのようなスタイルであったのかよくわかった。これはけっこうやばい。そして歌詞がすごい。
 すべて終えると23時をまわっていた。「G」にとりかかった。規定時間をオーバーしてしまい3時過ぎまでぐずぐずと原稿をいじりつづけた。マイナス1枚で計262枚。118番まで。しかし難所をふたつ乗りきることができたので悪くはない。
 『今昔物語』片手に床にもぐりこんだ。《この水銀を産する伊勢の国というのは、たとえ親子の仲でも物を奪い取り、また親疎を問わず、貴賤を選ばず、互いに相手の隙をうかがいだまくらかして、弱い者の持ち物を取り上げて自分の財産とするような、欲ばりな人間が多かった》という一節にぶつかったのでクソ笑った。地元ディスられまくっとる。4時半消灯。