20140529

 そのうちに私自身が、歩いていて足の先から腰へ背へ弾力が伝わらず、全身を屈め気味にしていることに気がついて、すべては自分の体感の投影であったか、と憮然とさせられた。それにつけても五十代にかかって年の戒めの声を聞かされることになったが、後から思えば、すでに頸椎の狭窄から運動神経の不全が、本人は知らず、兆していたのかもしれない。周囲の動きの旺盛さから零れかけると、雑踏の中を歩いていても、人がおのずと、忌むように、道をよけてくれるようだ、と一転してそんな妄想めいた引け目を覚えはじめたのは、頽齢にいよいよ感じたせいばかりとも思えない。
 老いが背にあらわれるとは、過去が背中に取り憑いているのを、本人は知らずに前を見ているということになりそうだが、じつはその逆で、人は過去を思うにも前を見ているものだが、その間に未来が背にあらわれている、背がひとりで予言しているのではないか、と別の後めたさを覚えるようになったのは、病後一年あまりして、この度の大患はどうにかしのいだが、と安堵した頃になる。馴れた夜道を家までもうひと歩きのところまで戻って来て、これも年来馴れた角へかかる。角を折れる時に、足のよろけていないのを見て、病気のあらわれる直前には、ここで足がひとりでに外へ振られて、妙な弧を踏んだものだ、と思い出しながら曲がりきると、まだ角のところでばたばたと小足を送っている、自分の影が残る。これは過ぎた危機を背後に思う類いのはずであるのに、それと同時に、前を行く安泰な背が見える。安泰だと眺めながら、際限もない危惧の念を寄せて、角に立ちつくして見送っている。奇妙な分裂、奇妙な混交だった。
古井由吉『野川』より「背中から」)



 11時起床。味のしない歯磨きをしたのち顔を洗うべくおもてに出るといやになるくらいの真夏日だった。ああそうだった、こんなふうだった、去年も一昨年もその前も夏はいつもだいたいこんな感じだった、いつもだいたいこんな感じなのにどうして夏がすぎさるたびに毎回馬鹿のように忘れてしまうのだろうか、と、だれもが抱くであろうこの時期の所感をやはり抱いた。部屋にもどりストレッチをし、パンの耳をトースターにセットしコーヒーを入れたところで牛乳を切らしていることに気づき、めんどくさいなあと思いながらも街着に着替えて近所のコンビニに出かけた。信号待ちのひざしがつらかった。牛乳と飲むヨーグルトを買い、ネット料金を支払った。帰りの信号待ちのひとときを商店の軒先に隠れてやりすごしながら飲むヨーグルトを飲んだ。となりでおなじく信号待ちをしていたリクルートスーツ姿の男女の男のほうがおれもむかしは問題児だったからねとうそぶいていた。
 部屋にもどりパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとりながら昨日付けのブログを投稿した、と、ここまで書いたところで食べたのはハムとチーズをのせた1枚であってバターと蜂蜜をのせたもう1枚のほうはトースターに放置したままであったことを思い出してあわてて取り出し食べた。ひえてカチカチになっていた。これだけ暑い日だと鴨川で勉強という気にもなかなかなれないと思った。
 13時から英語の勉強にとりくんだ。発音練習を終えたところでYouTubeにアップされていた銃乱射事件の犯行予告動画を見た。とろとろしゃべる英語だったので聞きとりやすかったが、それ以上に本当にこんな馬鹿げた動機で凶行にいたったのかと唖然とした。聞き間違いでなければ、じぶんのことをperfectだといっていた。にもかかわらず女の子はだれひとり声をかけてくれない、誘いにのってもくれない、それどころかこちらのことを見下している、だから報いを受けるべきだ、みたいな論旨だった。22歳でvirginで、キスすらしたことないと苦々しげに語っていた。停車した車の運転席に腰かけていて、その顔をちょうどスポットライトが照らすようにして西日が射しこんでいて、こういう絵面の位置取りも演出なんだろうかと思った。ときどき言葉につまると、ふ・ふ・ふ、と、一音一音の明瞭な、それ自体がやはり気取ってきこえるような含み笑いをこぼしてみせた。出来のわるいRPGに出てくる魔王が世界征服(もしくは破壊)を目論む動機とおなじくらい馬鹿げていると思った。そういう馬鹿げた理由による無差別な凶行がこの国にもかの国にも多すぎる。馬鹿げているのひとことで片付けていいのかどうかさえだんだんわからなくなってくる。
 文法問題集の二周目を口頭でしばらく解きつづけたのち、16時からダンベルを用いて筋肉を酷使した。窓がないおかげで起きぬけの室内はすずしく、というか若干肌寒いくらいであるのだけれど、いざ屋外の熱気が侵入しはじめると逃げ場のない室内にうずまきたちこめるいっぽうで、夕刻にはサウナのような蒸し暑さに息切れすることになる。そんななかでダンベルを上げ下げしていると当然のことながら汗をぐっしょり掻く。川で泳ぎたいと思った。ひやっこい水のなかにもぐってアユやヨシノボリやオイカワやコイやシャケやウナギらといっしょに流れにさからいながらくねくねしたい。あるいは流れに背をゆだねてあおむけに浮かんで太陽とゴーグル越しににらめっこしたい。身体はまだ大丈夫にしてもパソコンや外付けHDのことを考えると日中だけでも軽く冷房を入れたほうがいいのかもしれないと案じた。五月の時点で冷房だなんてじつに馬鹿げている話だが!
 炊飯器のスイッチを入れた。汗がひいたので街着にさっと着替えてからケッタに乗って近所のスーパーにいった。帰路、先日逝った祖母にすこし似ている老婆が喪服を着て歩いているのと目があった。こちらをじっと見つめるその瞳に重なる面影がたしかにあった。なんとなく不吉な感じをもち、そしてまたそのように不吉の印象をいだいてしまったおのれにある種の後ろめたさをおぼえながら角をまがると、今度はTの母君にそっくりの女性とすれちがった。するとそこから先ですれちがうだれもかれもが、ほかのだれやかれやの瓜二つであるような気がして、頭のなかが少しぐらぐらした。これは彫刻するのに手こずりそうではあるけれども、ひょっとしたら「G」になるかもしれないと思った。
 下宿にもどってから大家さんのところにあずけてある扇風機を引き取りにいった。洗濯機のまえにいた大家さんにこんにちはと声をかけると、あああんたさんか、あんたこれちょっとやってくれおくんなまし、といいながらゴキブリホイホイを差し出された。風呂場のそばにしきつめられてあるすのこに腰かけてパッケージの裏側に記載されてある説明どおりに組み立ててみようとしたのだけれど、たしかに一読してなるほどと腑に落ちるような説明書きではぜんぜんなくて、手元のおぼつかない老人には大儀なものかもしれないと思いながら、その老人とさほどかわらぬ不器用な手先をあれこれしてどうにか二組のトラップを組み立てるにいたった。こちらがブツを組み立てているあいだ、おおきなヤブ蚊が周辺を飛びまわっていて、視界に入るたびに手をふるって追っ払っていたのだけれど、それを目にした大家さんがわざわざ台所からうちわを持ってきてくれて、それでこちらがごそごそやっているあいだひたすら背後から風を起こして蚊を追い払ってくれた。そういううちわの使い方があるのをはじめて知った。おばあちゃんの知恵袋。結局、むきだしの両脚だけで五箇所も喰われるはめになったが。
 漬物石が三つその前にかさねられて開かないようにされているトタンの倉庫扉をまえにしてひとまずその漬物石を片付けた。最下段のものをどけるとぴちぴちくねくねとうごめくものがあって、目の当たりにしたとたんなぜかヒルという言葉が思い浮かんだのだけれどイメージしていたのはハリガネムシで、けれど実物はどう考えてもみみずでしかなかったから二重にあやまっていて、この手の生物の名前をたくわえてある領域にアクセスするための回路が弱っていることをなんとなく思った。いまはまだまだ都市部に住みたいと思うけれども、飽きたら川のある田舎に引っ込んで隠居するのもいいかもしれんなと、だれもがいちどは夢見る凡庸な未来をすこし考えた。倉庫のなかからビニール袋をかぶせてある例のレトロな扇風機をとりだして、けれどファンは埃まみれだったのでこれは水洗いの必要があるなと思った。
 部屋にもどってから取り外すことのできるパーツはひとまずすべて取り外した。最初は濡らしたぞうきんをファンの隙間に通してゴシゴシやっていたが、すぐにこんなんじゃ埒があかないしまずおもしろくないと思ったので、いちおう電源を有する家電製品ではあるけれども、まあかまうことないやと水場にそのまま持ちこんで蛇口を強気にひねって頭から水をぶっかけた。扇風機を横倒しにしてシンクのなかにつっこみ直下する水流をファンの前面で受けとめさせているといつしかひとりでにファンが回転しはじめ、それがなんとなくおもしろかったのでしばらく水を出しっ放しにしてながめた。それから黒い埃の濡れてぐちょぐちょにかたまってしつこくひっかかっているのやらをぬぐい去った。すぐにきれいになった。洗い終えたパーツをすべて部屋の外壁に沿ってならべた。あとは自然乾燥を待つだけだった。蚊に喰われた箇所が十箇所に増えた。
 ストレッチをしてからジョギングに出かけた。18時半だった。筋トレを終えたのちプロテインといっしょにパンの耳を食べていたのだけれどやはり消化のよいバナナがベストなのかもしれない。走っている途中からとてもしんどくて、前を往く初老の男性にいつまでたっても追いつけないじぶんにずいぶんと歯痒さをおぼえた。折り返し地点に達したところでしばらく歩いた。腐り水がにおった。いたるところに蚊柱がたっていて、通りぬけるこちらの顔にあたって邪魔くさかった。口のなかにはいってはいけないと思って閉じる、すると呼吸がみだれて余計に疲れる、そういう鬱陶しさもあった。と、ここまで書いたところでウィキで調べてみると、蚊柱というのは交尾のためにあつまった一匹の雌と多数の雄の集団らしかった(ちなみに蚊柱を構成するのはいわゆるふつうの蚊ではなく吸血性のないユスリカという種らしい)。輪姦なんて言葉ではなまぬるい猛烈な数である。おなじくウィキに掲載されていた正岡子規の句「夕立の来て蚊柱を崩しけり」というのがすごくいいなと思った。小林一茶の「一つ二つから蚊柱となりにけり」はちょっと「意味」(というのはつまり比喩として読まれうる余地をおおいに有しているということだが)の感触があって好きじゃない。さすが「写生」の歌人
 走り終えたところでシロツメクサの芝生にある石段の定位置に腰かけて息がおさまるのを待った。そこからまたゆったりとしたペースで走りだし、下宿にもどるとすでに19時半だった。シャワーを浴びていると大家さんからカルピスを置いておくのでめしあがってくださいとあったのでありがとうございますと返答した。風呂場からおもてに出て全裸でぬるいカルピスを一気飲みし、ここ空き地をはさんで隣接するアパートからけっこう丸見えなんだなとあらためて思ったので急いで服を着替えた。部屋にもどると隣室かそのまた隣室の住人かしらないけれども友人を部屋に連れこんでいるらしくて、聞き慣れない声がやばいっすやばいっすと連呼していた。「ここやばいっすね!むっちゃおもろい!想像以上です!」とわれらが下宿について馬鹿げた感想を漏らしているので、「なにがやばいんじゃ!ほんまにやばいやつはここにおんぞ!」と叫びながら『A』の紙本をお手玉しつつ登場みたいなクソネタを考えてちょっと笑って、それからさっさと夕飯の準備にとりかかった。玄米・納豆・冷や奴・もずく・茹でた鶏胸肉・トマトときゅうりと水菜のサラダ。
 食後、猛烈な眠気に見舞われたので布団に寝そべり15分程度の仮眠をとった。起きてからデスクに着いてここまで一気呵成にブログを書くと23時半で、外付けのHDの上にのっかっているめざましの設定時刻が22時半になっているのを考えると、結局仮眠からさめてブログを書きおえるのにおよそ一時間を費やしているわけで、くわえて今日は筋トレとジョギングの双方に各一時間ずつ、三課目×三時間の時間割がうまくまわってくれないのも当然といえば当然なのかもしれないとげんなりした。
 とはいうものの仮眠明けのにぶい頭をブーストするのにブログはそこそこうってつけである。書く態勢のととのったところで「G」改稿に着手した。2時半までみっちり三時間。枚数変わらず262枚。122番。そこそこはかどった。第一次改稿もようやく先の見えてきた感じがする。ほとんどすべての断章を書き直しているわけだが(そしてそうでないものはことごとく削除しているわけだが)、この一手間のおかげでずいぶん記述のひきしまった気がする。この作品そのものをつらぬくひとつのトーンのようなものがようやく見えてきた。小説として傑作の評価を得るものではおそらくない。そうではなくて、小説というメディアそのものが傑作であることをまっすぐに告げる一種のマニュフェストのようなもの、あるいは小説を読み小説を書くとはいったいどういうことであるのかをとことん具体的な記述を通して「教育」する(ゴダール!)パフォーマティヴな教科書のようなもの、そんなふうにひょっとしたらいうことができるかもしれない。ほんのすこしだけ自信が出てきた。
 Twitterについては書いているときに気づいたことを逐一あげていくという方向性でだんだんいい気がしてきた。これはマニアックすぎて「G」には使えないと思ってボツにしたものも多かったけれど、Twitterのほうにこうしてまとめればいいかもしれん。同時にテキストファイルにも保存していけば、ある程度まとまった分量になったとき、なにかしらかたちにだってできる。小説論ではない。作文論である。